静寂の前に【2】
「風景はそのままなんだね」
遠くに家の明かりが見えるのを確認しながら、梛は言った。祐真が「人の姿が見えないだけか……?」と首をかしげていた。なお、二人ははぐれないように手をつないでいる。
「いや、それなら私の千里眼に映らないはずがない」
「では、異空間に迷い込んだか」
梛の千里眼・水鏡は境界を越えるので、おおよそ『認識できない』という事態が発生しない。まあ、彼女の千里眼を上回る事態であれば、その限りではないが。だが、その可能性の低い事態を想定するよりは、本当に異空間に迷い込んだのだ、と考えるほうが自然である。
「まあ、出られなければ最悪、私が境界を斬るけど……」
「お前の能力は便利だが恐ろしいな」
「境界は概念上成立してるから斬れるだけだよ。というか、斬ったら始末書なんだけど……」
透一郎にもむやみに境界を斬るな、と言われている。梛は斬ることはできても閉じることができないのだ。
「ねえ」
不意に声をかけられ、梛はばっと振り返った。小さな男の子が立っていた。白い髪に着物を着た少年に見えるが、黒目と白目の配色が逆だった。人ではない。
「そう。お姉さん。ねえ、一緒に遊ぼう」
柔く微笑まれた。ダメだ。目が合ってしまった。彼女の千里眼は、現世よりも神域に近いことをわかっていたのに。
「梛!」
強い声で名を呼ばれ、手を引かれた。はっと祐真を見上げると、彼にしては必死の形相で梛の肩を抱き寄せた。
「何が見えた」
そう尋ねられ、あの子供が祐真には見えていなかったことを悟った。そして、周囲に喧騒が戻っている。どうやら戻ってこられたらしい。何が起こったのか、さっぱりわからないが。
なぁんだ。手を放しちゃだめだよ。
先ほどの子供の声が聞こえた気がした。まさかの忠告だろうか。本当にわけがわからなくて梛は再び祐真を見上げる。
「今、異空間に足を踏み入れた?」
「……と、思った」
ということは、そこまでは少なくとも祐真と同じ経験をしている。梛は子供が見えたが、祐真には見えなかった。祐真に呼ばれた瞬間、戻れたことを考えると、子供が欲していたのは『縁』だろうか。
「自我を保って冷静にって、こういうことか……」
子供のころ母に言われた言葉を思い出した。母は神職の家の出だった。梛、と名付けたのも母である。母はちょっかいをかけられやすいということをわかっていたのだ。
「どういうことだ? 連れて行かれそうになったのか?」
祐真が心配そうに尋ねる。たぶんね、と梛はうなずいた。
「ここの祭神かな。遊ぼう、って。祐真さんが呼んでくれたから戻ってきたけど」
「……そうか」
一応、お参りはして、もう帰ろうということになった。なんとなく手をつないだまま、夜道を歩く。ものすごく変な経験をした気がするが、怪奇対応機密局にいると、たまにある出来事でもある。
「境内でいちゃつくな、って忠告だったとか」
と半笑いで言ったのは透一郎である。カップルは梛たちだけではない、それどころか梛と祐真は婚約者であるが恋人同士ではない。そう言ってしまえばそれまでだが、あの中で梛が一番干渉しやすかったのだろうとも思う。玄関で出迎えた透一郎に、祐真は割と真剣に言った。
「言いたくはないが、梛には慢心があるんじゃないか。巻き込まれても、『斬れば出てこられる』という」
「う、うん……どうだろう」
ないとは言い切れないかもしれない。少なくとも、梛には能力のほとんどを剣術に割り振り、霊術などの知識を後回しにしてきた自覚がある。
「まんべんなく鍛えろってことかな……」
透一郎も真剣な表情で言った。祐真が「して損はないだろう」とうなずく。
「あちらに梛が連れていかれるようなことになったら、耐えられない」
「え……うん」
思わずうなずいた。祐真にまっすぐ見つめられ、柄にもなく照れる。そして、透一郎が長いため息をついた。
「できれば私の目のないところでいちゃついて」
祭神も縁日のたびにこんな気持ちなのかな、とつぶやく透一郎。なんだか実感がこもっていた。
夏休みが終われば文化祭がある。体育祭は春に行われ、梛は参加できていない。妖魔討伐で怪我をしていたからだ。なので、文化祭は参加したい。
夏休みに入る前に、出し物は決めていた。執事・メイド喫茶である。どこの学校にも、この手のノリの良いクラスはあるものである。
もともとはメイド喫茶だったのだが、女子だけメイドなのは腑に落ちない、ということで、執事が追加された。そして、女子生徒である梛は今、執事服を着ている。
「さっすがさわやかイケメン風美少女! めちゃくちゃ似合う!」
「かっこいい! かっこいいです、梛ちゃん!」
女子たちがきゃあきゃあ騒ぐ。梛は女性にしては長身だが、彼女より背の高い女子はほかにもいる。なのに、梛が男装しているのは中性的な顔立ちのせいだろう。ただコスプレするのではなく、男女で一人ずつ衣装を入れ替えよう、となったノリの良いクラスである。女子からの男装者は満場一致で梛だったが、男子はもめた。何しろメイド服である。結局、じゃんけんで負けた翔がクラシカルなメイド服を着ている。
「透一郎さんにそっくり!」
「それはそれで複雑な気分だね」
透一郎と梛が似ているのは客観的に見て事実だ。付き合いの長い明日香からはよくその言葉が飛び出すし、普段はそれほど気にしないのだが、髪をうなじできっちり束ね、眼鏡をかけると思いのほか透一郎に似ていて、自分でもびっくりした。
「写真撮ってもいいですか!」
律子がキラキラした目で尋ねてくる。内気だった彼女も明るくなったものだ。その点について、彼女の兄から感謝されつつも複雑な思いを向けられている梛である。
「別にかまわないけど、律子ちゃん、あっちはいいの?」
あっち、とはメイド服の翔である。カフェに様変わりした教室の隅っこで、彼は膝を抱えていた。
「……いいんです。私は可愛いと思うんですけど……」
「ああ、うん。そうだね」
女顔ではないが小奇麗な顔立ちの翔に、メイド服は案外似合っている。だが、好きな女の子に「可愛い」と言われるのは男にとって傷つくことらしい。周囲から男子生徒たちが励ましているが、それも逆効果のようだ。
「まあ、じゃんけんに負けたから仕方ないね……」
「梛ちゃんは満場一致でしたけど」
「それはそれで逃げられないよね」
白い手袋をはめて、本格執事の格好なのは梛くらいで、他はなんちゃって執事である。メイドもまちまちで、クラシカルなメイドもいれば、ミニスカートなメイドもいる。明日香と律子は膝丈スカートのメイドだった。
「水無瀬さんと柊君はホールね。頑張って!」
かろうじてヘッドドレスをしているのでメイドっぽく見える学級委員長が、梛と翔をさして言った。男装女子と女装男子は否応なく人前に出されるようだった。
体育館で開会式があったが、なかなかに混沌とした風情だった。文化祭はどうしても仮装者が多いのである。いつもの整然とした制服の集団とは違ってみえた。
学外からも人が来るので、結構な賑わいだ。クラシカルなメイドな翔は男性陣の笑いと憐れみを誘うようだが、執事な梛はよくモテた。本当にモテた。今も中等部の女の子たちをあしらってきたところだ。
「後ろに下がってもいい?」
「ダメだ! お前が下がるなら僕も下がる……!」
半泣きで却下したのは翔だ。よほどメイドが堪えているらしい。どちらかと言うと、女子に「可愛い」と言われるのが精神的に削られるようだが。
「いいから出てなさいよ。明日は座らせるだけにするかもしれないけど」
「それはそれで苦行だね」
「座禅組んでるとでも思いなさいよ」
苦笑で応じたのは学級委員長だった。梛が愛想よく接客をしていると、女性客が途切れない上に、男性陣から恨みがましくにらまれる。
「いっそ、不愛想にしてみりゃいいんじゃね?」
厨房担当の男子生徒に言われ、「どうだろうね」と応じつつやってみる。
十分後。
「逆効果なんだけど、どうする?」
愛想を悪くしてみても、クールでかっこいいと言われる場合はどうすればいいのだろう、と思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一度は入れたい学祭ネタ。
大晦日ですね。今日は紅白を見たいと思います。皆さん、よいお年を!




