第8話 「ドレス作り」
「まってー! おねがい! 門を閉めないでー!」
フレアは一生懸命に西の門の門番に叫んだ!
門番は途中で気が付き、門を閉めるのを止めてこちらを見た。
「ハアハア……すみません! ちょっとだけ待って下さいませんか?」
「おや? またあんたかい? まったく……待てよ。あんたもしかして、側室候補のフレアさまかい? これはとんだご無礼を……どうぞ、お通りください」
「ハアハア……申し訳ありません! すぐに済ませますから」
フレアはお礼を言いながら門番の前を通って西の門から城外へ出た。
いつかの髭面の商人が荷馬車に乗り帰ろうとしているところだった。
「すみません! 靴を! 舞踏会用の靴を売ってくださいませんか?」
「おや? あんたはいつぞやのお嬢さん? かわいそうに。ずいぶんと泥まみれになってしまったなあ……苦労したんだね。舞踏会用の靴だね? いくらあるんだい?」
「銅貨10枚です!」
「そうか……銀貨1枚分だね。どれ、この赤い靴を売ってあげよう。中古品だから汚れているが、麦藁で拭けばピカピカになるぞ。それと……紐付きの麻の袋と靴下をおまけに付けてあげよう。お嬢さんは裸足だから、これで足が痛くなくなるよ」
「ご親切にどうもありがとうございます! 足がマメだらけで困っていたんです。はい、銅貨10枚です!」
「ああ、ありがとう。それでは、これを」
「ありがとうございます!」
フレアは古びた赤い靴と麻の靴下を受け取ると、招待状と白いレースの手袋と一緒におまけでもらった麻の袋の中へ入れ、口を紐で縛り肩に掛けた。
商人に手を振ると、西の門まで取って返して門番にお礼を言いながら城内に戻った。
「そうだ! 靴を磨かないと! 麦藁はどこで調達すればよいのかしら?」
「フレアさまは麦藁が必要なのですか? でしたら、庭にある畑に行けばたくさんありますよ」
西の門の門番が答えた。
「畑? お城の庭に畑があるの?」
「はい、そうです。南のはずれにあります」
「どうやって行けばいいのかしら?」
「ローズガーデンの真裏です。回廊の裏側にある迷路の先に大きな畑が広がっていますよ。この時間はちょうど農夫が農作業をしているはずです」
フレアは迷路と聞いてとても不安になった。
彼女は迷路が大の苦手で、そこには近づかないようにしていた。
「迷路を横切らないといけないのかしら?」
「はい。その向こうに広がる森からの、敵の侵入を防ぐために作られたものですから」
「……わかったわ! 行ってみます!」
フレアは不安に胸をドキドキさせながらも、勇気を振り絞って迷路の向こうにあるという畑を目指すことにした。
まずは目の前にある回廊沿いを歩いていくことにした。
この回廊は西と東の門の前だけが柱だけで出来ていて、あとの部分は石の壁で覆われている。
フレアは外壁を伝って南方向へ歩いて行った。
草ボウボウで荒れ果てた土の上を歩いていくと、途端に靴が汚れてしまった。
それでも構わず進んでいくと、いつかクマさんに会ったローズガーデンの真裏の回廊付近に出た。
眼下に、巨大迷路の生垣の全貌が見えている。
一段低い場所に作られた迷路の向こうに広大な黄金色の小麦畑が広がっていた。
右手、西側では普通の作物や薬草が栽培されている。
反対側の左手、東側には果樹園が広がっていた。
それらの奥一帯には、鬱蒼とした深い森が続いていた。
あの森の奥にある地下牢にフレアは囚われていたのだ。
そのことを思い出しただけで、フレアはゾクゾクと身震いがしてきた。
泣き出しそうなほど恐かったが、勇気を出して階段を下り迷路に入っていった。
小柄なフレアが迷路の中へ入ると、たちまち空しか見えなくなってしまう。
複雑な迷路の道筋をさっき上から見たときに頭に叩き込んだはずなのに、中に入ったとたん頭が混乱して正しいルートがまったくわからなくなってしまった。
「どうしよう……クマさん……!」
フレアはそれでもがんばって前へ進みはじめた。
だが、3番目の角を曲がったときに初めて、自分が完全に迷ってしまったということを自覚した。
「うえっ……わからない……どうしよう……!」
フレアは泣き出していた。
それでも一生懸命に歩いた。
だが、歩けば歩くほどに迷路に嵌っていった。
暗い迷路の中は、どこもかしこも同じ造りだ。
フレアはとうとう、3度目の行き止まりに突き当たり立ち往生してしまった。
ここで、完全にフレアは力尽きた。
おのれのふがいなさに、とことんイヤになった。
その場に座り込んで泣き崩れた。
「ぐすっ……フレアはこのまま死んじゃうの? どうしたらいいの……? ウエッ……エーンッ!」
――ガサガサッ!
そのとき、生垣を揺らす音がした。
フレアはそちらに顔を上げた。
――そこには!
「うそっ……クマさん!」
あの赤いクマが、迷路の別れ道に立ち手を振っていた!
「クマさん! クマさんっ!」
フレアはいそいでそちらに走り出した。
だが、フレアが生垣の角に着いたとき、くまの姿は無くなっていた。
「クマさん! どこっ? どこにいるのー! んっ……あら?」
3つ向こうの右の曲がり角から、まん丸で真っ赤なクマのかわいらしいシッポがちょこんと見えている!
「クマさん!」
フレアはそちらにまっしぐらに走った!
だが、3つ向こうの右の曲がり角の先にクマはいなかった。
「クマさん……ここに居たはずなのに……」
けれども、今度は2つ向こうの左の曲がり角にクマのまあるい耳が見えた!
「クマ……さん?」
フレアはまた、そちらに走った。
そんなことをくりかえしているうちに、フレアは迷路を脱出していた!
目の前に黄金色の麦畑が広がっていた。
「わあああ……っ!」
フレアは感動していた。
こんなに美しい麦畑を見るのは初めてのような気がした。
苦労してやってきたからだろうか。
「そうだっ! クマさんは?」
いそいでうしろを振り返ると、迷路の中でクマが手を振っていた。
「クマさんっ! どうもありがとうー!」
フレアは両手で一生懸命にクマに手を振った。
クマは手を振りながら迷路の中へと消えていった。
「クマさん……またフレアを助けに来てくれたのね……」
フレアは気を取り直すと、夏を向かえ収穫期に差し掛かっている美しい麦畑に向き直った。
手前で麦を刈っている農夫婦がいた。
「すみません! 麦藁を分けていただけませんか?」
農夫婦の後姿にフレアは声を掛けた。
彼らは麦を刈る手を止め、こちらを振り返った。
「あんた、赤毛の女の人が麦藁を分けてくれってさ!」
「おや? あれは……側室候補のフレアさまじゃないか? ぼろぼろのドレスを着ているが……」
「グレーの瞳……本当だ! フレアさま! 麦藁ならいっぱいありますよ! どうぞ!」
「本当に? どうもありがとう! いま、そちらに行きます!」
フレアはドレスをたくしあげるといそいで畑に降り立った。
茶色の革靴が更に泥で汚れた。
「フレアさま、そこに摘んである麦藁を持っていってください!」
「どうもありがとうございます! でも……ただで持っていくのは気が引けるわ。何かお手伝いをさせてください」
「それでしたら……麦藁を10束ずつ束ねてくだされ。麦藁でこうやって縛るのです」
「そう……難しそうだけど、やってみるわ!」
フレアは手を傷だらけにしながら懸命に麦藁を束ねていった。
農夫婦の刈り取りのほうが遥かにスピードが速かったが、フレアの仕事ぶりを2人はたいへん喜んでくれた。
鐘楼の鐘が9時を告げるころ、フレアは農夫婦と共に小麦のお粥と桃の実の朝食をとっていた。
労働のあとの食事はことのほかおいしかった。
「9時だわ……ローズガーデンへ薔薇のドライフラワーを取りにいかなくちゃ! おじさん、おばさん、ごちそうさまでした。では、麦藁をいただいていきます!」
「こっちこそ、農作業を手伝ってくれてどうもありがとうよ!」
「フレアさま、帰りはどうなされますか? わたしたちはこのまま畑の真ん中にある農家に帰ってしまいますが……」
「そうだったわ! どうしよう……もうあの迷路は通りたくないわ……」
「そうだ! フレアさま、東の果樹園まで歩いて行かれちゃどうですか? 東側の崖の下に流れる河で、舟に乗せてもらえばいい!」
「舟に? どうやって舟に乗ったらいいの?」
「東の果樹園にさくらんぼがたくさん生ってます。それを駄賃代わりにするんです。船着場があるから、そこから東の門まで乗せてもらえばいい!」
「すてき! どうもありがとう! では、早速、行ってみます!」
フレアは農夫婦に手を振りながら、東の船着場に向かって出発した。
ほどなくして、果樹園に到着した。
「ハアハア……あれがさくらんぼの木ね?」
真っ赤に熟したさくらんぼがたわわに実る木がたくさん植わっていた。
フレアはさくらんぼの実を摘んでドレスにそれらを包み東の崖へ向かった。
果樹園の下の石の階段を下りて船着場へ向かった。
一艘の舟が停泊していた。
フレアは舟の中に座っている船頭の背中に声を掛けた。
「すみませーん! 東の門までお願いできますかー?」
船頭が振り向いて立ち上がった。
ハンスだった!
「おや? これは、フレアさま! どうぞ、どうぞ!」
「ハンスさん! この間はどうもありがとうございました! このさくらんぼを駄賃代わりに受け取ってちょうだい」
「これはおいしそうだ! ありがたく受け取らせていただきます。いよいよ、今夜が舞踏会ですね」
「ええ……糸巻きを作るのに5日も掛かってしまったの。でも、すべて用意できたわ。あとはドレスを飾るだけなのよ!」
「それはよかった! では、いそいでローズガーデンに向かわないといけませんね。すぐに舟を出しましょう!」
「おねがいします!」
フレアは舟に乗り込み、ハンスにさくらんぼを渡した。
ハンスはすぐに舟を出発させた。
水の上を鮮やかな色の小鳥たちが掠めていく。
魚たちが水草の上を気持ちよさそうに回遊している。
青い空に浮かぶ白い雲や輪を描きながら飛ぶ鳥を眺めながら、フレアはのどかな気分に浸っていた。
だが、東の門の向こうにお城が見えてくると憂鬱な気分に陥った。
今夜、あの意地悪なネリーと対峙しなければならない。
果たして自分に勝算はあるのだろうか。
「フレアさま、がんばってシャルルさまのハートを射止めてくださいね! 女は愛嬌がいちばんです! 愛想の良い女性に男は惹かれます。舞踏会では笑顔を忘れないでくださいね!」
暗い顔をしていたフレアを気づかい、ハンスがやさしく声を掛けてくれた。
「ハンスさん……どうもありがとう。わたし、がんばるわ!」
「その意気です! 元気を出してがんばってくださいよ!」
「はいっ!」
フレアはハンスに励まされながら、舟を降りた。
ハンスが東の門の脇にある小さな扉からフレアを城内に入れてくれた。
フレアはハンスにお礼を言いながら手を振り、東の門をあとにした。
鐘楼が10時を告げていた。
「ハアハア……いそがないと……あっという間に舞踏会の時間になってしまうわ!」
ローズガーデンの前にゼペットがいて、薔薇のドライフラワーを手にして待っていてくれた!
「ゼペットおじいさん!」
「フレアさま! これを持って早くクロエの元へ行きなされ!」
「はい! どうもありがとうございます! すぐに参ります!」
フレアはゼペットからドライフラワーを受け取ると中庭を突っ切って裁縫部屋を目指した。
城の裏口で衛兵にあいさつをして右手の階段を駆け下りると、小さな扉をノックした。
――トントン、トントンッ!
「ハアハア……クロエさん! フレアです!」
――カチャッ!
「おやっ! フレアさま! お待ちしておりました。これが例のドライフラワーですね。早速コサージュとしてドレスに縫い付けていきましょう」
「わたしもお手伝い致します!」
「それでは……はさみで茎を切ってくださいますか? コサージュにするには薔薇の茎が長すぎますからね」
「はい!」
フレアは薔薇の茎を短く切った。
次に3個ずつ花を麻紐で縛りコサージュを作った。
ドレスを脱ぎ、クロエに渡した。
クロエはブラシでドレスのホコリや泥を払うと、起用に薔薇のコサージュを縫い付けていった。
フレアは白い下着姿のまま椅子に座り、赤い靴を麦藁で丁寧に磨き上げた。
1時間も磨くと、それはピカピカの新品のようになった。
「まあ! 素敵だわ! これなら、1晩中でも踊り明かせそうよ!」
「フレアさま。もうすぐお昼になります。こちらの食事をお召しあがりください」
「クロエさん。ご親切にどうもありがとうございます。では、いただきます」
フレアは黒のライ麦パンと山羊のチーズとミルクをいただいた。
「フレアさまは、湯浴みをしていらしたほうがいいですね。そこにあるメイド服を着てお部屋に行ってらっしゃいませ。メイド服はフレアさまに差し上げますよ。その間にドレスを仕上げてお部屋にお持ち致しましょう」
「はい。ありがとうございます」
フレアはトルソーに着せ掛けられているメイド服を脱がして着ると、麻袋を持って地下室から外へ出た。
階段を上って衛兵の立っている裏口まで歩いていった。
「わたしの後宮はどこかしら?」
フレアはひとりの衛兵に聞いてみた。
「おまえの居た後宮だと? 誰のことだ?」
メイド服を着て麻袋を肩に掛けたフレアを、衛兵は側室だとわからなかった。
「フレア……さまです」
「そうか? だったら、西のはじにある」
「そこまで案内していただけますか?」
「だったら……その麻袋を寄こせ。ちょうどそのぐらいの袋が欲しかったんだ!」
「では、部屋に着いたら荷物を出しますので、そのときでよろしいでしょうか?」
「ああ、いいぞ。側室の部屋まで案内してやろう」
「ありがとうございます!」
フレアは衛兵に案内されて城内の廊下を西に向かった。
しばらく行くとフレアが最初に寝かされていた部屋があった。
「ここだ!」
「どうもありがとうございました!」
フレアは部屋へ入り麻袋の中身を寝台の脇のサイドテーブルの上にすべて取り出し、空の袋を衛兵に渡した。
衛兵は礼を言って去っていった。
フレアは扉の脇にある姿見に己の姿を映した。
真っ赤な髪はグチャグチャに絡まりあい、ところどころに葉っぱや麦藁が付いている。
顔は泥だらけで手は傷だらけ。
おまけにひどく荒れている。
目は充血してまわりに隈ができていた。
フレアは自分の姿を見て泣けてきた。
こんな様子で果たしてシャルルの心を取り戻すことが出来るのだろうか?
自分の姿を眺めていてもミジメになるだけなので、バスルームへ向かった。
清潔なタオルや海綿は用意されていたが、浴槽に張った水は冷たかった。
フレアは仕方なく、服を脱いで水で体を洗った。
自分が情けなく惨めに感じた。
だが、フレアが一杯の飲み水も自分の手では汲めないという現実を考えてみたとき、これだけの水をタダで使用できるなんて贅沢にもほどがあることに気がついた。
フレアは自分が恵まれた環境にいることがわかり、黙って洗い終えると感謝しながら真っ白なタオルで体を拭いた。
下着をもう1度着ると、髪を梳かすために姿見のところへ戻った。
寝台の脇のサイドテーブルにドレスが置かれていた。
先程まで着ていた緑色のドレスのあちこちに色とりどりの薔薇のドライフラワーのコサージュが縫い留められている。
襟元や袖ぐり、裾には小ぶりな薔薇の花弁が並べて縫い付けられていた。
それらはドレスの汚れや破れを充分にカムフラージュしてくれていた。
「すてき……っ! それに良い香りがするわ……これなら、香水が無くても十分に引き立つわ」
フレアはウキウキしながら赤毛を櫛で梳かした。
丁寧に時間を掛けて梳かすとツヤツヤと美しい髪色になった。
それを1つにまとめ、薔薇のコサージュが付けられた麻紐で結い上げた。
麻の靴下と赤い靴を履き、白いレースの手袋を身につけた。
そしていよいよ、苦心惨憺して出来上がった薔薇のドライフラワーで飾り立てた緑のドレスを着てみた。
後姿を振り返ったり、クルリと回ってみたりしながら、鏡に映してみた。
どの角度から見ても素晴らしかった。
フレアがいままで持っていたどの高級ドレスよりも美しく感じた。
苦労して自分で手に入れたドレスだからだろうか?
「これなら、舞踏会に出ていっても決して引けを取らないわ!」
フレアは招待状を手に持ち、あらためて鏡を覗き込むと自信を高めた。




