第六十三話 祝福の日
その日、私はじっと姿見を見ていた。鏡の中の自分は以前と同じであり、どれだけ凝らして見ても変わったような気がしない。
「ま、そんなものよね」
一体何を期待していたのだと自分自身に失笑する。ソフィア、そしてオルフ、私は二人の成長を目の当たりにした。人の本気と言うものの凄さを思い知らされた。そこでふと思ったのだ。では私自身は成長したのかと。
そこで姿見と言う手段を選んだのは、見た目こそ見た目こそ明確な違いを示せるものであるからだ。そんな単純なものであるはずないのに。我ながら本当にくだらない事を考えたものだ。
「でも……」
見た目は変わらずとも心は変わった。そう信じたい。きっとそれが大事だから。
それまでの人生が空虚だったわけではない。だがソフィアと出会ってから、私の人生は間違いなく濃くなった。本気で喜んで、本気で悲しんで、本気で悩んだ。
ソフィアに会う前と、ソフィアに会った後、一体何がそんなに違ったのだろう。オルフの革命が失敗に終わった後、振り返る時間を得た私はその事を考える。
一言で言うとそれは『変化』であった。
私の中で積み上げてきた常識が砕け散り、新たな価値観を得た。
庭師のロイドがかつて言っていた言葉を思い出す。
失敗しないよう慣れる事は大事だが、一方で慣れが作業になってしまった時、心は停滞し慢心を生む。だから私はこれまで学んだ技をより洗練させる一方で、逆に全く違う新しい事も試してみる。そう言う時間は存外楽しいもの、彼はそう言っていた。
当時はそんなものかという印象でしかなかったが、今だったらその言葉の意味が分かる。楽しいなんてものじゃない。世界が劇的に広がったのだ。これは外に目を向けなければ、ソフィアに出会ってなければ知る事が出来なかった事だ。
ソフィアだけではない。ソフィアを育てたマリアンヌ院長、ホープ子爵にアーニャ、サンタナ商会のモルガン、ベルナール伯、ストライ、シリル、皆が皆私の世界を広げてくれた。
オルフやフランだってそうだ。私達とは敵対していた二人だが、彼らは私の至らなさを教えてくれた。二人の辿った道を思えば、たらればを考えたくなる。だがそれも二人を知った今だからこそ考えられている事。故に私はこの貴重な経験を過去にではなく、未来に活かさなければならない。
『変化』は怖ろしいものだ。今までの経験が通じなくなる事にも繋がる。でも、この新鮮な感動はきっと他では得られないのだろう。私達は新しい何か、『未知』に憧れるものなのだから。つまり、
「私も案外オルフと変わらないのよね。急いでいなかったというだけで」
しかしながら別に不快ではなかった。私は自分が褒められた人間じゃない事を知っている。国の安定よりも私の望むものを優先した。だから自分がどういう人間か再確認しただけだ。それに『安定』が必ずしも良いものだとは限らない。『安定』の果てにあるのが前司教なのだとしたら……
「それは絶対に間違っている」
私はそう断言出来た。
姿見から視線を外し、私は窓の外を見る。見ているのは同じ景色のはずなのに、私の気分によって変わって見えるそれ、今日という日はとても眩しく見えた。
「ナタリア様」
「あらエル、もう時間かしら?」
「はい、準備は出来ていますか?」
「もちろんよ! 行きましょう」
私は返事の代わりに微笑むエルの後を追い、自分の部屋を後にした。
「エル」
「何ですか?」
「これからが本番なのは分かっているの。でも今日という日だけは、純粋に楽しんでいいわよね?」
「ええ、ご安心を。ナタリア様は私が絶対守りますので、存分にお楽しみください」
「ありがとう」
今日、アルベルトとソフィアは結婚し、二人は王と王妃となる。
今日はお父様とお母様だけでなく、兄達とその家族もいる。セイファート家総出でアルベルトとソフィアの門出を祝うのだ。ソフィアはもう会場で準備をしているだろう。今日の私はあくまで参加者に過ぎない。
結婚式の会場は王城だ。馬車に揺られながら母が少しの憂いを帯びて呟いた。
「もうソフィアは王宮で暮らす事になるのね。寂しくなるわ」
「お母様、会おうと思えばいつでも会えるわ」
「あなたは良いわよね。宰相になるのでしょう? 私はそう簡単には行かないわ」
「それは……」
「ふふ、困らせてごめんなさいね。ソフィアは今日のために頑張ってきたんだもの。ちゃんと祝福してあげないとね」
「ええ!」
私は力強く頷いた。
会場には顔なじみがいた。同じクラスのデイジー嬢とカティア嬢だ。オルフの件があったため、私とアルベルトは学校の卒業式にも出ておらず、最後の一か月は二人と満足に会話する事が出来なかった。それでも私の姿を見るや否や笑顔で駆け寄ってきてくれた。
「久しぶり二人とも」
「ナタリア様! お元気でしたか?」
「ずっと来ないから心配しましたよ」
変わらぬ二人が素直に嬉しい。
「ごめんなさいね。急を要する事態だったのよ。今日アルベルトから発表があると思うけど、今度時間あった時に私からも詳しく話すわ。話せる範囲でだけど」
「それで十分です」
「楽しみにしていますわ」
二人と別れた後、今度はアーニャの姿を見かけ、私は思わず笑ってしまった。普段あれだけ堂々としていたのにもう挙動不審でガチガチだ。
それもそのはず、今日はアルベルトの王位の正当性を象徴するため、反逆者オルフの討伐を見事達成した旨を発表する事になっている。そこでは当然ホープ家の活躍についても触れる事になり、ホープ子爵とその家族達は表彰される手はずとなっているのだ。
「あなたがそんなに緊張する姿なんて初めて見たわ」
「な、ナタリア様!」
必要以上に声大きいのは余裕がない証だ。
「落ち着きなさい。今の時点でここまで緊張していたら持たないわよ」
「ここに来る前までは大丈夫でしたの。でも時間が近づくにつれて……」
どうにも逆境に強いアーニャは優遇には慣れていないようであった。今回の結婚式はソフィアの友人枠としてモルガンも招待されているのだが、庶民であるはずの彼女の方が堂々としていたのはちょっと面白い。
「これまでがこれまでだからしょうがないのかもしれないけど、今後こういうの増えていくわよ? あなたが頑張れば頑張るほどね」
「頑張れば頑張るほど……そ、そうですわよね。慣れなきゃいけませんわね」
なおホープ子爵はというと、アーニャの兄の方を落ち着かせていた。彼はリスクを避けるために、ホープ子爵とアーニャの危機的状況を知らなかったのだ。ホープ子爵達はもしも自分達が罰せられる事になったら、知っているのは自分達だけと言って、長男とホープ婦人を生かす事で家の存続を考えていたらしい。
「父上、ほ、本当に我がホープ家が王子の結婚式の日に表彰を? 夢ではないのか? そんな事あるわけ……」
「その質問何度目になる? いい加減現実を受け入れろ」
「しかしあまりにも現実感が……」
緊張具合で言えばアーニャもなかなかであるが、兄の方は輪をかけて酷い。アーニャの兄はホープ子爵の意図を察し、知りたいのを我慢して領地で父の代わりを努めていたという。ずっと心配していたそうだが、急に二人が領地に帰ってきたかと思ったら、衝撃の真実を知らされたというわけだ。そして頭の整理も出来ないまま、この場に連れてこられたらしい。
「取って食われるわけじゃないから堂々としておけばいい!」
「うわっ!?」
一向に良くなる様子のないホープ家長男の背中を豪快に叩いたのはストライだった。その横でシリルが笑顔で手を振っている。
「二人とも久しぶり! ってほどでもないかな?」
二人はベルナール伯の代理で来ていた。ストライは善意で緊張をほぐそうとしたわけだが、辺境伯もまた子爵よりも上である。相手が誰か察したホープ家長男はより顔を蒼くする。完全に逆効果であったが、一方でアーニャにはちゃんと効果があったようだ。
「あー、兄様! もう覚悟を決めましょう!」
「いや、だってなぁ」
「ホープ家を継ぐ者がそれじゃ駄目じゃないですか!」
「さっきまでオロオロしていたお前がそれを言うかっ!?」
よく自分より酷い状態の人を見ると冷静になると言うが、今のアーニャはそういう感じらしい。吹っ切れたとも言う。
「ところでナタリア殿」
「何? ストライ辺境伯令息」
「あー、その……」
それまでの豪快さはどこへ行ったのか、急に挙動不審になるストライに首をかしげていると、時刻を告げる鐘の音が鳴り響いた。とうとう二人の結婚式が始まるのだ。
「あら? 時間のようね。話はまた後にしましょう」
「あ、ああ」
こうして私はセイファート家の席へと戻る事にしたわけだが、隣のシリルが頭を抱えていたが何だったのだろう?
アーニャじゃないが流石に直前にもなると、私も緊張してくる。だって私達はこの瞬間のために駆け抜けてきたのだ。
ウェンディの事件、オルフの事件、二つの大きな事件で当初の日程から大分遅れてしまったが、それでもやっとこの日を迎える事が出来た。
だがソフィアのお披露目が最初のステージなのだとしたら、結婚式は第二ステージに過ぎない。ソフィアとの約束の時にはほど遠く、まだ私達は道の途中にある。王と王妃、そして宰相、立場が変わっても戦いは続く。たとえ志半ばで尽きようとも駆け抜けて見せよう。私達は共犯者であり、一蓮托生だ。
司会者がまず新郎の入場を告げると、アルベルトが祭壇前までやってくる。金色の髪をなびかせるアルベルトは美しく、誰かがため息をつくのが聞こえた。その歩みは淀みなく、流石の冷静さだが、それでも私には彼が少し緊張しているのが分かった。
次はとうとうソフィアの出番だ。私はソフィアが現れるのを今か今かと待ち続ける。何故か短いはずのこの待ち時間はとても長く感じられた。
「それでは新婦、ソフィア様の入場となります」
その言葉につられ、私は入場口の方へと視線を戻す。
そして言葉を失った。
美しいのは当然の事、ソフィアの白銀の髪は彼女の成長とともにより輝いて見えたし、真紅の目はかつての人間離れした美しさと違い、どこか温もりを感じさせる。そう、ソフィアはとても穏やかな顔をしていた。あのデビューの時の凛とした時とはまた違った様子に周囲は魅了されていく。
こちらも幸せを感じるような、そんな顔だ。小さい女の子の夢は素敵なお嫁さんと言う。私は小さい時に婚約者が決まった経緯があるためそういう事はなかったが、素敵なお嫁さんとはきっと今のソフィアみたいな人の事なんだろう。
ソフィアは一歩一歩、今までの事を噛み締めるように歩き、アルベルトの隣まで辿り着く。並んだ二人は瞬間、まるで花咲くような笑みを浮かべ、幸せである事を体全てで表現していた。
私はこれが見たかった。万感の思いが溢れ出し、涙がこぼれそうになるのを抑える。
その場に私がいないのは不満ではあるが、今日という日はアルベルトに譲ってあげよう。
大丈夫、人生はまだ長い。私達はまだまだ思い出を作っていけるし、そのためにも生き続けなければならない。
アルベルトとソフィアはお互いに愛の言葉を告げ、指輪を交換し合う。そして二人は誓いのキスをした。
私は二人に心からの祝福の言葉をささげた。
「おめでとう」
今日はこのままエピローグも連投します。
忘れずにお読みいただければと思いますので、
何卒宜しくお願いします。




