89.「パン屋さんに憧れたことはありますか?」
「それじゃあね!アキちゃん!また会おうねっ!」
「うん!ばいばい!コんちゃん!」
鱗たちに代わって農場主にクザを返しに行くコースレットを見送る最中、彼女を愛称で呼ぶアキ。
マ~ちゃん、ベルちゃん、アダるん、イブキ、アサミちゃん…この世界で生きていく中でアキが気軽に名を呼び合える相手が増えていくことが旅の長さを感じさせる。
「また会えると良いね」「うん!!」
誰かと一緒にいる楽しさと別れの悲しみを知ったアキ。そんな彼女に「再会」の喜びが訪れることを願いながら、ふと自分もベルマーとの再会を思い浮かべる。もしも旅を無事に終えて、大きくなった自分を見せられたら…彼はどんな風に喜んでくれるだろうか。
「何か嬉しいことでもあったの?そんなにニヤけて…?」「いいえ、なんでも」
…慣れないことをしたせいか思わず顔に出ていたのをアダルティーに詰められてしまった。
「さあ、行きましょう。もう町は目と鼻の先よ」
少年少女らの後に続いて鱗たちも町の方へと向かう。一歩踏み進めるたびに一つ、二つ…と新たな人の声が加わり、積み重なっては活気を増していく。一歩踏み出せば焼いたパンの匂いが食欲を刺激して、歩みを次第に早めていく。一歩進めば香る麦の匂い。食べたと錯覚した口からは唾液が滲み出して、ぎゅるりと胃袋が「本物」を求めてがなり出す。
神域——エルフの始祖が納められた御柱と天と見違えるほどの美しき湖を中心に、エルフの森が湖と人を守り、人が営みを支える麦香る町。小金の麦穂踊れば子どもらははしゃぎまわり、黄金の麦穂もたげれば一つ大人へと成る——時を重ねる町‥。
「人間の町だ…」
この世界に来て、初めて訪れた人の町。
コースレットが話したようにパンの匂いに任せて足を進めながら通りに並ぶ家屋の作りに注目する。
…家といえば、これまで鱗が見た家はロウヒ家とソジェール家の木の家。ところが神域にある家屋は土石と木を組み合わせたものが多く、木材を支柱に壁を石や土で囲った家が多い。面白いのが屋根に生えた草木であり、パルファス草を中心に各家庭で異なる植物を家庭栽培しているようだ。家にパルファス草を生やす…といえばロウヒ家の壁にもパルファス草が植えられていたが、あれは食用兼家の補強も兼ねているのではなかったか…。
「——そうね。ロウヒ家…というよりもガルーラの民の本来の住居も木を支柱に土を塗って固めたものだった。ただ神域とは違って良質な石や家屋に適した土ではなかったからパルファス草を植えることで壁を補強したのよ。」
「じゃあ神域の場合は純粋に食用で…?」
「工房ならともかく主にはそうね。でも彩りが欲しくて植えている人も多いわ」
「景観も兼ねているんですね。…でも、なんというか小さくて可愛い家が多いですね」
「カワイイ…かはさておいて神域にある一般の家は小さいわね。大半は外で仕事をする人が多いし、食事も入浴も外で済ませるから自然と家にいる時間が少なくなるの。家には寝に帰っているだけ…っていう人が多いわね」
「雨が降ったらどうするんですか?」
「そのときは家にいるか、工房の手伝いにいくわね」
「工房って言うと…鍛冶師とかですか?」
この世界にある仕事。鱗が今までに見聞きしたものだと騎士、鍛冶師、冒険者、集会所、商人、農家、大工職人…等々。
その中で「工房」に近しく、それでいて特に印象に残っていた「鍛冶師」の名を挙げる。
「ああ、ごめんなさい。一口に「工房」と言っても沢山あるのよ。例えばインプダケとか「アインデス」の栽培とか…主に家で行う仕事が多いの。そういった所は他の家よりも大きくなるから…ほら、あそこの家なんかはアインデスの工房の一部ね」
丁度アダルティーが指差した方向を見ると、最初に見た家よりも大きな(ロウヒ家よりも僅かに小さい)家が一軒。屋根にはパルファス草ではない植物の苗木。細い枝に光沢のある丸い葉と小さな蕾を携えた植物で、あれが「アインデス」と呼ばれる植物なのか。
「…あのザルはなんですか?」
苗木の列の横には裏向きに置かれた麦わらのザルが複数…あれは何かに被せているというべきか。
「あれにはアインデスの葉が入ってるのよ。今は落ちた葉を集めて乾かしている状態ね。ちなみに乾かした葉を刻んだものが「香草」になるの。あなたも持ってたはずよ」
「知りませんでした…」
背中のリュックに視線をやる。かつてベルマーに送られたリュックと小瓶。その中にあった小瓶の香草は既にガルーラの旅で使い切ってしまったが、あれが何の葉だったのかは分からずにいた。
「アインデスは甘い蜜を持つ花を咲かせる木。期を終えて枝から落ちた葉は潰して油分を出してから乾かして香草にするの。元は苦い葉なのに乾かすと料理に馴染むなんて…面白いわよね」
それから道なりに進むと開けた通りに出る。町の入り口よりも前から香り続けていた焼けたパンの匂いが一気に強まり、無意識でいると口が開きそうになる香ばしくも甘い匂い。石の煙突が伸びたパン屋と思しき場所には多くの客が出入りしており、忙しなく働いている。
「おかえりなさい!アダルティー様!!」
パン屋の亭主と思わしき夫婦がアダルティーを見つけると、子どものように顔を輝かせながら互いの顔を見合って大きな声で挨拶をする。その声に反応した他の大人たちもアダルティーの方へと視線を映すと亭主らと同じく顔を輝かせる者もいれば、町の入り口付近の少年少女らと同じく首を傾げながらも尊敬の眼差しを向ける者もいたり…どうやら年齢によってはアダルティーと初対面となる大人たちもいる様子だった。
「こんにちはジュン。それから…エヴリーちゃんよね?良かったじゃない。お互い好きなもの同士で結ばれて…」
「…いきなり恥ずかしいこと言わんで下さい」「ふふふ。アダルティー様もお元気そうでぇ」
強面そうな亭主が困った様子で顔をしかめ、柔らかな表情をした夫人が笑いながらアダルティーと再会の抱擁を交わす。
「アダるん…にんきものだね」「ここはアダルティーさんの故郷だからね」
夫人に抱きつかれたアダルティーを見て、アキが小声で嬉しそうに鱗に耳打ちする。
「にんきもの」なんて誉め言葉を一体どこで覚えてきたのか。町の人々との再会を喜ぶアダルティーをアキがニマニマしながら見守る姿は微笑ましいものだった。
「それじゃあ亭主様。パンを下さいな。私たち4人とアーミー達の分もあるから…30個ほど!内容は奥さんに任せるわね♪」
「ありがとうございます!」
大きな返事と共に亭主は厨房へと向かい、夫人からは「少し時間を貰いますよぉ」と動物らしき絵が描かれた木札を渡される。
饅頭のような顔に小さく丸い耳…見た事のない生物だ。
「かわいいねえ~」「そうですね…」
アキとイブキが絵を見ながら感想を述べると、店の中にいた子ども達からクスクスと嬉しそうな声が聞こえた。店の中にいるということは夫妻の子どもたちだろうか。
「今どのくらいかしら?」
「潮咲きが終わりかけの時期だから…パン1個で一食分、ですかねぇ」
「コワッパでも良い?」
「ええ、もちろん」
それから懐の小袋から黒い粒を5つ取り出して夫人に握らせる。ところが手元を見た夫人は困ったような表情を浮かべると小声で一言「こんなに頂けませんよぉ」と渡されたコワッパの一部を返す素振りを見せるが。
「だーめ。貰って頂戴♪」
悪戯な顔を浮かべながらアダルティーは両手を上げ、貰った木札を振りながら去っていく。夫人が助けを求める目でコチラを見つめるも鱗も彼女の意図を汲んでパン屋からそそくさと去っていった。




