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妖怪派遣業  作者: 蜂兎類
PR
16/16

第十六魔 健康診断と妖怪たち 後編

そこからの検査は、意外にも大きな混乱なく進んだ。


 冬華は体温測定の時点で、通常の体温計がまったく役に立たなかった。


 結果、葛葉は非接触型の温度計、室温計、妖力反応計を並べ、神代が周囲の温度変化を記録することになった。


「氷室さん、少し緊張していますね」


 神代が記録を見ながら言う。


「分かりますか?」


「室温が2℃下がりました」


「すみません」


 冬華が小さく頭を下げる。


 その瞬間、さらに空気が冷えた。


「謝ると下がるんですか?」


 青木が震えながら呟く。


「どうやらな」


 修司も腕をさする。


 冬華は申し訳なさそうに目を伏せる。


「迷惑をかけていると思うと、さらに」


「冬華さん、そこで深く反省しないでください。人間側の血流が止まります」


 葛葉は淡々と記録した。


「感情変動による周囲温度低下。要経過観察」


「なんだか、私だけ天気予報みたいですね」


 冬華が静かに言う。


 修司はつゆを見た。


「つゆさんよりは局地的被害が少ないです」


「修司、それどういう意味?」


「言葉通りです」


 九郎は水分量の測定で、皿を外したまま行こうとして神代に止められた。


「九郎さん、皿を戻してください」


「えー、外してた方が測りやすくないッスか?」


「通常状態を測ります」


「でも皿なしも、俺の一部と言えなくもないッスよ」


「言えません」


「きびしいッスね」


 九郎は渋々、皿を頭へ戻した。ぽこん、と妙に軽い音がする。青木がその音に反応して、手元のペンを落とした。


「……今、装着音しましたよね」


「したな」


 修司も頷く。


「九郎、お前の皿ってそんな気軽に着脱するものなのか」


「慣れれば簡単ッスよ」


「人間でいる間は分からない間隔だな」


 葛葉は水分量を確認した。


「軽度の乾燥傾向がある」


「皿に水入ってるのにッスか?」


「皿の水と体内水分は別だ」


「え、そうなんスか?」


「別だ」


「じゃあ皿だけ潤ってて中身カラカラもありえるッスか?」


「ありえる、だからキュウリ以外にもしっかりと水分補給をするように」


 九郎は真顔になった。


「それ、河童としてだいぶ恥ずかしいッスね」


「人間でも肌だけ潤って内臓が疲れてることはあるからな」


 修司が言うと、九郎は妙に納得した顔で頷いた。


「修司見てるとすごく納得したッス」


「お前らのせいで内臓疲れてるんだからな!」


 つゆの検査は、終始神代の管理下に置かれていた。血圧測定の最中、つゆはバッグの中の缶を握ろうとして神代に止められた。


 呼吸を整えるように言われると、目を閉じて「冷えたグラス」「泡」「枝豆」と小さく呟き、血圧がわずかに上がった。


「雨坂さん」


「何?」


「酒場を想像しないでください」


「無心になろうとしたら、最初に浮かんだの」


「それは無心ではありません、欲望が飛び出ています」


 修司は腕を組んで見ていた。


「つゆさんの心、だいぶ居酒屋寄りですね」


「修司、心の住所を勝手に決めないで」


「じゃあ現住所どこなんですか」


「酒蔵と雨雲の間」


「中島みゆきが作曲してそうな場所」


 神代は淡々と記録した。


「飲酒習慣については、後ほど生活指導を行います」


 つゆの顔が曇った。窓の外も少し曇った。


「天気に出てますよ」


「出てないわ」


 ぽつ、と雨粒が落ちた。


「出てるんですよ」


 そんな調子で、健康診断の項目はどうにか進んでいった。


 滞りなく、と言っていいのかは微妙だった。


 少なくとも、妖怪たちは


 ナツメが動画を撮ろうとして神代に止められた回数は、途中で数えるのをやめた。


 そして最後、待合室に残った全員の前で、神代がリストを確認する。


「では、最後に採血を行います」


 その言葉に、空気が変わる。ミケの耳がぴたりと伏せた。


 つゆはなぜかバッグの中を探り始めた。


 蓮次は無言で腕を組んだ。


 修司はその3人を見て、嫌な予感しかしなかった。


「……最後に濃いの来たな」


 青木が小声で言う。


「真壁さん、採血って普通はそんなイベントじゃないですよね」


「人間相手ならな」


「妖怪相手だと?」


「血じゃないものを出す、そもそも血があるのか分からない。この辺りは想定しておいた方がいい」


「健康診断でそんな想定したくないです」


 神代が落ち着いた声で補足する。


「採血が難しい方には、必要に応じて別の方法を取ります。無理な処置はしません」


 ヒナが小さく手を挙げた。


「あの……紙の妖怪の場合は?」


「ヒナさんは採血ではなく、妖力反応と紙質検査で代替します」


「よ、よかった……」


 ヒナは胸を押さえて、心底安心したように息を吐いた。


 葛葉が淡々と呟く。


「繊維の断面を少しだけ見られれば、さらに正確だが」


「取りません」


 神代が即答する。


「まだ“切る”とは言っていない」


「言う前に分かります」


 ヒナは修司の背後へ隠れた。


「修司さん、今の聞きましたか」


「聞いた。ヒナちゃんは俺の後ろにいていい」


「ありがとうございます」


「葛葉さん、紙相手に“断面”とか言うのやめてください」


「医学的には有用だ」


「精神衛生的に有害です」


 モメンが天井から言う。


「俺も採血はないよな?」


 葛葉がモメンを見る。


「お前は血液ではなく、繊維と妖力流量を見る」


「安心した」


「ただ、必要なら布片を」


「取りません」


 今度は神代より早く、モメン本人が言った。


 修司も即座に頷く。


「取らないでください。さっきから患者の一部をサンプル扱いする流れが怖いです」


「貴重な症例が多いからな」


「それを口に出すから怖いんですよ」


     ◆


 最初に反応したのはミケだった。


 神代が採血用の器具を準備しているのを見た瞬間、ミケは2本の尻尾を自分の身体へ巻きつけた。


 耳は伏せ、目だけがじっと採血針を見ている。


「神代さん」


「はい」


「今の、ぷすっとするやつかい?」


「採血ですので、針は使います」


 ミケの身体が、分かりやすく小さくなった。


「……やっぱり、今日はやめておこうかねえ」


「やめません」


「アタシはさっき、体重も測ったし、尻尾も見せたし、口の中も見せたよ。かなり協力的だったと思うんだよ」


「とても協力的でした」


「じゃあ、今日はここまでで」


「採血まで行います」


「神代さんは、優しい顔で逃げ道を全部閉めるねえ」


「安全な範囲で必要な検査をしているだけです」


 ミケはそろそろと後ろへ下がる、動きはゆっくりだが、方向は明らかに出口だった。


 修司がその進路を塞ぐ。


「ミケ」


「何だい」


「出口はこっちじゃないぞ」


「知ってるよ」


「じゃあ何でこっち来た」


「風の流れを見にね」


「猫又が風水師みたいなこと言って逃げようとするな」


 ミケは目を逸らした。


「逃げてないよ。少しだけ、採血のない世界へ散歩しようと思っただけさ」


「それを逃げるって言うんだよ」


 青木が困ったように笑う。


「ミケさん、僕もさっき採血しましたけど、すぐ終わりましたよ」


「青木は人間だろう?」


「はい」


「人間は、そういうのに慣れているんだよ」


「慣れてはいないです」


「でも逃げなかった」


「大人なので」


 ミケは少しだけ青木を見上げた。


「大人かあ」


「ミケの方がはるかに年上だろ」


 修司が言うと、ミケは小さく咳払いをした。


「年齢と注射への強さは別物だよ」


「急に説得力あるな」


「長く生きれば、怖いものが減ると思ったら大間違いさ。むしろ、怖いものの種類が増えるんだよ」


「いいこと言ってるみたいだけど注射が怖いだけだろ」


 神代はしゃがみ、ミケの目線に合わせた。


「ミケさん、無理に押さえつけたりはしません。説明してから行います」


「説明されると、逆に想像して怖い時もあるんだよ」


「では、必要なことだけ伝えます」


「短めに頼むよ」


「少しだけ針を使います。動かなければ安全です。すぐ終わります」


 ミケは静かに目を閉じた。


「……修司」


「何だ」


「そばにいておくれ」


 修司は少し驚いた。


「俺でいいのか」


「今は下僕でも何でもいいから、知ってる顔がいい」


「下僕扱いは忘れないんだな」


「忘れたらアタシじゃなくなるよ」


「そこは守るんだな」


 ミケは震える尻尾を、修司の袖にそっと絡めた。


「手を貸しておくれ」


「猫に手はないだろ」


「今それを言う男は嫌われるよ」


「悪かった」


 修司はミケのそばに座り、袖を掴まれたまま動かずにいた。


 神代が手早く準備を進める。ミケは目を閉じたまま、小さく呟いた。


「終わったら言っておくれ」


「まだ始まってもいないぞ」


「知ってるよ。だから怖いんだよ」


 その声がいつもより小さかったので、修司は少しだけ表情を緩めた。


「大丈夫だ。神代さん、上手いから」


「本当かい?」


「本当だよ」


「葛葉じゃなくて?」


「神代さんだ」


「なら、少し安心だねえ」


 葛葉が横から言う。


「俺でも問題ないぞ、このあと俺もサービスで打ってやろうか?」


 ミケの尻尾がさらに縮こまる。


「これほど不要なサービスは聞いたことないねえ」


「本数倍になるからな」


 修司が小さく笑う。


 葛葉は特に傷ついた様子もなく、タブレットに何かを入力した。


「猫又、葛葉による採血を強く拒否」


「記録しなくていいだろそこ!」


 神代はミケの様子を確認し、小さな採血針を用意した。


「では、いきますね」


 ミケの尻尾が、きゅっと修司の袖を締める。


「……にゃ」


「また出てるぞ」


「今のは聞かなかったことにしておくれ」


「はいはい。押し入れの奥な」


「さらに奥だよ。古い布団の下」


「細かいな」


 採血は、拍子抜けするほど静かに終わった。


「終わりました」


 神代がそう告げると、ミケはゆっくり目を開けた。


「……本当に?」


「はい」


「もう、ぷすっとしない?」


「しません」


「追加のぷすっとも?」


「ありません」


「念のためのぷすっとは?」


「ありません」


「俺がもう一本打つか?」


「ありません」


 神代がきっぱり言うと、ミケはようやく大きく息を吐いた。


「生きて帰ってこられたねえ」


「採血で帰還兵みたいなこと言うな」


 修司が突っ込む。


 ミケは少しだけ恥ずかしそうに尻尾を揺らした。


「今のは、閉まっておくれ」


「また押し入れの奥か?」


「そう。開けちゃいけない箱だよ」


「この会社、押し入れに閉まうもの多すぎるな」


 ミケは小さく頷いた。


「修司の失言も、そこそこ入ってるよ」


「……それは悪かった」


     ◆


 次はつゆだった。


 つゆは椅子に座る前に、バッグから何かを取り出した。


 赤ワインの小瓶だ、それをみて修司は即座に眉をひそめる。


「つゆさん」


「何?」


「それは何ですか」


「赤ワイン」


「見れば分かります」


「なら聞かないで」


「何で採血の場面で赤ワインを出したのか聞いてるんです」


 つゆは当然のように言った。


「血の代わりに」


 沈黙。


 待合室全体が、数秒止まった。


 青木が紙コップを持ったまま固まる。


 九郎が「なるほど」と言いかけて、修司に睨まれて黙る。


 モメンは天井でゆらりと揺れた。


「赤い液体だからか?」


「そう」


「発想が雑だな」


「モメンに言われたくないわ」


 修司はゆっくり顔を上げる。


「……血の代わりに?」


「色、似てるでしょう?」


「健康診断を色味で突破しようとするな!」


「赤い液体よ」


「成分が全部違う!」


「ポリフェノールはあるわ」


「血液検査でポリフェノール求めてないんですよ!」


「でも健康にいいって聞くわ」


「今その話はしてません!」


 つゆは小瓶を軽く振る。


「血を抜くと減るでしょう?」


「まあ、多少は」


「なら補う必要があるわ」


「それで赤ワイン?」


「血に近い色のものを入れれば、身体が納得するかもしれないじゃない」


「身体をだませると思わないでください」


「気持ちは大事よ」


「検査結果は気持ちで補正されません」


 青木が遠慮がちに手を挙げる。


「つゆさん、それで検査したら、肝機能というよりワインの品質検査になるんじゃないですか」


「青木、今かなりまともなこと言った」


 つゆは少し考える。


「じゃあ、葛葉先生が味で判断する?」


 葛葉が即答する。


「しない」


「医者なら分かるかと」


「医者をソムリエにするな」


「香りで健康状態を」


「しない」


「色の深みで」


「しない」


「余韻で」


「それはワインだ」


 修司が頭を抱える。


「つゆさん、赤ワインは血の代わりになりません」


「でも昔から、血のようなワインって言うじゃない」


「比喩です」


「文学的には近いわ」


「医学的には遠いんですよ!」


「じゃあ文学的採血なら?」


「そんな診療科ないです!」


 神代が静かに赤ワインの小瓶を受け取った。


「こちらはお預かりします」


「あ」


「採血後も飲まないでください」


「採血後も?」


「はい」


「血を抜いた後に補充するのは?」


「水分を摂ってください」


「赤ワインも水分よ」


「水かお茶にしてください」


「白ワインは?」


「色の問題ではありません」


「ロゼなら中間」


「中間でもありません」


 つゆは修司を見る。


「修司」


「何です?」


「この病院、私に厳しい」


「健康には優しいです」


「私には?」


「そこは今後の生活態度次第です」


「生活態度って言葉、嫌いだわ」


「健康診断で1番出てくるやつですよ」


 つゆは小さくため息をつき、腕を出した。


「分かったわ。正面から立ち向かう」


「やっとですか」


「ただし、終わったら褒めて」


「子供か」


「採血に立ち向かう雨女よ」


「肩書きが弱い」


「血を抜かれ、酒を奪われ、それでも座っている女よ」


「だいぶ自業自得です」


 神代が準備を整える。


「少しチクッとします」


「いいわ。私は雨も嵐も受け止めてきた女」


「採血です」


「分かってるわ」


「動かないでください」


「分かってる」


「バッグに手を伸ばさないでください」


「……分かってる」


「今、間がありましたね」


「未練よ」


「未練も止めてください」


 採血は問題なく終わった。


 つゆは貼られた小さな絆創膏を見つめる。


「……これ、戦いの跡ね」


「検査の跡です」


「今夜は祝杯を」


「駄目です」


「まだ言い切ってない」


「言い切る前に止めました」


「せめて、採血記念に1杯だけ」


「採血を記念日にしないでください」


「じゃあ禁酒開始前夜祭」


「前夜祭を開催するために禁酒を先延ばしにするな!」


 つゆはがっくり肩を落とした。


 外でまた雨が少し強くなった。


「天気」


「出てないわ」


「今、雨脚強まりましたよ」


「これは私の涙よ」


「それも天気に出てます」


     ◆


 最後に蓮次が呼ばれた。


「轟蓮次さん」


 蓮次は静かに椅子へ座った。


 その体格だけで、採血用の椅子が少し小さく見える。


「腕を出してください」


「分かった」


 蓮次が腕を出す。


 太い。


 血管がどうこう以前に、腕そのものが岩のようだった。


 神代は通常の採血針を手にし、1度、蓮次の腕を見た。


 次に針を見た。


 もう1度、腕を見た。


「……葛葉先生」


「無理だな」


 葛葉は即答した。


「まだ何もしていませんけど」


「見れば分かる」


 修司が横から覗く。


「そんなにですか?」


「通常の針では刺さらない可能性が高い」


 蓮次は少し困ったように眉を寄せた。


「すまんな」


 修司は首を振る。


「いや、蓮次さんが謝ることじゃないですけど、注射針が負ける腕って何ですか」


「鍛えてはいる」


「鍛えたら注射針を弾く領域まで行くんですか」


「鬼だからな」


「便利な説明ですね」


 神代は一応、確認するように通常の針を蓮次の腕へ当てた。


 針先が、皮膚の表面で止まった。


 押しても入らない。


 まるで硬い革か、薄い鉄板に当たっているようだった。


 九郎が感心したように言う。


「蓮次さん、やっぱ硬いッスね」


「褒めているのか?」


「褒めてるッス」


「ならいい」


「よくないです蓮次さん。採血ができてないんですよ」


 蓮次は真面目な顔で考えた。


「力を抜けばいいのか?」


「皮膚の問題なので、たぶん力を抜いても変わらないです」


「では、気合いを入れれば」


「さらに刺さらなくなりそうなのでやめてください」


 モメンが天井から言う。


「鬼の皮膚って、配送用の防刃バッグより硬いのか」


「比べたことはない」


 修司は蓮次の腕を見る。


「比べなくていいです。というか、比較対象がどんどん業務用になっていく」


 葛葉は無言で診察室の奥へ向かった。


 棚を開ける音。


 金属ケースを取り出す音。


 待合室の全員が、自然とそちらを見る。


 葛葉が戻ってきた時、手には黒い細長いケースがあった。


 見た目は医療器具というより、特殊任務用の何かだった。


 修司はその時点で嫌な予感を覚えた。


「葛葉さん」


「何だ」


「それ、医療器具ですよね?」


「採血器具だ」


「採血器具って、そんなスパイ映画みたいなケースに入ってます?」


「これは特別製だ」


 葛葉はケースを開けた。


 中には、通常の採血器具より明らかに頑丈そうな注射器が入っていた。


 針も太いというより、質感が違う。


 全体的に、なぜか宇宙開発感がある。


 修司の顔が引きつった。


「……何ですか、それ」


 葛葉は淡々と答えた。


「NASAが開発したと言われている注射器だ」


 沈黙。


 修司は眉間を押さえた。


「出た。言われている」


「実際の開発元は不明だ」


「うさんくさっ」


 青木が思わず呟いた。


「NASAが開発した注射器って、誰向けなんですか?」


 修司もすぐに乗った。


「そうですよ。宇宙飛行士向け? いや、宇宙飛行士って普通の人間ですよね?」


「少なくとも鬼よりは刺さりやすいだろうな」


「比較対象が鬼の皮膚になってる時点で、医療器具としておかしいんですよ!」


 葛葉は注射器を手に取り、状態を確認する。


「対高密度皮膚用、と説明書にはある」


「高密度皮膚?」


「おそらく、UMA、未確認生物、または極限環境生物を想定している」


 修司は蓮次を見た。


「蓮次さん」


「何だ」


「確実にUMA扱いされてますよ」


「俺は鬼だ」


「世間的にはUMA寄りなんです!」


 青木が恐る恐るケースの内側を覗く。


「これ、本当に医療認可あるんですか?」


 葛葉は無表情で答えた。


「この施設内では使用可能だ」


「その言い方、逆に不安になるんですけど」


「一般病院では使わない」


「当たり前でしょうね!」


 ナツメが興奮を抑えきれない顔でタブレットを構えかけた。


「待ってください、これはさすがに社内記録として」


「駄目です」


 神代が即座に止める。


「でも、NASA注射器ですよ!」


「撮影禁止です」


「タイトルだけでも。“鬼の採血にNASA持ち出した結果”」


「駄目です」


「サムネに黒いケースだけ」


「駄目です」


 修司がタブレットをそっと下げる。


「桐生、医療コンテンツに夢を見すぎだ」


「だって絶対伸びますよ」


「伸びるのはモメンだけでいい」


「俺を巻き込むな」


 モメンが天井から不服そうに揺れた。


 九郎が手を挙げる。


「葛葉さん、それ河童にも使えるッスか?」


「使えるだろう」


「やだなあ」


「お前は通常の針でいける」


「それはそれでちょっと悔しいッス」


「何で悔しがるんだよ」


「鬼レベルじゃないってことッスよね」


「採血針が刺さることに劣等感を持つな」


 ミケは椅子の下へ半分隠れていた。


「……あれ、アタシに使わないよね?」


「使いません」


 神代がすぐに答える。


 ミケはさらに身体を縮めた。


「見てるだけで尻尾が縮むよ」


「俺も胃が縮んでます」


 修司が言う。


 つゆは赤ワインの小瓶を預けられたまま、遠くから黒いケースを見ている。


「なんだか、あれでワインの栓も抜けそうね」


「つゆさん、医療器具をソムリエナイフ扱いしないでください」


「硬いコルクにも対応できそうだわ」


「対応させません!」


 葛葉は蓮次へ向き直った。


「轟、腕を出せ」


「分かった」


 蓮次は落ち着いて腕を出した。


 修司は思わず口を挟む。


「蓮次さん、本当に大丈夫ですか?」


「ああ。問題ない」


「問題ないって言える状況に見えないんですけど」


「俺は大丈夫だ」


「蓮次さんが大丈夫でも、こっちの精神が大丈夫じゃないです」


「真壁」


「はい」


「心配してくれているのか」


 修司は一瞬言葉に詰まった。


「……まあ、そりゃ心配しますよ。採血に黒い特殊ケースが出てきたら」


 蓮次は少しだけ目を細めた。


「そうか。すまん」


「謝らなくていいです。動かないでください」


「分かった」


 神代が横で補助につく。


「ゆっくり行います。異常があればすぐ言ってください」


「ああ」


 葛葉は器具を構えた。


 修司は思わず後ろへ下がる。


「何で採血に緊張感あるんですか」


「相手が鬼だからだ」


「理由がシンプルすぎる!」


「単純な理由ほど重要だ」


「今そういう名言いらないです」


 数秒後。


 蓮次の採血は無事に終わった。


 器具を外し、神代が処置をする。


 蓮次は特に表情を変えない。


「終わったか」


「ああ」


 葛葉が採血管を確認する。


「問題ない」


 修司は肩から力を抜いた。


「よかった……」


 青木も小さく息を吐く。


「採血でこんなに緊張したの初めてです」


「俺もだ」


 蓮次は自分の腕を見た。


「しかし、すごい針だったな」


「そこに感心するんですか」


「鬼の皮膚にも通るとは」


「蓮次さん、感想が武器を受けた戦士なんですよ」


「良い道具だった」


「採血器具です」


 九郎が目を輝かせる。


「ロマンあるッスね!」


「ない。医療器具にロマンを求めるな」


 葛葉はケースへ器具を戻しながら言った。


「貴重品だからな。次に使うのは、鬼、岩系妖怪、もしくは巨大甲殻種の時だ」


「ラインナップが病院じゃなくて研究施設なんですよ」


「巨大甲殻種って何ですか」


 青木が聞くと、葛葉は無表情で答えた。


「前に来た。採血に3人かかった」


「聞かなきゃよかったです」


 修司は額を押さえる。


「この病院、患者の幅が広すぎる」


「医療は必要とする者のためにある」


「いいこと言ってるのに、直前の注射器がうさんくさすぎて入ってこない」


 神代が静かに片付ける。


「これで本日の検査は終了です。結果は後日、個別にお伝えします」


 その言葉に、待合室の空気がようやく緩んだ。


 九郎が伸びをする。


「いやー、健康診断って大変ッスね」


「お前の場合、皿外して遊んでただけだろ」


 モメンが天井へ戻りながら言う。


「俺は尊厳を測られた」


「長さと重さだ」


「あと湿気だ」


「湿気はお前が濡れたまま来たからだろ」


 ヒナが小さく手を挙げる。


「私は、閉じ込められて帰ってきました」


「計量器な」


「でも、少し強くなった気がします」


「健康診断で成長イベントを発生させるな」


 ミケは床に座り、尻尾を身体に巻きつけたまま言う。


「アタシは注射という名の山を越えたよ」


「採血です」


「山だったよ」


「ミケにとっては山か」


「高くて寒くて、頂上に針があった」


「嫌な山だな」


 つゆは預けられた赤ワインの小瓶を見つめていた。


「私は血の代わりにワインを差し出したのに、受け取ってもらえなかったわ」


「当たり前です」


「医療の世界は保守的ね」


「血液検査にワインを出す方が革新的すぎるんですよ」


 冬華が静かに言う。


「でも、皆さん無事に終わってよかったです」


 修司は冬華を見る。


「冬華さんは最後まで室温管理ありがとうございました」


「私は緊張して下げてしまっただけです」


「結果的に、つゆさんのワイン欲を少し冷やしてくれたので助かりました」


「修司、それはどういう意味?」


「言葉通りです」


 蓮次は静かに頷く。


「俺はNASAと戦った」


「戦ってないです。採血されただけです」


「だが、あの針は強敵だった」


「蓮次さん、採血を武勇伝にしないでください」


 葛葉が淡々と記録する。


「轟、採血器具に対する評価、良好」


「それ記録いります?」


「次回の参考になる」


「次回もNASAが出る前提なんですか」


 修司は深く息を吐いた。


「葛葉さん」


「何だ」


「今日の健康診断、俺たち人間側のストレス数値も測った方がいいです」


 葛葉はタブレットを見た。


「すでに見ている」


「見てるんですか」


「お前と青木は後で追加問診だ」


 修司と青木は同時に固まった。


「……青木」


「はい」


「俺たち、お守り役じゃなかったのか」


「たぶん、お守り役も検査対象だったんですね」


「何か胃が痛くなってきた」


「真壁さん、それ言うと記録されますよ」


 修司は慌てて口を閉じた。


 葛葉はすでに入力していた。


「真壁、胃痛の訴えあり」


「遅かった!」


 神代が柔らかく言う。


「真壁さんも、今日はよく頑張りましたね」


「神代さん、それ、俺が採血受けた時より染みます」


「では、この後少し休んでから追加問診にしましょう」


「結局あるんですね」


 その時、つゆが小さく手を挙げた。


「修司、追加問診のあと、1杯どう?」


「行きません」


「じゃあ、採血を乗り越えた祝いで」


「行きません」


「NASA記念」


「もっと行きません!」


「血の代わりにワインを認めてもらえなかった残念会」


「会の名前を増やしても行きません!」


 九郎が横から言う。


「じゃあ水分補給会ならどうッスか?」


「それは健康そうに聞こえるけど、つゆさんがいる時点で酒に化けるだろ!」


 モメンが天井から言う。


「俺はUVカット用品の買い出しなら付き合う」


「それはお前の福利厚生だろ」


 ヒナが小さく手を挙げる。


「あの、私はお菓子を食べてもいいですか。生還祝いに」


「ヒナちゃんはいい」


「私も生還祝いを」


「つゆさんは駄目です」


「差別だわ」


「生活指導です」


 ミケが出窓からゆっくり目を細める。


「修司、今日は帰ったら早く寝るんだよ」


「ミケに言われるとは思わなかった」


「下僕の体調管理も、猫又の仕事だからね」


「ありがたいような、釈然としないような」


 冬華が静かに頷く。


「真壁さんが倒れると、皆さん困りますから」


「冬華さんまで」


 蓮次も腕を組んだ。


「必要なら、俺が家まで運ぶ」


「蓮次さん、それは遠慮します。運ばれる時点でかなり悪化してます」


「なら、玄関まで」


「距離の問題じゃないです」


 葛葉が淡々と記録する。


「真壁、ツッコミ出力はまだ十分」


「それを健康指標にするな!」


 修司の声が診療所に響いた。


 その声を聞いて、葛葉はタブレットにさらに入力する。


「声量、問題なし」


「追加するな!」


 神代が小さく笑い、瀬良は記録用紙をまとめ、ナツメは撮影できなかった悔しさを噛み締めながらタブレットを閉じた。


 こうして、百鬼スタッフサービス第1組の定期健康診断は終了した。


 結果として分かったことは、妖怪たちも健康診断は受けられるということ。


 ただし、普通の健康診断と呼ぶには、あまりにも測るものが多すぎるということ。


 そして何より。


 修司と青木のお守り役としての健康も、今後は定期的に確認した方がいいということだった。






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