影を喰う猫
「はい」
しかし、どう倒せばいいのか仙霞にもわからなかった。
なぜ今回だけ術が成功したのか。おそらく蠱毒が近くにいたからこそ──そうでなければ変化は起きなかったのだろう。
楊胤は短剣の脇差しを引き抜いた。
「この場に長剣がないのは残念だが、仕方がない」
護身用の短剣の刃先が、一直線に伸びた。
黒くうごめく蠱毒の胴に刃を突き立てる。空気が一瞬、切り裂かれるように静まり返った。
串刺しとなった蠱毒は、胴体をひくりと震わせ、黒い霧のように空中に霧散して消えていく。
「……よし、効いている」
床まで突き刺さった短剣を引き抜くと、楊胤は満足そうに微笑んだ。
そして次の蠱毒へ刃を向けた。
一切のためらいも見せずに、力強いまなざしで短剣を振り回すその様は、相当な剣の熟練者に見えた。
(頭がいいだけの皇子ではないというわけね)
楊胤の体つきは、文官というより武官に近い。
長衣の上からでもわかる引き締まった筋肉は、剣術の修練を日々欠かさぬ証だった。
(文武両道の才能の持ち主なのに、宮廷ではないがしろにされているなんて……)
なんてもったいない、と感じた瞬間──仙霞の脳裏に、かつて見た予知の映像がよぎる。
(今は埋もれているけれど、いつか……)
そこまで考え、頭を振った。
あまりに重大すぎる未来だ。いっそ忘れてしまいたい。
楊胤は次々と蠱毒を斬り払い、霧散させていく。
最後の一匹を仕留めようと、一足跳びに部屋の端へ向かったその瞬間。
気配を潜めていた蠱毒が、不意に仙霞へと襲いかかった。あまりに突然で対処できない。
動けば術は解け、蠱毒は再び姿を消してしまう。
逡巡の刹那、黒い影が仙霞の体に張り付いた。
「あっ!」
思わず声が漏れる。
その声に気づいた楊胤が、振り向いた。
「仙霞!」
楊胤が叫ぶ。
蠱毒は仙霞の体を這い上がり、恐怖に身の毛が逆立つ。
気味の悪さではなく、本能が告げる死の恐怖。禍々しい気の塊が迫ってくる。
『なゃあ!』
蠱毒より大きな黒い影が横切った。
なにが起きたのかわからず体を見れば、蠱毒は消えていた。
「仙霞、大丈夫か!?」
駆け寄った楊胤が、仙霞の肩を抱く。
「……猫鬼?」
呼ばれた猫鬼は、かわいらしい顔で振り返った。
口には、まだうごめく蠱毒を咥えている。
そして、その愛らしい顔のまま、蠱毒を嚙み砕き始めた。見るもむごたらしい光景だが、猫鬼は食べ終えると満足げに一声鳴く。
『なゃあ~』
「助けてくれたのね」
仙霞は動いて術を解いた。すでに蠱毒の気配が消えているのを感じ取っていたからだ。
抱き上げた猫鬼の顎をなでると、心地よさそうに喉を鳴らす。
「蠱婆が遣わせた猫鬼は、想像以上に優秀だったのだな」
楊胤の言葉に、仙霞もうなずく。
まさか猫鬼が、これほど俊敏に動けるとは思いもしなかった。愛らしさと恐ろしさをあわせ持つ守り神なのだと、改めて思い知らされる。
「これで罪人は、四夫人の中にいると確定しましたね」
「……おそろしいことをするものだ」
一度闇に堕ちた者は、悪事にためらいを持たなくなる。仙霞に蠱毒を放つほどなら、その心はすでに人の道から外れている。
「仙霞が蠱師見習いだと気付いたのは、揺淑妃だけだったな」
「いえ。気付いていても、あえて口にしなかった可能性もあります」
「だが、そんな理屈を言い出せば絞り込めないだろう」
「……実は、もう見当はついているのです」
「なに!? 誰だ」
思わず声を荒げた楊胤に、仙霞は静かに首を振った。
確定的な要素がない以上、軽々しく名を告げるわけにはいかない。
「根拠の薄い推測で罪人扱いはできません。ですが、必ず時が来たらお伝えします。そのためにも、楊胤様にお願いがあるのです」
「……お願い?」
訝しげなまなざしを向ける楊胤。
仙霞は鋭い視線でまっすぐ見返した。
決定打はまだだが、大方の目星はついている。あとは正しさを精査するだけだ。
「四夫人の方々の──出身地を調べていただきたいのです」




