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「連載版」「献立なんて誰にでも組める」と婚約破棄された宮廷の配膳記録官ですが、帳面72冊が止まったら王宮の食卓も止まるようですよ  作者: 夢見叶
第2部 辺境の居場所/噂で壊れる 第4章 封のある文──開けないほど怖い

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第12話 帳面に空白が増える

 帳面は、人を守るためにある。

 そう信じてきたのに、王宮では帳面が人を縛り、切り捨てる刃にもなった。だからセレスティーヌは、ここ辺境では自分のために帳面を使うと決めた。誰か1人が倒れても台所が止まらないように。誰かの善意に寄りかからないように。消して、隠して、生き延びる癖を――今度は、残す力に変えるために。


 机の上に並べた紙は、白い。白すぎて怖い。彼女はまず索引を作らせる。見出し、番号、棚、手順。文章は後でいい。迷った時に戻れる場所だけ、先に作る。


「献立名も書きますか?」


 真面目な使用人が墨を持ち上げる。隣の者まで頷き、勢いよく「本日の主菜」と書き始める。


 ――そこは頑張らなくていい。


 彼女は赤鉛筆で静かに線を引いた。「味は書かない。危険だけ」


 その1言に、相手の肩が小さく落ちる。生活の帳面は、夢の帳面じゃない。彼女は落ちた肩に気づき、言葉を足しそうになってやめた。慰めの言葉は、後で責任になる。


     ◇


 午後、彼女は過去の小事故メモを引き出した。紙の匂いが古い。指に粉がつく。ページの端が妙に揃っている。破れではない。抜いた跡だ。刃物で切ったような直線が、やけに丁寧で、だからこそ悪意が透ける。


 ページ番号だけが残り、肝心の部分が空白になっている。


 背筋が冷えた。


 索引の番号を辿ると、その欠落は禁忌の棚の分類札へ寄っていく。偶然ではない。空白は、近づいている。彼女のペン先が宙で止まり、紙に触れる寸前で震える。書いてしまえば、刃の形が確定してしまう気がした。


 扉が軋み、リュシアンが入ってきた。彼女は反射で帳面を伏せる。遅い。彼の視線が、紙ではなく棚の札に落ちる。札の並びを、彼女の手つきと同じ目で追う。


 問い詰められないことが、怖かった。


 開けない封が机に積まれていくのと同じだ。開けなければ、守れる。開けなければ、刃は見えない。けれど、見えない刃ほど深い。


 ――でも、刃はもう、この邸の中にある。


 彼女は伏せた帳面の上に手を置き、指先が震えるのを止めた。空白を作ったのは誰。禁忌に触れたのは、いつ。次に抜かれるのは、何のページだ。今度こそ、抜かせないために、彼女は残す方法を探し始める。


     ◇


 書庫に戻った彼女は、小事故メモの欠けたページをもう1度、なぞった。


 切り口は鋭い。引っ張って千切ったのではなく、計画的に――刃物で、狙いを定めて切られている。その手に迷いはなかったのだろう。迷いのない切り口は、その人の意思を物語る。


 ページ番号で逆算する。欠落は連続していない。1つ、飛んで、また1つ。散らされている。だから気づくのが遅かった。統一させるのではなく、バラバラにして、発見を遅延させる。そういう手口だ。


 そして、飛んだ先。彼女は樹立した番号を指でなぞり、棚へ手を伸ばす。


 禁忌。


 触れてはいけないその棚の分類札が、光を弾いていた。そこは王宮でも、だれもが近づくことを躊躇った場所だ。あるべき知識は、あるべき情報として記録された。その記録へ、アクセスの痕跡が無視されるほど、邸の秩序は揺らいでいるのか。


 彼女の手が引き出しに触れたとき、背中に静かな圧を感じた。


「……帳面」


 短い言葉。質問ではなく、事実の確認だ。


 彼女は伏せた帳面を抱え、ゆっくり立ち上がった。振り返れば、彼はドアの枠に片肩を付き、棚の札をただ1度だけ見ている。その視線の先に、禁忌の棚がある。続きを見ない。その棚へ近づくために踏むべき床を、見ていない。ただ札だけを読んでいる。彼女の手つきと同じ目で。


 彼が問う代わりに、彼女は頭を下げ、紙を返した。帳面をそのまま彼へ渡す。開けず、説明もせず、ただ手から手へ移す。その間、彼の左手が小さく、動いた。受け取るためではなく、何かを堪えるための動き。ほんの1瞬の、その動きを、彼女は見逃さない。


 見逃さない癖が、彼女の人生を救いも、壊しもしてきたから。


 彼は帳面を受け取らず、ドアへ向き直った。足音だけが廊下に消える。置き去られた帳面を、彼女は胸に抱きしめた。


     ◇


 台所へ戻った彼女は、マルクが火元札の位置を調べているのを見た。禁忌チェック手順札の改訂版が、彼の手にある。その札を見て、彼の顔が小さく、困惑した。


「……これ、危険だけですか」


「そう」


「献立に関わる危険を、書くのは」


 彼女は黙ったまま赤鉛筆を置いた。献立に関わる危険。その言葉が、今この瞬間は最大の刃だ。禁忌は献立を通じて人を狙う。知識がなければ、害にならない。知識があれば、武器になる。見出しだけ与えて、文脈を与えなければ、どうなるのか。


「危険は、説明しない。確認だけ」


 彼女が言う。マルクは受け取った札を見て、また迷う。そして黙った。言葉より、札が重い。札に信任がのっているのを、彼は感じ始めているのだろう。


 マルクが札を新しい位置へ付け替えたとき、彼女のペン先が宙で止まった。書きたい衝動と、書きたくない恐怖が、指の中で綱引きを始める。


 昨日、机の隅に未開封の封が1通増えた。新しい欠落が明日、見つかるかもしれない。空白は、増え続ける。その中で、誰かが禁忌の札を見ただけで、何を判断するのか。彼女は数えることを始めた。そして、止めた。数えきれないのだから。


 火元札の位置が確定したとき、マルクは言った。


「札があると、動けます。……腹立つくらい」


 短い台詞の向こう側に、信任がある。その信任を、守らなければならない。だから帳面を消す。だから空白を作る。だから危険だけに線を引く。


 それが王宮での切り捨てではなく、ここ辺境での選ぶ力になると、彼女は信じて、書き続ける。


     ◇


 夕方、紅茶の盆がいつもの時間に置かれた。彼女はそれを見て、指先が冷えた。今日の執務室には、彼女が開かずに返した帳面がある。そして、未開封の封が、また机の端に積まれているかもしれない。


 その両方の中で、彼は何を考えているのか。


 紅茶に香りを足し、小菓子をそえ、盆を運ぶ。執務室の扉の前で、1呼吸だけ止まった。開けるか、開けないか。その選択は、もう彼女だけのものではない。


 扉を押すと、彼は書類から顔を上げず、「不要だ」と言いかけた。いや、もう何度目だろう。その言い切れなさが、確かに存在した。左手が机の端で小さく、止まる。1拍。その止まりを、彼女の指先が全身に翻訳する。安堵。許可。ここにいていいという、無言の合図。


 小菓子を皿に置く。彼は手を伸ばさない。だが食べずにもいない。視線だけが、皿を見て、また書類へ戻る。その往復の中に、照れが混じっている。


 彼女は紅茶を注ぐ。彼が1口飲んだとき、その左手がふと止まった。指が緩み、肩の力が落ちる。ほんの1拍。


 彼女の心臓が大きく跳ねた。


 反射で帳面を引き寄せる。ペン先が紙に触れる直前で止まり、線だけが歪む。書きたい。この1拍を記録したい。その左手が止まった理由を、何に苦しんでいるのかを、全部、書きたい。


 だが書けば、帳面は枷になる。


「……今、書いたな」


 低い声。怒りではなく、照れが混じっている。彼の視線が、自分の左手へ落ちる。


「書きません。――消すので」


 彼女は言いながら、消さない。消してしまえば、この安堵も一緒に消えると知ってしまった。残した線は、2人だけの合図になる。次に不安が来た時、この1拍を思い出せるように。


 机の隅には未開封の封がある。空白に寄っていく帳面もある。それでも今だけは、左手の停止が「ここは安全だ」と告げた気がした。


 ――なぜ、今だけ?


 その疑問が、彼女の喉に引っかかる。次に左手が止まる時、2人は何を失い、何を守るのだろう。明日、また空白が増えるのか。それとも、増えていく封の中に、最後の刃が隠れているのか。


 彼女は線の歪みだけを残し、帳面を伏せた。そのしぐさが、すべてを物語ったのだろう。彼は何も言わず、紅茶をもう1口飲んだ。その左手は、もう止まることはなかった。


 けれど彼女は知っている。見えない刃ほど深いことを。そして、禁忌の棚ほど、空白が増えていることを。


読んでいただき、ありがとうございます。


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