明日の約束・7月【5】
梛と圭が人面トラを倒してから三十分ほどしてから、怪奇対応機密局の事後処理部隊が到着した。ベンチに座っている透一郎たちに駆け寄ってくる。
「お待たせしました。皆さん、ご無事ですね」
「やあ。遅かったね。手が足りていないのかな」
割と直球に嫌味をいうが、事後処理部隊の青年はからりと笑った。心が強い。
「楢崎さんと梛ちゃんがいるので、後回しになりまして!」
「元気に言うことじゃないよ」
怪奇対応機密局通信部に連絡を入れたのは透一郎自身だ。なまじ戦力がそろっていたので後回しにされたのは理解できる。武器はなかったけど。
「すみません。事情聴きたかったんですけど、梛ちゃん、お眠ですか」
「……起きてる」
透一郎の肩にもたれかかっていた梛が目を開いて体を起こした。透一郎の膝の上には晴季が頭を乗せて眠っている。梛も甘えるようにもたれかかってきたので、好きにさせていたのだが、さすがにそうもいかなくなった。
怪奇対応機密局の人間は、たいてい水無瀬兄妹を名前で呼ぶ。武宮兄妹の事もだ。同じ苗字がいるので、ややこしいのである。一通り事情聴取を受けた後、梛が尋ねた。
「事故は?」
「そちらは対処完了しました。順次通れるようになりますよ。そういえば、梛ちゃんと透一郎さん、怪我は大丈夫ですか」
「大丈夫だよ」
せいぜい擦り傷程度だ。怪我のうちにも入らない。ただ、どこで引っ掛けたのか服が破れていたので、透一郎のカーディガンを着せている。梛自身は平然としていたが、背中がざっくり行っていたので着せたのである。顔は似ていても体格差があるので彼女には大きいが。
「彼シャツ?」
「兄さんのだよ」
ふざけたことを言う事後処理部隊の青年に、梛が冷静に突っ込んだ。長袖の袖をたくし上げ、太もものあたりまでカーディガンの裾がきているので後ろから見るとショートパンツが見えなかった。
「おーい。そっちもういいかぁ!?」
圭がこちらに向かってきた。直哉は車で留守番中らしい。
「あ、はーい。手続き的にはオッケーです」
青年は勝手に答えた。まあ、透一郎たちもいいけど。
「通行止め解除されたから、帰ろうぜ。もう夜中だけど」
そう言った後、圭は青年に「班長が探してたぞ」と言った。ぴゃっと飛び上がった青年は、挨拶もそこそこにかけていく。
「晴季。帰るよ」
「んむー」
反応はあったが、起きる気配がない。まあ仕方がないだろう。なんだかんだで真夜中なのだ。圭が笑って晴季を抱え上げた。いつもなら梛が抱えるところだが、彼女は透一郎を立たせはしたが、眠そうに透一郎の手を握っている。
「梛ちゃん大丈夫か?」
「眠い……」
「魔力の使い過ぎだね」
慣れないことをして、力の加減が分からなかったのだろう。倒せたからいいけど。透一郎は右の義手で杖を持ち、左手で梛の手を引っ張る。彼女はおとなしくついてきた。
「車ン中で寝てろよ。自動的に着くから」
「うん」
梛が圭の言葉にこくんとうなずいた。ちょっとかわいい。今度は透一郎が真ん中に座った。両側から弟妹にもたれかかられる。相変わらず助手席に座った直哉が笑った。
「なんかほのぼのしてるな」
「そうだなぁ」
圭も適当に返事をしている。透一郎も「何を言ってるの」と笑ったが、そのうち、彼自身も寝てしまった。
やたらと大変だった遠出からしばらくたち、七月末。ふらりと香江が水無瀬家を訪ねてきた。
「こんにちは。暑いわねぇ」
「いらっしゃい。どうしたの?」
梛は大学。晴季は今日の分の夏休みの宿題を済ませて、友達と遊びに行った。明らかにお姉ちゃんっ子だったのだが、最近、外で友達とも遊ぶようになって透一郎はうれしいやら心配やら。
「この前、梛ちゃん誕生日だったでしょう? 遅れたけどプレゼントをあげようと思って。あと、コーヒーゼリーとレアチーズケーキを作ったから、おすそ分け」
笑って香江は言った。確かに、大きめの保冷バッグを持っている。学生時代も、香江はよく友人たちに手作りのお菓子をふるまってくれた。なんとなく懐かしく思いながら、透一郎は「なるほど」とうなずいた。
「でも、梛は大学に行ってるんだ。試験で」
「ああ、試験期間だものね。土曜日でもやるのねぇ」
懐かしそうに香江が言った。透一郎も苦笑した。
「そろそろ帰ってくると思うし、上がっていく?」
「お邪魔します」
遠慮なく香江が家に上がってきた。再び付き合いだしてから、彼女は押しが強い。そうさせているのは自分だとわかっているので、透一郎は何も言えないが。
「……なんだか見るたびにリフォームされてない?」
手すりにつかまりながら廊下を歩く透一郎に注意しながら、香江が首を傾げた。気遣われているのはわかるが、香江では透一郎を支えられないだろう。女性にしては長身の梛でさえ、透一郎とは二回りほどの体格差がある。香江に至っては、透一郎の肩ほどまでしか身長がない。
そして、香江の指摘は正しい。彼女が以前家に来た時に比べ、バリアフリーになっているはずだ。
「梛がバリアフリーにしよう、って。私を気にしてるんだね」
確かに、この家は古いので段差が多い。足が不自由な彼がつまずいて転ぶことはままある。たぶん梛は、自分がいなくなった時のことを見据えているのだと思う。倒れても、今は梛が抱え起こせるが、いずれ彼女はこの家から出て行く。
「子供やお年寄りも段差は危ないわよね。いいんじゃないの?」
「梛にもそう言われたよ」
透一郎が苦笑気味に言うと、香江はふふっと笑った。仕事をしていたので、書斎を片付けに行く。香江は勝手に台所を触るわね、と言ってお茶を用意し始める。水無瀬家の台所は、現在のところ梛の支配下にあるが、彼女も怒らないだろう。
よほどのことがない限り、透一郎はゆっくりと移動する。足に負担をかけないためだ。これでもだいぶ動くようになった方だ。
「ごめん。お待たせ」
「こっちこそ、勝手に台所使わせてもらっちゃって。アイスティー、もらうわね」
てきぱきと香江がアイスティーを出す。菓子類は冷蔵庫にしまわれたらしい。梛がもうすぐ帰ってくる予定なので、一緒に食べようと思ったのだろう。アイスティーをソファの前のローテーブルに置いたので、透一郎は苦笑した。
「ソファに座ると、たまに立ち上がれなくなるんだよね」
「なん……ああ、ソファって沈むものね。立ち上がりにくいわよね」
足が不自由なので立ち上がりにくいのだ。普段は梛が無造作に引っ張り、立たせてくれていた。透一郎を介助することに慣れ切った彼女がいるので、透一郎はさほど苦労していない。梛自身も、どこをどう助けているか教えてくれと言われても教えられないだろう。梛もそれが分かっているから、ハード面を整えようとしているのだろう。
それでも香江が一緒なので、ソファに腰かけた。隣に座った香江がにこにこと嬉しそうに笑っている。透一郎も微笑んで首を傾げた。
「どうかした?」
「ええ。透一郎が自分のことをちゃんと話してくれるからうれしいの」
「ああ……」
意地を張らずに体が不自由で困っていることを正直に言った、そのことを指しているのだろう。確かに、透一郎の性格上、弱味となるようなことはそうそう明かさない。今はそうでもないが、かつては妹の梛にすら黙っていたほどだ。それを打ち明けてもらえたのがうれしかったようだ。思いのほか喜ばれて、透一郎は苦笑を浮かべた。
「やっぱり、不便なところは多いね。目も腕も片方ないからね」
「目は義眼よね? 見えてるの?」
「光信号で一応視界は確保できているよ。ただ、右と見え方が違うから切っていることもあるね」
「そう言うものなのね……」
いい機会だとばかりに透一郎は香江と話をした。できるだけ自分のことは自分でしている透一郎ではあるが、それでも多少の介助はどうしても必要だ。香江はそれを確認するように質問を重ねていく。
「透一郎って結局、どれくらい自力で歩けるの? 義手ってどれくらいの作業ができる?」
今なら答えてくれると思ったのだろうか。ほかに人もいないので、はぐらかすのも難しいのは確かである。
「そうだね……少なくとも長距離は歩けないね。杖があっても、段差や坂道は歩きづらいかな。強制的に足を動かすことはできるけれど、それも長くはもたないだろうね」
少なくとも一年ほど前、一時間以上魔法で強制的に動かしただけで入院する羽目になった。一応気にしながら生活しているのだ、これでも。
「腕の方は日常生活には問題ないレベルだね。料理とか、ペンを持つのとかはやりにくいから左手だけど」
これも、腕をなくして苦労したところだ。利き手がないと言うのはかなり透一郎の負担になった。今ではそれなりに使えるが、当初はほとんど何もできず、梛が左利き用のあれこれを買ってきたものだ。そう考えると、やはり梛にだいぶ負担をかけていたと思う。
「ふうん……まあ、大丈夫よ。私だってできないことはあるし、それと一緒よね」
からりとそう言い切った香江に、かなわないな、と思う。なんとなくいとおしくなって香江を抱きしめた。
「……透一郎?」
「うん」
顔を近づけると、香江が目を閉じた。その時。
「ただいまぁー」
よく通る梛の声が聞こえた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
透一郎は基本的に在宅勤務。




