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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第6部 裁き/短く鋭いざまぁ/社会的逆転 第17章 「代わりはいる」を折る瞬間

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第93話 空白の癖が人を指す

 空白は、黙っているようでいて、いちばんよく喋る。


 裁きの場へ運び込まれた帳面束を、私は卓の上で順にひらいた。証文の紙は乾いているのに、削り取られた頁の端だけがわずかに毛羽立っている。綴じ糸は締め直され、紙端は揃え直され、それでも、人の手つきだけは消えない。光へかざすと、抜かれた頁の位置が同じ深さで沈んでいた。


「欠けが多すぎますな」


 向かいの席から、わざとらしい声が落ちる。


 私は顔を上げなかった。怒れば、感情に寄せられる。悔しがれば、女の執着にされる。だからいつも通り、紙だけを見る。頁を押さえる左手の位置、綴じ目のねじれ、削るときに急いだ人間だけが残す細い紙粉。全部、見覚えがあった。


「欠けではありません」


 言ってから、最後の一冊をひらく。空白のある頁だけが、妙にきれいだ。料理名も時刻も消えているのに、余白の取り方だけが同じ。偶然なら、こんなふうには揃わない。


 裁定席の空気が、少しだけ止まった。


 後ろに立つ書記官の息が浅い。若い彼は緊張のあまり、証票を裏向きに差し出しかけ、はっとして指を引いた。私は無言で向きを直して受け取る。その手つきだけで、数人がこちらを見た。日常の動きは、ごまかしが利かない。


 証票の番号を読み上げる声の向こう、私は一瞬だけ、リュシアンの気配を感じた。けれど彼は私を見ない。庇えば絵になる場で、絵にしないために、彼は黙っている。


 ありがたかった。今日ここで折るのは、同情ではない。


「抜いたんです」


 今度は、はっきり言った。


 空白は事故ではなく、手順だ。誰かが、責任の通り道を知っていて、そこだけを消した。ならば残るのは、消えた言葉ではない。消した人間の癖だ。


 私は帳面の背を揃え、裁定席へ向けて差し出した。


「欠けたのではなく、抜く順番まで同じです」


 誰も、すぐには動かなかった。


 そういう沈黙がある。理解が間に合っていない沈黙と、理解した上で次の手を探している沈黙は、空気の粘り方が違う。今広間に満ちているのは、後者だった。反対席の男が視線を書面へ落とし、また上げる。表情を整え直す時間を、そうやって作っている。


「欠落は保管上の不備や虫食いでも生じる。記録の完全性だけを証拠とするのは、些か強引に過ぎるのでは」


「幅を見てください」


 遮らず続けた。


「抜かれた頁のあとに残る余白の幅が、3冊とも同じです」


 帳面を横へ並べ、空白の箇所を同じ角度で開く。7月の献立記録、8月の配置控え、9月の発注帳。3冊の書き手は違う。文字の詰め方も、欄外の取り方も、紙の使いきり方も、全部別人だ。それなのに、消えた頁のあとに残る余白の幅だけが揃っている。


「書き手が違えば、余白の幅も変わります。揃うのは、余白を作った手が同じだからです」


 法務係の指先が、余白の縁をなぞるように止まった。


「次に、綴じ糸です」


 私は1冊目の背を起こし、裁定席へ向けた。


「元の糸跡より2本、外へずれた位置に締め直した跡があります。一度ゆるめた誰かが、中へ入って、抜いて、また締めた。急いでいたから元の位置と少しずれた。ゆるめたのは、抜くためです」


「それだけでは――」


「紙粉の向きも揃っています」


 返す前に続けた。


「削るとき、急いだ人間は力が入りすぎて端の繊維を引き起こします。紙粉の走る方向が揃うのは、削った向きが揃っているからです。同じ癖を持つ手が、3冊全てに入った」


 裁定席の上で、指先が静かに組み直された。宰相の視線が帳面の上で一度止まり、私へ移る。


「欠落を意図的と証明するには根拠が薄い」


 反対席がもう一度、声の温度を下げて言う。落ち着いたふりは、選択肢が減った人間の戦術だ。私は返さなかった。


 証拠卓に3冊を並べ、空白の頁を順に開く。綴じ目から同じ距離。同じ幅の余白。同じ方向の紙粉。同じ手で締め直された糸。偶然が4つ重なれば、偶然ではない。偶然と呼ぶには、揃いすぎている。


「消したのは言葉ではありません」


 声を、できるだけ平らに出した。


「責任の通り道です」


 広間が、静まった。


 若い書記官が後ろで息を整える気配がした。ボルドーの低い存在感が証拠卓の斜め後方でわずかに引き締まる。リュシアンは動かない。それでいい。今日ここで折るのは、私の言葉で折る。


 最も強い証拠は、抜かれた頁そのものではない。抜いた手順がこれほど揃っていること。消すための動き自体が、すでに癖だからだ。消そうとすればするほど、消した人間の輪郭が残る。捨てなかったことも、捨てられなかったことも、全部そこに刻まれている。


 裁定席の宰相が口を開いた。


「確認する」


 短い声だった。


「消した理由まで、揃っていましたか」


 私は一度だけ頷いた。


「……揃っていました」


 そこで止める。説明すれば、事実が薄れる。


 宰相の視線が帳面から私へ移る。


「理由は」


「消した理由まで揃っていました」


 もう一度繰り返してから、一言だけ添えた。


「誰にでもで済むと思ったからです」


 広間が、止まった。


 止まった中で、法務係が紙へ書き留める音だけが静かに続いた。その音が途切れたとき、今日この場で折れたものの形が、ようやくはっきりと見えた気がした。


 消したはずのものが、いちばんよく残っていた。


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