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35話

 食堂を出て、宿の一室でおじいさんと少年から聞いた話はこうだった。


 おじいさんの名前はゲンカク、少年の名前はムクと言い、二人はやはり祖父と孫という立場にあるようだった。ゲンカクは軍馬育成の仕事を50年しているベテランで、その仕事を孫のムクにも継がせようとしていた。ところが牧場主の世代交代により、ゲンカクの考え方と合わなくなり、首になってしまったらしい。ゲンカクの育てる軍馬は、質はとても良いのだが、大量生産が難しいのが難点だった。ある程度数を確保する必要性も感じており、どうにかしたい、と思ってはいたもののその解決策が見いだせないうちに、お払い箱になってしまったようだった。

 そこで軍人が多く、軍が強いことで有名なグース男爵領に来てみたのだが、年寄りのゲンカクとまだ少年であるムクでは、なかなか採用してもらうことができずにいたらしい。それを見た厩舎で働く若者に食堂で馬鹿にされて喧嘩になってしまったようなのだ。


「そう。質の良い軍馬を育成できるなんてすばらしいですわ」

 アリシアはゲンカクの実績を聞き、興奮してしまう。

「そうだろう!ワシが育てた馬はこの国で一番品質が良いことは間違いない」

 ゲンカクは自慢げにアリシアに対して強い口調で言い切った。

――よほど自信があるのね。それとも自意識過剰なのかしら?

 アリシアがムクの方を見るとムクは真剣なまなざしでうなずいている。どうやらゲンカクが言っていることは全くの嘘という訳ではなさそうだった。

「ところで、数の確保の問題は難しいのですの?」

「まぁ……」

 ゲンカクは途端に歯切れが悪くなる

「軍馬は高い。どうしても金がかかる。強い馬を作るには血統が良い馬をうまく交配させないといけないし、仔馬から育て上げるにも広い場所が必要じゃ」

「あの……お金がかなりないとできないのです。ですから趣味でされるのは、あまりおすすめできないかと……」

 少年がアリシアを見て申し訳なさそうな顔をする。

――もしかして、貴族のバカ令嬢が自分用の強い馬を欲しがっている、と思われているのかしら?

「大変興味がありますわ」

「え?」

 お金がかかるということでアリシアに対して遠回しに断ったのに、興味がある、と言い切ったアリシアに二人は目を丸くする。

「申し遅れましたが、私、アリシア・キルスと申します。キルス伯爵家の牧場の運営をしておりますわ」

「えー!?」

 ムクはとっさに口を手で押さえる。驚きのあまり声が出てしまったようだった。ゲンカクも目を大きく見開いている。

「あら?どうかなさいました?」

「まさか、キルス伯爵家の方だとは思わず、失礼いたしました」

 ムクはアリシアの身分の高さを知り、少し顔色を悪くしていた。

「気にしておりませんわ。ところで、そのお金がかかる、という件は、キルス伯爵家でも難しいくらいの大金でしょうか?」

「え?……いえ……伯爵様のところであれば、たぶん。ただ……本当にお金がかかるのです」

 ムクは慌てて答えた。

「そう。私は今キルス家の牧場で、高品質な動物育成に力を入れています。もちろん父であるキルス伯爵の了承の上で行っております。質のよい物を良い値段で売る。そのためにはもちろん、お金もきちんとかけます。もし、ゲンカクさん、ムクさん、あなたたち二人が、本当にオルカンドで一番の軍馬を育てる技術をお持ちであれば、私のところで働いてみませんか?」

「え?」

「1か月は仮採用、その後は完全歩合制の報酬になりますが、最低限の生活はこちらで面倒を見ますわ。もちろん、育成が上手くいった暁には、特別報酬もご用意します」

――この条件を飲んでくれなければ、この話はないことになるけれども

 アリシアはゲンカクとムクに対して真剣なまなざしで問いかける。

「わかった」

 ゲンカクはすぐにアリシアの目をしっかりと見つめ返すと応えた。

「え?」

 ムクはゲンカクの方を振り向き、目を丸くしている。まさか即決するとは思わなかったのだろう。そのくらい完全歩合制の報酬は一般的に受け入れられていない。

「ワシには腕がある。それは自分でも言うのはなんだが、確かな腕だと思っている。ワシはムクにワシの技術を伝えたい。あんたのところの、キルス伯爵は仕事のできる方だという噂を聞く。そして悪い噂は聞かん。ワシとムクがきちんと仕事をすれば、正当に評価してくださるだろう」

「もちろんですわ」

――お父様、評判がいいのね。お父様に助けられたわ

 アリシアはほっとしていた。軍馬育成の腕がある、というゲンカクの腕を是非見てみたかったし、軍馬育成は牧場経営を始めた当初からの夢だった。

――夢の先にあったウィルキス様との結婚はもうなくなってしまったけれど、軍馬育成は牧場経営にとって大きなものになるわ、きっと

 アリシアはこれがきっかけで自分の牧場経営の未来が大きく動くような、そんな予感を感じていた。


 ゲンカクとムクには、同じ宿屋に部屋を用意した。アリシアがグース男爵との面会を終えた後、一緒にキルス領へ帰ることにしたのだ。


 次の日アリシアがベールと行ったグース男爵との面会は順調に進んだ。ハイドウールをまずはグース男爵のところへいくつか無料で提供し、試して使ってもらうことにする。気に入ってもらえた場合には契約してほしいということを伝えた。

 ハイドウールはその温かさもさることながら、繊維のキメも整っており質が良いため、染めることにも適しており、ムラなく染められるし発色も良い。奥様やお嬢様へのプレゼントにもなる、ということもグース男爵に強調して伝えた。

――女性は寒さに弱いのよ。きっと喜んでいただけるわ。

 同行したベールはグース男爵の反応が予想通り良かったこともあり、ほくほくとした笑顔を浮かべていた。そしてアリシアにハイドウールは自分のところで独占的に販売したい、と

再度念を押してきた。どうやら来年はハイドウールの品質が今年よりももっと良くなることを見越しているようだった。

――ベールさん、情報通だわ。確かにハイドウールは手触りもいいし、とても暖かいわ。とても良い商品だと思う。これが上手く行ったらハイドさんには特別ボーナスかしら……羊にボーナスね、きっと。

 アリシアは自分の考えに笑ってしまった。ずいぶんと自分はハイドの性格について理解してきたな、と感じていた。そして、これからも牧場の皆と協力していけたら、と考えていたのだ。


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