昨日の自分にさよならを【9】
「兄さん大丈夫?」
右手で花束を抱えたまま、梛は振り返ってゆっくりとついてくる透一郎を見やった。寺町を歩いているのだが、やたらと坂が多いのである。彼女らは水無瀬家の菩提寺に向かっていた。杖を突いてゆっくり歩いていた透一郎が、義手の右手を上げる。
「うん。先に行っていていいよ」
「そんな恐ろしいことできるわけないでしょ」
苦笑して梛は透一郎たちを待つ。梛が立ち止ったので、隣を歩いていた祐真も立ち止まっている。彼は水のほかにお参りに必要なもの一式を抱えていた。
「祐真さんも、やっぱりそれ、私が持つよ」
自分の両親と兄の墓参りなのに、婚約者とはいえ祐真に重いものを持たせていることにさすがに罪悪感を覚えたのだ。祐真はやんわりと首を左右に振る。
「向かう場所は一緒なのだから、俺が持つ。少しくらい格好つけさせてくれ。ただでさえ、お前の方が男気があるとか言われてるのに……」
「それ、気にしてるんだね……」
梛は祐真のこのおっとりした雰囲気が好きなのだが。そうこうしているうちに透一郎たちが追い付いてきた。
「祐真に持ってもらいなよ、梛。男は好きな子の前で格好つけたいものなんだよ」
「兄さんも?」
「兄をからかうな。まあ、否定はしないけどね」
そう言う兄は少し雰囲気が変わった気がする。前は、こんなことを言わなかった。ちょっと感慨深く思っていると、子供の高い声が上がった。
「兄さんも姉さんも格好いいよ」
香江に手を引かれた晴季だ。彰次の友人である祐真はともかく、香江は完全に善意で付いてきてくれていた。透一郎が杖を持ち換えて左手で晴季の頭をなでる。
「ありがとう、はる。でも、姉さんは可愛いじゃないか?」
「ううん。格好いい」
「……まあ、こればっかりはね。如何ともしがたいよね……」
一連のことに決着がつき、梛は腰近くまであった髪を切った。と言っても、肩甲骨のあたりまでで、セミロングほどである。だが、その状態で髪をくくると、余計に透一郎に似て見えた。ついには、透一郎とよりを戻した香江にまで、「出会ったころはこんな感じだったわ」と言われる始末である。男顔、と言うわけではないのだが。つまりは透一郎が女顔なのである。
「俺は可愛いと思うぞ、梛は」
祐真がさらりと言って歩き出す。それを追いながら梛は問う。
「ねえ。祐真さんってそんなこと、言う人だった?」
「俺は本当のことを言っているだけだ」
さくっとそんなことを言う祐真は、十分男前だと思う。後ろをついてくる透一郎と香江が笑った気配がした。こんなに穏やかに笑える日を、少し前までは想像もできなかった。
寺の奥の方に、水無瀬家の墓はある。両親と彰次が亡くなってすぐのころは、透一郎は絶賛入院中だった。なので、葬儀や墓の手配をしたのは梛だった。もちろん、未成年だったので祐真の母の力を借りたが。それに、当時は母方の祖父が生きていた。
梛の居合術が父からの系統である以上、それなりの歴史のある家である。一番新しいところに、両親と彰次の名前がある。梛がろうそくと線香をともし、手を合わせる。透一郎が左手で彰次の名前のところを撫でた。
「生きていれば祐真と同い年か……今いくつだっけ?」
「二十三になる年だな」
「そうか……生きていれば、大学にも行って、楽しいこともたくさんあっただろうに。守れなかったな……」
「兄さんはそう思うんだね」
なんとなくわかっていたが、実際に透一郎の口からきき、梛は彼の隣にしゃがみこんだ。
「私は、自分が代わりに死ねばよかったのにと思った。彰次兄さんの方が強かったし、できることが多かったんじゃないかって。彰次兄さんが透一郎兄さんの側にいれば、兄さんはこんなに傷つかなくてよかったんじゃないかって思った」
そう言いながら梛は透一郎を立たせた。しゃがんだままでは不自由な足に負荷がかかる。片づけをしながらも話をつづけた。
「梛の気持ちも、少しわかるかな。特に彰次は私にとっては弟だったから。……まあ、父さんの代わりに梛を嫁に出さなきゃならないし、晴季が高校を卒業するまでは見守りたいかな」
これまでの透一郎だったら、きっと言わなかっただろうなぁと言う前向きな言葉だ。晴季が高校を卒業するまでなら、少なくとも十年は余裕がある。
「父さんの代わりっていうか、晴季にとってはほぼ父さんだよね。私はちょっと、お母さんにはなれないけどさ」
梛が空いた手で晴季の頭をなでると、年の離れた弟は姉を見上げた。
「僕だって何もわかってない子供じゃないよ。兄さんが兄さんだってわかってるし、姉さんが姉さんだってわかってるもん」
「お、おお……」
むくっと晴季は頬を膨らませた。
「親がいなくて寂しいね、って言われるけど、寂しいのは兄さんと姉さんでしょ。僕はずっと、兄さんと姉さんしかいないもん」
梛と透一郎は晴季を見下ろしたが、何も言えなかった。その通りだからだ。代わりと言うか、香江がくすくすと笑って言った。
「そうよね。晴季君、もう八つだものね」
「物心はついてるもんな。わかるよな」
香江と祐真には刺さったようで、二人とも笑う。梛は透一郎と目を見合わせた。
「あら、不謹慎だったかしら」
香江がぺちっと手で口を覆う。晴季と手をつないでいた梛は「いや」と微笑を浮かべた。
「寂しい、悲しいって、うずくまっていては駄目なのだと思う。悼むことは必要だけれど、きっと、先に逝ってしまったみんなは、私たちが笑って暮らしていた方がうれしいんじゃないかと、今はそう思える」
「梛ちゃん……」
香江がつぶやいた後に、「かっこいいわね」と続けた。
「そういえば、梛ちゃんの性格、変わらなかったわね」
透一郎に寄せた性格が、と言うことだろうか。治すも何も、だいぶ地が出てきていると思うのだが。
「梛には透一郎さんに似た部分もあるということだろう。少なくとも、怒り方は一緒だった」
「えっ」
「うそでしょ」
透一郎と梛が驚きの声を上げた。祐真の指摘する部分もおかしいが、そうか、怒り方が似ているのか……。
「俺が見る限り、今のところ透一郎さんと彰次の性格を足して割ったら梛になる」
「……」
いや、確かに梛にも透一郎ほど冷静になれなかった自覚はある。誰だったかが、透一郎は冷静だが、梛は冷徹なのだ、と言っていた。なんとなく、言いたいことはわかる。いざと言うとき、非常な判断を下すのは梛の方だ。
「姉さん、おなかすいた」
何とも言えない表情になった梛の手を引き、晴季が訴えた。気づけば、時刻は夕刻になっている。梛は苦笑を浮かべた。
「そうだねー。何食べたい? というか、食べて帰ろうよ。ねえ?」
一応家長である兄に聞こうと思って、振り返ると、透一郎は仲の良い弟妹の姿を見て顔をゆがめた。
「僕は、梛に謝らなければならない」
「謝る?」
「僕はお前に人を殺させようとした。ごめん。僕が間違っていた」
「……気づいてたよ。納得ずくで、私は兄さんの訓練を受けていたんだから」
「だとしても、僕が強要していい理由にはならない」
思ったより頭が固い。梛は祐真と香江を見るが、二人とも口を挟まないようだ。確かに、これは透一郎と梛の兄妹間の問題であるから、二人で解決しなければならない。
「……多分あの時、兄さんが止めなければ私は上條さんを斬っていた」
透一郎と祐真がピクリと反応した。香江が心配そうに梛と透一郎を見比べている。
「結局、斬らなかったのは兄さんが止めたからだ。兄さんは確かに、私に人を殺させようとしたのかもしれない。でも、止めたのも兄さん。だからそれで相殺だ。そう言うことにしよう」
「梛」
「くどい。忘れろとは言わないけど、私も、兄さんには笑っていてほしい。そんな申し訳なさそうな目で、私を見ないでほしい。私は兄さんが大好きだから」
梛は知らないが、それはかつて透一郎が彰次に言われたのと同じ言葉だった。透一郎は少し目を見開いた後、「そうか」と微笑んだ。歩いてきて梛が握っていないほうの晴季の手を取る。
「梛の言う通り、食べて帰ろうか」
「ハンバーグがいい」
「祐真さんと香江さんも、行こう」
梛に呼ばれて、祐真と香江は思わず顔を見合わせて、笑って、それから手をつないだ三人兄弟を追いかけた。
また夜が来る。けれど、明けない夜はないことを、彼らはもう知っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
1部完。ひとまず、梛と透一郎の過去には決着がつきました。2部も用意していますが、準備のためしばらく更新をお休みとします。1か月くらいで更新再開となると思います。またよろしくお願いします。




