34話
ミリーが尋ねてきてから1週間がたっても、アリシアは悶々とした気持ちを取り払うことができなかった。そして、ウィルキスに直接ミリーの話を聞きに行くこともできなかった。
――ウィルキス様と私は既に婚約者ではないのだし……
そう自分に言い訳をして。
「アリシア様、着きました」
エナの言葉にアリシアが馬車の窓から外を覗く。窓からは宿屋の門が見えた。どうやら目的地であるカリスの町の宿屋に着いたようだった。
アリシアはベールの計らいでグース男爵領を訪れていた。グース男爵領は首都オルカーよりも北に位置し、寒さが厳しいことで有名だった。そこに今回はベールと共にハイドウールを売りに来たのだった。ハイドが育てた羊からとれた羊毛はウールにすると大変質が良く、防寒にもとても適している、という話になった。寒い地域であれば高品質の温かいウールが好まれるだろう、ということで今回グース男爵の領地へと足を運んでいた。
グース男爵には事前に手紙を出しており、明日会う約束をしている。その前日にグース男爵の屋敷があるカリスの町に入り、町の雰囲気などを確認したいと思っていた。
「エナ、これから寒くなるということだけど、夏も終わりなのに結構涼しいわね」
「そうですね。キルス領とは全く違います」
アリシアはグース領に来るのは初めてだった。思っていた以上の涼しさに、本格的な冬が到来したらどれほどの寒さになるだろう、と考えただけで身体が震えてしまう。
「まずは、食堂やお店に行ってカリスの町を見てみたいわ。グース男爵とお話しするにも、領地のことを何も知らないでお話はできないし」
「それでお忍びで早く来たのですね」
「そうよ、正式に早く来てしまったら、グース男爵のお屋敷でもてなされてしまうわ。ゆくゆくはこの町全体でハイドウールを使ってもらえたら嬉しいし、事前調査は大事だわ」
「そうですね」
アリシアとエナは宿で宿泊の手続きをすると、さっそく町を歩いてみることにした。
仕立て屋、装飾品屋、お菓子の店などを見て回り、アリシアは何となくカリスの町の雰囲気がつかめてきていた。
「エナ、町の食堂に行ってみたいわ」
「食堂ですか?しかし……」
答えるエナの言葉はアリシアの提案を歓迎しているものではなかった。
「護衛もいつもの3倍も連れてきたじゃない、大丈夫よ」
グース男爵領は強い軍人を排出することで有名な領だった。グース男爵自身も軍人としてオルカンド王国では名をはせている。グース男爵領は屈強な男たちが多いだろうということで、アリシアの安全面を考慮し、護衛はいつもの人数の3倍連れてきていた。
「わかりました。しかし、危ないことは」
「もちろん、しないわ」
エナがアリシアをじっと見つめてくる。
――疑われているわね
「エナ、本当にしないわ」
「わかりました」
エナが頷くとさっそく二人と護衛は町の食堂へ行くことにした。
宿の主人に教えてもらった町の食堂は宿からそれほど離れていない場所にあった。どうやら宿の主人が、何かあった時にすぐに帰ってこられるよう配慮したらしかった。
町の食堂はキルス領とは少し建築方法が違っている。まず柱が太く、建物全体に重厚感があり、しっかり作られているのが見るだけで良く分かる。これはこの町の建物全体に言えることでもあり、雪が降った場合を考慮しての事だろう、と思えた。
護衛と先頭にしてアリシアとエナが食堂の中に入ると、中はすでにかなりの数の人で埋まっていた。昼食時が近いからだろうか。
アリシアは護衛しやすいようにという店の主人の配慮で一番奥の席、護衛が店全体を見渡せる席へと案内された。
アリシアは慣れない町の食堂の雰囲気にドキドキしてしまう。
――キルス領でもオルカーでもあまりこういうことはできないし。旅の醍醐味だわ。誰も私の事が伯爵令嬢だとは思っていないし。
アリシアは呑気にそう考えていたが、あきらかに高級な衣装に身を包み、護衛を複数連れたアリシアは、周りから見ればどこからどう見ても貴族の令嬢に見えていた。
アリシアは早速エナと相談し、町の名物料理を頼むことにした。
――楽しみだわ。食にも地域の特徴が現れるとベールさんは言っていたわね。寒い地域だと身体を温める料理が多いのだとか。ハーブも使うのかしら?良いハーブがあれば、その情報も持って帰りたいわね
アリシアは料理を待ちながらそんなことを呑気に考えていた。
護衛は初めての土地で人の出入りが激しい食堂、ということもあり、気を尖らせているようでピリピリしていた。
――一緒に食べる、という訳にはいかないわね。
アリシアはそんなことを考えながら、事前にエナが毒見をした食堂の料理を堪能した。庶民的な味付けだったが、珍しさも手伝い、その料理はおいしく感じられた。
ガッターン!!
突然の大きな音と共に、アリシアの視界の前に護衛が立ちふさがる。どうやら店で何かあったようだが、護衛の背中が邪魔でアリシアには良く見えなかった。
隣でエナも緊張したように音がした方へ視線を向けている。
「ワシを馬鹿にしてんのか!」
「違うよ、じいさん、でもさ、あんたのやり方は古いんだよ」
アリシアは護衛の背中を掴み、少し横から顔を出す。どうやらおじいさんと若い屈強な男が喧嘩しているようだった。痴話げんかだろうか?
護衛はアリシアに害がないとみるや、少し緊張を緩めたようだった。
「いやさ、こんなこと言いたくないけど、軍の馬は使い捨てなんだから。ある程度数をださなきゃ。じいさんのように選定してたんじゃ、足りないだろ」
「馬は軍の要、命じゃ!」
「あー!もう!そういう時代は終わったんだよ」
「なに!?」
おじいさんは怒りで震えているように見えた。顔が赤くなっている。若い男はおじいさんを馬鹿にしたように見つめ、ため息をついている。
――良くない雰囲気だわ。
アリシアは状況は良く分からなかったが、一触即発の雰囲気だけは感じ取っていた。
「おじいちゃん!」
その時、入口の方から少年が慌てたように入ってくるのが見えた。孫だろうか。良く見るとおじいさんと顔立ちが似ているような気がした。
「おじいちゃん!すみません。おじいちゃんが――」
「ムクか、じいさんに良く言ってやってくれよ」
おじいさんと言い合いをしていた男が少年に対して呆れたように声をかける。
「ワシは間違っておらん!」
おじいさんの怒りは解けていないようで、顔を赤くしたまま手を固く握っている。
「おじいちゃんがすみませんでした」
少年は申し訳なさそうに、若い男にぺこぺこと頭を下げていた。
それを見て若い男は機嫌が良くなったのか、今日はまぁいいけどさ、と言うと店から出て行った。
――気になるわ。何があったのかしら?
「もし?」
「え?」
アリシアはとっさに立ち上がると少年に近づき、話しかけていた。護衛はアリシアを注意深く見守り、エナはため息をついている。少年はアリシアを見ると、驚いたように声を上げた。
「軍馬について話をしていたように聞こえたのですが」
アリシアが問うと、女に話すようなことはない、とおじいさんは口をつぐんでしまう。
「おじいちゃんは……」
ムクはおじいさんを一瞥すると、アリシアを見て静かに話し出した。
「おじいちゃんは軍馬を育てる専門家で、グース男爵様のところで是非働けたら、と訪ねてきたのですが、残念ながら採用いただくことはできなくて」
「ふん!ワシが年だから甘く見よって!」
「それでちょっと言い合いになってしまっただけです。大変ご迷惑をおかけしました。」
少年はびくびくしながらアリシアに対して頭を下げる。アリシアが良い家の令嬢だということがわかり、失礼がないように気を使っているようだった。
――軍馬の専門家ね……軍馬!?私が探し求めていたものじゃない!……ウィルキス様とは婚約を破棄したけれど……
「軍馬の専門家ということでしたら、是非話を伺いたいですわ。少しお時間をいただけませんか?」
「え?」
アリシアの突然の提案に少年は目を丸くしてしまう。
「えっ……と、あのお嬢様は、馬に興味が?」
明らかに良い家の令嬢とわかる女性が軍馬に興味があることが信じられないようだった。おじいさんも呆れたような顔でアリシアを見つめる。
「金持ち娘の道楽か?」
「おじいちゃん!」
「あら、……そうかもしれないですが、話を聞いていただけたら嬉しいですわ」
――道楽ではない!とは言い切れないわね。私としては真剣ですけれども
アリシアはにっこりと微笑みながらおじいさんに対して話しかけた。
「ははは!これは面白い!」
おじいさんはアリシアの態度に突然笑い出した。少年は困ったような表情を浮かべている。
アリシアは自分が宿泊している宿の一室で二人と話をすることに決めた。食堂では人目が多すぎるからだ。護衛は戸惑ったような表情を浮かべていたが、エナは相変わらず無表情で淡々と手配をしてくれた。




