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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第三章:何度も見たような初めての光景
33/36

32.問題無く紐づけできています

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-C]

Date: 2030-12-06 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

10:27:15 — My Number verification requested under city hall authorization. Consent confirmed.

10:27:15 — My Number information provided.

10:27:16 — ID information displayed.

・・・

________________________________________


さて、ここからどうしたものか。

考えようとするが、目の前の顔を眺めていると集中ができない。


「はい、田中さんのマイナンバーカードとIDは問題無く紐づけできていますね。IDは『58D2Q7VA』ですよね?」

「その通りです。確認ありがとうございます、春日さん」


市役所に来て受付を行い、マイナンバーカード現物の手続きはロビーのテーブルではなく窓口に行く必要があるとの事で向かった所、なんと春日さんが応対担当として出て来たのだ。

個人的には非常に嬉しい展開ではあるものの、残念ながら今日の目的はそれじゃない。

なんとかSOPHIA推進課に繋いでもらえないかと思い『SOPHIAのIDがちゃんと紐づけできているか確認したい』と言ってみたのだが、『ええ、分かりました。私の方で対応できますから、少々お待ちください』とあっさり返されてしまったのだ。

さすがに、そう上手くはいかないか。元々僅かな建前だけで来た以上、ここでSOPHIA推進課へ無理に向かったら、やはりSOPHIAが見咎めるだろう。


「それにしても、また田中さんがお越しになったので、『もしかしてまた事件の捜査だろうか』って思っちゃいましたよ。4月にお会いした時は、直後に事件の事を聞いて驚きました。」

「あの時は捜査状況を教えるわけにもいかず、失礼しました。でも今日は本当に休みですよ。我々は休み中に仕事をしちゃうと違法になっちゃうので、勘弁してください」

「え、そうなんですか?ふふっ、じゃあ私も変な事を喋らないようにしないといけませんね」


しかし、やはり彼女は魅力的だ。以前から思ってはいたが、これほど近くで長時間――と言っても15分程度だが――相対するのは初めてで、改めて思う。

眼鏡――SOPHIAこそ野暮ったい丸眼鏡型で印象を地味にしているが、やや目尻が下がった柔らかい目つきにスッと伸びた鼻筋、ぷっくりとした唇。優し気でありながら色気のある面立ち。微笑んだ姿は温もりを直接与えてくれるかのようだ。

話し方も丁寧で穏やか、どれだけ話していても不快感を得る事なんてまるで無い。

少しでも長く話していたくて、ついつい雑談を振ってしまう。


「最近は市役所の仕事はお忙しいですか?」

「そうですね……桂さんの件で一時は役所内も少しバタバタしました。人員補充とかで色々臨時の異動とかもあって。でも今はもう落ち着きましたね」

「それは良かったです。お身体にはお気をつけてください」

「はい、ありがとうございます。年明けから忙しくなるので、頑張りたいと思います」


思わぬ流れから桂の名前が出た。この流れなら、いけるか?

春日さんを情報収集に巻き込むのは心が痛いが、今はそうも言っていられない。


「しかし人員補充が必要になるほどとは、桂さんは沢山お仕事を抱えてらっしゃったんですね」

[田中様、それ以上は業務時間外、かつ完了事件への聴取に該当すると考えられます。内規違反、場合によっては違法となる可能性があります]

「おっと、すまない、ついつい。…春日さん、これ以上は警察の聞き込み扱いになっちゃうので、今の発言は忘れてください」

「そうなんですね。私には雑談レベルだと思いましたが、刑事さんも大変ですね」


ダメか。さすがに桂個人の情報になり過ぎると判断されたのだろう。

うっかりラインを踏み越えて問題になるようでは意味が無い。会話も途切れた事だし、ここは引き下がるしか無いか。


「これ以上話しているとまたSOPHIAに怒られちゃうので、これくらいにしておきます。今日はありがとうございました」

「そうですか?わかりました。また何かあればいつでも来てくださいね」


春日さんの笑顔に後ろ髪引かれながらも、手を振って席を立つ。

質問は許されなかったものの、桂が多くの仕事を抱えていた事はほぼ間違いない、くらいが収穫か。

正式捜査じゃない、個人の雑談の範囲ではこんなもんが限界だろう。


(さて、これからどうするか……ん?あれは……)


市役所出口に向かうためロビーを通りがかると、テーブルで知らないお婆さんと話している、見覚えのある恰幅の良い姿が目に入った。

SOPHIA推進課の課長、杉本大輔だ。まさか目当ての人物に会えるとは運が良い。

しかもこちらと目が合うと、堂々と手を振って来た。これなら話しかけるのも自然だろう。願っても無い幸運だ!


「おお!桂くんの時の刑事さんですな!あの美人な若い刑事さん、中原さんは一緒じゃないんで?今日は事件の再捜査ですか?」

「お久しぶりです、杉本さん。今日は私用で寄っただけで職務中じゃありませんので、刑事と言うのはご勘弁願います」

「なんだ、そうでしたか。…そうだ、ちょうど良い。中富さん、こちら桂くんが亡くなられた時に捜査に来られた刑事さんです」


そう言って目の前のお婆さん――中富さんという方に声をかける。彼女はこちらを見ると軽く会釈してきた。慌ててこちらも会釈を返す。

しかし直前に『刑事と言うのはやめてくれ』と言ったのに、全く構わず刑事と紹介しやがった。

相変わらず無神経というか、気配りの足りない男だ。


「あらまぁ、珍しい。刑事さんでしたか。中富佳代子(なかとみかよこ)と申します」

「ええ、まぁ。どうも、田中と申します」


中富はもう80歳くらいだろう。穏やかな話しぶりに性格が表れている。

だが、何が『ちょうど良い』なのだろう。杉本の方を見ると、全く反省した様子も無くニヤニヤとしている。


「中富さんは年金の申請などでよく市役所に来られるんですがな、SOPHIAの使い方を桂くんによく聞いていたんですよ」

「ええ、桂さんには色々とお世話になりました。まだ若かったのに、亡くなられたのは残念ですねぇ」

「ああ、ちょうど良いってそういう……。ただ今は職務中じゃないので――」

「桂くんの対応に不満はありませんでしたかな?これは決して刑事さんのお株を奪うわけではなく、市役所の課長という立場の質問ですけどね」


本当に、相変わらず頭のネジが外れた男だ。これが職務中なら警察権限で黙らせるのだが、今は一市民の立場。強権は使えないものの、発言を控えてもらうようにお願いせねば。

―――だが、まさかこの性格に助けられる事になるとは思わなかった。


「桂さんですねぇ。決して悪い人じゃなかったんですけど、すぐ熱くなっちゃうみたいで、よく『人はSOPHIAじゃなくて直接お話するべきです』『SOPHIAばっかり使っていると心を無くしますよ』なんて言っていましたよ。それは正しいとも思うんだけど、私はSOPHIAの使い方を教えて欲しくてここに来ているんだけどねぇ」

「そういえば彼はそんな古めかしい事をよく言っていましたな。役所内でも言っていましたよ」


その言葉に、杉本を制止しようとしていた動きが止まる。

確かに、以前安藤の証言でも出て来た。桂は『人は直接話すのが一番伝わる』と主張していた、と。

そして『SOPHIAが子供のコミュニケーション能力の発達を阻害する』、つまりSOPHIAを介さないコミュニケーションを推奨していた三宅。

引っ掛かりを覚えた事故での死者が、いずれも似たような信念を広めていた。これは、偶然か?


「でも舞華ちゃんは明るくて積極的に教えてくれるから、助かっているわ。他の年寄りからも人気でねぇ」

「ええ、安藤くんは若い割に優秀ですからな。桂くんの仕事引継ぎにも活躍してもらいました」

「年寄り連中の中では、市民課の結ちゃんと人気を二分しているのよ。結ちゃんも美人だしSOPHIAの使い方が上手で、私が申請に困っていると分かりやすく教えてくれるの。あんなに可愛くて優しいのに独身なのが不思議よねぇ」

「ほう、市民課にそのような人材が?では次回の人事で引き抜きを検討しておきましょうか――」


蜂谷も三宅の教え子で、確か恋愛にSOPHIAを利用していたもと聞いた。SOPHIAへの態度が他人と違っていた可能性は十分考えられる。

刑事の勘、としか言えないが、ようやく違和感の正体に指先が触れた感覚がある。

杉本と中富の雑談を聞き流しながら、いつ席を立とうか考え始めた。

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