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妖怪派遣業  作者: 蜂兎類
1/8

第一魔 河童、入社初日

六月中旬。朝八時四十分。東京都某所。雑居ビル四階。株式会社百鬼スタッフサービス。


 その二階――妖怪対応フロアにて。


「…………」真壁修司は無言だった。視線の先。床一面に広がる大量の水。びしょ濡れのカーペット。流れていくキュウリ。ぷかぷか浮いている。意味が分からない。


「……なんで?」


 朝出勤して最初の感想がそれだった。デスク脇をキュウリが通過していく。一本。二本。三本。しかも新鮮。


「いやなんで!?」


 修司は思わず叫んだ。その声に、奥のデスクから気だるそうな声が返ってくる。


「朝からうるさいわねぇ……」


 経理担当、猫又ミケ。椅子の上で体育座りしながらノートPCを触っている。猫みたいだった。実際猫又だった。


「ミケさん!!」


「なに」


「なんですかこれ!!」


「水」


「見れば分かりますよ!!」修司は床を指差す。


「なんで会社が浸水してるんですか!」


 ミケはあくびした。「新人来たんじゃない?」


「新人で済む被害ですかこれ!?」


「うちだと軽傷」


「基準が終わってるんですよ!」修司が頭を抱えた、その時だった。


 バァン!!給湯室の扉が勢いよく開く。水飛沫が飛び全身がびちゃびちゃになってしまう。そこから現れたのは――緑色のパーカー。短パン。サンダル。首から社員証。そして頭の上には綺麗な皿。


「おはようございまっス!!!」


 河童だった。しかもめちゃくちゃ元気だ。修司は数秒黙ったあと、静かに言った。


「犯人お前か」


「え?」


「え?じゃない」河童はきょとんとしている。悪気ゼロだった。最悪である。


 十分後。応接室。修司はタオルで髪を拭きながら履歴書を見ていた。


 目の前には正座する河童。河城九郎。年齢八十三歳。妖怪基準では若手。


「……まず聞くぞ」


「はいっス!」


「なんでオフィスが川になってる」


 その問いに対して、九郎は真面目な顔で答えた。


「気合を入れたんス」


「緊張すると浸水するの?」


「はい!」


「元気に言うな」


 九郎は悪びれない。修司は深いため息を吐いた。しかし履歴書を見て、思わず眉が動く。資格欄が異常だった。


・第一級水路整備士

・特級配管術師

・霊流管理技師

・河川保全技能士

・水脈探査A級

・呪式ポンプ整備主任


「……めちゃくちゃ有能じゃねえか」


「へへっ」九郎が照れ笑いする。


「これだけ資格あってなんで無職なんだ?」その瞬間、九郎がスッと目を逸らした。


「あっ」修司は察した。


「何やった」


「……キュウリを」


「うん」


「少し」


「うん」


「冷蔵庫から」


「窃盗じゃねえか!!」九郎が慌てる。


「でも共有って書いてたっス!」


「冷蔵庫が会社の備品だからだよ!」


「河童界ではきゅうりは共有物っス!」


「知らねえよ河童界!!てか何でその冷蔵庫もきゅうり置いてあんだよ!!」修司のツッコミが響いた。


 その時。コンコン。扉が開く。


「朝から元気ねぇ」入ってきたのは雨坂つゆだった。


 黒いスーツ。長い黒髪。そしてずぶ濡れ。傘を差しているのに。


「なんで濡れてるんですか」


「雨降ってるから」


「傘」


「飾り」


「意味がない」


 つゆは気にした様子もなく椅子へ座る。その瞬間。周囲の湿度が上がり、九郎が目を輝かせる。


「すごっ、水気多いっスね!」


「雨女だから」


「本物!?」


「本物って何」


 修司は二人を見ながら頭痛を覚えた。この会社、会話だけで疲れる。つゆがファイルを机へ置く。


「その子に仕事入ってるわ」


「新人初日ですよ?」


「だから?」


「だからって……」


「人手不足なの」


 その一言で全てが終わった。修司は資料を見る。


【立花設備工業】地下配管工事。原因不明の漏水。夜間の異音。作業員の離職多数。


「あー……」


 嫌な予感しかしない。九郎は逆にワクワクしていた。


「地下配管!?」


「好きなのか」


「超好きっス!」


「小学生みたいなテンションだな」


「配管はロマンっスよ!」


 分からない、一ミリも。ひとまず新人を引き連れて現場へと向かうことにした。研修など、無い。


 午前十時。立花設備工業。地下工事現場。責任者の立花はやつれた顔をしていた。目の下にクマ、寝不足なのが一目で分かる。


「来ていただいて助かります……」


 修司は周囲を見るが、現場自体は普通だ。だが空気が妙だった。なにやら湿っている。あと、冷たい。


 地下から、ぽちゃん……ぽちゃん……と水音が響いていた。立花が小声で言う。


「夜になると、誰もいないはずなのに音がするんです」


「どんな音です?」


「歩く音とか……笑い声とか……」


 九郎が真顔になる。さっきまでのアホっぽい空気が消えた。


「……いるっスね」


 修司が見る。


「分かるのか?」


「かなり古い水系っス」


 九郎はマンホールを覗き込んだ。その瞬間。地下から声。


「……おぉ?」


 九郎の顔色が変わる。


「あれ?」


「どうした」


 九郎は驚いた顔で言った。


「知ってる気配っス」


「は?」


 次の瞬間、九郎はためらいなくマンホールへ飛び込んだ。


 ザバーン!!


「うぉ!?」


 立花が悲鳴を上げる。修司も駆け寄る。


「おい九郎!?」


 地下から声が響いた。


「マジっスか!?」


『おぉ!? 九郎か!?』


「源じい!?」


『でかくなったなテメェ!!』


「そっちこそジジイになったっスね!」


『当たり前だろ三百年経ってんだぞ!!』


 修司はゆっくり顔を覆った。知り合いだった。最悪だ。


 数分後。地下から現れたのは、半透明の老人河童だった。頭の皿にヒビ。腰も曲がっている。完全におじいちゃん。


「源兵衛だ」


「どうも」


「住んでる」


「帰れ」


 即答だった。源兵衛が怒る。


「冷たいなお前!」


「現場止まってるんですよ!」


「だって行く場所ねえし……」


 その一言で空気が少し変わる。源兵衛は地下を見る。


「昔は川だったんだよ、ここ」


 ぽつりと言った。


「魚もいた。ガキも遊んでた」


 九郎が静かに聞いている。


「でも全部埋まった」


 老人河童は笑った。少し寂しそうに。


「気づいたら配管の中しか居場所がなくてな」


 修司は何も言えなかった。妖怪も同じなのだ。人間社会から弾かれ居場所を失って、隅っこへ追いやられていく。


 九郎が小さく言う。


「……源じい」


 老人河童は笑う。


「みっともねえよなぁ」


 修司は少し考えた、そして。


「働きます?」


 全員が固まった。


「……は?」


「いや、うち人手不足なんで」


 つゆが即座に頷く。


「水質管理なら優秀そうね」


 ミケも乗ってくる。


「地下設備担当空いてたわ」


「いや軽く採用しないでくださいよ!」


 修司がツッコむ。だが源兵衛は目を丸くしていた。


「……ワシでも?」


 修司は言う。


「ちゃんと働くなら」


 数秒の沈黙ののち、老人河童は泣いた。


「うぉぉぉぉぉん……!!」


「泣いた!?」


「三百年ぶりに就職できたぁぁぁ!!」


「重い重い!!」


 九郎も泣いている。


「よかったっスね源じい!!」


「うぉぉぉん九郎ぉぉ!!」


 地下工事現場で河童二匹が抱き合って泣いていた。立花はドン引きしていた。その日の夕方、百鬼スタッフサービス、地下設備管理室、源兵衛が嬉しそうに蛇口を磨いている。


「働ける……働けるぞぉ……」


 修司は少し笑った。


 変な会社だ、本当に。いやマジで。


 でも。悪くないかもしれない。そう思った、その瞬間。ドゴォォォォン!!!会社全体が揺れた。天井の照明が揺れる。


 修司が叫ぶ。


「今度は何だ!?」


 館内放送。


『緊急連絡、緊急連絡』


 ミケの声だった。


『鬼が暴れてます』


 修司は真顔になる。


「なんで」


 放送。


『肉まんが売り切れてたそうです』


 沈黙。


 修司は静かに天井を見上げた。


「……帰りてぇ」


 九郎が拳を握る。


「行くっスよ修司さん!」


「なんでお前そんな元気なんだよ!」


「社会人は元気が大事っス!」


「その理論で浸水したのお前のせいだからな!?」


 そして今日もまた。


 百鬼スタッフサービスの夜が始まる、怪異も働く。妖怪も働く。人間も働く。この世で一番怖いのは――


 もしかすると“労働”なのかもしれなかった。

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