エピローグ 約束の場所
夏の暑さが過ぎ去った初秋、心地良い風が頬を撫でる。空は青く澄み渡っており、自然と気分が上がる。木々が赤く染まりつつある中、私とエルはとある場所を目指していた。
王城の外れの庭園の中にあるひっそりとした離宮、白黎宮と呼ばれるそれはその名の通り、白一色で作られた王宮の中でも特別な場所だ。王城内という政治の中心にあるにもかかわらず、その場所では一切の責任は存在しない。
言うなればそこは大きな責任を果たした者のみが到達出来る楽園だ。
手入れが行き届いた庭園の景観を楽しみつつ、私はゆっくりと歩を進める。あえて急がないのは辿り着く過程すらも楽しみたいからだった。今日という日は今日しかないのだから。
そんなの当たり前の事じゃないかと思うかもしれない。
でも一日一日が大事と、『本気』で思った事は果たしてあっただろうか?
少なくとも過去の私は言葉としては知っていても実感はなかった。これも今だからこそ至った答えだ。瞳に映った手にはしわが見えた。初めは惨めに見えていたが、慣れていくと諦めが勝り、最後にはこれもまた味だと思うようになる。
「老いるのは自然の摂理だからね」
そう、私は年を取った。もはや老齢と言ってもいいだろう。
「ナタリア様は変わらず美しいです」
「あら、ありがとう」
エルのお世辞なのか、本気なのか、分からない賛辞に素直に感謝する。ここで僻むほどひねくれてはいない。しかし変わらなさで考えるとエルが一番じゃないだろうか? 流石に見た目の変化はある。が、その姿勢の良さは変わっておらず、きびきびと動くさまは衰えているような感じがしない。彼女とも長い付き合いになったものだ。
ようやく目的地が見えてくると私は期待に胸を躍らせる。そこにいるのはもちろん
「やあ、ナタリア」
「ようこそナタリア! お待ちしていましたよ!」
アルベルトにソフィア、我が愛しき共犯者たちだ。
二人とも私に負けず劣らず相応に老いていた。それでも目は生命力に溢れている。それもそのはず、二人は先日、完全に息子とその妃となる婚約者に王権を渡し、一切の責任から解き放たれたのだから。
「想像はしていたけれど元気そうね」
「当然だろう。俺達はもはやただのアルベルトとソフィアだ」
「いきなり暇になって時間持て余してるんじゃないの?」
「最初はそうでした。でも何もしなくていいんだなって気づいたら……」
「まあ、分かるわ」
私もそうだったから。二人が退位したのは先月の事で、私は二人よりもさらに三か月程早く宰相を引退していた。そんな私も引退当初は自由を得たというのにしばらくはただボーっとしていた。それが嬉しいと気づいたのは一週間も経った後の事だ。
ゆっくり休んだその後はまた暇になってくるわけなのだが。
「さ、お茶を入れますから座ってください。お菓子の代わりは肉串で」
「流石にお茶うけに肉串は予想外だわソフィア。頂くけど……でも肉串なんてどこで?」
「ソフィアが肉を焼いているんだ。非常識なのは分かってるけど、君には是非食べてもらいたいって」
「まあ、楽しみね」
「ソフィアは最近料理をよくしているよ。肉串に限らず色んな料理をご馳走してもらっているよ」
どうやらソフィアは早速趣味を見つけたらしい。私はまだだというのに早い事だ。
「私も一応お土産持ってきたんだけれどね」
「あら、それはサンタナ商会の焼き菓子ですか?」
自家製肉串をトレーに載せながらソフィアが戻ってくる。
「ええ、新作よ」
「良く手に入りましたね」
「ズルせずにちゃんと並んで買ったのよ?」
「ふふ、ナタリアらしいです」
「でも肉と一緒に食べるのはあんまりよね。後で食べて頂戴」
「ナタリア様は?」
「私は試作品を食べた事があるからね。味はもう知っているのよ」
「そうなのですか」
サンタナ商会のモルガンも良い年なんだけど、まだまだ働くと言わんばかりなのよね。でも私達と同じ世代の人が頑張っているのを見るのは悪くないわ。きっと彼女は好きで仕事しているのだろうし。
「だから私は大丈夫。今日はあなたの肉串を食べさせて頂戴」
「ふふ、分かりました。ではどうぞ」
「いただくわ」
肉串の乗った皿を受け取ると、肉とスパイスの香りが一気に鼻孔に広がった。年が都市故、流石に前よりも食欲は大分減ったのだが、思わずよだれが出そうになる。
「随分と本格的なようね」
「自信作ですよ。是非召し上がってみてください」
進められるがまま私は肉串にかぶりついた。前は隠れながらやっていたが、私も今はもうただのナタリアだ。外見なんて気にしない。この食べ方が一番なのだから。
「……美味しい」
「やりました!」
私が食べたのを確認してから、アルベルト達も口をつけ始める。お茶と肉、常識外れのお茶会であったが、誰に迷惑をかけているわけではない。王、王妃、宰相でもない。ただの私達だけのお茶会だからこれで良いのだ。
それからも私達は会話に興じる。ずっと一緒に国を支えてきた私達であったが、引退しても話題は尽きる事なかった。だって本当に色々あったのだ。嬉しい事も、悲しい事も……
アルベルトの治世はまさに『変革の始まり』と言えただろう。オルフに変えて見せると豪語しておきながら、色の改革はとうとう完遂出来なかった。それでも変わった事は多々ある。その中で一番を挙げるとすると、庶民が功績をあげると、色を得る事が出来るようになった事だろう。
そのように変えるためにはもちろん根拠が必要になったわけだが、そこは絶対的な信仰があったオルフの父を利用させてもらった。教会と手を組み、死の直前に彼が受けた神の啓示が見つかったとしたのだ。徳を積み、国を発展させた事で神の祝福を受けたと。
啓示の主な内容としては、誰であっても徳を積めば色がもらえるようになったとした。要は国に役立つ功績をあげれば色を与えるよというわけだ。
そう、私達は色の廃止ではなく、色の一般化の方へと舵を切ったのだ。
そしてこれは近い血で悩む、高位貴族が別の血を受け入れる理由付けにもなった。
結局信仰に頼っている以上、完璧には程遠い。実際、この神託を発表した後、起きた問題も一つではない。貴族が優秀な才能を求めて起きる無茶な婚姻。色を欲するがあまり、行き過ぎた善行に走る平民。
色を得た平民は貴族にはなれないが、男爵に近い権利を与えられるため、自分達の立場が脅かされると思った一部の者達が、色を得た平民を排除しようと過激な行動に走った例もある。
結局出自がどうではなく、人それぞれの問題に帰属するのが皮肉だった。根本的解決が難しく、どれ程頭を悩ませたか……
だが私達は決めたのだ。焦らず一歩ずつやっていくと。ゆっくりやってもこれだけの問題が上がってくるのだ。一気にやってしまえば国が耐えられない。
私達が正しいか、そうでないかは、こうして老人となった今でも分からない。分かるはずがない。きっとそれは今ではない後の世で誰かが決めるだろう。
私達の『変革の始まり』を継ぐか、継がないかは後の者に判断を任せればよい。とにかく言える事は、だ。
私達は全力で生き抜いた。その結果私達三人はこの場にいる。
何て、何て穏やかな時間なのだろう。ここまで心が安らいだのは初めての事かもしれない。ソフィアは柔らかく微笑むと私の名を呼んだ。
「ナタリア様」
「何?」
ナタリア『様』なんて久々に聞いたわね。あえてソフィアが『様』をつけたのは間違いない。私がどういう意図があるか考えていると、ソフィアはどこか遠くを見て言った。
「あの時の門での約束覚えていますか?」
「忘れるわけがないじゃない」
そうか、ソフィアはセイファート家を思い出していたのか。
あの日、私はソフィアに覚悟を問うた。決して楽な道じゃないと。あなたがアルベルトと平穏を享受出来るようになるには多くの試練があると。穏やかな時間を迎えられるとすれば、全ての責任を果たした後の事であり、老後の短い時間だけだと。
「やっと辿り着けましたね」
ソフィアの言葉が心に染みわたる。私達はずっとここを目指していた。ただのアルベルトとただのソフィア、そしてただのナタリアであれる場所を。
「ええ」
今、この場こそが私達の最終目的地だ。
あの日語った約束の景色が目の前にある。元よりこの場がそれである事は分かっていた。
だがこうして三人揃って話をしていて、ようやく実感が沸いてきた。当時の約束の景色が蘇り、抑えきれない感情が込み上げてくる。私はそれをごまかすかのように空を見上げた。
「ナタリア様は約束を守ってくださいました」
「俺からも感謝を。君が俺の背中を押してくれたからこそ、今この場がある」
「感謝を言うなら私もよ。二人が私の理想を信じ、ついてきてくれたから」
三人が三人のまま笑って過ごせる。それのどんなに尊い事か。あの時決断して良かったと心から思える。無論、この結末のために犠牲にしてきたものもある。だが全てを得る事は出来やしない。私は自分が万能でない事は散々思い知らされてきた。
だからこそ人は選択するのだろう。
私達は後どれくらい生きられるのだろうか? ふとそんな事を思った。私達はすでに老いを感じる年齢だし、長い間生きている以上、多くの死も見てきた。この幸せな時間が続けばいいと願いこそすれ、それが叶わない事は知っている。
でも私は決して悲観しない。私が思うのはただ一つだ。
残された愛おしい時間、その一日一日を大切に生きよう。
それだけ。
「私は料理を始めました。アルベルトは今釣りに興味があるようです」
「あら? そうなの」
「凄く変な話なんだがな? 釣れない時間で読書してるのが好きなんだ」
「ふふ、何よそれ」
魚釣りなのに、それ以外を堪能している珍妙さ、でも分からなくもない。何とも贅沢な時間の使い方だ。責任から解放され、やりたい事をやっている二人は心から楽しそうだ。
「という事でもう待たなくていいですよ?」
「……あー、お見通しという訳ね」
私は二人よりも三か月前に宰相の座を降りたわけだが、新しい何かをやる事は避けていた。別に興味が持てなかったわけじゃない。これだ! と言える程の情熱はないが、やってみたい事はそれなりにあった。
それでもあえて何もやらなかったのは、二人が役目を終えるのを待っていたからだ。自分だけ先にと言うのは気分が乗らなくて。アルベルトは律義だなぁと笑っていたが、きっとあなた達が先にやめていたとしたら、私と同じ事したでしょうに。
ソフィアは早く聞きたくてしょうがないといったように私に尋ねた。
「ナタリアはこれから何がやりたいですか?」
ここで私が冒険者をやりたいなどと言ったらどうなるだろうか? 何だか二人ならついてくるとか言いそう。流石に冒険者は無理でも、何か一緒にやるのは楽しそう。でも一人だけの趣味と言うのも悪くない。
頭に色々考えが巡っては消えていく。やりたい事が多すぎるせいか、考えがまとまらない。そういう時は俯瞰に限る。私は頭の中で巨大なボードをイメージする。その後やりたい事リストを紙に書き、片っ端から貼っていく。これで全体が把握出来ると言うもの。
イメージの中の私は大きく指を掲げる。そこで目を閉じ、何も考えないまま無心の状態で指さした。ゆっくりと目を開けて指の先を追うと、とある一点を示している。
これこそが今一番私がやりたい事。
私は答えを今か今かと待ち続けるソフィアに満面の笑みを浮かべて告げた。
「そうねぇ。私は――」
これにて『王子の婚約者である私ですが、ヒロインを全力で支援します』完結です!
長い話となりましたが、皆さま最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
最初にこの作品をネタとして思いついた時、ナタリアとソフィアが門の前で覚悟を決めるシーンが最初にあり、次に生まれたのがこのエピローグのお茶会でした。
その後に設定などを膨らませていったのですが、ずっと書き続け、ようやくこのエピローグに繋がった時、何と言いますか、強い感動を覚えました。
ああ、やっと辿り着いた、と。
一番最初の長編連載が半端に終わってしまった事から、今回の長編はリベンジ作品でありました。
短編で練習し、次は中編、とステップアップしての今作と言った形です。
今回は前の反省点から、先に終わりを明確に設定し、最後まで完結する事を目指したのですが、実際に辿り着いた時の達成感は凄いもので、完結させる事の大切さを学ぶ事が出来ました。
最後まで書き切る事が出来たのは、ここまでついてきてくれた読者様のおかげです。
伸びないなと思い悩む事も多かったですが、どんな時でも最新話までついてきてくれている人がいたので踏ん張れました。
この場を借りてお礼申し上げます。
次の作品については色々アイディアはあるのですが、少し休んだら、まず前に完結した中編『モブに転生した私に果たすべきシナリオはない』の続きを思いついたので、それを書こうと思っています。
多分10話分くらいかな?
その後に何か新作を書きたいなと。
長々と語りましたが、いつかまた別の作品でもお会い出来たら幸いです。
それではまた!




