第5話 大笑いして降る通り雨と、空にかかる虹
アグリア国の農業特区での生活が始まってから、数週間が経ちました。
私はすっかり、この生活に馴染んでいました。
朝は鳥の声で目覚め、麻のワンピースに着替えて畑に出る。
土に触れ、作物の成長を確かめ、農夫の皆さんと一緒にお茶を飲む。
爪の間に残るかすかな泥の跡も、今では私のささやかな誇りです。
「クロエ、そっちの畝は終わったか?」
麦わら帽子を被ったレオンハルト陛下が、鍬を肩に担いでやってきました。
彼は国王であるにもかかわらず、公務の合間を縫ってはこうして特区にやってきて、私と一緒に土にまみれています。
「はい、陛下。こちらの雑草はすべて抜き終わりました」
私は立ち上がり、額の汗を手の甲で拭いました。
「よくやった。少し休憩しよう」
彼は私の隣に腰を下ろし、水筒を差し出しました。
私はありがたく受け取り、冷たい水を喉に流し込みます。
青空の下、風に揺れる緑の葉を見ているだけで、心が穏やかに満たされていきました。
「君は、本当に楽しそうに土をいじるな」
レオンハルト陛下が、目を細めて私を見つめました。
「はい。手をかければかけるほど、野菜たちは応えてくれますから」
「そうだな。まるで君のようだ」
「え?」
私は驚いて彼を見返しました。
「最初は怯えた小動物みたいに震えていたのに、今は随分と葉を広げて立派な根を張った。太陽の光を浴びたキャベツのように、実に生き生きとしている」
彼は真面目な顔で、堂々と言い切りました。
キャベツ。
私を、キャベツに例えたのですか。
王族の男性が女性にかける言葉といえば、普通は『薔薇のように美しい』や『星のように輝いている』ではないでしょうか。
『太陽の光を浴びたキャベツのように生き生きしている』なんて、聞いたこともありません。
私はぽかんと口を開けたまま、彼を見つめました。
彼は首を傾げ、少しだけ困ったように眉を寄せました。
「いや、違うな。丸々としてツヤのあるナスか? とにかく、とても良いということだ」
真剣に悩む彼の顔がおかしくて、私の口からプッと吹き出すような音が漏れました。
「な、なんだ? 俺は何かおかしなことを言ったか?」
「ふふっ……ふふふっ、あははははっ!」
私は両手でお腹を抱え、笑い転げました。
声を出して大笑いするなんて、いつ以来でしょうか。
祖国では「公爵令嬢たるもの、はしたなく口を開けて笑ってはいけない」と厳しく躾けられてきました。
感情を殺し、微笑むことすら忘れていたのです。
でも、今は違います。
彼のおかしな褒め言葉が、私の心の底にあった蓋を吹き飛ばしてくれました。
「あははっ! キャベツでもナスでも、光栄ですわ!」
私が笑い声を上げていると、顔に冷たいものが当たりました。
ポツリ、ポツリ。
太陽は高く昇り、空には雲一つありません。
それなのに、空からキラキラと輝く水滴が降り注いできたのです。
「あっ……」
私は笑うのを止め、空を見上げました。
明るい日差しの中で降る、天気雨でした。
水滴が太陽の光を反射し、まるで細かな宝石が降っているかのようにきらめいています。
今まで私が降らせていたのは、悲しみや悔しさからくる、冷たくて暗い雨ばかりでした。
自分の魔法は、ただ陰気なだけだと思っていました。
でも、喜びで降る雨は、こんなにも美しく、温かいものだったのです。
「綺麗だな」
レオンハルト陛下が、空を見上げたまま呟きました。
「俺は、君のこの雨が一番好きだ」
彼は私に視線を戻し、柔らかく微笑みました。
その笑顔があまりにも優しくて、私の胸の奥がキュッと鳴りました。
「見て、クロエ」
彼が指差す方向を振り返りました。
雨上がりの空に、七色の巨大な虹がかかっていました。
特区の畑を大きく包み込むような、鮮やかな架け橋です。
「わあ……」
農夫たちも手を休め、空を見上げて歓声を上げています。
私の魔法は、もう忌まわしい欠点ではありません。
大笑いして、美しい虹をかけることができるのです。
私は、自分の持つこの力を、そして、今の自分自身を、初めて心から肯定できた気がしました。
虹を見つめる私の隣で、レオンハルト陛下の大きな手が、そっと私の泥だらけの手に重なりました。
私はその手を振り払うことなく、少しだけ強く握り返しました。




