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あなたと異世界の物語  作者: паранойя
5.肉

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64.「頂点捕食者」

 筋肉が滅茶苦茶に捻じれ、脳の構造を勝手に書き換えられる感覚に慣れることは一生ないのだろうと思う。あなたの意志が水面下に追いやられ、高次元暗黒が表舞台に立った。


 人間性の鎖が張り、切れる。全身の筋肉は頑強で鋭い刃となり、切っ先から謎の粘液を滴らせた。


 空腹感と渇きが抑えられない。この世に存在する全生命体の頂点に立つあなたが飢えるなど、あってはならないことだ。下等生物があなたに捕食されるのは光栄に思うべきである。淘汰の担い手に消化され、肉体の一部となり、同じ頂点に立てるのだから――そんな思考があなたの脳を支配する。


 流星の如き勢いで肉の花畑に突っ込んだあなたは肉を切り裂き、喰らい、再び宙へと舞い上がった。迎撃に放たれた肉の蔦があなたに襲い掛かる。身を捻って回避を試みるも何本かが命中し、硬質化した筋肉を削り取った。


 空中で姿勢を崩すあなたに、追い打ちを掛けるように火竜の炎が襲い掛かる。燃え盛る燃料に塗れ、ヒンデンブルク号のように墜落してゆく。

 激しい痛みを感じるが、死にはしないし苦痛でもない。あなたの肉体は恐ろしい速度で新陳代謝を繰り返しているのだ。焼け焦げた表皮を脱落させ、即座に再生させる。完璧に制御された死と再生。肉体を構成する全てを支配するあなたは、アポトーシスすら掌握していた。


 やがて燃料が燃え尽き、あなたは再び花畑に降り立った。火竜の射程範囲から素早く脱し、肉の中央へと――本能が指し示す先へと突撃する。


『来い、我らは融合すべきだ』

 

 奇妙に捻じれた音、肉の声が聞こえる。聴覚を失ったあなたにも届く精神感応(テレパシー)、それは音なき宇宙で交信する手段の一つ。肉があなたに潜む暗黒と同類であることを示す、何よりの証拠だった。


 高次元暗黒があなたの声帯を奪い、人間の可聴域を遥かに超えた声で叫ぶ。


 ――愚かな下等生物め。


 あなたにはそうはっきり聞こえた。

 無数の肉人が立ち上がり、これまでとは比較にならないほど俊敏に襲い掛かってくる。切り裂き、刺し貫き、噛み千切る。粗製乱造の肉人では、あなたの歩みを止められるはずもない。


 毎秒ごとにあなたの肉体は環境に適合してゆく。四肢の筋肉は大剣の如き変異を遂げ、柔らかな地面に適した四足歩行となって獣のように疾走する。

 しつこく纏わりつく肉の蔦に対する対抗手段として、あなたは全身から胃酸を分泌するよう変異した。赤黒く、金属質の光沢を持つ筋肉繊維がぬらぬらと怪しく夕日を反射していた。ガラスでさえ溶かすような、未知の化学式を持つ強酸が纏わる肉を液体に変える。


 暴走にも似た急激な変異が猛烈な勢いでエネルギーを奪うが、幸運にも見渡す限り全てが補給源だ。武器となった四肢を狂ったように振るい、それでも捌ききれなかった分は強靭な顎で噛み千切った。食物を細かくしてより効率的に消化するため、食道には微細な歯が生えてすり鉢のように蠕動している。かつて喰らったワームの構造を模倣したのだ。


 口に広がる甘美な血の味わい――鼻腔を抜ける宇宙の香り。

 この肉は宇宙に繋がっている。あるいはそれそのものなのだ。


 それは天啓にも似て、あなたに訪れた突然の気付きだった。

 かつてメイベルは、人体の中に宇宙があると言っていた。宙に遍く神秘を魔力を持って人の身に再現する行為が魔術だと。即ち、魔術によって産まれた肉の花畑は大いなる宇宙を棲まわせている。


 きっと、ずっと肉は――本の作者は恋人との再会を願っていたのだろう。それは強い祈りとして、宇宙を駆け巡ったに違いない。宇宙は海と同じく隔たりがなく、ただ深みが存在するのみ。魔術的宇宙と実在的宇宙は深部では同一の存在なのだ。


 高次元暗黒は祈りに感応する力。宇宙を彷徨っていたあなたのような存在がその祈りを感じ取り、深部で通じた先の異世界で奇妙な邂逅を果たした。


『頼む、終わらせてくれ』


 男の声がした。肉とは違う、疲れ切った男の懇願だ。


『こんなの、俺の望んだことじゃない』


 違う、望みは確かに叶えられたのだと、あなたは思う。

 女との再会を願う男の祈りは、肉の花畑として成就した。花畑は、女の肉で造られているのだ。肉は男と女を融合させた。これで二人は永遠に離れることもなく、老いることもない。

 

 その対価として暗黒は繁殖を試み、結果として肉は増殖を続けている。


 許せない。奴はこの美しい世界にいてはいけない存在だ。

 あなたがそう思った瞬間、より深い部分で高次元暗黒の意識と共鳴し、彼の思考が流れ込んできた。


 そうだ、常に頂点は唯一の存在でなければならない。全宇宙における淘汰の実行者はわたしだけで十分だ。わたしを縛る鎖は必要ない。わたしだけが蒙を啓く。

 気の向くままに殺し、気の向くままに存在を続けた。これまでもこれからも、わたしだけが唯一絶対の脅威なのだ。


 愚かな下等生物が烏滸がましくも融合を誘うなど、無知蒙昧極まれり。奴を分子一つ残さず滅し、身の程を教育せねばならない。わたしが世界を掌握する。


 肉の存在を許さないという点において、あなたと同居人の意見が一致した――と言うよりは、たまたま同じ方向を向いたと言うべきか。

 高次元暗黒は絶えずあなたの肉体を奪おうとしているが、あなたは抵抗を続けた。肉を滅ぼすとしても、世界の頂点に立つなどとんでもない。ただ、世界を元の姿に戻し、哀れな男と女を解放してやるだけだ。


 千切れた人間性の鎖を再び繋ぎ、肉体を制御する。この身体はあなたの物だ。頭を振り、血の酔いから目覚めようともがく。これは罠だ。恍惚感を与え、脳に不可逆的変化を与えてコントロールしようとしているのだ。


 肉体の主導権争いに攻防が疎かになり、瞬く間に肉に全身を包まれる。酸が溶かすよりも早く、雪崩のような猛攻にあなたの肉体が失われていく。それでもあなたは自分と戦った。ここで意識を手放せば、この世界を蝕む闇が肉からあなたに変わるだけだ。


 きっと、高次元暗黒は肉を喰らい尽した後はその刃を世界に向けるだろう。この美しき世界に必要とされていないのは、あなたも同じだ。


 遺伝子の二重螺旋で強固に結ばれている以上、厄介な同居人とは離れられない。互いに手を取るのだ。不可能だとしても、その姿勢は示す価値がある。


 長きに渡るあなたの幼年期が終わろうとしていた。あなたが目覚める。

 愚かを克し、次の段階へ。


 四肢の大剣が眩い光を放ち、纏わる肉を蒸発させた。筋肉で模られた刃がエネルギーを放射している。それは深い紫みの濃い青で、宇宙と同じ色だった。


 それはとても、魔術に似ていた。

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