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知らなくて結構です

時間的にはムーンさんの後日ですが、前の続きからでも問題ない感じです。



 俺だけの。



 人生最初で最後の彼女は大学時代先輩だった人だ。安原(やすはら) 佳穂さん。二つ年上。姉御肌でいつもキリッとした印象の人である。長い髪は下ろすと背中の中ぐらいまであると知ったのは部活の夏合宿の時。風呂上がりの廊下でかち合い、一瞬誰だかわからなくてぽかんとしたら「青くーん、私だよー?」と顔の前で手をひらひらしながら笑われた。

 基本的にアップスタイルで、挟まれると痛そうな大きな髪留めでくるっとしてある。(女子の髪型とかアクセサリーの類の名前に疎いのでそういう風にしか言えない。)最近はそのクリップがキラキラしたかわいいやつになったり、シュシュなる物で括られ髪が横に流してあったり。長いと色んな髪型にできるので女性としては楽しみだったりするのだろう。自分はどれもかわいいし好きだなとほくほくしながら、昔と違って遠慮なく見つめられるわけだ。かわいいかわいい彼女を愛でて何が悪いんですか。

 だが、それは突然呟かれた。


「切ろうかなぁ……」


 適当な頻度で部屋にお泊りしてくれるようになって、やらせて、とドライヤーで彼女の髪を乾かしていた時だった。風の音で聞き取れなくて、何? と聞き返すと少し大きめの声で「髪、切ろうかなって」と返ってきた。……え、何で。


「うっとおしいでしょ?」

「何でまた……?」


 まだ半乾きなのでドライヤーは止められない。お互い聞き取れるように少しハッキリ目に喋る。


「もうちょっと短くてもいいかなぁと……」

「そうですか?」

「肩ぐらいでもいいのよ、ホントは」


 美容院でどうしますかと訊かれると、特にこうと思う髪型も無いので毎回お任せしているという。(バッサリいく理由もないのでそれは無しで。)子どもの頃から何となく伸ばしていて、染めた事はあるがショートカットにはした覚えがないらしい。


「でも、切ったら切ったでまとめにくくなったりするんじゃないですか?」

「そこそこ長さがあったら大丈夫。……乾かすの大変だし……」

「乾かすの好きですよ、俺」

「そう君にずっとやってもらってるわけじゃないでしょう?」

「それはまあ……」

「やってくれるの、気持ちいいし好きなんだけどね」


 ごくごく率直な感想なのにいちいち感動してしまう自分の易さったらない。

 しかしもったいないなとも思う。さほど傷んでもないし、綺麗な髪だ。アップスタイルもいいが下ろした時の雰囲気も大人の女性らしく、顔に少しかかるとまた色っぽくて――


「あいたっ!」


 いきなり太腿をつねられた。ジーンズごしとはいえ痛いものは痛い。


「何ですかもう、」

「何か良からぬ事考えてるような気配がして」


 良からぬ事だなんて誤解であると目で訴える。いや、あながち間違ってもいないか。気を取り直そうと咳払いを一つ。(ついでに彼女の言う良からぬ事の残像も仕舞う。)


「佳穂さんは長いのが似合うと思いますけど」

「えーじゃあいきなり切ってきたらビックリする? ショック?」


 ……何でそんなに喜々としているんだこの人は。


「ビックリはしますけどショックとは違いますよ」

「何があった! とかなるもんじゃない?」

「こーやって喋ってる時点で、ああ言ってたしなってなりますよ?」

「そうか。ちぇっ」


 途端につまらなさそうに唇を尖らせる彼女。何を狙っているのかまったく、と苦笑を浮かべる。でも彼女のそんな一面が見られるのは幸福なのだ。



 「青くんはドS!」と言っていたけれど、それはあなたの方もでしょうと思ったのは内緒である。学生時代から【後輩】としてならとことんかわいがってくれたけれど、一人の男として目の前に立つとガッチリと一線引かれていた。自分の勝手で追いかけていただけだろうと言われればそれまでだが、自分は一方的に傷付いていたわけだ。

 社会人になってから部の同期らと飲み会なんかすると恋愛の事も話題になる。「まだ頑張ってたのか」と驚かれたり「一途にもほどがある」なんて揶揄されたり。

 何度か合コンに誘われたりした事があって人数合わせに出向いてみた。けれど、申し訳ないが彼女より惹かれる女性はいなかった。自分を強烈に惹き付けるのは彼女だけ。


 ここまで執着するのは何故だろうと考えたことがある。言ってしまえば相手は【ただの大学の部活の先輩】だ。

 四年間在籍していた部活の面子も、卒業してしまうと途端に接点が激減する。下手をすれば年一回の定期演奏会ですら会わない者もいるわけで――しかし彼女は自分が居た頃の後輩らが最後の演奏会を迎えるまで、夏合宿と直前合宿と演奏会当日に顔を出していた。年に三度の再会。春以外、季節ごとに現れる想い人。


――調子どう?

――何とかやってますけど、譜面が鬼過ぎて泣きそうです! 指死ぬ、みたいなね!

――あはは、大変だ

――先輩出てくれたらいいのに。出て下さいよ

――無理だよそんな。楽しみにしてるから頑張って。イイコイイコ 

 

 社会人になってからはこれもなくなるのかなと思っていたのだが、何かと口実にして飲みたがる面々故か【飲み会!】というタイトルのメールに召集されて。自分も飲むのは好きだし、(眠たくなるのは毎度の事なのだが…)気心知れた仲間と会って喋るのは楽しいものだ。話題は尽きず、学生時代と変わらずノリよく。出席率はまちまちだったが最低でも年一、会ってはいた。


――どう? 会社

――いっぱいいっぱいです。でも最近、案外合ってるかなって気がしてきました

――営業さんなんだよね? 意外だなあ

――まだまだ、全然ですけど…

――頑張ってるんだねえ、イイコイイコ


 いつも、距離感は一定。よしよしと頭を撫でられるのが嬉しいの半分、ああこの人はひどい人だよなと切なさ半分。

 ずっとこうして【先輩】としては優しくして、でも絶対に、男としての自分からは、ふうっと目を逸らす。先輩という盾は幾つになったら弱まるのか、もしかして一生ものなのかと帰り道に溜め息ばかり吐いていた。何度振られようが、年に数時間しか会えなかろうが、気持ちに変わりがないことに気が付いていないわけがないだろうに。

 やさぐれてきていた自分は、もし彼女が自分を追いかけてきたら同じように逃げ回って疲れ果てさせてやるとすら思うようになっていて。「後輩に背中を向けられるのが一番寂しいし、泣く…!!」と宣っていたのは彼女だ。自分は特別かわいがってもらっている自覚もあったので、ならば、顔を合わせても以前のように先輩先輩と寄りつきもしない・よしよしもさせないとしたらどんな顔をするだろう?――そんな真似をしなくて済んでよかったと思う。凶暴な好意の顕れだ、これは。



 手放しでかわいがれなくなるのは絶対に嫌。

 彼女の常套句は真実で、しかしそれは別れを前提としてのものだろうと噛み付きたくて仕方がなかった。初めて好きになった人で、ここまで焦れて、絶対に離すわけがないのに。ここに落ちてきてよと何度祈ったか知れない。

 彼女は一体何に怯えているのか。

 彼女がこちらを見るのはいつだ?

 どうしたらこの人は【後輩】の肩書き無しの自分と向き合ってくれる?

 駅で置いていかれた時、キレたのは確かだ。一つ一つ

逃げる理由を潰してきたし、自分は彼女の盾をいつまでも壊せない【かわいい後輩】ではないつもりだった。なのにこの人は最後に折れる一瞬前までとことん逃げ回るのだから参った。まさかこんなにしぶといとは……なんていうのはお互いの感想だと思われる。折れてしまえば、色んな事があっという間だったけれど。


「そう君?」


 もう乾いた頃合いではと窺うようにこちらを仰ぎ見る彼女と目が合った。


「あ、スミマセン。……はい、おしまいです」


 カチリとドライヤーのスイッチを切る。


「ありがとう」

「いえいえ、」

「?……そう君、何かぼーっとしてなかった?」

「そうですか?」


 思考は別の所にあったが手は動かしていた。それでも何か感じるものがあっただろうか。女性は人の表情や顔色の微々たる違いが解る生き物だそうなのだが、今の今まで前を向いていたのだからそういうところから察したわけではなさそうだ。相槌が適当だったかなと少し反省。

 彼女は手櫛でぱっぱと髪をまとめて右耳の下辺りにシュシュで括った。手慣れた一連の動き。そしてふと気が付いた。項の辺りに二箇所、皮膚が赤い部分。


――……ああ、そうだそうだ、


 すぐに記憶が引き出されて、これは自分がやったんだったなと思い出す。こうして晒す辺り彼女は気付いていないのだろう。言っておいた方がいいかな、これは。


「よいしょ、っと」


 自分より小さくて細い体を腕の中に閉じ込める。え、なに、と驚いた声。こそばゆいと身じろぎするのを抑え込むようにしてくっついた。鼻先を首元に埋める。……うん、いい匂い。


「……甘えたさん?」

「ですね」

「恥ずかしいんですがっ…?」


 ただくっついてるだけなのになあ、とくすくす笑い。もっと恥ずかしい事だってしているのに、彼女は通常営業の時は外で手を繋ぐのも恥ずかしがる。


「……佳穂さん、しばらく首とか出さない方がいいかもです」

「は?」


 何でよ、と傾げられる首。項の赤くなっている所を唇で柔く食むと、ひっと彼女の喉が鳴ってひくりと肩を竦める。


「や、なに、ちょっと――!」

「ここ、赤いから」

「いっ……?!」

「なので、髪下ろしとくのがいいかなって」

「っ、そういうのは早く言ええぇぇぇっ! っていうか普通に言いなさいっ!!」


 はむはむするんじゃない! と叱られてしまった。彼女はぷんすかしながらシュシュを引き抜いてせっせと手櫛で髪を下ろす。はむはむって、と笑ってしまった。確かにそういう表現になるとは思うけれど。


「油断も隙もないな君はっ」

「えっ。スミマセン……?」

「疑問系で謝るんじゃないのーーー!」


 彼女は耳まで真っ赤になっていて、片手で首の後ろを押さえる。別に、他に誰も見ている人なんかいないのに。油断も――というのに、あなたとろっとろに蕩けきっている時は完全に隙だらけなんだけど、とか言ったら余計怒らせるだけですよねきっと。

 印をつけるのは服で隠れる場所にするべし、なんていうのはいつどこで聞いて覚えたのだろうか。でもあるだろう。【この人はお手付きです】と知らしめたい時とか、ちょっと怒ったり困ったりするのが見たい時。


「……あ。髪、切れませんね」


 これまた先ほどまでの話題を不意に思い出して呟く。


「ホントだよ! もう! よかったですよ長くてっ」


 まさかわざとなの? と睨まれたがそこは誤解である。彼女が髪を切ろうかななんて言い出したのはついさっきだ。つけた時にここなら隠れるかなとは、思ったけれど。(ほっそりした首から背中のラインが綺麗で、つい噛み付きたくなるのはこちらの勝手である。)


「んー……」

「何?」

「いや、……俺、自分で思ってたより、…意地悪? イタズラ?……するの楽しんじゃう奴だったんだなあと」


 思い至った自己分析の結果を口にすると、彼女はぎょっとして「今更っ?!」なんて言う。今度はこちらが目を剥く番だった。


「えっ?! 何ですかそれっ」

「そう君……自覚なかったの…?」


 ……そんな、あからさまに引かないでほしい。


「おっそろしい子だわー……うわあ、嘘。わかっててやってるんだと思ってた。質悪いっ」

「ええぇぇ…佳穂さーん、戻って。ちょっと。そっち床冷たいでしょ」

「無意識って怖い……何か、薄々感じてたけどもしかしてどえらい子に捕まった? 私」

「ちょっと。ねえ。佳穂さん。人をヤバい人みたく言わないで下さいよ」


 数年に渡り意識的に意地悪してきたあなたに言われたくありませんよ。……そんな事は言わないが。


「かーほーさーーーん」

「なーあーに〜?」

「ちょっとー……返事だけよくても俺、ヘコむ…」


 ほら無害ですよ、今は。と手を広げてみせるが、彼女はじっと疑わしき眼差しのまま。ひどい。


「……かーほ、」


 滅多に呼び捨てにはしないのだが、ごめんねの時なんかには呼んでみたりしている。むむ、と彼女が唇を引き結ぶ。……もうちょっと?


「今日はイイコにしてますから。その代わりにぎゅってしてほしいなあ、なんて。……だめですか?」

「うあーーーかわいいーーー!」


 こっくりと首を傾げて窺うように目をやったのはどうやらクリティカルヒットだったらしい。これでも20代半ばの男子なので【かわいいい】という文句が微妙に引っ掛かるがまあよしとしよう。

 戻ってきて「かわいいなーズルいよねそのかわいさは」とぼやいて。頭をぎゅうっと抱き込んでくれるのを享受しながら、女の人の胸って本当に柔らかくて気持ちいいよなとか、これは絶対自分にだけにしてほしいよなとか、そんな事を考えていたり。

 ヤバイ人なのはどっちなのだろう。かわいいものに目がない彼女。他所ではこんな事はしていないだろうから心配は無用と思うけれど……


――……独占欲強いよなあ、俺も


 とりあえず印の件は許してもらえたようなので一件落着。本当にイイコにしていられるかは、彼女のご機嫌次第。




* 



イイコイイコ。(多分


佳穂さんはかわいい青くんに弱いので愛でてたいし、青くんは佳穂さんが自分にはふぬーってなりながらも甘えてきてくれるのが嬉しくて仕方ないってゆーだけのお話でした。ヤンデレなくてよかったね青くん!

病みそうになって慌てて軌道修正してたとかそんな←ちょ

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