10 再び王都へ
イーリン・マクスウェル:主人公、公爵令嬢
ヘンリー・マクスウェル:イーリンの父、公爵
ソフィア・マクスウェル:イーリンの母、公爵夫人
マリア・マクスウェル:イーリンの姉、隣国貴族と婚姻予定
クリス・マクスウェル:イーリンの兄、マクスウェル家跡取り
アンナ:イーリン付きの侍女
ピーター:マクスウェル家の庭師
アーサー・ギーベル:王太子、イーリンの婚約者
フィリップ・ギーベル:国王、アーサーの父
ヴィルター・クリークス:隣国ハーフェンの公爵、マリアの婚約者
ファン:クリスの従者、ヴィルターが紹介
春も近い晴れた日、イーリンは、姉のマリアと同じ馬車に乗り、王都に向かっていた。父親のヘンリーも、別の馬車に乗り同行している。
出発の際、母親のソフィアと兄のクリスが、城の外まで出て見送ってくれた。クリスはずっと片手にハンカチを持ち、ひっきりなしに涙を拭いていた。
兄の従者であるファンも、少し離れたところから見送ってくれていた。
馬車が出発すると、やはり故郷を離れるのは寂しく、イーリンは、城が見えなくなるまで馬車の窓から眺めていた。
そんなイーリンの様子を見て、マリアが声をかけた。
「イーリン、また帰ってこられるわ。」
「そうですね、お姉様。」
前は、王太子の婚約者として、一人で王都に向かった。
だけど、今日はマリアが一緒だ。そう思うと、なんだか心強かった。
明るく優しいマリアは、母親のソフィア譲りの勝気さも相まって、長子らしい頼もしさを持っていた。今回王都に行くのが決まったときも、「任せておいて。殿下にはイーリンに指一本触れさせはしないわ。」と息巻いていた。
イーリンは気持ちを切り替え、マリアとのおしゃべりを楽しむことにした。
「お姉様の婚礼衣装はとても綺麗でした。できたらお嫁入りも見たいわ。」
「ふふ、ぜひイーリンにも来てほしいわ。」
春に予定されているマリアの婚礼は、隣国ハーフェンのクリークス領で行われ、両親が出席する予定だった。アーサーの婚約者でなくなれば、もしかしたら一緒に行けるかしら、などとイーリンは思ってみた。
「でも、クリスだけお留守番だと、あの子また泣いちゃうかしら。それに、イーリンを見たハーフェンの貴族から、求婚がたくさん来ちゃったら大変ね。」
クスクスとマリアは笑う。
その頃には、ファンもハーフェンに戻ったりするのだろうか、とイーリンはぼんやり考えた。
「イーリン、あなたファンといい感じだったらしいわね。」
「えっ。」
急に心の中を言い当てられたような気がして、イーリンは驚いた。慌ててマリアを見ると、その顔は悪戯っぽく笑っている。
「い、いえ……。その、別に何も……。」
そう言いながら、イーリンは顔が熱を持つのを感じた。
「嘘おっしゃい。クリスに聞いたわよ、2人で見つめ合ってたって。」
「いえその……。あれは、ファン様が私に気を遣ってくださって。」
中庭のときのことだろう。お兄様は、いつから見ていたのかしら。改めて思い返すと、とても恥ずかしかった。
「いいのよ、素敵じゃない。お父様が聞いたら顔色変えそうだけど。」
焦ったり照れたりと表情を変える妹を見て、うふふふ、とマリアは楽しそうに笑った。
「私ね、イーリンはもう、好きに生きていいと思うのよ。貴族の娘としての義務は、私がもう果たしたわ。相手がハーフェンの公爵なんて、上出来でしょ?」
マリアは、イーリンの頭をそっと撫でる。
「あなたはこれ以上、国や家の犠牲になることはないわ。今回のことが終わったら、好きなように過ごしなさいな。お母様もそう言っていたわ。」
「お姉様……。」
好きなように過ごす。そんなことができるのだろうか。
もし可能なら、自分は何を望むのだろう?
「私は応援するわよ。ファンは、ヴィルターもクリスも信頼している人よ。爵位なんてなくたっていいじゃない。」
「もう、お姉様ったら……。」
勝手に話をどんどん進めていく姉に、イーリンは顔を真っ赤にして抗議した。
「あ、でもね、たぶんファンは平民出身じゃないわよ。どこの国かは知らないけど……。物腰からすると、たぶん高位の貴族じゃないかと思うわ。」
「そうなのですね……。」
そういえば、ファンの立ち振る舞いは綺麗で、にわかに身につけたようなものではなかった。
イーリンは、回廊でのファンの言葉を思い出した。
──愛する故郷があるのはいいことです。遠く離れても、それは心に残ります。
高位貴族だとしたら、どうしてファンはこの国まで流れてきたのだろう。慣れない言葉を覚え、兵士のような体つきになるまでに、どんな苦労があったのだろう。
イーリンはファンのことをもっと知りたいと思った。
そう考えると、胸が苦しいような、疼くような感じがしたが、そんなに嫌な感覚ではなかった。
王都の館に着くと、侍女たちが出迎えてくれた。
到着してすぐに、マリア付きの侍女と、イーリン付きの侍女アンナがてきぱきと指示を出した。アンナはまた、一緒に王都に戻ってきてくれたのだ。
庭で庭師のピーターに会うと、「お元気になられたようでよかったです。」と涙ぐんで喜んでくれた。
翌日は、さっそく国王陛下に謁見となった。
事の次第を説明するという目的なのだが、実際イーリンは、魔女の儀式など行ったこともなければ、殺人事件にも全く関与していない。そのため、領地でずっと病気療養をしており、事件には何の関係もない、と国王に報告するだけの話ではあった。
国王は、笑顔を浮かべ、報告に来たヘンリーとイーリンを出迎えた。
「イーリン嬢、よく戻られた。アーサーも心待ちにしておったぞ。心配することはない。余はそなたが魔女などという流言は信じておらぬ。」
結局、今回の謁見では、犯人とされる男が罪を逃れるために、苦し紛れにイーリンの名前を口にしたのだろう、ということになった。
「国王陛下が、貸し一つ、という顔をしていたな。」
と、館に戻った後、苦々しい顔でヘンリーが言った。
婚約解消をしたくない国王からすれば、この件は不問に付すので、婚約を継続せよと要求しているのだろう。
マクスウェル家としては、婚約解消を撤回するつもりはない。しかし、強気に出ることがやりにくくなったのも事実だ。
「何よ、王太子殿下自身が噂を流したくせに。」
マリアはぷんぷんと怒っていた。
イーリンは、いったんはこれ以上の追求がないことについてはほっとしたが、アーサーとの婚約解消が遠のいたことについては、不安が残った。
一方、国王フィリップは、久々にイーリンを見て、
(やはり、王家に欲しい……。)
と、思った。
聡明だが出過ぎない立ち振る舞い、溢れ出る気品、美しさ。どれをとっても申し分なかった。これほどの令嬢は、国外に探しても、なかなか見つかるまい。それに、生来の優しく誠実な気質のため、よほどのことがなければ王家を裏切ることもないだろうと見ていた。
やはり、アーサーの欠点を補って余りある令嬢は、この娘以外にいない。
(イーリン嬢の噂が流れたときは、馬鹿息子が下手をしおって、と思ったが……。)
最初にイーリンが魔女だという噂を聞いたとき、誰が噂を流した犯人か、国王にはおおよそ検討がついていた。とはいえ、あまりに荒唐無稽な内容であり、おまけにイーリン嬢は遠く領地にいるため、王都の殺人事件に関与しているわけがない。最初は馬鹿馬鹿しいと思って放っておいた。
しかし、よっぽど上手に噂を流す者がいるのか、次第に世間に浸透し始めた。
貴族たちも一枚岩ではない。この機にマクスウェル家を追い落としたいと考える者もおり、そういった者がより噂を広めていったようだった。
そして連続殺人事件の容疑者が捕縛され、その男からイーリン嬢の名前が出た。
こうなれば、マクスウェル家も娘の潔白を証明しなければならないが、そもそも王都にいないため、領地にいる身内の者しか証言ができない。
(そこで国王である余が、どちらに舵を切るか?これがイーリン嬢にとって、重要となってくるわけだ。)
国王が無実と認めれば、大っぴらに彼女を非難することはできなくなる。
イーリン嬢の生殺与奪を握ることができたのだ。このチャンスを逃す手はない。
(馬鹿息子だが、たまには役に立つ。)
国王はほくそ笑んだ。
しかし、すぐに笑いを引っ込め、眉をひそめた。
(しかし、あの娘は危険だな。)
アーサーだけでは、このような大胆なことはできまい。おそらくキャサリン嬢が関わっているだろう。
ただの愛妾狙いの、野心のある娘かと思っていたが、なかなかに恐ろしい。
下手をすると、今回の殺人事件にも関わっている。今回の噂自体は都合のいい方向に働いたが、殺人事件に関わり、流言を広げる娘を野放しにしておくわけにもいくまい。
(そろそろ、退場してもらわなくてはな。)
夢を見る時間は終わりだ。所詮は小娘なのだから、よい縁談でも斡旋してやれば飛びつくだろう。そうすればアーサーもあきらめがつくというものだ。
リーデンにも、身の程というものを知ってもらわなくては。
あとは、イーリン嬢が婚約の継続について、受け入れると言えばよい。
アーサーがいくら愚か者でも、イーリン嬢が王妃となれば、家族の絆の強いマクスウェル家は後ろ盾にならざるを得ない。そうなれば、次代の王家は安泰だ。
王家の継続。
それが、国王フィリップにとって最重要の課題だった。
臣民の意思など、その前にはどうでもよかった。
そのため、「よほどのこと」を、すでにアーサーがしでかしてしまっており、イーリンの心がすっかり離れてしまっていることは、国王には思い至らなかったのである。
社交界に戻ったイーリンは、すぐに評判を取り戻した。
最初は好奇の目で見られ、あけすけに噂について尋ねてくるものもいた。
しかし、その数は次第に減った。
面白おかしく噂をしていた者たちも、イーリンをいざ目の前にすると、その様子があまりに清らかで優しげであるため、恐ろしい魔女であるということが自然に信じられなくなるのだった。
アーサーは謹慎中とのことであり、王宮以外では会うことはなかった。王宮での催しがある際には、当面はヘンリーかマリアが共に参加することとしていた。
アーサーは、イーリンの顔を見るなり、憎々しげな目を向けてきた。挨拶をすると、アーサーは顔をしかめ、
「いいご身分だな、この魔女が。俺達を苦しめて楽しいか。」
と、唾を吐き捨てるような勢いで言った。
イーリンは、以前と同じように身体をこわばらせ、「申し訳ありません……」と声を絞り出そうとした。すると、すっとマリアが一歩前に出て、アーサーをきっと睨んだ。
「あら、殿下。国王陛下のお考えとは違うようですわね。それに、陛下からは、殿下がイーリンが戻ってくるのを心待ちにされていたとお聞きしましたのに。」
アーサーは少し面食らったようだった。そして、マリアは表情を上品な笑顔に変え、周りに聞こえるほどに声を大きくして言った。
「苦しいほどイーリンに会いたかったということでしょうか?それなら、姉としても光栄ですわ。殿下、これからもイーリンを大切に扱ってくださいませね。」
最後まで言い終わらないうちに、アーサーは舌打ちをして去っていった。
その背中を見ながら、マリアはイーリンにウィンクした。
「イーリン、こういうやり方もあるのよ。私はすぐ喧嘩腰になってしまうから、よくお父様に注意されるのだけど。」
ふふ、とマリアは笑った。
「まあ人前なら、あの殿下だって、あんまりひどいことはできないわよ。今は、陛下のお言葉をありがたく使わせていただきましょう。」
「はい、ありがとうございます。お姉様。」
姉に助けてもらってありがたいと思うと同時に、イーリンは情けない気持ちでいっぱいだった。
(前と同じことを繰り返すところだったわ……。)
アーサーへの恐怖心はなかなか取れない。やはりまだ、とっさに縮こまってしまう。
しかし、姉は春には他国に嫁いで行ってしまう。いつまでも頼っているわけにはいかない。
(せっかく体力を戻したのだもの。後は練習よ。)
少しずつ、自分でも対処できるようになろう。家族がそばにいるうちに、できるだけ色々なやり方を覚えよう。
イーリンは、胸に手を当て、ファンにもらった「気」を思い出し、そのあたたかさを感じた。これからのことを考えると不安にならざるをえなかったが、少し、頑張れる気がした。
お読みいただいてありがとうございます。次回は、久しぶりに友人たちが出てきます。次もお付き合いいただけると嬉しいです。




