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健康すぎる私が医療事務に!?  作者: りむ


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8/12

#8 私が払う保険料も……誰かの診察に繋がってるんだ

休憩時間の声がかかると、愛美はふたりを見て軽く手を叩いた。


「じゃあ、食堂行こっか。ふたりは……初めてだよね?」

「はい」

「今日が初です!」


そう答えた紬と沙耶は、並んで歩きながら、内心ちょっとだけそわそわしていた。


職員食堂の扉を開けた瞬間、ふたりはほぼ同時に目を見開く。


「……思ったより、広いですね」

「え、普通に学食みたい……」


白衣姿や制服姿の職員が並ぶ中、どこに並べばいいのか、一瞬わからなくなる。

紬はトレーを手に取ってから、立ち止まってしまった。


「えっと……これって、先にメニュー決めるんだよね……?」

「多分……写真のところからじゃないですか?」


愛美がくすっと笑いながら、後ろからフォローした。


カウンターの上には、今日のメニューがずらりと並んでいる。


「うわぁ……迷う……」


立ち止まったのは、沙耶だった。メニューをじっと見つめたまま、動かない。

愛美が苦笑しながら声をかける。


「……はい。どれも良さそうで……」

「私はもう、照り焼き一択なんだけど」

「え、即決……?」

「お腹すいてると、考えるのめんどくさくなるタイプ!」


そう言って、紬は迷いなくA定食のトレーを取った。

ごはんは普通盛り、唐揚げでもいけそうな勢いだ。


「紬ちゃん、結構しっかり食べるよね」

「はい! 健康だけが取り柄なので!」


胸を張って答える紬に、愛美がくすっと笑う。


「私は今日はこれかな」

愛美は、ヘルシープレートを手に取った。


蒸し鶏と野菜がバランスよく盛られている。


「愛美さんのも、美味しそうですよね」

沙耶が言うと、愛美は少し照れたように笑った。


「んー……量がちょうどいいのと、午後眠くならないから」

「なるほど……」


沙耶は再びメニューに視線を戻す。

魚、鶏、サラダ、カレー……。指先がトレーの上を行ったり来たりしている。


「……あの、沙耶ちゃん」

紬が遠慮がちに声をかけた。


「決める基準って、何かあるの?」

「えっ……基準……」


沙耶は少し考えてから、正直に答えた。

「……できれば、重すぎなくて。でも、ちゃんとお腹にたまって……でも、食べすぎた感じにはならなくて……」


本当は大盛りを頼みたいけど、変に納得されそうで恥ずかしい。

かと言って量が少ないと、夕方ごろにお腹が鳴りそうで怖い。

そのどちらも避けたくて、沙耶はなかなか決められずにいた。


「む、難しい……!」

紬が思わず吹き出す。


愛美はくすっと笑いながら、助け舟を出した。

「じゃあ今日は、白身魚フライ定食にしてみたら? 揚げ物だけど、鶏より軽いし、量もほどほどだよ」


「……それ、いいかもしれません」


ようやく決断して、沙耶はB定食を取った。

ごはんは少なめでお願いする。


三人でテーブルにつくと、自然と会話も緩んでいく。


「……食堂って、病院っぽくないですね」

紬が照り焼きを一口かじりながら言う。


「もっと味気ないかと思ってました」

「意外とちゃんとしてるでしょ」


愛美がスープを飲みながら答える。

「こういうのも職員の福利厚生だからね」


沙耶は、白身魚を少しずつ口に運びながら、ふと思い出したように口を開いた。


「……そういえば」

ふたりの視線が向く。


「初任給って……何に使うか、もう決めてます?」

少しだけ、声が小さい。


「え?」

「沙耶ちゃんから、その話題来るの意外」


紬が目を瞬かせる。


沙耶は箸を止めて、視線を落とした。

「……私、まだ全然決められなくて。家族に何か贈ったほうがいいのかな、とか。でも、実家暮らしなので……改まると、ちょっと照れくさくて……」


言いながら、自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。


「かと言って、自分のために使っちゃっていいのかな、とも思って……」

「欲しいものがないわけじゃないんですけど……」

 

そこまで言って、沙耶は小さく苦笑した。

「結局、何も決められなくて」


「それ、さっきのメニュー選びと同じじゃない?」紬がくすっと笑う。


「う……」

最後は、小さな苦笑になった。


「それ、分かる」

意外にも、先に頷いたのは愛美だった。


沙耶が顔を上げる。


「私も実家暮らしだからさ」

愛美はスープを一口飲んでから続ける。


「“ありがとう”って形にするの、近いと逆に難しいんだよね」

「……はい」

「一緒に暮らしてると、“今さら?”って気もするし」

「でも、何もしないのも違う気がして」


愛美は少し照れたように笑った。

「私も初任給のとき、結構悩んだよ」


「愛美さんも……」

「うん。結局そのときは、家で使うちょっといいタオルにした」

「タオル……」

「消耗品なら気負わないし、“みんなで使える”って理由つけもできるから」


沙耶は、少しだけ安心したように息をつく。

「……そういう考え方も、ありますよね」


そこで、紬が「はい」と手を挙げるように箸を立てた。

「私は、もう決めてます」


「早いね」

愛美が笑う。


「実家の炊飯器、買い替えます」

紬は少し照れながらも、はっきり言った。


「もう、だいぶ年季入ってて。炊けるけど、蓋がちょっと怪しくて……」

「実用的!」

「でも、すごく紬さんらしい」


沙耶もメモをとっている。


「毎日使うものだし」

紬は肩をすくめて笑った。


「それに、ごはん美味しいと、家の空気ちょっと良くなるじゃないですか」


愛美はその言葉に、ふっと表情を緩めた。

「うん。初任給の使い道として、すごくいいと思う」


少しだけ間が空いてから、愛美が続ける。


「でもね」

「初任給って、全部を“自分で決められるお金”だと思いがちだけど」

「実際は、そうじゃない部分もある」


沙耶が首を傾げる。

「……そうじゃない、部分?」


「税金とか、保険料。最初から使い道が決まってるお金も、ちゃんとあるんだよ」


「このあたりの話って、ちゃんと聞いた?」

紬と沙耶は、ほぼ同時に首を横に振る。


「……正直、よく分かってないです」

「私も……お給料から引かれる、くらいの認識で……」


愛美は苦笑しながら頷いた。

「うん、最初はみんなそう。じゃあ簡単に説明するね」


テーブルの上に置いたトレーの端を、指で軽く叩きながら続ける。


「税金とか社会保険料ってね、基本的には“前年の収入”を参考に決まるの」

「前の年……?」

「そう。だから、ふたりみたいに学生のときにバイトしてなかったり、収入が少なかった人は、最初の一年はかなり軽め」


紬はほっとしたように息を吐いた。

「……それ、安心します」


「私もです……」

「……あ」


「どうしたの?」と愛美が尋ねる。


「そういえば……」

紬は、思い出すように言った。


「バイトしてたとき、“これ以上働くと、何万円の壁超えちゃうから気をつけてね”って言われたこと、あります」


「……ああ」

愛美がすぐに頷く。


「シフト増やそうとしたときとか」

「そうです」

紬は少し照れたように笑う。


「正直、そのときはよく分かってなくて……」

「ただ、“超えると損するから”って言われて、じゃあ、控えたほうがいいのかな、くらいで……」


沙耶が首を傾げる。

「何万円の……壁?」


「いわゆる“扶養の壁”だね」

愛美が説明する。


「一定の金額を超えると、税金がかかったり、保険の扱いが変わったりするやつ」

「……あ」

「それも、結局は“収入を基準に決まる仕組み”なんだよ」


紬は、ゆっくりと頷いた。

「……あれは、そういうことだったんですね」


「うん。でもね」

愛美は、そこで少しだけ声のトーンを変えた。


「社会人2年目からは、ちょっと現実が来る」

ふたりの表情が、同時に固まる。


「前年に“正社員として一年分働いた収入”を基準に、住民税とか社会保険料が決まるから、“お給料は同じなのに手取りが減った?”ってなる人がすごく多い」

「明細見て、“え?”ってなる人、ほんと多いよ」


そこで、紬が少し考え込むように視線を上げた。


沙耶が小さく目を丸くする。

「高い……どれくらいですか……?」


「人にもよるけど、“え、こんなに引かれるの?”って一度は思うと思う」

愛美は苦笑した。


「私も最初、明細見て固まったから」

「……怖いですね」

「怖い。でもね」


そこで、愛美は少し柔らかく笑った。


「その分、病気したときも、産休も、何かあったときの支えになる。だから“取られてる”って思いすぎなくていい」

「守られてる、ってことですか」

「そう。社会人になった証みたいなものかな」


紬は、さっきまでの軽い雑談とは違う重みを感じながら、静かに頷いた。

「……知らないままより、ちゃんと知ってたほうがいいですね」


「うん。初任給で浮かれてるときに、一度は聞いておいたほうがいい話」


愛美はそう言って、空になったカップを手に取った。

「――現実だけど、大事な現実だから」


愛美の話を聞きながら、紬はふと、胸の奥がすとんと静かになるのを感じていた。


税金。

保険料。

前年の収入。

引かれるお金。


今まで、正直あまり考えたことがなかった。

「なんとなく払ってるもの」「勝手に引かれてるもの」――それくらいの認識だった。


でも。頭の中で、点と点がゆっくりと線になる。


病院にかかったとき、窓口で払う金額が3割で済むこと。

高額になったら、限度額があること。


全部が、全部。

誰かが、どこかで“前もって”支えている仕組みの上に成り立っている。


「医療費とか……保険って……」

紬は、ぽつりと口にした。


「“困った人を助ける魔法”みたいなものだと思ってました。でも……違うんですね」

「うん?」

「ちゃんと、“みんなで少しずつ支えてる仕組み”なんだって……今、やっと分かった気がします」


愛美は何も言わず、ただ小さく頷いた。


紬は自分の手元を見つめる。

今はまだ、ほとんど病院にかかったことのない体。

薬とも縁がない生活。


それでも。


(私が払う保険料も……誰かの診察に繋がってるんだ)


「これからは……“支える側”にもなるんですね」

紬は、少し照れたように笑った。


医事課の仕事や健康保険の仕組みが、自分の足元に近づいた気がした。

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