第7話 豊穣祭の夜、甘いお菓子と王様の告白
王都の広場は、夜になっても眩しいほどの灯りに包まれていました。
アグリア国の豊穣祭。
厳しい干ばつを乗り越え、無事に秋の収穫を迎えられたことを祝う盛大な祭りです。
広場には無数の屋台が立ち並び、楽団が陽気な音楽を奏で、人々が手を取り合って踊っています。
「はぐれないように、しっかり掴まっていろ」
私の少し前を歩くレオンハルト陛下が、私の手をぎゅっと握りました。
今日の陛下は、いつもの泥だらけのシャツではなく、濃紺の仕立ての良い上着を着ています。
それでも、堅苦しい礼服ではなく、どこか大らかな彼らしさが漂っていました。
彼に手を引かれながら、私は夜祭の熱気に目を輝かせました。
「陛下、あちらの屋台から、とても甘い香りがします!」
「あれはリンゴを蜜で煮込んだ菓子だな。食べるか?」
「はい!」
私たちは屋台を巡り、串に刺さった熱々のリンゴの蜜煮を頬張りました。
外はカリッとしていて、中はとろけるように甘く、口いっぱいに幸せが広がります。
「美味しいです……!」
私が頬を押さえて感動していると、レオンハルト陛下は満足げに笑いました。
「君が美味そうに食べる顔は、見ていて飽きないな」
その言葉に、私は少しだけ頬が熱くなるのを感じました。
広場の中央では、村人たちが大きな焚き火を囲んで踊っていました。
私たちを見つけた人々が、「女神様だ!」「豊穣の女神様、万歳!」と歓声を上げます。
私は照れくさくて、小さく手を振り返しました。
祖国の夜会では、私はいつも部屋の隅で目立たないように息を潜めていました。
笑うことも、食事を楽しむことも許されませんでした。
でも、ここでは誰もが私を受け入れ、笑顔を向けてくれます。
そして何より、隣にはいつも、私を全肯定してくれる彼がいるのです。
不意に、踊りの輪が広がり、人波が私たちの方へ押し寄せてきました。
「おっと」
レオンハルト陛下が、私を庇うように腕を引きました。
しかし、人混みに押され、繋いでいた彼の手が離れそうになりました。
(嫌だ)
離れたくない。
私は咄嗟に、彼の手首を両手で強く掴み、ぎゅっと握り返しました。
「……クロエ?」
彼は驚いたように振り返りました。
「はぐれたく、ありません。陛下と、離れたくないです」
私は彼の金色の瞳を真っ直ぐに見上げて、そう伝えました。
自分の感情に流されず、はっきりと意志を言葉にする。
この国に来て、私が学んだことです。
レオンハルト陛下の目がわずかに見開かれ、やがて、ひどく優しい光を帯びました。
「……ああ、離さない」
彼は私の手を引き寄せ、広場の喧騒から離れるように歩き出しました。
たどり着いたのは、王都を一望できる静かな丘の上でした。
遠くに祭りの明かりが揺れ、頭上には満天の星が広がっています。
「クロエ」
夜風の中で、彼が真剣な声で私の名前を呼びました。
私は彼に向き直りました。
「君がこの国に来てくれて、本当に良かった。君の雨が大地を救っただけじゃない。君が畑で泥だらけになって笑う姿が、俺の心を救ってくれたんだ」
彼は私の両手を、大きな手で包み込みました。
彼の体温が、じんわりと伝わってきます。
「俺は、君の降らす雨も、君の笑顔も、泥だらけの顔も、すべてが愛おしい」
ドクン、と心臓が大きく跳ねました。
「ローゼン国の公爵令嬢としてではなく、ただのクロエとして。俺の傍にいてほしい」
彼は私の目を見つめ、はっきりと告げました。
「俺の王妃になってくれ」
その言葉が胸の奥にストンと落ちた瞬間、視界が滲みました。
私は追放された身です。
「陰気な雨女」と蔑まれ、完璧になれなかった失敗作です。
それなのに、彼は私のすべてを肯定し、愛おしいと言ってくれました。
ポツ、ポツリ。
星空から、静かな雨が降り始めました。
私の嬉し泣きに呼応した、温かい夜雨です。
「また、降らせてしまいました」
私は涙声で笑いました。
「だから、いい雨だと言っているだろう」
彼も優しく微笑み、私の頬を伝う涙を指で拭いました。
「私で、よろしいのですか。美味しいご飯に目がなくて、すぐに泣いて雨を降らせてしまう、こんな私で」
「君がいい。君じゃなきゃ、駄目だ」
私は、彼の胸にそっと顔を埋めました。
彼の手が私の背中を力強く、けれど優しく抱きしめ返してくれます。
「……はい。喜んで、お受けいたします」
祭りの夜。
私の降らせる静かな雨音だけが、私たちの永遠の誓いを祝福するように響いていました。




