蠱婆の間へ
陀宝林に案内されて華蠱宮に着くと、下級妃たちが拱手の礼をして出迎えた。
(やはり、これが普通だよな)
貧しい生まれで学がないから無礼なのかと思っていたが、そうではない。ただ陀宝林が変わっているだけだ。
下級妃たちの階級は陀宝林より下で、正八品──最下級の采女だという。
蠱婆の跡取りである陀宝林の方が、当然ながら上位にあたる。
采女たちは宮の掃除や食事作りを担い、蠱婆とはほとんど関わらないらしい。おそろしくて近づけないのだろう。
その代わりに、蠱婆の世話は陀宝林が一手に引き受けているというわけだ。
華蠱宮は基壇の上に建てられており、石段を上がって朱塗りの門をくぐる。中に入ると、宮内は高い天井をいただき、白い漆喰の壁が広がっていた。
「蔦の絡まる暗く不気味な場所を想像していたが……よく手入れされた清潔な宮だな」
楊胤は感心してそう口にする。
たしかに華蠱宮の内部は、整理整頓された清らかな空間だった。むしろ殺風景といっていいほどだ。調度品は一切なく、梁や扉に精巧な細工が施されているわけでもない。ただ滑らかな材木で統一されているだけだった。
「金蚕蠱は清潔を好むため、整理整頓した家でなければならないのですよ。……知らないのですか?」
(知らないのですか、は余計だろう)
一言多い女だと思いながらも、楊胤は心を鎮めて問い返した。
「金蚕蠱とはなんだ」
「金蚕蠱は、蠱師に富をもたらすといわれている蠱です」
「造蠱しておるのか!? 蠱を生み出すことは禁止されているはずだ!」
陀宝林の言葉に驚いて声を上げたのは内侍長だった。
叱責めいた調子に、陀宝林は淡々と返す。
「実際に存在するのかどうか、私も見たことがないのでわかりません。ですが、代々、整理整頓しておけと引き継ぎを受けております」
飄々と答える陀宝林に、それ以上追及することはできなかった。
華蠱宮は二階建ての造りになっていた。一階には厨房や湯殿、客間があり、二階には下級妃たちの寝所がある。
そして、采女たちが暮らす部屋から離された宮の奥には、大きな離れがあった。そこが蠱婆の住む屋敷である。
「暗くなってきましたので、明かりをつけます」
陀宝林がそう告げると、采女たちは廊下に油灯を次々と灯していった。
陀宝林は手燭を掲げ、先頭に立って進む。やがて回廊に辿り着くと、陀宝林は立ち止まり、後ろを振り向いた。
「これより先は蠱婆の界域です。ゆえに采女はついてきません。いいですね?」
大きな瞳で射抜くように念を押され、楊胤は思わず唾を飲み込んだ。
「あ……それでは、わたくしもここでお待ちしております」
内侍長は片手を挙げ、そう表明した。
「それでは、お茶の準備を」
「いや、かたじけない」
内侍長は笑顔で茶を受け入れた。
てっきり一緒に行くものと思っていた楊胤は、内心おもしろくない。
「蠱師の家で出された物を口にすると、蠱毒にかかるらしいぞ。──まあ、噂だが」
その言葉に、内侍長は真っ青になる。
「気にせず、大丈夫ですよ」
陀宝林が軽く言ったが、内侍長の耳には届いていないようだった。
少し脅かしすぎたかと思いつつも、楊胤が蠱婆に会っている間に、内侍長がのんきに茶を飲んでいると思うと、どうにも腹立たしい。これくらいお灸をすえておくのも悪くはないだろう。
采女たちと内侍長を残し、二人は静かに回廊を渡った。
陀宝林が引き戸を開けると、暗い室内から不思議な匂いが漂い出す。
(これは……沈香の匂い)
途端に嫌な気配を覚え、本能が中に入るのを拒んだ。
だが陀宝林は、顔色ひとつ変えずに中へ足を踏み入れる。
怖気づいていると思われるのも癪なので、楊胤も立ち止まらず後に続いた。
室内は暗く、不気味な雰囲気に包まれていた。頼れるのは、陀宝林の手にある手燭の灯りだけだ。
「蠱婆は明かりを灯さないのか?」
「蠱婆は足が悪いので、あまり動きたがりません。まあでも湯殿や厠にはひとりで行けますから──要するに、太りすぎて膝が音を上げているだけです」
なかなか辛辣だな、と楊胤は思う。
蠱婆に対しても同じ調子なのだろうか。叱られはしないのかと案じてしまう。
そこで陀宝林が足を止めた。手燭の灯りが照らす先は行き止まりである。
「それでは蠱婆の室に入ります。覚悟はよろしいですか?」
改めて問われると、肝が冷えるような心持ちだった。楊胤は背筋を伸ばし、軽く咳払いをする。
「ああ、よろしく頼む」
陀宝林は前を向くと、扉に向かって声を投げかけた。
「お客様がお見えです。お通ししてもよろしいでしょうか」
一拍遅れて、しわがれた老婆の声が中から返る。
「良い、入れ」
陀宝林は引き戸を開いた。
室内は霊廟のように冷たく、殺風景だった。
中央には大きな陶器製の火炉が据えられ、蓮華文様が彫られた上等な品である。炉からは煙が立ちのぼり、焚き物の匂いが室内に充満していた。怪しげな沈香の香りは、この炉から広がっていたのだろう。
炉の向こう側には、想像していた通りの白髪頭の老婆が座っていた。
陀宝林の言うとおり、少し太りすぎている。
「急にお客様をお連れしてごめんなさい。こちらの方は──」
陀宝林の紹介を遮るように、蠱婆が口を開いた。
「知っておる。第四皇子であろう」
「どうしてわかった」
思わず楊胤は声を上げた。
「占で視たのじゃ。お主が来ることはわかっておった」
(占いだと? ますます胡散臭い)
呪術や占いといった怪しげなものを信じていない楊胤は、蠱婆への不信感をさらに強めた。
それにしても蠱婆は、皇子を相手にしても言葉を改めないようだ。
本来、蠱婆は正三品の婕妤にあたるというが、立場でいえば皇子の方が上である。だが敬語を使われなくても、不思議と腹は立たなかった。歳があまりにも離れているせいだろうか。
「もっと近う寄れ。そこでは寒かろう」
蠱婆に手招きされ、二人は炉のそばまで進み、腰をおろした。
炉の近くは思いのほか暖かかった。
「占いで見たということは、私がここに来た理由もわかるのか?」
「わかっておるよ。梅昭媛を呪殺した者を探しておるのだろう?」
楊胤は驚いたように目を見開いた。
内心では「やはり知っていたか」と思ったが、ここは素直に驚いてみせた方がいい。蠱婆の信用を得る必要があるからだ。
「それでは、罪人を知っているのか?」
「それはわからぬ。なにせ相手も蠱術を使っておる。占っても視ることはできぬ」
「やはり、今回の件は本当に蠱毒が関係しているのか?」
「ああ、そうだろうな。しかもなかなか強力な術師とみた。手強いぞ」
楊胤は口を閉じて、しばし思案する。
(この話を信じるべきか……)
楊胤がここに訪れることも、梅昭媛の件も知っていたのは驚きだが、裏がある可能性も否定できなかった。
一方、陀宝林はというと──話の流れについていけないのか、暇そうに座っているだけだった。
「それでは、私と共に罪人を見つける手助けをしてくれるか?」
蠱婆の力が本物かどうかはわからない。
だが罪人探しの強力な助けになるのは間違いなかった。
それに──梅昭媛に蠱毒をかけたのが蠱婆自身という可能性も、捨てきれない。
「断る理由はないさ。そのために後宮に蠱師はいるのだからな。ただ、罪人探しを手伝うのはわれではなく……仙霞じゃ」




