36話
「行きたくないわ、はぁ」
アリシアはため息をついていた。この日は王宮でマリア姫の11歳の誕生パーティーが開かれることになっていた。しばらくの間王宮でのパーティーや貴族のサロンに顔を出すことを控えていたアリシアだったが、さすがにマリア姫のパーティーに行かないわけにはいかない。そこで、しょうがなく、ため息をつきながら馬車に乗っているのだ。
ゲンカクとムクを牧場へ迎えられたこと、グース領でのハイドウールの紹介など、最近はアリシアにとって良いことが続いていた。ウィルキスとの婚約解消を嫌でも意識してしまう社交界にはあまり出る気が起きないのだ。
――最近は、社交界よりも商いや牧場経営の方が面白いわ……なんて逃げていちゃだめよね。
いつになったらこの状況に慣れるのかしら
「アリシア様、少しの辛抱ですから」
「そうよね、あぁウィルキス様と婚約解消をしてから、パーティーは本当に嫌だわ」
「そうですね」
エナはアリシアを無表情で見つめてくる。その瞳や声の中にアリシアへの気遣いが感じられた。それはアリシアにしかわからない程度のものではあったが。
「ところで、エナ」
「はい」
「私の次の婚約者が決まらないのは、なぜかしら?」
アリシアはふと思った。自分は結婚適齢期の伯爵家令嬢。容姿だって優れている。ウィルキスとの婚約解消は、アリシアが問題を起こした、という訳でもないので、自分が結婚相手として敬遠されることにはならないはず。次から次へと新しい婚約の話がきても良いはずなのだ。
「お父様は……」
「婚約者選びをしているように見せかけて、これ幸いとアリシア様を手元に置きたい、と思ってらっしゃるかもしれませんね」
エナが不穏なことを言う。
「そうね。可能性はあるわ。貴族令嬢の結婚適齢期は20歳までよ。私はまだ4年あるから急ぐ必要はないし」
「そうですね」
「でも、婚約破棄してから次の婚約者がいないのは……」
「人気がないと思われてしまう可能性がありますね」
「エナ、はっきり言うわね」
「失礼いたしました」
――でも、そうなのよね。……実際私って人気ないのかしら?……ってそれはないわね。だって、この美貌だし、伯爵家令嬢ですもの。ウィルキス様は変わっている方だったけど、一般的にはかなり優良物件だわ。
アリシアは自分の考えに馬車の中で一人頷いていた。
この日のアリシアのドレスは、これから寒くなることを考慮して、ハイドウールを贅沢に使ったファーをドレスの上から羽織っていた。もちろんパーティーではアリシアブランドのドレスのアピールを欠かすつもりはなかった。
――本当に、私も商売っ気が出てきたわね。ベールさんの影響かしら
アリシアは王宮に着くと、さっそくマリア姫に挨拶をすることにした。挨拶を済ませておけばいつでも帰ることができるからだ。
「マリア姫、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。アリシア様。最近お会いできなかったけれど、アリシアブランドは利用させていただいているわ」
「ありがとうございます」
アリシアは少し焦りながらマリア姫に礼を言う。今日のマリア姫はオルカンド王国の伝統的な衣装を身に着けていた。それでも普段はいくつものアリシアブランドのドレスを身に着けているらしい。
「そういえば、ユリウス王子がアリシア様にお会いしたいと言っていたわ」
「ユリウス王子がですか?」
アリシアはユリウス王子が会いたがる理由に全く見当がつかなかった。首をかしげてマリア姫の方を見ると、マリア姫は少しいたずらっぽい笑顔を浮かべている。
――何かあるのかしら?
「あとで挨拶に伺いますわ」
「あら、大丈夫よ、今来たわ」
マリア姫は視線をアリシアの肩越し向ける。どうやらユリウス王子が到着したようだった。アリシアは挨拶をしようと振り返り、ユリウス王子の方を向いた瞬間に止まってしまった。
ユリウス王子の傍らにはアレス王子がいたのだ。
――あら、お二人でいらっしゃったのかしら?アレス王子がいらっしゃるなんて初めてよね。
「こんにちはアリシア様」
「お久しぶりです。お会いできて光栄ですわユリウス王子、アレス王子」
アリシアは二人に対して丁寧にお辞儀をする。
「やぁ、アリシア様会いたかったよ」
アレスはそういうとアリシアをいきなり抱きしめてきた。
「きゃっ!」
とっさにアリシアの口から小さく悲鳴が漏れてしまう
アレスのいきなりの抱擁に、周りがざわつき始めるのがわかった。
――まずいわ。目立ってる。
アリシアは慌てて、アレスの腕から逃れようと少し身体を動かした。
「アリシア様に会いたくて、オルカンドに少し滞在することにしたんだ」
「え?」
アリシアが驚いてアレスの顔を見ると、アレスはいたずらに成功した子供のような顔をした。
「僕も他国で見聞を広めるのは良いことだと思ってさ。将来外交を担うのは、きっと僕だから」
「そうですか……そろそろ離していただけますか?」
アリシアは抱きしめられたままで居心地が悪いため、アレスに離してほしいと静かに告げた。
「え?もう少しくらい――」
アレスはアリシアを離す気がないようで、困ってしまう。
その時、
「マリア姫、お誕生日おめでとうございます」
聞きなれた声に、アリシアはとっさに声の方へ顔を向けた。アリシアが振り向いたその先にいたのは、ウィルキスだった。ウィルキスは心なし不機嫌なのか、ぴりぴりした雰囲気をまとっていた。ただし、顔の表情はいつも通り無表情だった。
「ユリウス王子、お久しぶりです」
ウィルキスの挨拶に、ユリウス王子は苦笑している。
「アレス王子、はじめてお目にかかります。ウィルキス・バーグと申します」
ウィルキスが正式な礼をとり、挨拶したことで、挨拶を返そうとするアレスの腕の力が弱まった。これ幸いとアリシアはアレスの腕から抜け出ると、アレスから距離を置いた。
――ウィルキス様に助けられた……ことになるのかしら。どちらにしろ、ウィルキス様に見られてしまって気まずいわ
「はじめましてアレス・ルワンだ」
「アレス王子はオルカンド王国へは旅行ですか?」
「いや」
アレスはアリシアの方を向いてにやりと笑う。アリシアは嫌な予感がした。
「オスルでアリシア様にお会いしたのが忘れられなくて、アリシア様に会いに来たんだ」
「え?」
アリシアはとっさに声を出してしまった。その後誤魔化すように手を口に当てる。
――なんてことを言うのかしら、アレス王子は。人をからかうにもほどがあるわ
アリシアがアレスに言い返そうと顔を上げると、ウィルキスと目が合った。ウィルキスは無表情ではあるものの、アリシアを見つめる視線は強い。
――どうしたのかしら……何かまずいことしたかしら、私。
「できれば、アリシア様の婚約者に会いたいな。僕の方がアリシア様にふさわしいかもしれないし」
アレスの言葉を聞いてアリシアはぎょっとしてしまった。
――どうしよう。アレス王子には婚約者がいるって誤魔化したのだったわ。もう、なんてことを言うのよ、この人は
「婚約者は私です。アレス王子」
ウィルキスがアレス王子に対して静かにそしてはっきりと口にする。アリシアはとっさに手を口にあてた。え?と言いそうになってしまったのだ。
「そうなの?アリシア様?」
「えぇ、そう……ね」
アレス王子の問いに、アリシアはそう答えるしかなかった。ウィルキスからの強い視線がいたたまれなかったし、アレス王子に以前嘘をついてしまった手前、実は婚約者はいません、という訳にもいかない。
周りの目が自分たちに集まっているような気がして、アリシアは居心地の悪さを感じてうつむいてしまった。
――厄日だわ。どうしたら良いのかしら
「アリシア様、少しあちらで話をしようか。アレス王子失礼いたします。」
ウィルキスはそうアレスに告げると、アリシアの手を掴みアリシアを別室の方へとうながした。
アレスは納得できない、という顔をしてアリシアたちを見ているし、ユリウス王子は苦笑を浮かべている。マリア姫は目をらんらんと輝かせてアリシアとウィルキスを見つめていた。
――はずかしい。どうしたらいいの。




