悪夢
神宿小学校は、大通りから少し狭い路地を入ったところにひっそりとあった。こんなビルだらけの街中に、学校があるとは驚きだ。しかし都心によくある学校らしく、小さい学校だった。
校門の前に自転車が何台か乗り捨てられていた。ずっと雨ざらしにされてたのか、どれも泥と錆で汚れている。僕は横倒しになった自転車を避けながら門に近づいた。
ーー校門はしっかり閉められ、入れないようになっている。
立ち往生した。門には呼び出しインターホンがあるが、何度押しても壊れてるらしく、ボタンの擦るかすれた音しかしなかった。しばらく校門の周りをうろつくが、他に中に入れそうな場所はなく、結局校門をよじ登って入ることにした。勢いよく、校庭に飛び降りる。
ズサッ
スニーカーで着地する音がやけに大きく響く。
校庭は、一周200mもない狭さだった。すぐに全体が見渡せた。
校庭の片隅にはテントと長テーブルがあった。僕はテントに近づきテーブルを覗き込んだ。
テーブルには名簿らしきノートが置かれたままになっていた。そこには避難してきた人達らしき名前が書かれていた。おそらくここは受付になっていたのだろう。しかし名簿の文字は雨で半分消えていて、風で飛ばされたのか、机の上にあったのであろうペンやノートが、校庭中に散らばっていた。放置されてからかなりの時間が経っているように思えた。
校庭を横断し、校舎の中に足を踏み入れた。下駄箱を通り、土足で廊下に上がる。
校舎内は静まり返っていた。本当にここに誰かが避難しているのだろうか……? あまりに静かすぎて不安を覚える。
目の前の壁に「避難所の体育館はこちらです」と大きく書かれた貼り紙があった。矢印は左を向いている。
僕は貼り紙の指示に従って左側へと歩き出した。するとすぐに突き当たりの扉が開けっ放しになっているのに気づいた。その先に体育館らしき建物が見える。どうやら校舎をいったん外に出たところに体育館はあるようだ。僕は扉を通過すると、体育館の前に立った。
体育館の大きな扉には「避難所」と大きな紙が貼られていた。扉は少し開いている。ここに生存者がいるのだろうか? 期待と不安が同時に起きる。しかし中から話し声はしなかった。
……何でこんなに静かなんだろうか?
不思議に思った。
誰もいないのか? もし誰もいなかったら……。いや、いて欲しい
祈る気持ちで、僕は思い切って扉に手をかけた。大きく右に取っ手を引っ張り、開けた。
ガラガラガラ
重い音を立てて扉が開く。
ーー中はガランとしていた。
人の気配はなかった。カーテンで閉め切ってるせいか、体育館全体がやや暗くなっている。
体育館内は何人か避難してたらしく、床には毛布やシートが敷かれていた。だが、何かあったのか、それらは四方に跳ね除けられていた。いや跳ね除けられてるというより、飛ばされたような感じだった。
僕は恐る恐る声を出した。
「あの……誰かいませんか?」
しかし体育館は静まり返り、何の返答もない。やはり誰もいないようだ。
僕は体育館全体を見渡した。いたるところに血痕の跡があった。室内が荒れ果てている。
体の力が抜けそうだった。ここでいったい何があったのだろうか?
まさか……
しばし呆然と立ち尽くす。だが、やがて僕は入り口へ戻った。何が起きたか分からないが、これ以上ここにいても仕方ない。また違う場所へ生存者を探しに行くしかないだろう。僕はうなだれながら体育館の外へ足を向けた。
そこで、ふと入り口付近の机の上に、1冊のノートが開きっぱなしになっていることに気づいた。
【神宿区役所ヘリポート、14時】
走り書きしたのか。斜めに乱雑に文字が書かれている。
……ヘリポート?
僕は首を傾げた。
ここにいた人達はそこに向かったのだろうか? でも、だとしたらこの惨状は何なんだろう……
僕は荒らされた体育館内を振り返った。何か起きる前にみんな移動したのか、何か起きた後に移動したか。
それとも
ーー移動出来ず何か起きたか。
なんとなく後者のような気がして、慌てて首を振った。
だが、ヘリポート。今はもうその新しい情報へ向かうしかなかった。たとえこの先に何もなくても、何か少しの希望にすがりつきたかった。希望だけが僕の正気を失わずにいた。
いつの間に雨が降り始めたのか、外を眺めると大粒の雨が地面を湿らせていた。
通り雨だろうか。すぐにヘリポートを目指すつもりだったが、雨が止むまでもうしばらく体育館の中で雨宿りすることにした。体育館の縁に立ち、ぼんやり外の景色を眺める。雨のせいで昼の景色が、夜の景色のように暗く感じられる。
……まるで僕の心の中を現してるような天候だな。
ふうっとため息をつく。
ガタン
その時、背後で物音がした。何か落下したのだろうか? 驚いて後ろを振り返った。体育館の中を目を凝らしてみる。体育館内は薄暗くよく見えない。
ーー暗闇の中、何かの影が動いているのが見える。
何だ?
よく目を凝らして見るとそこに1人の男の姿があった。
……まさか!……人がいたのか?!
僕は驚いて一瞬立ち止まった。しかし、すぐに違和感に気づいた。
何か様子がおかしい。暗闇の中、その人物は体を傾けて低い声で何かうめいている。何より異常なのは、
ーー彼の足元に赤黒い滴が落ちる。
僕は気づく。彼の体のあちらこちらから血が伝っているのだ。彼の体は、彼の全身は血まみれだった。
「あ、あの……?」
僕はその人物に心配そうに声をかけた。しかし男は返事をすることなく、僕に近づこうとしている。
ーー男の口は裂け、目が赤く不気味に光ってる。両手は異様なほど爪が伸びていて、鋭利な武器のようになっている。
な、何だこの人……?! ……いや人……? 人なのか?!
心の中で警報音が鳴り始めた。容貌だけではない、すべてが異常だった。男はもはや人ではないようだったのだ。
本能が危険を知らせた。この人に近づくのは危険だ。僕は思わず後ずさりした。
ダダダダダ
だが僕が逃げる間もなく、男は僕に向かって走り出した。鋭利な爪を振りかざし、一直線に僕に襲いかかってくる……!
「うわっ!!」
寸前で僕は男の爪を避けた。
ガシッ
勢い余って男は近くの壁にぶつかった。しかしすぐに向きを変えて、また向かってくる。今度は大きく口を開き、鋭い鋭利な犬歯で僕を噛もうとしていた。僕は慌てて手に持っていた刀の鞘を前に突き出した。
ガシンッ
男の犬歯を鞘で防ぐ。
「な、何をするんですか!」
僕はとっさに大きな声を出した。しかし男は鞘を噛んだまま、ひるまない。目の焦点は全く合ってなかった。
「くそっ……!」
思いっきり鞘を振って、僕は男を押し退けた。反動で男は背後の椅子に勢いよくぶつかる。
僕は混乱していた。
何なんだ……何なんだこの人は! でもこのままでは……!
僕の混乱をよそに男はうめきながら、再び立ち上がろうとしていた。
……これ以上この男に立ち向かうのは危険だ……!
そう判断すると、僕は後ろを向き、いっきに体育館を飛び出した。校舎の廊下を抜けると、再び校庭に出る。振り返り、男がついてきてないか確認する。すると、目の端で何かが見えた。
ーー赤く鈍く光る複数の瞳ーー
1つ光る、また1つ、
窓の奥、屋上にも、物陰にも……
校舎内、いたるところで赤い瞳が並んでいた。いったい何人いるんだろうか? その姿は皆、男と同じだった。それぞれ体が欠損していて、同様に低いうめき声を上げている。
僕は思わず立ち尽くした。どんどん光が増えてく一方だった。やかて、彼らは一気に僕目がけて走り出してきた…!
「うわぁ!!」
僕は悲鳴を上げて逃げ出した。目の前の校門をよじ登ると、自転車の置かれていた通路に飛び降りる。
通路にはさらに大勢の人間が待ち構えていた。僕は彼らがいない隙間を探して逃げた。塀をよじ登り、瓦礫の間を通る。時には転び、立ち上がってはまた走る。その後を大勢の人間が追ってくる。
とにかく、とにかく彼らがいないところへ逃げないと……!
僕は雨の中、必死に走りながら頭を回転させていた。今まで街に誰もいないと思っていた。でもそれは僕の思い込みだった。
今まで彼らは皆どこかへ「潜んでいた」のだ。
そして、彼らは人間ではない
ーー別のものになってしまっていたのだ。
人を襲う別の何かに。
僕は彼らの
「獲物」だ。
人々はどんどん増えていく一方だった。気づいたら50人近くの元人間らしきものに追われていた。
僕は雨の中、やみくもに走り回った。だが、徐々に足がもつれてきた。体力の限界が来ていた。そしてついに行き止まりに追い詰められてしまう。
ハァハァ
背後はビルの壁になっていた。ドアも窓もなく、どこにも逃げ場はない。僕はうつむき、覚悟を決めた。
仕方ない……ここまでか……
「誰か」の姿が一瞬脳裏に思い浮かんだ。愛しく、心が締めつけられる誰か。しかしその姿はぼやけていったい誰なのか分からない。すぐに消える。
彼らの方を振り返る。僕は目を伏せ、深呼吸をする。
大勢がじりじりと距離を詰めてきた。
彼らは僕が止まると同時に、いっせいに飛びかかってきた。
グォォォォ
カチッ
次の瞬間、僕は鞘から刀を抜いていた。銀色の刃が鞘から姿を現す。
「どういうつもりか分からないけど……、僕もおとなしく殺される訳にはいかないんだ……!」
そう僕は言うと、腰を低くし刀を構えた。どこまでやれるか分からないけど、徹底的に抵抗するつもりだった。
ーー雨がやみ、雲の間から日の光がさしてきた。光を受け、刃が眩しく神々しく輝く。
ザザッ
すると驚いたことに、彼らはいっせいに後ずさりした。
僕は呆気に取られた。人々は刃からもたらされる輝きに怯えているのか、後方にのけぞり明らかに怯えている。僕は彼らへ向けて刀を向けてみた。再び刃が日の光を受け輝くと、彼らはさらに奥へと後ずさりした。
……何だ? 光が怖いのか?
僕は彼らを刀で避けながら、ゆっくり前に歩きだした。彼らは僕が刀を晒すたびに、四方に避けていく。どういうことか分からないが、逃げ出すチャンスだ。そう思うと、僕は行き止まりから再び大通りに出た。退路を探る。横目に建築現場が見えた。まだ土地を掘削中で、何もない空き地だ。その空き地を抜けた先に、大きなフェンスが立っていた。フェンス越しには線路が見えている。
僕は考える。
このフェンスを飛び越え、線路に入ろう。フェンスの先の線路なら彼らはついてこれないだろう。線路を辿って、そこからヘリポートを目指そう。
先ほど逃げてる間に分かったことだが、彼らは高い障害物を乗り越えることは苦手のようだ。いや、乗り越えるのに時間がかかるのだ。フェンスをよじ登り、線路に逃げ込めば、時間稼ぎになる。その間に遠くへ逃げられるだろう。
僕はいっきに建築現場に向かって走り出した。空き地を抜け、フェンスをよじ登る。登り切ってから、上から彼らを見下ろした。彼らは予想通り、フェンスをよじ登るのに手間取っていた。僕は安堵した。これで逃げ切れる。ゆっくり足を下げフェンスから線路へと降りようとした。
しかしそこで、予想外のことが起きた。
ガタガタガタ
大勢が一気にフェンスに押し寄せたため、フェンスが大きく揺れ始める。反動で、バランスを失ってしまった。
「うわっ!」
次の瞬間、フェンスから僕の手は離れてしまった。そのまま滑り落ちていく。
ザザザザ
ーーしまった……!
落下していく中、僕はフェンス越しに彼らの顔を見た。
彼らは僕をじっと見ている。その目は完全に「獲物」を狙っている目だった。
地面が迫り、空がひっくり返る。
ドサッ
ーー意識が遠のいていく…
次の瞬間、いきなり周辺が明るくなった。雨雲が去り、太陽が姿を現す。突然の日の光に、人々はうめき出した。いっせいに光を避け、去っていく。
僕は一人残された。
フォォーン……
幻聴だろうか。遠くで車の音がした。誰かが運転してるのだろうか? しかし車が止まる気配はない。
もしかして生存者がいるのか? 置いてかないでくれ! 僕はここにいる!
朦朧とした意識の中、僕は必死に訴えていた。だがその言葉は声にはならず、届かない。
ーーやがて車の音は遠のき、聞こえなくなった。
意識がどんどん深い谷へと落ちていく。
待って…ほしい…
僕はやがて完全に意識を手放してしまった。




