09. ストーン侯爵領
「今度のソーントン訪問には、ケネスも連れていってはどうかしら?」
ケネスの母クリスティーナが父デイビッドにそう提案したのは、家族がそろった昼食の席だった。
ドーバー王国では、デイビッドのような下級貴族の多くが、近隣の公爵や侯爵の庇護下にある。そういった下級貴族は、毎年決まった時期に寄親である公侯爵のもとに集まることが慣例となっているのだ。今年もまた、フォーゲル家の面々がストーン領の領都であるソーントンを訪れる時期が近づいてきている。
長兄のジェームズは、この旅に数年前から参加している。ケネスは、今年から自分も参加させるという母の提案に目をみはったが、同行は願ってもいない機会だ。リバーシを近隣の貴族に売り込みたい。目を輝かせて父親の様子をうかがう。
デイビッドはケネスを見すえて考え込んでいたが、おもむろに口を開いた。
「ケネスはこの一年ほどの間にしっかりしてきたようだ。しかしだな、この集まりには侯爵や隣国の皇女がおいでになる。粗相が許されるような場ではない」
どうやら、大人の記憶を手に入れたケネスは著しく成長したように見えるらしい。それでもなお、幼い息子を他の貴族の前に出すのはためらわれるのだろう。
(やっぱりダメか……)
ケネスはため息をつくが、デイビッドの言葉はまだ終わっていなかった。
「『リバーシ』とかいう遊戯板を作ったらしいな?」
「え? 父さんも知っていたの?」
父の思わぬ言葉にケネスは不意をつかれたが、どうやらデイビッドは家庭をかえりみない男というわけでもないらしい。
「ついてきてもよいが、羽目をはずしてはならない。それからその遊戯板を持参して、侯爵のご子息をお相手しろ」
同行の条件としてミッションが与えられてしまった。しかし、これは同時に絶好のセールスチャンスでもある。
(リバーシの実演販売というわけだ!)
ケネスはひとり気勢をあげた。
こうして、ケネスを含めたフォーゲル一家はソーントンへ出発した。生まれて初めて街を出るケネスは浮かれている。今後の人生に重大な影響を与える、少年少女との出会いが待っていることに気づくはずもないのだった。
街を出てしばらくすると、変化のない森の景色にケネスは退屈してしまった。例によってメイド長のレベッカがよい話し相手になってくれる。せっかくの機会なので、先日の会話に出てきた人物について尋ねてみた。
「レベッカ、ソーントンには『隣国の皇女』がいると父さんが言っていたけれど、どういうことだろう?」
「ラシーア帝国の第四皇女、アンナ殿下のことでございましょう」
聞いたことのある国名をレベッカが口にする。
「ラシーア帝国っていうと、うちと戦争した国かな?」
「さようでございます。終戦後の条約で、ラシーアの皇子か皇女が常に我が国に滞在することが定まっています」
どうやら抑止力として人質に取られているようである。
「でも十年戦争って30年も前の話だよね? いまだに人質を取っているの?」
「人質というと悪い印象を与えがちですが、幼少期の交流という捉え方もあります。ドーバーで育った帝家の方々も、いずれは帝国の舵取りをすることになります。その時に友好的な外交関係が築けることを期待しているのだと思います」
(幼いころに楽しい時間を過ごした国は攻撃しづらいだろ、ってことかな)
両国間の外交に翻弄される小さな皇女に想いをはせつつ、ケネスは旅程をこなした。
道中、農村で家族とともに一泊したケネスは、村の貧困を目の当たりにして憂鬱な気分になった。ベリオールよりも衛生状態はよさそうだが、栄養失調の子どもがそこかしこに見受けられたからだ。しかし、いつものことながら彼自身は為政者ではないので、できることはない。
おのれの無力さを恨みつつまたしばらく馬車に揺られると、やがてソーントンの高くそびえる城壁が前方に見えてきた。門番も近隣の貴族が集合することを心得ているのだろう、フォーゲル一家は顔パスで城門をくぐり、すんなりとストーン侯爵の屋敷にたどり着くことができた。
ケネスらが到着した翌日、下級貴族とその家族は侯爵に形ばかりの謁見を済ませると、早々にお茶会へ流れ込み、中央政界や領地経営についての情報交換を始めた。取り残された子どもたちは、ジェームズの音頭で鬼ごっこを始めたようだ。
楽しそうな追いかけっこを傍目に、ケネスは侯爵家の嫡男であるハリーを目ざとく見つけると、御用商人よろしく揉み手をしつつご機嫌を伺いに近づいた。話しかけられた少年は当初うろんな目でケネスを見ていたが、口八丁で歓心を買うと、持ち込んだリバーシで遊ぶことにこぎつけた。
まずはシーソーゲームを演出したうえで、ケネスが辛くも勝利を得る。
「いや、大変な好勝負でしたね! 初見でこれだけの立ち回りをされるとは、ハリー様は軍略家の才能があるのかもしれませんね!」
お世辞を並べるとハリーはまんざらでもなさそうな顔をしたが、次は勝てると思ったのか再戦を希望する。
意を受けて、二回目の対戦でもケネスは巧みな接待リバーシを展開する。序盤こそケネスが盤面を優勢に進めるが、結果的にハリーに大逆転勝利をおさめさせる。
「なんという底力! 劣勢をはねのけるは、これ名将の証!」
少々おべんちゃらが過ぎるかと思ったが、これを聞いたハリーは得意満面の笑みを見せた。他人の誉め言葉を素直に受け取る性格のようだ。勝利をおさめて満足したのか、ハリーは自らの赫赫たる戦果を侯爵に報告するために席を立った。
ハリーが行ってしまうと、かたわらで戦況を見守っていた子どもが口を開いた。
「序盤のうちに自分の色を増やしすぎると、終盤で選択肢が限られてしまうんだね」
(へえ、初見でそこに気づくとは)
的確な分析に感心したケネスがそちらに目を向けると、物静かな笑みをたたえた少年がたたずんでいた。こちらに向ける瞳には聡明さと意思の強さを宿している。
「僕はマーチン。この街の神殿長の息子だよ」
少年はケネスに自己紹介をする。ゆったりとした濃紺のチュニックをはおり、すでに聖職者の雰囲気をまとっている。
「僕はケネス。フォーゲル子爵家の次男だ。この大きな街の神殿長ということは、マーチンのお父さんは相当な有力者なんだね」
「そうだとよかったんだけどね、僕の父さんは商業神エルメスさまにつかえる神官なんだ。太陽神殿のような権力は持っていないよ」
フォーゲル家では武神イワヌスを主に敬っているが、どうやらこちらでは事情が異なるようだ。ケネスはマーチンに宗教のあれやこれやを聞いてみることにした。