春の桜【5】
梛は高等部三年生に進級した。その新学級最初の日。たいていの場合、新入生の入学式とオリエンテーションが行われる日である。そしてその日、いきなり梛は職員室に呼び出された。
「え、あんたいきなりなんかしたの?」
「さすがに心当たりはないね」
新年度早々やらかすほど破天荒な性格は……しているかもしれないが、本当に心当たりはなかったし、全然違う話だった。
梛が職員室に行くと、同じクラスの柊翔と、隣のクラスの式部涼介がいた。二人も呼び出されたらしい。
「三人とも、いきなり呼び出してすまないね」
そう言ってほほ笑んだのは、呼び出した梛たちが苦労してクリアした某授業の担当教諭だった。
「午後から、新入生のオリエンテーションをするんだけど、高校から編入の子も多いだろう?」
この松殿魔法学校は初等部から大学まで存在するが、高等部では編入生も多いのだ。
「それでね。せっかくだから、試験でやった課題の簡易版をパフォーマンスでやってくれないかな」
先生にそう言われた瞬間、翔の顔が死んだ。年度末の再々試験を思い出したのだろう。対して梛は涼介と顔を見合わせた。
「……いけるんじゃね?」
「ああ。できなくはないね」
「なんで二人ともそんなにポジティブなの!?」
なぜと言われても困るが、できるものはできる。しかも簡易版だ。涼介が翔をにらむ。
「俺たちができるって言ったらできるんだよ」
「いや、落ち着きなよ式部君。柊君。これ、試験じゃないんだからクリアする必要はないんだ。何なら指揮は私がとるし、柊君はついてきて支援だけしてくれればいい」
「やるからにはクリアを目指すだろう」
「うん、式部君。ちょっと黙ろうか。怒るよ」
翔の説得にかかっていた梛は、涼介に絶対零度の声音で言った。涼介が震える。先生がぱん、と手を叩いた。
「はい、そこまで。水無瀬さんも落ち着く。本当にお兄さんにそっくりだねぇ」
「え、どっちの兄ですか」
私立なので、先生がそう変わらないのである。透一郎も次兄の彰次もこの学校の出身なので、先生が被っている場合が多い。兄たちを知っている先生には、「顔は一番上のお兄さんにそっくり」と言われる梛である。
「とにかく、お願いしてもいいかな」
「はい」
梛と涼介がうなずいたので、多数決で付き合わされる翔である。時間はすぐそこまで迫っていた。
試験では旧校舎を使ったが、今回は大ホールで行う。VR越しに、新入生たちもパフォーマンスを見ることになる。
「お待たせ」
さすがにスカートで大立ち回りをするわけにはいかず、着替えてきた梛は制服のスラックスを履いていた。ジェンダーレスの時代なので、女子でもスラックスは履けるが、彼女は基本的にスカートである。その上に、いつもの羽織を羽織ってベルトに刀を差している。涼介と翔は制服にブレザーの代わりにパーカーを羽織っていた。
「水無瀬の洋装ってのも珍しいよな」
「いや、基本的に洋装だけどさ。というか、柊君、大丈夫?」
「吐きそう……」
顔面蒼白の翔は震える声で言った。梛は苦笑したが、涼介は眉をひそめて容赦なく言った。
「もういっそ吐いて来いよ」
それも一つの手だが、もう開始時間が迫っている。周りからざわめきが聞こえるから、それが翔の緊張に拍車をかけているのだろうが。
「時間がないから腹をくくろう。なるようになるさ」
「なんで水無瀬はそんなに男前なの……」
一応翔もやるつもりはあるようで、青ざめたままだがスタートの準備をした。梛と涼介もいつでも飛び出せるように準備する。
制限時間は十分。スタートだ。
梛と涼介が同時に駆け出した。事前に、パフォーマンスなので少し派手目に行こう、と話はしてある。
梛は、最初に現れた妖魔を大仰に斬った。ばちばち、と静電気のような光が刀にまとわりついている。一方の涼介は風刃を繰り出した。梛と涼介の力は、近いものがあるのである。
目の前に棍棒を持ったトロールのようなモンスターが現れ、梛と涼介は左右に飛びのいた。すかさず翔の火炎術が襲う。なんだかんだ言って、ちゃんとフォローしてくれるのが翔なのだ。
術を切り替え、刀が風をまとう。涼介と同じものなので、相乗効果でがっつり効果があった。まあ、魔法VRだけど。
「時間的にこれが最後かな」
「先生、最後になんでこんなの持ってくるんだよ。どこから斬りゃあいいんだよ」
「……とりあえず、相談してる時間なくない?」
梛、涼介、翔の順である。そう言いながら翔はバンバン斬を放っている。人型だが四足歩行で髪が長い。何かを思い出させるが、とにかく気持ち悪い。
「とりあえず」
涼介の竜巻が襲う。梛は一度鞘に刀を納めると、居合の要領でそれを斬った。力強い風にあおられたが、無事に斬れた。そして、そこで終了の合図が鳴る。
「……改善の余地あり」
「お前、これ以上強くなってどうすんだよ」
涼介から突っ込みが入った。刀を鞘に納めながら、梛は肩をすくめた。
「水無瀬さん……納刀するのが格好いいよね……」
「……ありがとう。大丈夫?」
「そんなに嫌だったのか……?」
梛と涼介が心配そうに翔を眺める。先生が迎えに来た。顔面蒼白な翔は。
「吐く……!」
「待てぇ! ここで吐くなぁ!」
なぜか涼介が乱心して叫んだ。とりあえず、翔は無事にトイレまでたどり着けたらしい。
なぜかいきなりパフォーマンスに付き合わされた梛は、制服を着替えなおし、図書室を訪れた。梛は本を読むほうだが、家の蔵書が半端ないので、勉強の課題で訪れることが多かった。
「お久しぶり、香江さん」
「あ、あら、梛ちゃん」
新任の司書の女性が、梛を見て微笑んだ。手招きされて奥の事務室に入れてくれる。
「いいの?」
「ええ。今日は誰も来なさそうだし」
まあ、登校初日だから、そんなものかもしれない。緑茶を出してくれた。
「改めて。お久しぶり、梛ちゃん」
「うん。アルビオンから帰ってきたとは聞いていたけど、兄さんの手前、聞いてもいいかわからなくて」
そう思っていたら、新任の学校司書としてこの高等部に配属されてきたのだ。彼女、副島香江は、梛の兄透一郎の同級生で元カノである。二年ほど、アルビオンに留学していた才女だ。
香江は梛のどこか鎌をかけるような言葉に眉尻を下げた。もともとかわいらしい系の顔立ちなので、幼げに見えた。
「……透一郎君は元気?」
「相変わらずだよ。体調、という意味では元気だね」
そう、と香江は目を伏せる。梛は一口お茶を飲んだ。
「……梛ちゃんはきれいに……というか、格好良くなったわね」
「よく言われるよ。香江さんは相変わらずかわいらしいね」
梛の言葉に、香江は目を見開き、控えめに微笑んだ。
「……女の子に言うことじゃないけど、お兄さんによく似ているわね……」
「それもよく言われるから気にしないで」
むしろ、そう思われるのなら梛の目論見は成功しているのだ。彼女には、自分が兄の言動をトレースしている自覚はある。常に冷静たれ、と、四年前から彼女の師範となっている兄は言った。彼女が知っている中で、冷静な人物は兄だった。ただ、それだけのことだが。
まあ、性格がそう簡単に変わるはずがないので、兄よりはかなり短気だと思う。
「どうだった? 留学」
「ええ。楽しかったわ。迷ったけど、行ってよかったと思う」
「いいなぁ。祐真さんもスカンジナビアに卒業旅行に行ってて、楽しかったって。私も行ってみたいな」
今春、大学を卒業した祐真は卒業旅行で大陸西の北部半島を訪れていた。なぜそこなの、とも思うが、スカンジナビアは医療が発達しているのである。祐真が学んだ人体工学は医学にかかわりがあるので、現地視察も兼ねていたのかもしれない。
「行く機会は、これからいくらでもあるわ。というか、祐真さんって?」
尋ねられて、あ、と思った。香江は二年前にアルビオンに旅立ったため、二年前に梛が婚約したことを知らないのだ。
「一応私の婚約者。おそらく、香江さんも見たことあるんじゃないかな。彰次兄さんの親友だった人だから」
「そう……なの」
あっけらかんと言い放った梛に対し、香江は複雑そうな表情になった。あの瞬間まで、香江と透一郎は恋人同士だった。お似合いだと思っていたし、香江が姉になるのならうれしいと思った。梛には、女のきょうだいはいなかったから。
別れを切り出したのは透一郎だと聞いている。梛から見れば、透一郎は香江に未練があるように見えるのだが、香江の方はどうだろう。
だが、それを聞くのは梛の役目ではない。梛はお茶を飲み干すと、立ち上がった。
「ごちそうさまでした。また勉強しに来るよ」
「あ、ええ。受験生だったわね。頑張って」
そう言って見送ってくれた香江だが、一瞬間をおいてから図書室の扉に手をかけた梛に向かって言った。
「え、ちょっと待って。婚約者?」
突っ込まれなかったから言わなかったのに。
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