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05. イロ・レーティング

 剣闘士くじを買うことにしたはよいものの、他人よりも正確に剣闘士の勝敗を予測することができなければ、当然お金を儲けることはできない。ケネスには、このための切り札があった。

(やっぱり、まず試してみるべきはイロ・レーティングだよね)


 イロ・レーティングとは、チェスの強豪でもあるアメリカの物理学者、イロ教授が1950年代に考案した競技者の格付けシステムである。今でも国際チェス連盟の公式レーティング法として採用されている。おおよそ1500を平均とする点数がそれぞれのプレーヤーに割りふられ、その大小で強弱や勝利する確率が判断される。


(偶然とはいえ、隆太郎は本当にいい仕事をしたな)

 ケネスは前世の自分を、そうほめてやりたかった。本来は経済学の大学院生でも、野球などのスポーツを分析するセイバーメトリクスが専門でもないかぎりは、レーティングの仕組みに触れる機会はあまりない。


 しかし、天才中学生棋士がデビュー直後から29連勝する活躍により、オンラインで非公式に公開されているプロ棋士のレーティングも脚光を浴びた。隆太郎も「レーティングが200点も上の棋士に勝った!」というブログの記事を目にして、イロ・レーティングについて調べてみたことがあったのだ。


 イロ・レーティングが優れているのは、その精度のわりに理論が簡潔な点である。


 プレーヤーの全員が1500点からスタートし、勝敗によってそれぞれのプレーヤーの点数を次々にアップデートしていくのであるが、そのアップデートの方法が極めてシンプルなのだ。ある剣闘士が負けた場合には、その者の点数から「16×(理論上勝利するはずだった確率)」を引いてやり、勝った場合には、「16×(1-理論上勝利するはずだった確率)」を加えてやるだけだ。


(計算するのが簡単なのは本当にありがたいよね、そろばんで計算する僕にとってはとくに)

 ケネスはそう感謝することしきりである。

 

 問題は「理論上勝利するはずだった確率」をどう計算するかであるが、この計算式もたったふたつの仮定から導出することができる。仮定のひとつは


    AがBに勝つ確率が、BがAに勝つ確率の10倍ならば、AとBのレーティング差は400とする


というものだ。これはただ点数のスケールを定めているだけなので、それほど重要ではない。


 もうひとつの仮定は、簡略化すると

    

    AがBに勝つ確率が、BがAに勝つ確率の10倍で、

    BがCに勝つ確率が、CがBに勝つ確率の10倍であるならば、

    AがCに勝つ確率は、CがAに勝つ確率の100倍とする


というものだ。この仮定で重要なのは「強い者は誰に対しても強く、『相性』が存在しない」ということである。もちろんスポーツやボードゲームでは、実際には特定の相手を苦手だったりするのだが、これは簡潔な理論のためにはしかたのない仮定だろう。


(このシステム考えたイロさんっていう人は、本当に天才だよな。何の資料も持っていない、今の僕でも計算できちゃうし)

とケネスが考えるだけあって、ふたつの仮定さえ記憶しておけば、対数の知識がある人ならば誰でも勝つ確率を求めることができる。


 イロ・レーティングの仕組みを思い出しながら、それを紙に書きとめたケネスは、まだ必要なものが3つあることに気づいていた。増やすべきタネ銭と過去の勝敗データ、それから計算するときに参照する対数表である。対数表はそろばんがなければ作るのが難しいので、まずはタネ銭とデータを手に入れることにした。


 データを手に入れるために、ケネスは剣闘士くじの監査を担当している、デイビッドの部下に近づいた。街の英雄である私兵団の活躍を記録で確認したい、と純粋無垢なふりをして伝えたところ、次の監査で勝敗表の写しをもらってきてくれることになった。あまりの簡単さに拍子抜けをしてしまったが、これが領主一家の特権というものなのだろう。


(監査資料を流用するのは、重大なコンプライアンス違反のような……)

 このような懸念も頭をよぎったが、剣闘士の勝敗は公表されているので問題はないと納得することにした。

(6歳児じゃ闘技場に出かけることもままならないし、こうするよりしかたがないじゃないか)

とこれはケネスの言い分である。


 タネ銭を稼ぐ方法は、木工所からリバーシが届いた日に思いついた。


 その日、メイドから完成品を受け取り、できばえを確認していると、ナンシーが足を踏みならして部屋に入ってきた。何事かと目を丸くすると、ナンシーは記憶を取り戻したケネスが自分をかまってくれないことに文句をつけてきた。

「ちょっと、ケネス兄さん! 最近ずっと本を読んだり部屋で考えごとをしてばかりで、全然私とお外で遊ばないじゃない!」

「そ、そうかな……」

 心当たりはおおいにあるので、あまり強く否定できない。


「あんまり部屋にばかりこもっていると、軟弱な男だって、父さんにいいつけてやるんだから!」

「ま、待て待て! 落ち着け! ほら、このリバーシを一緒にやろうよ」

 万が一、そろばんやリバーシを取り上げられてしまうようなことになれば目も当てられない。妹の機嫌をとるために、手に入れたばかりのリバーシで遊ぶことにした。


 ルールを軽く説明して対戦すると、当然のようにケネスが圧勝してしまう。勝負が終わると、ナンシーは大声をあげて泣き出してしまった。泣きやまない妹をなだめていると、騒ぎを聞きつけたクリスティーナとジェームズが部屋にやってきた。

「あらあら、ナンシーったら、そんなに泣いてどうしたの」

「こら、ケネス! またナンシーを泣かせ……ん? なんだ、この白黒の板は?」

「ああ、兄さんに母さん。ゲームをしていたら、ナンシーが泣いてしまって。どう、ふたりも一緒にこのゲームで遊ばない?」

 リバーシの対戦に加わるよう誘ってみると、まずはクリスティーナが食いついてきた。

「おもしろそうね、私もやってみたいわ」

 こう見えてクリスティーナは進取の気風にあふれ、理解のある母親である。夫のデイビッドとは一味違った感性の持ち主といえるだろう。


 ルールを説明してやると、ジェームズも乗り気になったようだ。

「ふーん、まあゲームだろうがなんだろうが、ケネスに負けるわけにはいかないな」

 兄のせりふに苦笑いをしながら、ケネスは小遣いを稼ぐための提案をした。

「せっかくなら総当たりで勝負をしようよ。最終的に勝ち星の一番多い人は、ビスケットを一枚もらえるというのはどうかな、母さん?」


 ビスケットには貴重なはちみつが使われているため、この世界では裕福な家庭しか口にすることのできない高級品である。これを聞いたクリスティーナは、少し考えるそぶりをしただけで了承した。

「賞品があったほうが、勝負も盛り上がるものね」

ということであるらしい。


 この突然開催されたフォーゲル家のリバーシ大会で優勝したケネスは、無事にビスケットを獲得することができた。ケネスに負けたジェームズが尋常ではなく悔しがったために、トーナメントは今後も開催される見込みだ。ケネスにとっては好都合なことである。


 手に入れたビスケットであるが、これはもちろん自分で食べるために言いだしたのではない。街の商店より少し安い値段で、フォーゲル家に仕える若いメイドに譲るのである。


 彼女らの多くは、街の商家から花嫁修行の一環として子爵家に派遣されている。実家から仕送りを受けているので、ビスケットと交換する現金を持っているのだ。特に赤毛が特徴的なエミリーなどは親が裕福なようで、いつ聞いても快く買ってくれる得意顧客となった。


 長く勤めて分をわきまえているレベッカであれば、領主の息子と物を売買することなどなかったであろう。貴族に過度に臆することのない、金持ちの娘たちにケネスは感謝するのであった。

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