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新たな隣人たち

「そんじゃー! 新たな入居者を歓迎しないで・・・・乾杯かんぷわーい!!」


「歓迎されてないっ!?」


 ヒルデの音頭に杯を掲げたいずれも劣らぬ多彩な美女が、花のような笑顔を浮かべて各々好みの酒を手に口々にカナエに声をかける。


「いらっしゃい負け犬」


「遠吠えは控えめにね」


「悔しかったらさっさと出て行くのね」


「居着いたら負けなんですよ」


 辛辣な言葉とともに命の水を注がれたカナエは、注がれる度にそれを飲み干すのに忙しい。


「イケる口なんですねっ!」


 果汁を混ぜた葡萄酒を手に、弾けるように笑った彼女はララと名乗った。


 茶色い髪を前髪ごと頭頂部で一本に結び、くるくるの後ろ髪が広がって、吹き出物一つないおでこが眩しく若々しい。

 髪飾り一つ付けてないが、艶やかなのにふんわりと膨らんだ髪の毛はそれだけで充分彼女を華やかに魅せている。


「お酒は弱いぐらいが可愛らしくて丁度良いですよ。ほら、酒飲みの行き着く先はあれですから」


「あそこまで行くとカッコイイですよ。でも憧れないという……」


 あそこまで行き着いた人ことヒルデが、小さいとはいえ――樽ごと葡萄酒を呷っているのをチラリと見遣り、カナエとララは示し合わせたかのように揃って見なかったことにした。


 一滴も零さないのがもはや曲芸。

 気を抜いたらやんややんやの拍手をしてしまうので、目を逸らすに限る。


「わたし、オーロ君を除けば最年少なんで、新しい入居者はホントは嬉しいんです! 先輩風吹かせちゃいますよ!」


 新入居者は歓迎しないのがこの集合住宅アパートの習わしだという。

 それがあくまで口だけなのは、皆の暖かい笑顔を見れば一目瞭然で、カナエは己の運の良さを改めて確信する。


「すいません先輩……わたし二十三です」


「なんとっ!?」


 十九歳のララが仰け反る。


 肉体的実年齢も、一発ネタだと思えば暴露しやすい。パレスティーナと同じ轍は踏むまいと、早々に告げておく。


 ペイジュラに流れ着いて早々、カナエの住居が決まった。


 ヒルデの薬屋の三階の一室である。

 大家は、店の前を掃除していた灰色の老婆グレーテ。彼女自身は、店舗付き集合住宅アパート裏手の一軒家で一人暮らしをしているという。


 グレーテは男嫌いが高じて女性専用の集合住宅を経営しており、居住部分は男性の出入りは禁止と徹底している。

 破ると追い出されるそうなので、一番最初に注意された。


 その心配はないカナエは薄ら笑いで自信満々に頷いた。


 ララは三階の住人で、カナエのお隣さんになる。

 水場に近い二階の方が便利なので、二階の住人はヒルデを筆頭に皆古株なのだそうだ。

 本来四部屋あった三階の二部屋の壁をぶち抜き宴会場にしたのは誰の提案か。


「わたくしは、ヒルデの隣人のキュアノと申します。代筆屋を営んでおります」


 楚々とした仕草で頭を下げたのは、まっすぐなさらさらの金髪のキュアノ。

 襟高の上着に肩掛けをし、踝までの巻裳ロングスカート姿で極めて露出が少ない装いだ。


 むちむち金髪美女のヒルデ――結局一日中寝間着のまま着替えなかった強者――と、すらりと背の高い清楚な金髪美女キュアノが並ぶと豪華競演、目がチカチカする。


 しかし一見知的美人であるキュアノが飲んでる酒は火を吹くような蒸留酒、その名も“竜殺し”。


 王都の竜殺しはやはり故郷で飲み慣れた林檎酒がお好き――ただしザルを通り越してワク――なのを知っているカナエはなんだか変な笑いが漏れる。


「心ある人は、年頃の女性には住居じゃなく、まず男性を紹介しますでしょう? それが当たり前なんですけど、この共同住宅アパートは、それを嫌がる訳あり女性ばかり集まっております」


「そーなのよー! アタシなんてクズな旦那に性病伝染うつされてー! かかった薬師は話も聞かずに軒並みアタシの身持ちの悪さをなじるわけ! 人に大股開かせといてよー!? 元旦那のせいだっつーのー! 色々ブチ切れるわよねー」


「おぅ……」


 あれこれ暴露大会な流れですかとヒルデに目で問うと、あんたのはめんどくさいから黙ってろと肩を竦められた。



 ……解せぬ。



「キュアノは代筆屋兼、用心棒だからー。昼間は薬屋の一角が代筆屋窓口になっててそこに常駐してるから、荒事は頼ると良いわよー」


「わたくし、実は代筆屋以前は領軍で兵士をしておりまして。結構力持ちですので、荷物持ちなんかも得意ですよ」


 見た目からはまるで想像できない意外性に溢れる前歴である。

 カナエは目を剥いた。


 女性が領軍の兵士になれる……?


「あー、そういえばそろそろカニ祭りの時期ねー!」


大河大蟹レヌス・カンケル、美味しいのよね。私も息子のオーロも毎年楽しみにしてるの」


 口を挟んだのはヒルデ、キュアノと同じく二階の住人プティー。ぎんぎらぎんな金髪二人組とは趣の異なった、少し色褪せたような金髪を緩くまとめている。

 八歳の子持ちの未亡人と簡単に来歴を教えてくれた。


 色素が薄めの配色で、未亡人の肩書きも相まって守ってあげたいと思わせる線の細い女性なのだが、女手一つで息子を育てている女性が果たして見た目通りか弱いのか推して知るべし。


「大河大蟹は産卵のために秋頃海へ下るのです。この街の北を流れるリューイ川はラヌス河の支流で、海へ向かう大河大蟹がみっちりと大量発生する時期に、領軍兵士と冒険者を募って討伐し、それを街のみんなで食べるんですよ」


 領兵の慰労から始まった蟹尽くし食べ放題が、徐々に広まりここ数年、街をあげた祭りになっているそうだ。

 一定数いる蟹の匂いが苦手な人々には地獄の催しである。


「大河大蟹、わたしも大好きです」


 故郷を出てラヌス河を下っていたとき、よくアスファルが田んぼのザリガニの如く釣っていた。


 蟹を釣るってどうなの? と、船酔いでひっくり返りながら思った記憶が蘇る。


 そのほとんどが路銀に変えられたが、最後の一匹は船を下りたときに一緒に食べた。

 カナエの腰より大きいのに、身はねっとり濃厚で、茹でただけなのにとても美味しかった。

 上海蟹のように紹興酒に漬けて食べたいと身悶えたのを思い出す。


 カニ祭りで酔蟹のような調理法の蟹は振る舞われるのだろうかじゅるり。


「わたくし、数年前その大河大蟹の討伐に参加した折りに――大怪我を負いまして」


「えっ!? キュアノさん、今は大丈夫なんですか?」


 それでカニ祭りの話が出たのかと得心しつつ、数年前とはいえ負傷したというキュアノの露出を控えた姿を確かめてしまう。


「大丈夫と言いますか……」


 キュアノは少々頬を染める。

 ヒルデがにやにやと樽酒を舐めている。

 ララとプティーは顔を俯かせる。


「その怪我が原因で――わたくし女になることを決意したのです」


「ふぶごっ」


 カナエは命の水を鼻から噴いて噎せ返った。


「ほら、大河大蟹って、ちょうどこう、ハサミを降りあげると腰の高さに」


「皆まで言わんでいいですよっ!?」


 ニヤニヤ詳しく説明しかけたヒルデを咳込みながら遮る。

 水を用意してくれたララと、手巾を差し出してくれたプティーがまともすぎて泣ける。


「治療したのはアタシです。いやぁ、領兵のエイデスといえば端正な美青年で有名だったんだけどねー」


「エイデスはいなくなってしまったんです。でも、わたくしの中でちゃんと生きています」


「無理矢理いい話にまとめようとしてますっ!? 潔いにもほどがある!! すっげー!!!」


 涙をにじませながら叫んだ。

 もう、ほかに、どう言えと。


 ヤケクソ気味な称賛を受けたキュアノは、にっこりと微笑んでカナエの杯と杯をカチンと慣らした。


 カナエはふごふご手巾で鼻を押さえている。

 鼻が刺すように痛い。


「カナエさんとは仲良く出来そうで嬉しいです。エイデスの件は皆さん口を噤みますので」


 だろーよ。

 恥ずかしそうに頬を染め目を伏せるのやめてほしい。


 そう思ったが、カナエも口を噤んだ。


 代わりに簡単な自己紹介をする。

 ヒルデの忠告に従って、結婚がダメになったことと、王都から来たとだけの簡素なものだ。


「あ、と。これ。皆さんに、お近づきの印に」


 鞄から取り出したのは、ご近所の方々から貰い受けた白いりぼん。


「わ、可愛い! すごい! 透かし編みだぁ! いいんですかっ?」


「まぁ素敵。よろしいのですか?」


 素直に喜んだのはララとキュアノ。

 微妙な顔をしたのはヒルデとプティーだ。


「私、刺繍で生計を立てているの。これ、パスティアの透かし編みとはまた違った技法ね。珍しいから高く売れるんじゃないかしら」


「同感ー」


 非常に親切な心配だった。


「……路銀の足しにって、王都の近所の方々にいただいたんです。でも、だから、売り難くて――ご近所の優しい人たちに貰ったんです。ご近所の、優しい人たちに渡す方が売るよりよっぽど――しっくり来ます。沢山ありますし!」


 薄い青い目を見つめて訴えると、プティーがにっこり笑って受け取ってくれた。


「よい子でお休み中の、オーロ君にも」


「ありがとう。男の子だけど、刺繍と合わせたら面白い意匠になるかも」


 でも破かないかだけが不安と苦笑したプティーは、母の顔をしていた。


「アタシ使いどころがないー? 可愛すぎるのよー」


「乳首にでも結んだらいかがですか? 卑猥でとってもお似合いかと」


「……綺麗な顔してすっごい発言。あんた口を開かなければ美人って言われるでしょ」


「ヒルデさんには負けますよー」


 うふふあははと笑いながら乾杯すると、誰かが小さく「どっちもどっち」と呟く声が聞こえた。


 解せぬ。


「わたしたち、明日も早いから部屋に戻りますね! 長旅でお疲れなんだから、あんまり飲んじゃひっくり返っちゃいます。気を付けてくださいね」


「アタシはまだ飲むわよー」


「ヒルデさん昼間っからずっと飲み続けてるじゃないですか! 明日はヒルデさんもお店があるんですからね。寝坊したら大家さんに箒で叩かれちゃいますよ!」


「毎朝の事よー」


 最年少のララがヒルデよりよっぽどしっかりしている。

 そして何故かヒルデと同じ棚に分類された気がしてならない。カナエは再仕分けを要求したい。


「この透かし編み、貴女も編めるなら糸を融通するわ。お礼にね」


「ありがとうございます!」


 刺繍工のプティーの申し出はありがたい。

 出来れば彼女の作品を見たいと言えば、快く了承される。今度部屋を訪ねる約束をした。


「カナエさんの部屋は前の住人の家具が残ってますからすぐにでも住めますけど、大きい荷物があれば声をかけてくださいね。運びますよ」


「頼もしいですキュアノさん。あ、力こぶは見せていただかなくても結構です」


「わたしもー! わたし、近所の食堂で給仕をしてるんです。美味しいから、是非食べに来てください! でもおまけはしません!」


「あはは! 是非」


 屈んでもらい、ララの髪にさっそくりぼんを結んでみた。

 見立て通り、本当に可愛い。嬉しそうにはにかむ姿が瑞々しい。


 そのララが夜だというのに元気に手を振る。プティーの腰を抱いて介添えエスコートして去るキュアノ、三人の退場を見送った。


 三階の宴会部屋に残された、カナエとヒルデ。


「…………で、どこまで本当・・・・・・なんですか」


「気付くかやっぱりー。大怪我は本当。恥骨付近。大きな血管があるから死にかけたのも本当。男性機能問題なし。ヒルデさん太鼓判」


「問題ありならそれを口にしたヒルデさんの良識を疑う域ですから、まぁさすがに……で、プティーさんと仲がよろしいようですけど何故女装。似合ってますけど」


 言われてみればなんとなく、の次元まで高められた技術である。

 元の素材の良さだけではあぁはいかないと、前世を回想しながら思う。


 こんな現代知識の活用があろうとは。


「エイデスはグレーテばあさんの三男。未来の大家かなー。オーロがもうちょっと大きくなったら纏まるんでない? ばあさんが頑固でさー。息子育て上げたら気が抜けて伏せがちになったんだけど、息子が心配して家を訪ねても“男は近寄るな”の一点張りで」


「あー……」


「エイデスが大怪我して、“これから女として生きます”と宣言してここに住み着いたらさすがのばあさんも飛び起きたわねー」


「一歩間違えば息の根止まるトドメの一撃ですよねっ!?」


 グレーテの胸中を思うと――いや、無理だ。推し量れない。

 無理だ。


「荒療治よー。以来ばあさん元気だもん問題ないわよ。ばあさん黒髪で苦労した口だから、黒髪には甘くなるのよね。エイデスのあのネタ、失笑したり変な目で見るような女は家賃が滞るのよー」


 カナエはキュアノに試されたようだ。


「尊敬しかけた」


「今までにない反応だった」


 二人して、なんとなく、各々の命の水をぐびりと飲んだ。

 昼間に続いてのサシ飲みである。


「あんた飯の種も大盤振る舞いして、生活出来るのー?」


「あーまぁ……わたし、王都でちょっとしたコツの要るお菓子を作って売ってたんですよね」


 焼き菓子クッキーとパンケーキだ。

 中には偶然発見したベーキングパウダーに類する膨らし粉を配合している。


 元は胃の弱い母の胃薬を料理中にぶちまけた失敗から発見した。


「それをここでも売るわけ?」


「居場所バレちゃうじゃないですか。道中をともにした隊商の人たちに、クランフランで流行らせてくださいと作り方レシピを売っぱらいました。結構高く買ってもらいましたし、攪乱にもなるかなーと」


 だから、持ち出した持参金も併せて家賃はかなり余裕がある。働く気も満々だから、生活にはそう困らないと思いたいカナエである。


「それ、旦那も攪乱されるわよね?」


「それな」


 卓に突っ伏して項垂れたカナエを見るヒルデの目が、明らかに可哀想なものを見るそれになった。


「そんな目で見ないでください……」


「気の毒なのは旦那の方よー……」


 返す言葉もない。

 本当に、返す言葉もない。


 咄嗟の行動に人間の本性が出るとはよく言ったものだ。

 カナエは逃げた。


「あんた、ほんとうはどうしたいのよ」


アスファルあなたと高飛びしたい」


 真剣な眼差しで主張した。

 ヒルデに。


「旦那に言え。キリッと言っても言動不一致も甚だしいわー」


「……大切なもののためなら、戦えると思ってました。今にして思えば、どうして一回もやったことのないのに、戦えると信じてたのか……」


 実家が魔の森の側だったから、魔物からの逃げ方ばっかり教わって、カナエはたぶん、かなり詳しい。

 教えてくれたのは竜殺しアスファルだ。


 護謨大蜘蛛ガム・アラクネの蜘蛛の巣に捕らわれたときの対処法。


 岩石灰熊ペトラ・ベアに遭遇したら目を逸らさずにゆっくりと後ずさること。走ってはならない。


 人喰い蜂の羽音の聞き分け方。蜂蜜は猛毒。


 変態露出狂ヘンタイ・ロシュツキョウはまず遭遇時に股間を見つめて“小さい”と呟くこと。


「なんか変なの混じってるっ!?」


 今、気付いた。


「いきなりなによっ?」


「あ、いえ。ナンデモナイデス」


 そしてそれでも逃げ切れそうになかったら、“大きな声で俺を呼べばすぐに行く”と、最後は全部、最終兵器アスファル召還である。


 そして本当にすぐに来たから――カナエは、身の危険を感じた事なんて、殆どない。


 喉が震えた。

 呼びそうになった。

 小さな村の、小さな世界で生きていた頃の約束だ。


 聞こえるはずもないのに呼びそうになり、それすら声にならずに林檎酒に溶ける。


 悔しい。

 情けない。


「……負けるか。アスファルがお嬢様と結婚したら、産業革命率いて王権勢滑落させてやろうか。故郷で縮織機は試作してたのよね。女の恨み、その脳髄に味合わせてくれるわ」


「善良な一国民として、聞かなかったことにするー」


 ヒルデの呟きは、聞こえなかったことにする。


 問題は、三回分の人生に相当する時間が掛かりそうな点だ。一生を復讐に費やすなんてぞっとしない。



 わたしはここにいる。



 まだなんにも思いつかないけど、アスファルにだけ伝わる方法を考える。

 考えろ。


 二十年分の思い出の中に、それはきっとある。



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