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世界を敵に回しても、あなたを守りたい 〜国を消した公爵令嬢は、辺境で騎士と未来を選ぶ〜  作者: 深淵 みなも
第1章_婚約破棄と、辺境で始まるささやかな奇跡
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辺境行きの勅命と、庭での別れ

 王城の謁見の間に足を踏み入れるのは、これで何度目だろう。


 高い天井、磨き上げられた大理石、赤い絨毯。

 ついこのあいだまで、私はここで王太子妃候補として紹介されるはずだった。


 今日の私は、そのどれとも違う立場で、この場に立っている。


 王座の上には国王陛下が、隣には王妃殿下が座し、その斜め後ろには教会の高位聖職者――枢機卿が控えていた。

 王太子殿下の姿はない。代わりに、宰相と数名の重臣が列を成している。


「ヴァルシュタイン公爵令嬢、リヴィア・エルノーラ・ヴァルシュタイン」


 儀礼官の声が響き、私は一歩前へ進み出た。


「はっ」


 裾を少し持ち上げ、決められた角度で礼をする。

 王と教会、二つの権力の視線が、まっすぐ私に向けられているのを感じた。


「顔を上げなさい、リヴィア」


 陛下の声は、いつもどおり落ち着いていた。


「はい、陛下」


 ゆっくりと顔を上げると、その眼差しの奥に、わずかな疲れの色が見えた。

 それが、この数日の騒ぎによるものか、もっと以前からのものなのかは分からない。


「先日の、婚約の件……」


 陛下は一瞬言葉を切り、それ以上は何も言わず、代わりに隣の枢機卿へ視線を送った。


 教会側の代表が、一歩前へ出る。


「ヴァルシュタイン公爵令嬢」


「はい、枢機卿猊下」


「そなたが、王太子殿下との婚約解消を、何の騒ぎもなく受け入れたことは、王城内外で大いに話題になっておる」


 それが褒め言葉なのか、皮肉なのか、一瞬判断に迷う。


「我らとしては、その冷静さと自制心を高く評価している」


 ……褒め言葉らしい。


「しかし同時に、そなたの“立場”をこのままにしておくこともできぬ。

 そこで、王家と教会は協議の末、一つの“役目”を用意した」


 役目。


 その言葉だけで、もうある程度の想像はついた。


「アルディア王国西方、グラウベルク辺境領。

 長年の戦と飢饉、盗賊の跋扈により、荒廃した土地であることは、そなたも聞き及んでおろう」


 確かに、その名を聞いたことはある。

 地図の端に、小さく記されていたはずの地名。


「うむ。かつては中堅貴族の領地であったが、今や実質的に無主の地に近い。

 そこを――」


 陛下が、ゆっくりと口を開いた。


「ヴァルシュタイン家の名のもと、再建せよ」


 短く、簡潔な勅命。


「名目上は“再建”だが、実質は“辺境の治安と民の救済”だ。

 盗賊を追い払い、開墾を進め、飢えた民を養わねばならぬ。

 ……重い役目だ」


 重い、というより――


(都から見れば、綺麗な“左遷”よね)


 王都から遠く離れた荒れ地。

 王太子妃候補としての立場を失った公爵令嬢を、目の届かない場所へ。


 そう考えるのは簡単だし、おそらく半分は正しい。


 しかし――。


 私の胸の奥で、別の声が静かに囁く。


 そこには、困っている人たちがいるのだ、と。


 盗賊に怯え、飢えに苦しみ、医者も教会もまともに届かない土地。

 王都で噂話の種にされる“聖女候補”の名前すら知らないかもしれない人々。


「リヴィア・エルノーラ・ヴァルシュタイン」


 陛下の声音が、少しだけ柔らかくなった。


「これは罰ではない。……そう言い切るのは、さすがに偽善が過ぎような」


 自嘲めいた微笑みが、王の口元に浮かぶ。


「だが、国にとって必要な役目であることもまた事実だ。

 そなたの才と心をもってすれば――」


「陛下」


 私は一歩前に進み、深く頭を垂れた。


「はい、この身をお役立てくださいませ」


 謁見の間が、静まり返る。


「捨てられた先に、困っている人がいるのなら。

 そこはもう、“追放先”ではなく“居場所の候補”ですわ」


 顔は上げないまま、はっきりと言葉にする。


「婚約の席は、私にとって“居場所”ではなかったのかもしれません。

 ならば、せめて――

 誰かの役に立てる場所で、私の席を探したいのです」


 一瞬の沈黙ののち、陛下が短く笑った。


「……聞いたかね、枢機卿どの」


「ええ。まこと、容易ならぬ娘御ですな」


 教会側の男は、どこか複雑そうな表情で私を見下ろしている。


「そなたの言葉、しかと聞き届けた。

 グラウベルク辺境領の再建――この役目、正式にそなたへと命じる」


「謹んで、お受けいたします」


 私は背筋を伸ばし、頭を下げたまま、深く息を吸った。

 肺の奥まで冷たい空気が満ちていく。


 婚約破棄。

 左遷にも等しい勅命。


 それでも、私は――まだ折れていない。


◇ ◇ ◇


「……すまない、リヴィア」


 公爵家の王都邸。父の書斎で、最初に口をついて出た言葉がそれだった。


「お父様が頭を下げる必要はありませんわ」


 私は苦笑しながら、部屋の中を見回す。

 重厚な本棚。地図の広げられた机。

 いくつもの戦略と交渉をくぐり抜けてきた父の“戦場”。


「グラウベルクへの勅命、でしょう?

 王家と教会が決めたこと。お父様が止められる類の話ではありませんわ」


「……止めようとはした」


 父は短く言い、窓辺に立って外を見やった。

 夕陽が王都の屋根を赤く染めている。


「別の貴族に押し付ける案も出した。

 辺境の代わりに、王都での役目を与える案も提示した。

 だが結局――」


「“婚約破棄された公爵令嬢”に、これ以上王都に居座られては困る。

 そういうことでしょう?」


 言葉を継ぐと、父は深くため息をついた。


「そこまで言われたわけではないが……意味としては、そうだ」


「分かっていますわ」


 私は椅子に腰かけ、膝の上で指を組んだ。

 父の横顔に、申し訳なさと怒りと、どうにもできない無力感が混ざっているのが分かる。


「お前が王都にいる限り、王太子殿下も、聖女候補も、教会も落ち着かぬ。

 そう暗に示された」


「“元婚約者”が同じ城内を歩いていたら、周囲が気を遣いますものね」


 自分で言ってみて、少しだけおかしくなった。

 父が、苦々しい顔をする。


「笑い事ではないぞ」


「笑っておかないと、やっていられませんもの」


 私は肩をすくめた。


「お父様が謝るべきことは、何もありません。

 私は、ヴァルシュタイン家の娘として育てられ、

 その教育の中で、“国のために役に立つ生き方”を叩き込まれましたわ」


「……それは、否定できんな」


「ならば今回の勅命は、その延長線上にあるだけ。

 私が背負うべき荷物の一つです」


 父は何も言わなかった。

 しばらくの沈黙のあと、低く呟く。


「……本当はな」


「はい?」


「本当は、私は――

 お前が幸せになれる場所を、私の手で用意してやりたかった」


 その言葉に、胸がふっと熱くなる。


「王太子妃の座が、お前の幸せになるのかどうか。

 私はずっと迷っていた。

 だが、それしか選択肢がないように見えたから……

 そんな世界を、私は憎んでいる」


 父の背中が、ほんの少しだけ小さく見えた。


「グラウベルクは、過酷な土地だ。

 盗賊も、飢えた民も、病もある。

 公爵家の子女が行くような場所ではない」


「でも、“リヴィア”が行くには、悪くない場所かもしれませんわ」


 私の言葉に、父が振り向いた。


「……何?」


「お父様は、いつもこの書斎で言っていたでしょう?

 『領地を守るとは、そこに生きる者を守ることだ』って」


 私は微笑む。


「婚約の席を失ったからといって、私が守りたいものがなくなるわけではありません。

 捨てられた先に、困っている人がいるのなら。

 そこはもう、“追放先”ではなく“居場所の候補”ですわ」


 父の目が、大きく見開かれた。


「私は、王都で“王太子妃”の役をこなすより、

 辺境で“ただの領主”として走り回る方が、向いているのかもしれませんし」


「……お前は、本当に」


 父は頭を抱え、そして少しだけ笑った。


「誰に似たのだろうな」


「お父様でしょう?」


「いや、私はそこまで殊勝ではない。

 もっと打算深く、もっと臆病だ」


 そう言いつつ、父は歩み寄ってきて、私の肩に手を置いた。


「グラウベルクには、ヴァルシュタイン家からも、できる限りの支援を出すつもりだ。

 金も、人も、物資も。

 “捨てに行く”わけではない。

 お前の“拠点”を作りに行くのだと思え」


「……はい」


「ただひとつ、父として願うのは」


 父の手に、ほんの少しだけ力がこもる。


「死ぬな。

 それさえ守れば、あとのことはどうとでもなる」


「物騒なことをおっしゃいますわね」


 そう言いながらも、胸の奥が温かくなるのを止められなかった。


「大丈夫ですわ、お父様。

 私はしぶとい女ですもの。

 婚約を破棄されても、左遷されても、まだこうして立っている」


 父が、ふっと笑う。


「……確かに。

 あの謁見の間で笑っていられる娘だ。

 そう簡単には折れまいな」


「折れるとしても、それは」


 私は少しだけ視線を落とした。


「誰も見ていない場所で、こっそりですわ」


◇ ◇ ◇


 旅立ちの日の朝、屋敷の庭は、予想以上に賑やかだった。


「リヴィア様、本当におひとりで……」


「お供の数が少なすぎます。せめて護衛をもっと――」


「いいのです」


 私は笑って首を振った。


「荷馬車と護衛は、グラウベルクに着いてから増やしますわ。

 最初から大名行列のような人数で乗り込んだら、現地の人たちに警戒されてしまいますもの」


 王都の屋敷の庭は、こじんまりとしているが、手入れの行き届いた美しい庭だ。

 色とりどりの花々、整えられた生け垣、小さな噴水。

 その一角に、使用人たちがずらりと並んでいる。


 執事、家令、料理長、侍女長、下働きの少年少女たち。

 皆、正装に近い服装で、私の旅立ちを見送ろうとしている。


「リヴィア様……」


 前に進み出たのは、見慣れた顔の侍女だった。

 年若いが、真面目で、少しおしゃべりで、よく私の髪を整えてくれた子だ。


「本当は……本当は、行ってほしくないです」


 目元が真っ赤で、今にも涙が零れそうになっている。


「王都にいれば、きっとまた別の縁が……その……殿下でなくても……」


「まあ」


 私は小さく笑って、レースのハンカチを取り出した。


「その話を続けると、お父様が倒れてしまいますわよ?」


 侍女長の方を見ると、案の定、微妙な顔をしている。

 周囲から、かすかな笑い声が漏れた。


「ほら、貸してあげますから」


 私はハンカチを彼女の手に握らせた。


「泣くなら、ちゃんと押さえながら泣きなさいな。

 顔中ぐしゃぐしゃにしてしまったら、あとで後悔しますわよ」


「で、でも……これはリヴィア様のお持ち物で……」


「ええ。泣き止んだら、返して――もいいけれど。

 そのまま持って行っても構いません。

 “公爵令嬢に泣かされた記念”として」


「そ、そんな……!」


 侍女が慌てて首を振る。

 でも結局、我慢しきれずに、ハンカチで目元を押さえた。

 肩が小刻みに震えている。


 私は、その頭をそっと撫でた。


「大丈夫ですわ。

 あなたたちが誇れるようなご主人様になってきますから」


 そう言うと、彼女は余計に泣き出してしまった。


「ひっ……ぐ……そんなこと言われたら……」


「泣き止むどころか、火に油を注いでしまいましたわね」


 小声で呟くと、近くにいた執事が、珍しく口元を緩ませた。


「リヴィア様らしくて、よろしいかと」


 執事の後ろには、小さな箱がいくつか積まれている。

 私の荷物――だったものだ。


「本当に、よろしいのですか? これほどまでに」


 執事が、箱の一つに視線を落とす。


「ええ。半分以上は、王都でしか使い道のないものですもの」


 私は頷いた。


 ドレス、宝飾品、趣味の小物。

 グラウベルクに持っていったところで、盗賊と飢えた民の前で輝くようなものではない。


 だから、王都の有力な商会にまとめて売り払い、その代金を小袋に分けた。

 使用人たち一人ひとりに渡すには十分すぎるほどの金額になった。


「これは、あなたのお兄様の学費に。

 これは、あなたのご両親への手土産に。

 これは、あなたの結婚の支度金に」


 朝からの時間を使って、私は一人ひとりに小さな袋や包みを渡していった。

 皆、最初は遠慮したが、最後には泣きながら受け取ってくれた。


「そ、それでは、こちらが逆に“捨てられた先”になってしまいます……!」


 と、顔をしかめる下男もいたが。


「違いますわ」


 私は首を振った。


「私は、出て行く方ですもの。

 ここは、これからもあなたたちの職場であり、家でしょう?

 その土台を少しでも強くすることができるのなら、安いものです」


「しかし――」


「それに、私が辺境で失敗して戻ってきたときに」


 冗談めかして言うと、皆の視線が一斉にこちらに向いた。


「“あのとき、リヴィア様からいただいたお金のおかげで、こんなに立派になりました”って胸を張って言ってもらえたら――

 それはそれで、悪くないと思いません?」


 庭に、戸惑い混じりの笑いが広がる。


「……本当に、どこまで折れないお方なのでしょうね」


 侍女長がぽつりと呟き、隣の料理長が同意するように腕を組んだ。


「婚約破棄され、左遷も同然の勅命を受けても、こうして背筋を伸ばして笑っておられる。

 あれが公爵令嬢か……いや、“ヴァルシュタインの娘”か……」


 ひそひそと囁く声が、どこか畏れを含んでいるのが分かる。


 恐れられるのは、本来、望んだことではない。

 けれど同時に、それは――私が自分の足で立っている証でもある。


「そろそろ、お時間です」


 御者の声がして、馬車の支度が整ったことを知らせる。


 私は庭を振り返った。

 花々、噴水、生け垣。

 そして、涙ぐみながらも私を見送ろうとしてくれている使用人たち。


「みなさん」


 声が震まないように、一度だけ深呼吸をする。


「これまで、本当にありがとう。

 わがままなご主人様に、よく付き合ってくださいました」


「わがままなど、とんでもございません!」


「いつも、わたしたちのことを一番に――」


 言いかけて、侍女がまた涙をこぼす。


「泣くのは、みんなと別れたあとで充分です」


 自分に言い聞かせるように言うと、侍女長が小さく頷いた。


「はい、リヴィア様」


 私は一人ひとりと目を合わせ、最後に深く一礼した。


「どうか、皆さまもお元気で。

 私が辺境で噂になるくらいの“良いこと”をしてみせますから」


 そう言って、馬車へと乗り込む。


 扉が閉まり、御者が手綱を鳴らす。

 車輪がきしむ音とともに、ゆっくりと屋敷の門へ向かって動き出した。


 窓から身を乗り出すと、庭の使用人たちが一斉に頭を下げる。

 誰かが「リヴィア様ー!」と叫び、誰かが必死にその口を塞いでいた。


 門をくぐり抜ける直前、私は最後に手を振った。


 それから――。


 屋敷の影が完全に見えなくなったところで、ようやく背もたれに体を預ける。


 胸の奥で、堰が切れた。


 ぽたり、と。


 一粒だけ、涙が頬を伝って落ちる。

 それがきっかけになって、二粒、三粒と、静かに視界が滲んでいく。


「……泣くのは、みんなと別れたあとで充分です、って言ったのに」


 自分で言った言葉に、自分で苦笑する。


 婚約破棄も、左遷も、勅命も。

 全部、飲み込んだつもりでいた。

 でも本当は、飲み込みきれなかったものが、胸の底に残っていたのだろう。


 それでも――。


 涙は、止まる。


 いつまでも、泣き続けることはできない。


 窓の外には、王都の外壁が遠ざかり、広い空と、まだ見ぬ西方の地平線が広がっている。


(グラウベルク辺境領)


 荒れ果てた土地、盗賊の巣、飢えた民。

 そこが、本当に“追放先”なのか、“居場所の候補”なのかは、これからの私の在り方次第だ。


「行きましょうか」


 小さく呟く。


「私の居場所を、探しに」


 馬車は揺れながら、西へ、西へと進んでいく。

 新しい空の下へと向かう、その振動を、私はしっかりと受け止めた。


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