春の桜【6】
朝、梛が制服を着て台所に行くと、透一郎が朝食の準備をしていた。
「おはよう、兄さん」
「おはよう、梛」
卵を割るのに苦労していたので、卵を取り上げて代わりに割る。流れるような動作に、透一郎が苦笑を浮かべた。
「梛、イケメンだって言われない?」
「明日香にはさわやかイケメン風って言われるね」
何がと言えば、さりげなく助ける動作がイケメンだったらしい。というか、兄からそんな俗な言葉が出てきたことにびっくりしたわ。
「何にしようと思ったの?」
「スクランブルエッグ。梛、お弁当は?」
「自分で作るからいい。兄さんは味噌汁でも作ってて」
「わかったよ」
卵をフライパンに流しいれた妹を見て、透一郎が肩をすくめてうなずいた。
家政婦の佐崎は、日中にやってくるので、どうしても朝食は梛か透一郎が作ることになり、早く起きた方が作り始め、後からもう一人が合流するパターンが多い。透一郎の義手は、かなり細かい作業もできるようになっているが、それでも料理などは難しいらしく、たいてい梛が作ることになる。まあ、透一郎も切る作業などはできるので遠慮なく手伝ってもらっているが。
朝食を作り、さらに自分のお弁当をつめる。晴季は給食が出るのでいらない。すでに慣れた作業だが、これが夜に討伐当番だと結構苦しかったりする。寝不足で。
「そういえば、学校司書に香江さんが赴任したんだよね」
びくっと、珍しく兄が分かりやすく動揺を示した。ふむ、と梛は一つうなずく。
「留学、楽しかったって。向こうの人に告白されたりもしたって言ってたな」
「……梛、何が言いたいのかな」
笑いを含んでいるが、これは笑っていないな。梛は兄の事が大好きだが、同時に恐ろしくもある。だが、だからと言ってここでおびえるような彼女ではない。だてに透一郎の妹を十七年もしているわけではない。
「見ていてもどかしいなって話」
「……お前の目には人の心を覗く作用はなかったはずだけど」
「ないね。見ていて思うことを言っただけだよ」
「……なかなか食えない性格になってきたね」
「お互い様でしょう」
透一郎に比べれば、梛なんてかわいいものだ。
「おはよう、兄さん、姉さん!」
朝から元気に晴季が挨拶をした。おはよう、と異口同音に返した兄姉は制服を着た晴季のシャツのボタンがずれていることに気づいた。
「はる、こっちにおいで」
晴季を手招きし、梛はシャツのボタンをかけなおした。晴季は不服そうだ。
「自分で着られたのに~」
「ボタン以外はちゃんとできてるよ。大丈夫」
頭を軽く撫で、梛は立ち上がった。
「朝ごはんにしよう。お箸を出してくれる?」
「うん!」
食器棚に箸を出しに行った晴季を眺め、透一郎が言った。
「……お前には苦労をかけるね」
「お互い様ではないのかな、お兄様?」
梛は茶化すように言った。ちなみに、梛は昔から兄は『兄さん』呼びだ。
そもそも、両親が生きていれば、透一郎がここまで梛や晴季の身の上を心配することはなかったはずだ。そりゃあ、もともとシスコンブラコンのきらいはあったので、絶対とは言えないけど。
「梛」
「うん」
「……香江は、元気だった?」
多分、透一郎が聞きたいのは、そんなことではないはずだ。それをわかっていたが、梛は「うん」とうなずいた。
「相変わらずかわいかったよ」
「……そうか。うん」
ちょっと的を外した梛の答えに、透一郎は納得したわけではないだろうが、よかった、というようにうなずいた。
「……授業参観来る? 会えるかもしれないよ」
「いや……それは遠慮しておく」
確かに、高校生の授業参観なんて誰も見に来ない。とりあえず、晴季の授業参観は四月末にあるので、見に行ってあげてほしいものだ。
梛の通う松殿魔法学校の初等部から高等部までは、同じ敷地内に存在する。と言っても、気軽に行き来はできなくて、玄関は別々だ。ちなみに、松殿さんが作ったわけではなく、松殿という地名のところに校舎を建てたために、この名前になったそうだ。ちなみに、松殿地区にあるのは大学の方である。初等部から高等部までは、また別の地区にある。
梛は高等部三年生、弟の晴季は初等部二年生だ。一緒に登校することが多く、その日も手をつないで歩いていた。少し遠回りになるが、晴季を初等部に送り届ける。
「行ってらっしゃい」
「行ってきまぁす」
手を振る晴季に手を振り返し、梛は回り込んで高等部の校舎に入った。これが梛の去年からの日課である。
梛も、初等部のころは兄たちと登校したものだ。梛が小学生の頃は、長兄の透一郎もまだ高校生だった。
いつも通りだったのだが、一限目の授業が始まる前に、梛は担任に呼び出された。
「梛、何したの?」
「さすがに心当たりはないな」
明日香にそう返しながら廊下に出る。担任の女性教師が困惑したように言った。
「水無瀬さん、今朝も初等部の弟さんと一緒に登校してきた?」
「? ええ。校舎前で別れました」
梛が答えると、そうよね、と担任がうなずく。どうしたのだろう。
「実は、弟さん、教室に来てないみたいで」
「……はい?」
一応校舎中を探したが、見つからなかったそうだ。魔法学校であるここには、感知系の魔法を持っている先生もいる。魔法でもくまなく探したが、いなかったらしい。
「でも、あなたと登校しているところを初等部の先生も児童も見ているのよね……」
「それは……解せませんね」
何とかそれだけ答える。梛の決断は早かった。
「先生。私は初等部に確認に行ってくるので、授業休みます」
「あ、ええ。言っておくわ。確かに身が入らないでしょうね……」
弟が行方不明なのである。一緒に登校しているだけあって、梛と晴季が仲の良い姉弟だと知っているものは多い。むしろブラコンだ、と言われる。自覚はある。とりあえず梛はポケットに入れていた携帯端末を取り出すと、通信アプリを開き、透一郎に連絡を入れた。
梛:兄さん、そっちにはるはいる?
ほどなくして既読がついた。
透一郎:一緒に登校したでしょ。何かあった?
梛:はるが教室に来ていないと言われた。校舎前で別れた。目撃者もいる。魔法での捜索は行ったそうだが、今から初等部へ行き、確認してくる。
透一郎:了解。こちらでも確認しておこう。
兄妹のやり取りとは思えない事務的なやり取りをしつつ、梛は初等部の校舎へ向かった。申し訳ないが、職員が利用する裏口から初等部の校舎に入った。
「ああ、水無瀬さん」
六年前まで在籍していたので、初等部の先生とも梛はだいたい顔見知りである。
「お久しぶりです。弟がお世話になっています。とりあえず、校舎内捜索させてもらっていいですか」
「どうぞ」
梛の気迫に押されたのか、一も二もなく出迎えてくれた教師はうなずいた。今自分はどんな顔をしているのだろうと思う梛だった。
ひとまず、玄関から外に出た。校門の方から校舎を眺め、通常通るであろうルートをたどる。あたりをくまなく眺めるが。
梛:異常点なし。はるの姿もなし。
と、透一郎にメッセージを送った。そうしたら、電話がかかってきた。
「はい」
『ああ、梛? こっちにも学校から電話がかかってきたよ。状況がよくわからないね。お前が何もないというのなら、ないのだろうし』
梛の目はよく『視える』。見鬼とはまたちょっと違うが、とにかくよく『視える』。透一郎もそれをわかっているので、梛がいないというのならいないのだろうと判断したわけだ。
「とりあえず、学校は休むことにしたけど、どうしようか。これ、私一人で犯人を追っていいもの? 誘拐なら脅迫電話とかある?」
『脅迫はないね。私を脅迫できるならしてほしいくらいだけど』
そりゃそうだ。うちの兄はその辺の犯罪者より恐ろしいのだ。見た目は優し気な美男子なのだけど。
『追跡については、もうお願いしたから、初等部の校門前で拾ってもらって。『陽炎』の身分証は持ってる?』
「持ってる」
そう言いながら梛は自分の左手首を確認する。銀色のチェーンのブレスレットがまかれていた。これが『陽炎』の身分証である。正確には怪奇対応機密局に所属していることを示す、いわゆるIDになる。万が一戦死した場合、その人の身元を証明することになる。まあ、跡形も残らない場合もあるけど。
『じゃあ、一旦電話は切る。無理はしないように』
「善処する」
兄妹ともども落ち着いているようだったが、内心は怒り狂っていた。兄は穏やかな声の中に確かな怒りをにじませていたし、梛は精神力で押さえつけているが、意味もなく暴れてしまいそうだった。
とりあえず、犯人を見つけた瞬間に締め上げないように気を付けようと思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
透一郎の義手はメタリックな外見なので、彼は外に出るときは手袋をしています。細かい作業はできなくはないですが、義手では難しいので生身の左手で行っている、という設定です。




