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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第2章_奇跡の積み重ねと、こちらを向く世界の視線
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帰還と、“監査”の聖職者たち

 帰り道の空気というのは、不思議なものですわね。


 行きに通ったときと、風景はほとんど変わっていないはずなのに――

 同じ川のきらめきも、同じ畑の緑も、

 今はどこか、少しだけ色を落として見えました。


 馬車の窓を開けると、辺境の土と草の匂いが一気に流れ込んできます。


「ああ……」


 思わず、息がほどけました。


 ここは、私が「帰る」と決めた場所。

 王都の石畳とは違う、少し荒っぽい風。

 それが、皮膚の下まで染み込んでくるようで――

 ようやく体の力が抜けていくのを感じます。


 畑の脇では、子どもたちが棒を振り回して遊んでいました。

 以前なら、こちらに気づくなり全力で手を振ってくれた子たちです。


 けれど今日は。


 私の乗った馬車に気づいた一人が、

 慌てて仲間の腕を引っ張り、小声で何か囁き合いました。


 それから、少し間を置いて――

 そろそろと、胸の前で手を合わせるようにして、会釈をしてくる。


 笑顔がないわけではありません。

 ただ、その笑みの奥に、薄い膜のような「ためらい」が貼りついていました。


(……ただいま戻りましたわ。と、まだ言ってもいないうちから)


 胸の中で、そっと呟きます。


◆ ◆ ◆


 城門が見えてきました。


「グラウベルク公爵令嬢リヴィア様、ご帰還!」


 兵士の声が響き、門がゆっくりと開いていきます。

 その向こうには、家臣たちと、代表として集まってくれた領民たちの姿。


「お帰りなさいませ、リヴィア様!」


 揃った声は、たしかに温かい。

 けれど、その表情の何人かに――


(“様子をうかがっている”目、ですわね)


 そんな色が混じっているのを、見逃すほど鈍くはありません。


 馬車から降りるとき、一瞬足元がふらつきました。

 レオンの手が、さりげなく支えてくれます。


「ありがとうございます。少し、世界が縦から横に傾いただけですわ」


「それは、十分ふらついている状態と言うのですよ」


 小声で返されて、思わず苦笑しました。


 出迎えの列の前に立ち、私は深く一礼します。


「ただいま戻りましたわ。

 留守を守ってくださって、ありがとうございます」


 その言葉に、

 家臣たちの表情が、ようやくほんの少し緩んだ気がしました。


 けれど、彼らの視線は何度も、

 城の向こう――教会の尖塔のほうへと揺れます。


(やはり、ですわね)


 私が不在の間に、何かが入り込んできた。

 それは、風の匂いだけでなく、

 皆の視線の揺れ方からも伝わってきました。


◆ ◆ ◆


「お痩せになられたのでは?」


 邸内に入るなり、古参のメイド頭が目を細めました。


「まぁ、王都の食事が合わなかったわけではありませんのよ。ただ――」


 慌てて弁解しかけて、自分でおかしくなります。


「少し、言葉を使いすぎただけですわ」


 討議だの密議だのと、

 胃に悪い場面が多かったのは事実ですもの。


「ただいま戻ったばかりで恐縮ですが、

 王都より派遣されている“教会監査団”が、

 リヴィア様との面会を希望しております」


 執事が、申し訳なさそうに告げました。


 ……やはり、ゆっくりベッドに倒れ込むという選択肢は、今日も許されないようですわね。


「わかりました。

 さすがに今ここで“疲れましたので明日で”と駄々をこねるわけにも参りませんし」


 軽口を挟んでから、姿勢を正しました。


「応接室にお通しして?」


「すでにお待ちいただいております」


「では、領主としてきちんと“お出迎え”して差し上げませんと、ですわね」


 本当は、一度自室に駆け込んで、

 ベッドに顔から倒れ込みたい衝動にかられましたけれど――


「今日は、お行儀よく椅子に座って疲れますわ」


 心の中でだけそうぼやいて、

 私は応接室へ向かいました。


◆ ◆ ◆


 応接室の扉を開けると、

 きちんと整列した数名の聖職者たちが視界に飛び込んできました。


 白と灰色の法衣。

 胸元には、教会の紋章。

 手には、分厚い書類の束。


 代表らしき中年の神父が、一歩前に出て頭を下げました。


「このたび王都教会本部より派遣されました、

 監査団代表、カルディナと申します」


 声は柔らかく、ことばも丁寧。

 けれど、その瞳は――


(私のことを、書物の余白に書き込む注釈のように見ている目、ですわね)


 じっと対象を観察し、「正しい位置」に分類しようとする視線。


 笑ってはいます。

 けれど、その笑みは目の奥まで届いていませんでした。


「遠路はるばる、ようこそ辺境へ。

 グラウベルク公爵令嬢、リヴィア・グラウベルクです。

 まずは、私がいない間にこの領地を見てくださったこと、感謝申し上げますわ」


 こちらも礼儀正しく、微笑みを返します。


 歓迎の笑顔と、監査の笑顔は、よく似ています。

 ただ一つ違うのは――

 前者は「ここにいてほしい人」に向けられ、

 後者は「ここにいて大丈夫か確かめたい人」に向けられる、ということ。


「本日は、辺境における信仰の在り方について、

 いくつか確認させていただければと」


 カルディナ神父は、淡々と告げました。


「確認、ですのね」


「ええ。

 礼拝の回数、説教の内容、寄付金の使途、

 孤児院や診療所への支援、祭礼における“精霊”への言及――

 いずれも、ここでのやり方が“異端の芽”を育てていないかどうか、

 慎重に見極める必要がございます」


 異端の芽。

 なんて便利な言葉なのでしょう。


 水や肥料が足りなくても枯れますし、

 光が強すぎても焼けますのに。


「病村での“奇跡”についても、

 改めて詳しい経緯を伺いたく存じます」


 あぁ、やはりそこに戻りますのね。


「もちろん、必要な範囲でお話しいたしますわ」


 私は椅子に腰掛け、手を膝の上に重ねました。


◆ ◆ ◆


 質問は、予想していた通りの部分と、

 少しだけ角度を変えたものとが、混ざっていました。


「病村での詠唱は、どのような性質のものだったのか」


「“精霊王”なる存在との関係を、どう理解しているのか」


「礼拝において、

 神と精霊のどちらにより重きを置いているとお考えか」


「孤児院や診療所への支援が、

 “信仰の対価”と受け取られる可能性について、どう認識しているか」


 一つひとつの問いに対し、

 私は可能な限り、事実に沿って答えていきました。


 病村でのことは、

 自分の魔力では足りないと感じたこと。

 だからこそ、「どうか力を貸してください」と、

 精霊王に向けて祈ったこと。


 礼拝の場では、

 神と精霊を「どちらが上か」で語るのではなく、

 「人が生きていくうえで寄り添ってくれる存在」として説明していること。


 孤児院や診療所への支援は、

 「信仰心の多寡に関わらず、

 ここに生きる人全員に必要なもの」だと位置づけていること。


「もちろん、“施しを与える側”と“受け取る側”という構図が強くなりすぎれば、

 そこに歪みが生まれる危険は承知しておりますわ」


 そう付け加えると、カルディナ神父の目が、わずかに細まりました。


「では、

 あなたはご自身の行いが“信徒の心を惑わせる”可能性を、

 認識しておられる、と」


「ええ。

 私の存在が、“教会だけを見ていればよかった人々”の視線を、

 少し横に向けてしまったことは、否定できませんもの」


 だからこそ、

 あの公開討議で、

 私はあえて民衆に向かって「頼りきりにならないで」と言ったのです。


「ただ――」


 私は静かに言葉を継ぎました。


「その“横に向いた視線”が、

 自分自身の手や、隣にいる誰かの手にも向くのだとしたら。

 それは、必ずしも悪いことではないと、私は思っています」


 カルディナ神父は、しばし黙り込みました。

 隣で書類をめくる補佐役の手だけが、乾いた音を立てています。


「……なるほど」


 やがて、代表神父は静かに息を吐きました。


「あなたが本当に“危険な存在”なのかどうか――

 私たちはそれを、感情ではなく、記録と事実で判断せねばなりません」


 “危険な存在”。


 その言葉を、

 こうも穏やかな口調で告げられると――

 かえって背筋が冷たくなりますわね。


「どうぞ、必要なだけ記録なさってくださいませ。

 ただ、その前に、

 この土地で生きる人たちの顔も、よくご覧になってくださると嬉しいのですけれど」


 私がそう返すと、

 カルディナ神父は、意味深げな微笑を浮かべました。


「もちろん、そのつもりです」


 彼らが応接室を出ていくとき、

 廊下に響く足音が、どこか「判決を言い渡した後」のように聞こえたのは――

 気のせいであってほしいところですわね。


◆ ◆ ◆


「……大変、ですわね」


 監査団が教会へ向かったあと、

 辺境教会の神父――

 あの震える手で手紙を書いてきた男が、

 私の前に立っていました。


 いつもより、ずっと疲れた顔で。


「まずは、お戻りいただけて何よりです、リヴィア様」


「戻るのが少し遅くなってしまって、ごめんなさい」


 私が頭を下げると、

 神父は慌てて手を振りました。


「いえ、あなたが王都で、

 どれほど大きな波に向き合っておられたかは、

 噂話からでも伝わっております」


「噂話は、大抵脚色されますわよ」


「……ですが、病村の方々が、

 涙ながらにあなたのことを話していたのも事実です」


 神父は、少し目を伏せました。


「王都からの視線が強くなり、

 ここでのやり方を守るのが難しくなってきました」


 その一言に、

 どれほどの重さが詰まっているか――

 私にはよく分かります。


「礼拝で“精霊”に触れるたび、

 上から注意が入るのではないかと、背中が強張ります」


「リヴィア様の施策も、

 “信仰を惑わせる”と見られる危険は、たしかにあります」


 神父の声には、責める響きはありませんでした。

 あるのはただ、板挟みになっている人間の苦さだけ。


「あなたを責めるつもりは、毛頭ありませんわ」


 私ははっきりと言いました。


「むしろ、私がいない間に、

 ここを守ろうとしてくださって、ありがとうございます」


 神父の肩から、ほんの少しだけ力が抜けた気がしました。


「……それでも、信徒たちは揺れております」


 彼は続けます。


「『リヴィア様に頼ると、神父様が困るのなら……』と、

 あなたに相談するのをためらう者」


「『でも、あのとき助けてくださったのは事実だし』と、

 教会の警告を聞いても迷いを捨てきれない者」


「誰か一人を“悪者”にしてしまえば、

 楽なのかもしれません。

 ですが――」


「そうしないで踏みとどまっている分だけ、

 余計につらくなっているのだと、感じます」


 誰か一人を“悪者”にすれば、

 世界は簡単になります。


 教会がすべて間違っている、と決めつけることも。

 逆に、「全部リヴィアのせいだ」と言ってしまうことも。


 でも、この土地の人たちは、

 今のところまだ、その単純さに飛びつかずに揺れている。


(だからこそ――守らなければなりませんわね)


 その揺れを、“都合のいい物語”で塗りつぶさせないために。


「しばらくのあいだ、こちらに腰を据えて状況を見ますわ」


 私は神父に向かって言いました。


「教会の監査団とは、できる限り穏やかに折り合いをつけます。

 ですが、折れてはいけないところも、きっとあるはずですわ」


 神父は、驚いたように目を瞬かせました。


「……あなたまで板挟みになってしまいます」


「もともと、板の上を渡るのは得意ですの。

 これでも、王都と辺境の間を行ったり来たりしてきましたから」


 冗談めかして返すと、

 彼はようやく、かすかな笑みを見せました。


◆ ◆ ◆


 教会の前に立つと、

 夕暮れの空が、朱と紫のあいだで揺れていました。


 尖塔の影が、町並みの上に長く伸びています。

 その足元では、子どもたちが遠巻きにこちらを見ていました。


「リヴィア様に頼ると、神父様が困るのなら……」

「でも、この前の祭りで、また一緒に踊りたいねって……」


 そんな、小さな声の断片が、

 風に乗って耳に届きます。


 私は空を見上げ、ゆっくりと拳を握りました。


「ここは、私が“守ると約束した場所”でしたわね」


 王都の塔も、たしかに気になる。

 教会本部の動きも、見過ごせない。


 それでも――

 この夕暮れの色と、

 ここで暮らす人たちの揺れる声を、

 私は何よりも優先したいと思ってしまうのです。


「さあ。監査の聖職者たちに、

 “辺境の公爵令嬢”がどんな顔で立っているのか、

 きちんと見ていただきませんと」


 そう呟いて、私は教会の扉に手をかけました。


 中に待っているのは、

 敵か、味方か。

 そのどちらでもない、“責任を背負った大人たち”か。


 どれであっても構いません。


 私が選んだのは――

 見て見ぬふりをしないほうの異端として、

 ここに立ち続けることなのですから。


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