秘宮に咲く異花
広大な敷地には田畑が広がっている。
自給自足の暮らしと聞いていたが、たしかにこれなら、時おり後宮の厨房から食料を分けてもらうだけで十分にやっていけそうだ。
「先ほど申し上げた蠱婆の跡取りの妃が、あちらにおりますぞ」
内侍長が手をかざした先に、ひとりの女がしゃがみ込んでいるのが見えた。
草むらの中に紛れていたせいで、これまで気づかなかったのだ。
「陀宝林!」
内侍長が声を張り上げて名を呼ぶと、女はこちらに気づいて立ち上がった。
宝林とは妃の階級である。御妻の正六品で、後宮妃の中では下位にあたる。
しかし、下女と比べれば格段に高い位といえる。
陀宝林と呼ばれた女は、頭頂で双髻に結い、余った長い髪を風に揺らしていた。衣は妃にしては地味な色褪せた萌黄色だが、腰高の下裳が軽やかに流れている。
夕暮れに照らされた姿は、なるほど美しい。
遠目のため顔立ちははっきりしないが、上級妃にも引けを取らぬ佇まいだった。
呼べばこちらへ来るものと思っていた楊胤と内侍長だったが、しばらく待っても陀宝林は動こうとしなかった。
なにかを抱えたまま、ただじっとこちらを見つめている。
「……来ませんね。どういたしましょう、華蠱宮へ向かいますか」
誰かはわからなくても、衣から位の高さはわかるはずなのに、拱手の礼をする気配もない。
「いや、先に挨拶をしておこう」
そう言って陀宝林のもとへ歩み寄る。近づくにつれ、その美貌に思わず目を奪われた。
真珠のように白い肌。長い睫毛に縁取られた大きな瞳。珊瑚のように艶を放つ唇。
厚化粧をしているようには見えず、むしろ化粧気のない顔立ちだ。それでもこれほどの美しさなのだから、身なりを着飾れば、いっそう圧倒的な輝きを放つに違いない。
(蠱師にするには惜しい人材だな)
女性にほとんど興味を持たぬ楊胤ですら、美しいと見入ってしまうほどだ。
好色な父の目にかかれば、手をつけられる可能性もあるだろう。
だが楊胤と内侍長が歩み寄っているにも関わらず、陀宝林は相変わらず突っ立ったままだ。
「陀宝林、こちらは皇子の楊胤様だ」
ようやく会話できる距離まで近づいた内侍長が、楊胤を紹介する。
楊胤は眉ひとつ動かさず、陀宝林を見下ろした。近づいてみれば、思いのほか背が低い。
「ああ、そうですか」
驚くでもなく、物怖じするでもなく、淡々とした調子。興味がなさそうな物言いだった。
(こやつは……)
楊胤のこめかみがぴくりと動く。
皇子と紹介されても礼ひとつしないとは、無礼にもほどがある。
だが内侍長から「変わり者」と聞いていたことを思い出し、怒りを飲み込んだ。皇子という絶対的な立場で感情を露わにするのは愚かだ。相手が怯えるだけで、話が早く進むわけでもない。非合理的の極みである。
「蠱婆に取り次ぎをお願いしたいのだが」
「なんの用ですか?」
「それは蠱婆に会ったら言う。二度手間になるからな」
「面倒くさいですが、いいですよ」
(面倒くさいだと!?)
楊胤は開いた口が塞がらなかった。
「こら、陀宝林! 皇子様になんたる無礼な物言いだ!」
内侍長に叱責された陀宝林は、さすがにしまったという顔をして、「すみませんでした」と小さな声で謝罪した。
「大丈夫だ。気にしていない。それよりも、さっきからなにを抱えているのだ?」
楊胤は多少苛ついてはいたが、それで怒り心頭になるほど短気ではなかった。生意気な女だとは思ったが、だからといって処罰を加える気もない。そちらの方が面倒だからだ。
楊胤に指摘された陀宝林は、衣で隠すように抱えていたものを、楊胤の顔の前に突き出した。
「ガマガエルです」
人間の赤子ほどの大きさがある、いぼだらけの気味の悪いカエルを目の前に差し出され、楊胤はさすがに一歩後ずさった。
男がカエルごときに驚いてどうすると、一瞬恥ずかしさを覚えたが、隣にいた内侍長が大声で悲鳴を上げ、腰を抜かしたものだから、それどころではなくなった。
涙目になった内侍長は、楊胤の手を借りてようやく立ち上がる。
その後、こっぴどく陀宝林を叱りつける内侍長を見ながら、楊胤は「会えばわかる」という言葉の意味をしみじみ理解したのだった。




