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ガラスのくつ ~アイドル残酷物語~  作者: ニセ@梶原康弘


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第5話 冷たい街の片隅で

「姫咲莉莉亞の『ラ・クロワ』復帰へ署名のご協力をお願いしまーす!」


 イベント会場の傍にある歩道から懸命に声を張り上げ、呼びかける少年がいる。

 イベントは陽が落ちる頃の時間に始まるのだが、正午の頃にはゲート前でファンが長蛇の列を作っていた。

 退屈しのぎにスマホでゲームに興じたり、互いの推しを自慢しあったり。たまに吹く初夏の風の中には、爽やかな新緑の匂いがした。今夜のラ・クロワのイベントはきっと盛り上がり、素晴らしいものになるだろう。そんな予感で誰もがワクワクしている。

 ただひとり、疎外されたような位置から必死に呼びかける少年を除いて。


「お願いしまーす!」

「姫咲莉莉亞の『ラ・クロワ』復帰へ署名のご協力をどうかお願いしまーす!」


 たまにチラリと目を向ける者もいるが、応じるそぶりを見せる者は誰もいない。


(どうして皆、こんなに冷たいんだろう)

(同じラ・クロワの推し同士なのに……)


 ほとんど白紙の署名用紙を挟んだクリップボードを手に、平瀬アツシは恨めしそうな視線をファンの列へ向けた。

 先日公園で行われた莉莉亞ファン集会の際、今日行われるラ・クロワのイベントで莉莉亞の復帰を嘆願する署名活動をしよう……彼はそう呼びかけていたのだった。

 その時は莉莉亞の歌を聴いたばかりで盛り上がっていたファンは皆「おお!」と呼応した。この人数で万を超えるラ・クロワファンへ訴えれば凄い数の署名が集まるに違いない。それを持参して嘆願すればプロダクションだって心を動かしてくれるだろう……そんな風にアツシは考えていたのである。

 ところが……駅前の集合場所には彼以外、誰も来ていなかった。「莉莉推し四天王」の二人でさえも。

 それでも、彼は一人でも署名活動をやろうと会場へ向かった。列に並んだファンへひとりひとり丁寧に声を掛け、署名用紙を差し出して頭を下げる。

 誰もが莉莉亞の名前を聞くや、関わりたくなさそうにソッポを向いたり嫌そうな顔になったが、熱意で押し切り、ニ、三人から署名を集めることが出来た。

 しかし、そのあたりで会場スタッフが寄ってきてストップを掛けたのだった。


「そういうの、やめてくれないかな。会場の敷地で私的なファンクラブの勧誘や署名活動は禁止されてるんだ」

「そんな……今までそんなこと、言われたことなかったのに」


 莉莉亞がラ・クロワにいた頃はファンクラブの勧誘を見ても彼等は何も言わなかったのに、彼女がラ・クロワを除名された今は手のひらを返し見咎める。

 アツシには納得出来なかった。復帰を支援するファンの活動を許してくれないなんて。

 迷惑がっていた周囲のファンに至っては「いい気味だ」と言わんばかりにニヤニヤして自分を見ている。

 それでも、何としても莉莉亞の復帰へ賛同者が欲しいアツシは挫けなかった。


「会場の外なら問題ないですよね」


 そういうと彼は会場入口の歩道に立ち、署名の呼びかけを始めた。


「姫咲莉莉亞『ラ・クロワ』復帰の署名にご協力をお願いしまーす!」

「莉莉亞の復帰にお力添えをお願いしまーす!」


 何度も何度も呼びかける。大勢いるファンの中から莉莉亞に同情する者が一人でも現れてくれたら……

 だが、行列から出て歩み寄ってくれる者は誰もいなかった。

 それどころか「うるせぇ!」「すっこんでろ!」と罵声が飛ぶ。アツシは無視して呼びかけ続けた。

 不機嫌そうな顔をした会場スタッフ達が再びアツシに近づき、取り囲んだ。


「イベントの邪魔になる。やめてくれ」

「僕は会場の外にいます。ラ・クロワとは無関係に活動しているだけです」

「来場を待ってるファンや周辺の住民はそうは思っていない。苦情が来てるんだ。やめなさい」

「お断りします」

「だったら警察に連絡して君をここから排除することになるよ」

「……」


 いったん引こう。口惜しさを押し殺して、アツシはうなずいた。

 ここで下手に騒ぎを起こせば莉莉亞に対するファンやプロダクションの心証を悪くしてしまう。


「……わかりました」

「わかればいい。さっさと消えてくれ」


 とっとと失せろと言わんばかりの言い草に、それまで我慢していたアツシもカッとなった。


「そんな言い方あるかよ! 僕は莉莉亞をラ・クロワに復帰させてくれって呼びかけてるだけだぞ! それのどこがいけないんだ!」


 スタッフ達は「知ったことか」という顔だった。あっちへ行け、と冷ややかにアツシへ顎をしゃくる。

 そっちがその気ならこっちも動かねぇぞとアツシは開き直った。

 だが、そんな彼に向かって今度はラ・クロワのファン達から「帰れ!」「帰れ!」とシュプレヒコールが始まった。中にはその様子をスマホで撮影しようとする者もいる。

 会場スタッフ達はそれを止めようともしない。薄ら笑いを浮かべ、遠巻きに罵声に晒されるアツシを見ている。


「なんで……」

「帰れ! 帰れ!」

「なんでだよ……」

「帰れ! 帰れ!」


 無慈悲に投げつけられる罵声の礫に向かってアツシは声を震わせ、絶叫した。


「お前らなんでそんなこと言うんだよ! 推しの絆は一生じゃなかったのかよ!」


 だが、そんな訴えにすら「うるせえ、莉莉亞推しが未だに仲間ヅラかよ!」と嘲笑が返ってきただけだった。


「莉莉亞は一年も苦しんだんだぞ! 許してやれないのかよ! ラ・クロワにもう一度迎えてやれねえのかよ!」


 泣きながら訴えるアツシへ、しかしまともに取り合うファンは誰もいなかった。彼を指さし、スマホのカメラを向け、ゲラゲラ笑っている。


――莉莉亞をかわいそうに思い、手を差し伸べてくれる人は、ここには誰一人いない。


 そう悟ったアツシはもう何も言わなかった。踵を返し、黙ってその場を後にした。

 肩を落とし、うつむいて去ってゆく彼に向って誰かが叫んだ。追い撃ちのように。


「二度と顔見せんな、バーーカ!」



**  **  **  **  **  **



「あれ?」


 久しぶりに訪れた莉莉亞は「オラトリオ・アソシエイツ」プロダクションのエントランスが別の社屋のように一新されていることに驚いた。

 全面がガラス貼り、床は新しい大理石で鏡のように光沢を放っている。

 そして……それまで受付までは誰もが自由に出入り出来たのが、セキュリティゲートに改められていた。受付嬢はもういない。


「……」


 困惑している莉莉亞の横を社員らしい男が通り過ぎ、パスカードをかざして開いたドアの向こうへ去っていった。

 ふと見るとゲートの横にインターホンがある。莉莉亞はホッとした。アポイントはあれから出来るに違いない。

 インターホンの受話器を取って耳に当てると機械音声の案内が聞こえた。


『いらっしゃいませ。オラトリオ・アソシエイツへようこそ。ご用件の方は弊社から通知されております番号を押して下さい。……アポイントのお約束のない方は申し訳ありませんがお通し出来ません。ご了承下さい』

「そんな……」


 思わず声を漏らした。

 プロダクションと今は直接の繋がりがない莉莉亞は、パスカードなど無論持っていない。番号も知らない。

 真っ青な顔で受話器を元に戻すと、彼女は閉ざされた透明なゲートの向こうを悲しそうに見やった。


(自分はもうここに立ち入ることさえ許されない……)


 そう悟ったものの、今さらどうしようもなかった。


(ここにこうしていても仕方がない。いったん帰ろう……)

(プロダクションのホームページからメールフォームからもう一度お願いしてみよう)


 黙って踵を返した莉莉亞の顔色は、暗く沈んでいた。

 メールならもう何度も送っている。返信が来たことは一度もない。見られているのかも怪しかった。

 しかし、アポイントを得る手段といえばもうそれくらいしかなかった。


(大丈夫。私はラ・クロワのメンバーだったもの。私からのメールって気がついてさえもらえれば……)


 拒絶されたのではない。セキュリティの為にプロダクションの受付が変わっただけだと懸命に自分へ言い聞かせ、莉莉亞は帰途へ着いた。

 夕闇が迫っていた。下校する制服姿の学生たち、職場から家路を急ぐサラリーマンやOL、買い物帰りの主婦、飲み会へ繰り出す人達で街中はごった返している。

 みんな、どこかしら浮かれて楽しそうな顔をしている。

 莉莉亞はそんな人ごみの中をトボトボと歩く。自分だけが世の中から疎外されているような気がした。

 そこへ……


『さぁ、私達の手を取って……ラ・クロワに、今こそ新しい歌の風を!』


 ぎょっとなって顔を上げた。

 ビルの壁面に掲げられた巨大なモニターに華やかなドレスを着たラ・クロワの歌姫たちがステージから呼びかけている。


「チクサ……ナツメ……るうな……めぐみ……」


 見上げた莉莉亞は呼びかける。画面の中の歌姫たちは背中を見せて煌びやかな輝きの中に姿を消し、それに代わってこんなキャッチが浮かび上がった。


『貴女こそ、ラ・クロワが待っている新しい歌姫かも知れない……大規模公開オーディション実施決定!』


「新しい歌姫……オーディション……」


 信じられないものを見た……見てしまった。

 莉莉亞は愕然となってその場に立ち尽くす。

 新しい歌姫。

 それは「姫咲莉莉亞の欠けた今のラ・クロワに、新しい歌姫を探して迎え入れる。彼女の復帰はない」というプロダクションからの冷たい宣告に他ならなかった。

 必死に信じようとして縋っていたものが心の中で崩壊してゆく。

 虚ろな目になった莉莉亞はよろよろとビルの壁に寄りかかり、しばらくの間そこから動けなかった。



**  **  **  **  **  **



『みんな、もう知ってる? 街頭テレビでニュースが流れていました。ラ・クロワで新しい歌姫迎える公開オーディションをするって』

『正直、ショックでした。もう、ラ・クロワには復帰させてもらえないってことなのかな……』


 泣き疲れ、しかし眠れない莉莉亞はその夜、会員制のコミュニティサイトにスレッドを立て、自分の思いを書き込んだ。

 コミュニティに登録しているメンバーの数はもう三〇人を切っていた。復帰の見込みがなくなった莉莉亞を見限り、また何人かが登録を解除して去ったのだろう。

 しかし、相談出来る場所はここしかない。莉莉亞は藁にも縋る思いだった。


『私、どうしたらいいんだろう……』


 しばらくして、ポツポツとレスポンスが付き始めた。


『元気出して。僕たちがついてるよ』

『もう駄目だなんて決めつけないで。ラ・クロワのみんなはきっと莉莉亞を待ってる』

『もう一度、プロダクションにお願いしてみようよ』


 当たり障りのない励ましや慰めの言葉が並ぶ。

 そこに莉莉亞を絶望から救ってそうな答えは見当たらなかった。

 しかし、しばらくして莉莉亞の行く先を真剣に考えた意見が書き込まれた。


『オラトリオ・アソシエイツが莉莉亞を復帰させてくれないなら、莉莉亞は別のプロダクションを探してそこで歌えばいいと思う』


 それはアツシの書き込みだった。莉莉亞は真剣な眼差しでスマホの画面を見つめる。


「ラ・クロワは諦めるしかないのかな……」

『プロダクションが除名された莉莉亞の代わりに別の歌姫を探すって言うからには仕方ないよ』


 莉莉亞は唇を噛んだ。

 でも、彼が言うようにもう仕方がないのかも知れない。

 いつまでもステージの上で歌えず、じっと我慢するだけの日々を過ごすよりは……

 莉莉亞は決心した。


「そうだね。ラ・クロワに戻りたいっていつまでも拘らずに、歌える場所を探してみるよ。いい意見をありがとう!」

『頑張れ。莉莉亞はラ・クロワでなくたって輝けるんだから!』


 お礼のレスに次々と賛同のアイコンが付けられてゆく。莉莉亞は嬉しくなった。

 自分はまだ終わってなんかいない。光差す場所できっと戻れるはずなのだと。もう一度歌えるはずなのだと。

 現に親身になってくれるファン、応援してくれるファンが自分にはまだこんなにもいるのだ。へこたれてなんていられない!

 莉莉亞はコミュニティサイトをログアウトすると、他のプロダクションの連絡先やオーディションを調べようと決心した。動くなら、早いほうがいい。

 だけど、どうしても心の中に割り切れないものがくすぶっている。

 心の中に、ずっと「ラ・クロワ」があった。

 「自分はラ・クロワの歌姫」というプライドが心の支えだった。ラ・クロワ以外のグループや個人で歌うことなど今まで考えたこともなかった。

 ずっと守り続けてきたそんなプライドをとうとう捨てなければいけない。


(仕方ないじゃない)

(私を捨てて、新しい誰かを入れるって云うんだから……)


「がんばろう」


 言葉に出して自分を励ます。涙が出てきた。何故なんだろう。

 黙って袖で涙を拭うと、莉莉亞は検索で調べ始めた。他のプロダクションやオーディションの情報はすぐに見つけることが出来た。不安をこらえ、応募用のメールフォームに自分のプロフィールや挨拶を書き込み始める。

 少しでも努力しないと、何の可能性も生まれない。

 どこまでもあがかないと、夢に手は届かない。


 だけど……


 動けば動くだけ、もがけばもがくだけ、莉莉亞は自分が望むものからますます遠ざかってゆくような気がしてならなかった……

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