#11 それは私の努力でも能力でもない。“たまたま、そういう容姿に生まれた”ってだけ
窓口での騒ぎが静まり、残っていた緊張の空気が少しずつ溶けていった。
葉月は、無表情とまではいかないけれど、どこか感情を抑えたような雰囲気だった。
「……お疲れさまです」
思わず、紬と沙耶は同時に頭を下げた。
「桐原葉月です。今日が初めてだよね?」
ふたりに向けられた葉月の声は、思っていたよりも柔らかかった。低く落ち着いていて、だけどよく通る声。表情は穏やかで、目元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいたようにも見えた。
「はい、今日から医事課勤務の日下紬と——」
「——木崎沙耶です。よろしくお願いします!」
沙耶がいつものように、はっきりとした声で挨拶した。
けれど、どこかまだ、背筋が自然と伸びてしまうような緊張感があった。
「よろしく。……って、そんなに緊張しなくてもいいよ。第一印象がクレーム対応だとしょうがないかもしれないけど」
冗談っぽくそう言って、葉月は少しだけ肩をすくめた。それが不思議なくらい自然で、新人ふたりも思わず笑ってしまった。
「……あの、葉月さんっ」
声をかけたのは沙耶だった。緊張気味に制服の裾を指先で握りながら、それでも目はまっすぐ葉月を見つめている。
「今の……クレーム対応のとき……すごく、かっこよかったです!」
声の調子が思ったよりも大きくて、沙耶は自分で驚いたように口を押さえる。
そして、みるみるうちに頬が赤くなり、ついには目元がきらきらとひかる。
そのまま、少しだけ顎を引いて、上目遣いで葉月を見つめた。
(……あ)
その表情を見た瞬間、紬の脳裏に、なぜか昔やったイベント会場の「剥がし」のバイトの光景がよぎった。
ステージ上の推しを見上げるファンの、あの独特の目。
言葉より先に感情が溢れてしまう、あの一瞬の顔。
(……これは、完全に“ファンの目”だ)
「わ、私、あんなふうに冷静に話せる自信なくて……! あの落ち着いた声とか、姿勢とか、ほんとに……!」
その勢いに紬が思わず笑いそうになると、葉月はふっと優しい笑みを浮かべ、手を軽く振った。
「いや……あれは、たまたまだよ。ありがとう。でも、そんな大したことはしてないんだ」
「そんなこと……!」と食い下がろうとした沙耶を、葉月はゆっくりとした声でやんわり止めるように続けた。
「正直に言えば――説明の内容や進め方は、愛美さんと同じだった。私はただ、声が少し低いのと、背が高かったってだけ。あの患者さんには、そういう“見た目”の方が効果があったのかもしれないね。でも、それは私の努力でも能力でもない。“たまたま、そういう容姿に生まれた”ってだけの話なんだ」
その言葉を聞いたとき――
紬は、ほんの一瞬だけ、葉月の声の奥に、かすかな影を感じ取った。
(……“私の努力でも能力でもない”なんて、そんなふうに言わなくても)
葉月の声は、たしかに落ち着いていて、低めで、安心感があった。
でも、その声のトーンや高い身長が、もしかしたら、彼女にとっての中に小さなコンプレックスとして残っているのだとしたら。
(冷静そうに見えるけど……きっと、葉月さんにも、そういう気持ちがあってもおかしくない)
そう思うと、葉月の立ち姿が少し違って見えた。まっすぐに立っているその背中は、誰よりも“自分を崩さない”という意志を持っているように見えた。
「……それでも、私にはすごく頼もしく見えました」
「それに、愛美さんから今2年目って聞きました。来年、私が葉月さんみたいに対応できるとも思えないので、そういうのは葉月さんの能力や努力なんだと思います。」
紬が小さくそう言うと、葉月はほんの少しだけ、視線を伏せて――
「ありがとう」と、前よりも少し静かな声で答えた。
「でも、確かに“ここ”では2年目だけど、転職してきてるから“医事課”は一応5年目だね」
「あっ、そうなんですね〜」
「うん。でも、さすがに勤務初日に転職の話するのも重くなるから、気になるならまた別の機会に話そうか」
その言い方が少しだけ寂しそうで、紬の胸に小さな引っかかりを残した。
沙耶は、なにかを言おうとして、一度口を開き――でも、それよりも笑顔を選んだ。
「……はいっ、ぜひ今度聞かせてください!」




