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アイリスの瞳  作者: たけひろ
第三章:何度も見たような初めての光景
32/36

31.起床の時間です

User: TANAKA TORU [ID: JP-58D2Q7VA-C]

Date: 2030-12-06 (JST)


[LOG ENTRY]

・・・

06:29:00 — SOPHIA sleep mode deactivated.

06:29:08 — Vital signs: Not detected.(Device not in contact)

06:29:59 — User wake-up protocol initiated.

・・・

________________________________________


[12月6日、午前6時30分。起床の時間です。田中様]


いつもの声で目が覚める。この声に起こされるのも何度目だろうか。

温かい布団の誘惑を振り切って身体を起こし、慣れた手付きでSOPHIAを耳にかける。


[おはようございます、田中様。現在は曇り空、ランニングに支障はありませんが、外気温が3℃と低いので風邪にはご注意ください]

「ふわぁ。…了解、ちょっと着込んで行くよ」


仕事は休みだとしても、体力維持に休日なんて無い。

身体が重要な仕事に就いている40歳としては、ランニングを欠かす事なんてできないのだ。

かと言って風邪をひいては本末転倒だ。しっかりと防寒対策はしないといけない。


(誰にも怪しまれる事なく、他人を操作する方法……)


外に出ると冬の朝特有の冷え切った、そして澄み切った外気が肌を突き刺してくる。

SOPHIAの言う通り空には分厚い雲がかかっており日光を遮っているせいか、気温の数字以上に寒く感じる。午後には雨が降るかもしれない。

まぁこの冷気も走っていれば気持ち良く感じるようになるだろう。そう結論付けて走り始めた。


(木本に渡す作業量を調整すれば、ベランダに出る時間を調整できるか?……いや、作業が終わったタイミングで休憩するとも限らない)


自分の身体が冷たい空気を引き裂いて行くのを感じながらも、思考は明後日の方向に向いている。

一昨日、大場から交通事故の相談を受けた。それ以降、どうしても頭にこびりついて離れない事がある。


(桂に桜が満開だという情報を教えれば、あの道に行かせる事も……いや、それでもちょうど灰皿がぶつかる場所に立たせるのは無理がある)


自分の口から吐き出される白い靄を視界の端に映しながら、ぐるぐると考えている。

大場には悪い事をした。事故の内容検証に手を抜いたつもりは無いが、気もそぞろだった事は否定できない。


(卯月の靴紐に何かを引っかけて解き、行き先に先回りして藤原に雑用を渡して声をかけさせる……いや、卯月がトラックの後ろで靴紐に気付いたのはたまたまだ、誰かが指摘したわけじゃない)


身体の内側にはっきりと熱を感じ、肌に汗が浮かび始めるが、そんな事とは無関係に延々と考えている。

全く別の事故の話を聞いているはずなのに、かつての事件の時に感じていた『小骨が喉に引っ掛かっているような気分の悪さ』がはっきりと甦ってきた。

4月のあの時、はっきりと感じていながらどうしても飲み込めなかった違和感が、また再び痛みすら感じるほどに主張を始めたのだ。


(三宅の車に発信機か何かを取り付ければ……いや、そんな物があったら交通課が真っ先に見つけているはずだ)


ランニングを終えて呼吸を整えている間も、達成感よりも思考の方に意識が持って行かれる。

なぜ別の事件の事をずっと思い出していたのか、その理由は考えるまでも無い。


完璧に整合性の取れた証言。それらを完璧に証明する証拠。1つたりとも見つからない矛盾と動機。絶対の犯行不可能性。

全ての要素が完璧に”事故”を指し示している。

だと言うのに、『刑事の勘』だけが、違和感を訴え続けている。


三宅菫が死亡した、高速道路の交通事故。あの事件は、環境も状況も違うのに、あまりにも桂弓彦の事件と酷似している。


[続いて筋トレも行いますか?それでしたら、お疲れかとは思いますが、身体が冷える前に行ってください]

「分かっている。すぐに開始するから、記録を頼む」

[承知いたしました]


きっと、この2つの事故には何かがある。

意図的に引き起こす方法はいくら考えても思い当たらない。事故として処理するのは、警察の対応として間違っていない、と思う。

だとしても、きっと俺や大場の無意識に引っ掛かる”何か”があったのだ。

1件だけなら思い過ごしと言えたが、2件ともで全く同じ感触を得た。もう勘違いだなんて思えない。


(それに、7月の蜂谷の事件。あの時にも桂弓彦の姿が甦った。これが偶然だとは思えない)


あれは事件の調査中ではなく、最終報告書を読んでいる最中に浮かび上がってきた。

きっとあの時に得た情報のどこかに、同じような引っ掛かりがあったのだろう。

だが、問題は――


(いずれの事件も、もう終わった事件だ。しかも三宅の事故なんて俺は公式に関わってすらいない。再捜査の提言なんて不可能だ)


一度公式に解決扱いされた事件を再捜査するには、新しい証拠の発見や過去の証拠の虚偽を暴くなど、結論が変わる可能性が明らかな情報を提出しなければならない。

間違っても一人の刑事が違和感を持っている、なんて理由で再捜査は許されない。そんな事が許されては、法的信頼性も警察組織の信用も失われてしまう。

だが、いくら考えても事件をひっくり返せる証拠なんてまるで思いつかない。


[お疲れ様でした、田中様。少しクールダウンして、朝食を摂ってください]

「ああ……」

[今の内にお伺いいたしますが、本日のご予定はお決まりですか?]

「……市役所に行く」

[市役所へ?何の御用ですか?]

「えっとだな……そうだ、俺のマイナンバーカードの有効期限がそろそろ切れるはずだ。その更新に行かないといけない。ついでにSOPHIAのIDとの紐づけ確認も」


日本で20年近く前に導入されたマイナンバー制度は今でも現役だ。保険証や身分証明書として有効なのは変わっていない。

そしてここ葵原では、さらにマイナンバーにSOPHIAのIDを紐づける事で、SOPHIAがマイナンバーカードの役割をこなす事だってできる。

俺はまだSOPHIAが浸透する前に更新があったからカードを持っているのだが、ちょうど先月に更新要請が届いていたはずだ。


[それでしたら、私がお手伝いしてネットワーク経由で実施できますが]

「俺みたいな機械音痴なオッサンは、やっぱり現物を見ながらじゃないと安心できないんだよ。どうせ今日は暇だから、ちょっと行ってみるかな、と思ってな」

[そういう事であれば承知いたしました]


これは、半分本当で半分嘘だ。実際にお年寄りなど、SOPHIA上の電子データだけでなく現物が無いと落ち着かない、という人は多い。

だがそもそもSOPHIAがマイナンバーカードの役割を持つのだから、写真を目元のSOPHIAにアップするだけで良い。わざわざ市役所に行ってプラスチックカードを作る必要なんて無い。

手続きに関してもSOPHIAという最強のサポーターがいるのだ、俺だって簡単にこなす事ができるだろう。

はっきりと自覚している。これは方便だ。


(勤務外の捜査も、完了事件の捜査も、ご法度なのは百も承知だ。ただじっとしていられないだけだ)


何も聞き込みをしようってわけじゃない。ただの市民として私用で訪れた先が、過去の事件の被害者が働いていた場所というだけだ。

それすらも許されなくなったら、警察官なんてどこにも出かけられなくなる。

これくらいなら問題無いはずだ。


(仮に杉本大輔や安藤舞華と話す事があっても、それはただの顔見知りの市民としての雑談だ。聞き込みをしに行くわけじゃない)


詭弁である事は分かっている。もし明確に違法行為と判断されたら、他でもない俺のSOPHIAが警告、場合によっては通報するだろう。

だがそれでも、動かずにはいられない。無駄だとしても、行動せずにはいられない。

もう、この違和感を無視する事はできない。


(きっと何も起こらない可能性の方が高い。ただ市役所に行って帰ってくるだけだ。市役所に個人的な用事がある、それだけだ)


自分にそう言い聞かせながら、まずは朝食の準備に取り掛かった。

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