表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
53/84

見放された者たちと、“居場所”のない心

 「……“見放された者”?」


 市場を歩いていたとき、その言葉が耳に引っかかりました。


 朝の市場はいつもどおり賑やかで、野菜の並ぶざるの上を、光がきらきらと踊っています。値切り交渉の声、焼き菓子の香り、魚をさばく音。そんな中で、小声の噂ほど、よく響くものですわね。


「また出たんだとよ、“印”のあるやつが」

「精霊に嫌われた証だって言うけどさ……」

「教会も、ああいうのはあんまり相手にしたがらねぇらしいぞ」


 すれ違いざま、労働着姿の男たちが、押し殺した声で話していきます。


 隣を歩くレオンが、ちらりと私を見ました。


「……お気になさいますか」


「ええ。

 あの集会の日のイグナスさんだけの話ではない、ということですわね」


 “見放された者”。

 それはきっと、彼一人の呼び名ではない。


 精霊に加護を与えられなかったと感じる人たち。

 教会から「信心が足りない」と突き放された人たち。

 どちらからも居場所をもらえず、うつむいて生きてきた心。


(あの人の叫びは、きっと、一人ぶんではありませんでしたもの)


 胸の奥が、じわりと重くなりました。


◆ ◆ ◆


「今日は、お時間をいただいてありがとうございます」


 数日後、私は屋敷の一室――もとは倉庫だった場所を片付けて作った小さな集会の場で、そう頭を下げました。


 粗末な長椅子がいくつか。

 窓から差し込む光は柔らかく、机の上には湯気の立つ茶と、焼きすぎた気配のあるクッキーが並んでいます。


 集まってくれたのは、十数人ほど。


 仕事を失ったばかりの青年。

 腕に古い火傷の跡がある中年の女性。

 教会の入口までは行くけれど、扉を開けずに引き返してしまうと言う老人。

 そして――イグナスと同じように、「かつて精霊の加護を期待されながら、何も起きなかった」と噂されている数人。


 皆、一様に視線を彷徨わせ、私と正面から目を合わせようとはしません。


「今日は、説教をしに来たわけではありませんの。

 もしよろしければ、あなた方のお話を聞かせていただきたいのです」


 そう告げると、しばしの沈黙。


 最初に口を開いたのは、痩せた青年でした。


「……子どものとき、神父様に言われたんです。

 “精霊に選ばれる器ですね、きっと立派な加護が降りますよ”って」


 彼は、膝の上で握った拳を見つめたまま話を続けました。


「毎日、祈りました。

 仕事のあとも、眠くても、教会に寄って。

 供物も、ちょっと無理してでもいいものを持っていって。

 でも、何も起きなかった」


 指の節には、何度も床に額を打ちつけたせいでしょうか、固くなった跡が見えました。


「そのうち、言われることが変わりました。

 “焦らず待ちなさい”から、“もっと真剣に祈りなさい”に。

 最後は、“あなたの信心が足りないのかもしれません”でした」


 かすかな笑いが、喉の奥で引っかかったまま消えていきます。


「奇跡をもらった誰かを見ると、素直に喜べないんです。

 あぁ、俺には無理だったんだって、突きつけられるみたいで」


 その隣で、中年の女性が、ぽつりと続けました。


「うちの子も、小さな頃に病を患って……

 精霊に祈れば、きっと治るって、みんなで言い合って。

 でも、熱は下がらなくて、最後は……」


 女性は言葉を飲み込み、ぱっと涙を拭いました。


「町の人は、“神様の御許に行ったんだ”って言ってくれました。

 神父様も、“試練だったのです”って。

 頭ではわかるんですよ? でも……

 祈れば届く、って言われていた分だけ、

 届かなかった現実が、余計に痛いんです」


 「見放された」と感じた心の痛みは、

 決して一種類ではありません。


 ひとりひとりの口からこぼれ落ちる言葉は、

 全部、違う形をしていて、違う季節の寒さをまとっていました。


「俺も、悪い夢を見ます」


 年配の男が、低い声で言いました。


「暗い場所で、遠くから笑い声が聞こえる。

 あれは精霊なのか、何か別のものなのか……

 俺にはわからんけど、妙に冷たい風が吹いてきて、目が覚めるんです」


「……同じだ」


 別の人が顔を上げました。


「俺も、似たような夢を見る。

 深い水の底にいるみたいで、

 上から光が差しているのに、どうしても届かない」


(――深い、水の底)


 一瞬、別の世界の匂いが、かすかに鼻をかすめました。

 あの、白い空間とは違う、もっと暗く、重い気配。


(……Abyssのほうに、少しずつ綻びが広がっているのかしら)


 そんな推測が頭をよぎりましたが、今はそれを口に出す場ではありません。


 私は、深く息を吸い込みました。


「お話しくださって、ありがとうございます」


 皆の視線が、不安げにこちらに向きます。


「きっと、楽しい話ではなかったでしょうに。

 それでも、口に出してくださったことそのものが、

 とても大事な一歩だと思いますわ」


 私は、自分の膝の上で組んでいた手を見下ろしました。


「奇跡に選ばれなかった人生は、

 決して“価値がない人生”ではありません。

 ――ただ、そう信じるための居場所が、この国には少なすぎるのかもしれませんわね」


 青年が、かすかに目を見開きました。


「神様に選ばれなかった。

 精霊にも選ばれなかった。

 そう感じてしまった人が、行き場を失ってしまうのなら――

 それはきっと、神や精霊だけの責任ではありません」


 私は、ひとりひとりの顔を見るように視線を動かしました。


「私たち、“人間”の側が、

 “選ばれなかった人の席”を用意する努力を、

 怠ってきた結果でもあるのでしょう」


 沈黙。

 けれど、その沈黙は、少しだけ温度を持っていました。


「私が精霊に好かれているのは、

 正直に言えば、かなり偏った偶然の産物ですわ。

 あなた方が何をしたから、私が何をしたから、という単純な話ではありません」


 焦げた匂いが、鼻先をくすぐります。


「あ、そうですわ。

 ……少し焦がしてしまったかもしれませんけれど、よろしければ」


 私は、机の上のクッキーの皿をそっと皆のほうへ押し出しました。


 形は少々いびつで、端のほうは見事に色が濃い。

 “公爵令嬢の手作り”という言葉には、とても似つかわしくない見た目です。


 子どもが一人、恐る恐る手を伸ばしました。


「リヴィア様が、焼いたの?」


「ええ、“焦がし公爵令嬢”の名に恥じぬ仕上がりですわ」


 そう言うと、部屋の空気が少しだけ和らぎました。

 くすくす、と小さな笑いが漏れる。


「……美味しい」


 最初にかじった子どもが、目を丸くしてそう言いました。

 それに釣られるように、他の人たちもおそるおそる手を伸ばします。


 甘いものは、言葉よりも早く心に届くことがありますわね。


 クッキーを一枚つまみながら、私は静かに続けました。


「私は、奇跡を配る神様にはなれません。

 精霊に加護を約束させることもできません」


 その代わりに――と、言葉を切ります。


「私が用意できるのは、“精霊に好かれる場所”ではなく、

 “人としていてもいい場所”だけですわ」


 目の前にいる人たちが、一斉に顔を上げました。


「信仰が強くても弱くてもいい。

 加護があってもなくてもいい。

 働ける人は働き、今は働けない人は少し休んで、

 それでも“ここにいていい”と言える場所」


 それは、孤児院とも、教会とも少し違うもの。


「……シェルター、のようなもの、でしょうか」


 隅に座っていた家臣が、ぽつりと呟きました。

 私は頷きます。


「ええ。

 精霊に見放されたと感じる人も、

 教会に居づらくなった人も、

 “普通の信徒”として振る舞うのが苦しくなってしまった人も――

 そこなら、肩身を狭くせずに済むような場所を」


 それはきっと、

 辺境にしか作れないものではないはずです。


 けれど、今、最初のひとかけらを用意できるのが、

 私の領地なら――それは、そう悪くない役目かもしれません。


「すぐに立派な建物が用意できるとは限りませんわ。

 最初は、小さな部屋を一つ増やすところからかもしれません。

 でも、そこに灯りをつけておきたいのです。

 “見放された”と感じた心が、

 少しだけ肩の力を抜ける、あかりを」


 青年が、握った拳をほどきました。


「……本当に、そんな場所が?」


「約束はできません。

 けれど、“作ろうとしている人間がいる”ことくらいなら、

 ここではっきりとお伝えできますわ」


 そう言うと、彼は少しだけ笑いました。

 痛みの中に、わずかな期待を混ぜたような、かすかな笑み。


◆ ◆ ◆


 集まりが終わり、人々がそれぞれの家に戻っていったあと。


 片付けをしながら、私はレオンと向かい合いました。


「……やはり、“見放された者”は、一人や二人ではありませんでしたわね」


「ええ」


 レオンは、残ったクッキーを一枚手にとり、じっとそれを見つめました。


「あなたが集会で話したことが、

 彼らの孤独をさらに際立たせた可能性も、たしかにあります。

 ですが――」


「わかっています」


 私は、彼の言葉を引き継ぎました。


「だからこそ、“居場所”が必要なのですわね」


 窓の外には、夕暮れの空。

 青と橙が混ざり合う、その狭間の色。


「精霊に見放されたと感じる人たちは、

 教会にも寄れず、

 “普通であろうとする場所”にもいづらい」


 私は、さきほど聞いた夢の話を思い出しました。


「ならば、信仰の強さや加護の有無に関係なく、

 働けて、食べて、眠れる場所を――

 この領地のどこかに、用意しなければ」


「危険も増えます」


 レオンの声は、現実的でした。


「教会からは、“異端者を集めている”と見なされるでしょう。

 王都にいる監査団にも、言い訳を求められます」


「ええ。

 でも、選べる道が少ないなら、

 その少ない道の中から、まだ“私でいられる道”を選びたいのです」


 窓ガラスに映る自分の顔に、向き合うように呟きました。


「……奇跡に選ばれたかどうかではなく。

 “ここにいていい”と言ってもらえたかどうかで、

 人生の温度が変わってしまうのなら」


 私は、指先で机の端をなぞりました。


「その一言くらいなら、

 私にも、誰かに渡せるかもしれませんわね」


 外には、もう一つ星が、また一つ星が、

 ぽつりぽつりと灯っていきます。


 “見放された”と感じる心を、

 “ここにいてもいい”という感覚で、どこまで上書きできるのか。


 それは、きっと一朝一夕では叶わないでしょう。


 それでも。


「焦がしクッキーから始まる居場所づくり、ですわね」


 自分でそう呟いて、思わず苦笑しました。


 レオンが、わずかに肩を揺らします。


「……ならば、次は焦がしすぎないよう、私も見張っていますよ」


「それは心強いですわ」


 小さな冗談と、小さな決意。

 それらを胸に抱えながら、私は窓の外の星をもう一度見上げました。


 この国のどこかで、「見放された」と感じている人の心に、

 いつか、それぞれの灯りが灯りますように――と願いながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ