10
良い馬が入ったという報せがあって、その日の午後リヨンは郊外の牧場へと赴いた。このところの忙しい日々で、友人と連れ立って出かけることは、彼にとって久々の息抜きであった。
父王の体調は長くすぐれず、リヨンが病床の父に代わって立ち回ることも増えている。その一方で、王太子とセウレウス家の冷えきった空気は、人の目にも明らかだった。リヨンは忙しくすることで、妃とその親類たちの責めの眼差しから逃れたのだった。
冬の日は短く、傾いた陽射しが枝の先を金色に染めている。日が山の陰に入ってしまえば、気温はぐっと下がるはずだった。気に入った馬を選んだ後には、早い帰途につくことになった。
牧場の入り口をあとにして、細い小径へと差し掛かったとき、その向こうに三人ほどの人影を見る。どうやら彼らの出てくるのを待っていた様子であった。道の先の男たちに気がついた一行は、歩む足を止めた。
見るに、彼らの中から進み出る人影がある。男たちの中でもひと際小柄な青年で、歳もまだ若く見えた。隣でレウカスが剣柄にそっと手をあてる。それを合図に他の三人の従者も構えをとった。
こちらへと歩みを向けた青年は、互いの表情が見えるほどの距離で足を止めた。それから深々と頭を下げてみせる。
「拝眉の機をうかがって待ち伏せておりました無礼を、どうかお赦しください」
青年は顔をあげると、正面からリヨンを見据えた。幼さの中に気丈さを宿した面が、どことなく境遇の不遇さを思わせる。
「私の名はウェール・ラブラド」
静まり返った王太子一行に、青年は落ち着いた口調で続けた。
「折り入って殿下にお話したいことがございます」
丁重な物言いだった。ラブラド家の者であることを告げた青年に、しかし警戒はほどけない。王太子の付き添い人たちは、互いを伺って視線を交わらせる。一瞬の沈黙の後、リヨンは口を開いた。
「聞こう」
返事を受け取ってラブラド家の青年は、ついと護衛の四人へ視線を向けていた。人には聞かれたくない話とみえる。リヨンは首肯いてみせて踵を返した。
後に続こうとした青年へレウカスが腕を伸ばし、肩に半ばふれるようにして歩みを制止した。警戒を解かない侍者の眼差しが青年に向けられている。ラブラド家の青年は外した剣を、その若い従士へと手渡したのだった。
二人のやり取りを待って、リヨンはあらためて背を向けた。
適当なところで彼らは足を止めた。離れからこちらを見守る護衛たちの姿がある。しかし二人の会話は、大きな声でなければ、聞こえることはないだろう。リヨンは青年に向き合うと、用件を待った。
「一年前の事件を覚えておいででしょうか」
ウェールは低めた声で切り出した。忘れるはずがない。セウレウス家が反逆を企てたとして告発し、当主は死罪、家族は国外へ追放となった事件だ。
ラブラド家の青年の若い面に、わずかな感情の色が差した。彼は気丈に言葉をつないだ。
「あの一件は、まったくの冤罪でございました」
リヨンは青年の顔を見つめ返した。噂は知っていても、同意を示せない立場にいる。心境を隠すためには、無表情を装うしかなかった。
胸中を探る眼差しは、おそらく何の色もとらえられなかっただろう。青年は抑えた声色で続けるのだった。
「政敵である私たちを、何かと排除しようとしてきたのはセウレウス家の方でございました。たしかに、彼らを快く思わず、手を打つべきだという声はありましたが、父は常にそれをたしなめてきたのです。しかしセウレウスは罪を捏造し、父は絞首刑に処されました」
青年の眼差しに、知らずとリヨンは目線を落としていた。
「……私どもは名誉を傷つけられたまま、都を出ることを余儀なくされたのです」
ウェールは気持ちを落ち着けようと、ひと呼吸おいた。次に続けた口調は重く、とどめた感情がわずかに滲んだ。
「私どもは罰を与えられました。しかしその罰に対する罪は、まだ犯しておりません。セウレウスは彼らが被る害を、あらかじめご自身で調和されたのです」
思わずリヨンは青年を見やっていた。ウェールの表情は落ち着いている。いっけん冷静な分、冷たい炎を体の奥底に燃やしているように感じられた。
厳しい視線を青年に向けて、リヨンは口を開いた。
「それは、われわれに対する布告か」
「いえ、殿下」
青年の声つとめて穏やかであった。
「私どもは一度たりとも、殿下を裏切る思いを抱いたことはありません。そのことは、これからも変わることはございません」
訝しむ表情を向けてリヨンは言った。
「バレル公との噂も聞こえている」
「そのような意見の者もおりました。しかし父は常にその考えを戒めてきました」
追求する眼差しのリヨンへ、丁重に言葉を選びながらウェールは続けた。
「私どもはいつでもあなた様に従います。すべては殿下のお思いひとつのことです」
話が見えず、リヨンは眉を潜めていた。青年はまっすぐにこちらを見据えて口を開くのだった。
「ご懐妊の女性のこと」
はっとして青年を見返す。
「セウレウスからお守りせねばならないはず。私どもを、その手足にお使いください」
リヨンの厳しい表情にも、青年に物怖じする様子はなかった。むしろ挑む眼差しであった。口調も穏やかに、ウェールは続けた。
「お二人を傍におかれるため、セウレウスと手をお切りになる必要がございましょう。そのための準備はすべて揃えてごらんにいれます」
語調を強めてリヨンは返した。
「彼女は継承問題に巻き込ませない、とうに決めたことだ」
「殿下、」
ウェールの呼びかけには、諭すような強さがこめられる。
「お選びになれるのなら、どんなに良いでしょう。しかし事態はすでに進んでおります」
ふと冷たいものに体をつかまれた。言葉の真意を探すように、リヨンはウェールを凝視していた。
「セウレウスは人を動かしています。伯爵令嬢をお守りされるおつもりなら、先に討ってでるより他にありません。われわれには三都市以上の協力者とその兵力、それに婚姻に関わる判断のできる祭司の手はずを整えております。——すべては殿下、あなた様のご判断次第です」
リヨンには言葉を発することができずにいた。青年の強い眼差しを見返しながら、内心に動揺があった。いまだ伯父の言葉が胸に重くのしかかっている。
暮れの冷えた空気がひやりと肌をなぜる。辺りが夕闇に沈み始めていた。
「時間をもらえないか」
やっとのことで口を開いてリヨンは言った。それも想定のうちだったか、ウェールは硬い表情のままで頭を深く下げるのだった。
「承知いたしました、ご返答をお待ちいたします」
二人が従者たちのもとへ戻るころ、陽射しは空の彼方へ消え、残照が冬山の頂を赤く色付けていた。
成り行きを見守っていたレウカスの視線が二人を迎えた。厳しい表情には、事態を思い測ろうとする心境が浮んでいる。彼の言わんとすることに応えるように、リヨンは眼差しを向けた。
ウェールの歩みは先まで進んだ。青年の近づくのを待って、レウカスは預かっていた剣を傍らから差し出す。受け取ると彼は王太子へと向き直り、深く一礼をした。それから待たせてあった二人の従者とともに、夕闇の小径を消えていくのだった。
彼らを見送るリヨンの胸中は複雑だった。今しがた聞いた話を、どこまで信じればいいのか。
「どうなさいますか」
その言葉に彼は顔をあげていた。答えを待つレウカスの眼差しは険しい。質問に戸惑ったリヨンへ、レウカスは続けて言うのだった。
「シェネフ家との子を擁立しようというのでしょう」
端的な物言いに胸の内へ翳りが差す。一瞬返答に迷ったが、彼を見返すとリヨンは問いかけた。
「どう思う」
レウカスの面に険しい色が浮んだが、続けた口調は冷静であった。
「セウレウス家の勢力をキリエスから排するには、困難がともないます」
視線をそらしながらも、リヨンは首肯いてみせた。進言は続けられた。
「いずれの道も禍根を残すでしょう。それらをなるべく最小にするためには、どの道を選ぼうとも徹底することです。中道はございません。災いの種を除くのに、手を緩めれば、必ずこの先に歪みを残すものとなるでしょう」
夕靄ごしにリヨンはレウカスを眺めた。ある理解が、頭の中に静かに広がっていた。ほとんど呟くように彼は返していた。
「そうか」
晴れて高く澄みわたった冬空へ視線を投じた。群青の宵闇に、鮮烈な赤い色が混じる。
「災いの種は早くから取り除かねばな。たとえそれが災いとなるか分からなくても……セウレウスもそのように思っているのだな」
思わず言葉がこぼれた。その暗い心境を察したのか、こちらを眺めるレウカスの眼差しに不安の色が差すのが分かって、リヨンは視線を返していた。
案外に心のうちは穏やかで、微笑みを返そうとさえ思ったが、うまくいかなかった。代わりに軽く目を細めてみせから、道の先へと視線を投じる。
「一晩、考えさせてくれ」
幼くは触れ合うこともたやすかったのに、いつの間には二人の溝は大きく広がっている。いまや手を伸ばしても、届くかどうかすら分からない。
これまでとれた判断とは違う。一方をとれば、一方を裏切り捨てなければならない。いずれを選ぶも覚悟が必要であった。
宮殿の私室に戻ると手紙が届いていた。封を切ると、中から色づいた楓の葉がこぼれた。同封されていた紙片には短く、日々の慰めになりますように、と書かれてある。
窓から忍び込む青い闇に紛れながら、秋の色は鮮やかに映った。その場に立ち尽くしたままリヨンは、長らくその二枚の葉を眺めていた。




