76.「あなたと異世界の物語」
「あんた、本当に良かったの?」
もう済んだことだと、あなたは窓の外に広がる大海原を眺めながら、二杯目の蒸留酒を飲み下した。開口部が多く取られた店内に爽やかな海風が通り、外の花壇に植えられているタンポポの綿毛が吹き散らされた。
潮の香り。生きた、命の風だ。これぞあなたが求めていたものだ。
「……正直ね、あんたは帰るんじゃないかと思ってた」
はて、内心葛藤していた時期はあったが、傍から分かるほど態度に出ていただろうか。あなたはあまり表情筋を使わない人間だ。
「んー、雰囲気? みたいな。何となくよ」
あなたは後悔していない。ウェイスランドに戻ったところで、与えられるのは飢えと死だけだ。アローンの方こそ、寒さと恐怖に震えてなければいいのだが。
それで会話は終わり、メイベルは読書へ、あなたは再び眼を外へ向けた。
王都を脱して今日で三日目。アルハンスクに到着してしばらくの間は念を入れて姿を隠していたが、やがて不穏な気配はないと分かったのでこうして昼間から飲んだくれている。
長く続けると腐ってしまいそうだが、ちょっとくらい自分を甘やかしても罰は当たらないだろう。これはあなたが勝ち取った自由の使い道だ。
「こんにちは、お二方」
聞きなれた声に顔を向けると、そこにはカレンが立っていた。革鎧と長剣を新調したらしく、新聞の束を右手に握っている。
あなたは注ぎかけた蒸留酒を机に置き、隣から椅子を一脚拝借した。アルハンスクに来てからは、大抵こうして三人で集まっていた。
「新聞読みました?」
「読んでない。あんま興味ないし」
これ見て下さい。とカレンが新聞を広げようとしたので、あなたは瓶やグラスをどけて空間を作った。新聞の一面には、王が流刑にされたとの知らせが載っていた。簡潔で眼を引く、インパクトのある見出しだ。
「流刑? ……ほぼ死刑みたいなもんでしょ」
流刑地に選ばれるのは基本的に辺境の地だ。不毛な乾いた土地で生きていくのは難しい。俗世を知らぬであろう者ともなれば、尚更だ。大々的に死刑と喧伝すれば反発を招くと判断した上での決定だろうが、実質的にはメイベルの言うように死刑と変わらない。
「で、次の王は誰よ」
「知らない人です。メイベルさん知ってます?」
読書を続けながら話半分に聞いていたメイベルが分厚い魔術書に栞を挟み、脇にどけて新聞に眼を通す。大きな瞳が左右上下に動き、「知らないわね」と呟いた。
「そもそもあんまり興味ないのよね」
「歴史に残るような出来事じゃないですか」
「その頃には死んでるし……上での駆け引きなんて金持ちの道楽でしょ。私たちは明日何食べるかでも考えてればいいの」
メイベルはそう言って読書に戻ってしまう。何となしに興味を引かれたので、あなたはカレンに一声かけて新聞を手に取った。
元から鈍いのにアルコールで更に鈍った頭で文字を追う。王都での混乱は殆どが収束したようで、好き勝手暴れていた魔術結社や犯罪組織は既に撤退。ことの発端であった民衆も王が変わるとあって、一先ずは溜飲を下げたらしい。
ただ今回の革命騒ぎで更に治安が悪化したことは間違いなく、今度は『名誉ある男達』内部での地位争いが激化しつつあると記されている。しばらくは王都に近づかない方がいいように思えた。そもそも、あなたが王都を訪れた理由はユニコーンの角を換金する為であり、ここまでの長期滞在になるとは思いもしなかったのだ。
王都というフレーズには興味を引かれたが、一度知れば二度目はもういい。それがあなたの感想だった。
「これからずっとアルハンスクにいるんですか?」
「色々と考え中、まだ疲れが残ってるし」
「旅人さんは?」
あなたにもこれといった考えはなかった。何となしにこうして三人集まっているように、特に行きたい場所も目的もない。二人が動くなら着いていくかもしれないが、ここで羽を伸ばすのも悪くないだろう。自分でも忘れかけていたが、蓄えはあるのだから。
散財するならアルハンスクはうってつけの街だ。あなたは酒を注ぎ、煙草に火を付ける。店先では、一匹の茶トラ猫が小鳥にちょっかいを掛けようと姿勢を低くしていた。地域で面倒を見て貰っているのか、痩せておらず毛並みも艶やかだ。
そうだ、猫を飼うというのはどうだろう。餌の面倒さえ見てやれば、自分で散歩に行ける賢い動物ではないだろうか。帰って来るかどうかはともかく。
「定住するなら話は別ですけど……」
「旅に出る時は抱えてなきゃいけないわよ」
「ローブの中に入れてあげればいいじゃないですか」
「本気で言ってんの?」
カレンもあなたも、軽い冗談だった。簡単に生き物を飼えるとは思っていないし、連れ回すにも限界がある。犬と違って猫に首輪は付けられず、狩猟に使役できるわけでもない。
冗談のつもりだったのだが、しかしメイベルの眼差しはどこか真剣だった。狩りをしくじって毛繕いを始める猫を見ながら、栞をひらひらと弄ぶ。
「私、実は猫好きなのよね。気品があって優雅でしょ」
「私も好きですよ」
「じゃあ魔術結社でもやる?」
会話の前後が繋がっていない。猫と魔術結社にどんな関係があると言うのか。
「……ごめんなさい、意味が分からないです」
「魔術結社として拠点構えたら猫も飼えるでしょ、って話」
「いやまぁ、それはそうなんでしょうけど……」
「言っとくけど、結構真剣な話よ」
改めてメイベルが向き直り、机の上に両手を組んだ。自然にあなたとカレンの背筋も伸びる。
「前々から思ってたんだけど、ずっと放浪するわけにもいかないでしょ。結構な時間この三人でそこそこ上手くやって来たんだし、いっそ魔術結社でもやるかって。駄目なら解散すればいいし」
「私魔術師じゃないですよ」
「別に魔術師だけが魔術結社になるわけじゃないわ。ていうか多分一般人の方が多いわよ。下っ端に暴力担当とかも必要になるからね」
どうやらあなたは下っ端として雇用されるようだ。扱いに不満はないのだが、話が予想外の方向に予想外の速度で転がり始めたことにあなたは驚きを隠せない。まさか猫の話から魔術結社に飛躍するとは思いもしなかった。
「カレンも賞金稼ぎ続けるよりは魔術結社の方が安定してると思うわよ。勿論給料はちゃんと払う」
「拠点はアルハンスクに?」
「そのつもり。立地もいいし、眺めも綺麗だし。で、やる?」
「うーん……役に立てそうなら参加しますけど」
「決まりね。あんたは?」
悪くないと、あなたはそう思った。
メイベルの言う通り、これまで三人でそれなりに上手く切り抜けてきた。将来新たな脅威に直面した時も、一人で戦うよりは三人で立ち向かった方が良いはずだ。まさか自分が根を張るとは思いもしなかったが、やるだけやってみてもいい。
「よし、じゃあ物件探しに行くわよ」
「今からですか!?」
「善は急げって言うでしょ。ほら、立って」
メイベルに急かされて、あなたは腰を上げた。
外では丁度、一隻の漁船が沖に出るところだった。




