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秋はとこしえ  作者: 白九 葵
命のつむぎ
30/37

11

 朝からよく晴れて、穏やかな光が空に満ちた。木の芽はふくらみ、冷たさの中に春の気配がただよい始めている。

 久しぶりに外の空気を吸いに出たいというネフェリンに、ゼオラが付き添った。肌にふれる風はまだひんやりしたが、降り注ぐ陽射しは眩い。邸宅の周辺に護衛兵の姿がちらほらと見えて、ネフェリンは困ったように言うのだった。

「物々しくなったわ」

「ご辛抱ください」

 段差を降りる彼女を支えてゼオラは言う。ネフェリンが微笑みを向けた。

 邸宅の東の庭をふたり歩いた。一群の唐松の向こうは、馬を駆けさせる丘陵地が広がっている。久々の暖かい日で、草の丘に馬たちを遊ばせているのだった。

 馬丁の男が、シクレスを馬の背にあげているところだった。男は手綱を持って歩き始め、少年の小さな体が馬の背中で揺れた。父親に似て丈夫な体格の少年は、すぐにでも馬になれてしまいそうだ。その様子を遠目から眺めていたネフェリンが不満をこぼす。

「私はああいうことしてもらえなかったわ」

「お父様がどれほど心配なさったか」

 ゼオラの苦言にネフェリンは笑ってみせた。幼い日の彼女は、馬にさえ近づけさせてもらえなかったから、人の目を盗んでその背に乗ったのだった。あの日彼女の父は心臓が止まるかというほど驚き、娘を厳しく叱りつけた。もちろんそんなことで、彼女の情熱が抑えられることはなかったが。

「落馬したことないのよ」

 得意げに彼女は言う。ネフェリンの無言の挑戦は、彼女が馬に乗っても何の心配もいらないことを父親に説くためのもので、そうすることでしか示せないことを彼女は知っていたのだ。しかしゼオラからすれば、娘の腕白に繊細な心を痛めていた伯爵の姿を見ているだけに、ネフェリンの無邪気な喜びに、単純には賛同できずにいた。

 複雑な面持ちのゼオラに気づいたか、ネフェリンは風景へと視線をそらした。ふたり自然と沈黙になる。男が馬から離れ、少年は馬の律動に身をまかせはじめた。

「あの人が、羨ましかったのよ」

 ぽつりとネフェリンは言った。ゼオラはその横顔へ目をやる。彼女の眼差しは春の光の中に、遠い昔を眺めているようだった。

 その内に狩りへと同行するようになった友人を、見送る思いは羨望であったか。いやそれとも、とゼオラは思い直す。いつまでも彼と肩を並べる友人でありたいと願ったからこそ、親の不安をよそに、彼女は無茶に挑戦したのだろうか。

 ゼオラも息子へと視線を投じた。菜の花の明るい黄色が遠くの丘を彩る。さわやかな風が緑の絨毯の上を流れた。鼻の先や指を冷やす春の空気は、凛として、遥かな風景まで冴えて見えた。

「この季節が一番好き」

 ネフェリンが呟く。冬が終わり、白色の中に閉じ込められた季節をほどく野山の色彩には、心を明るくさせるものがある。心身の不安定な時期を越えて、ようやく落ち着きを取り戻した彼女が、その思いを季節に重ねているのかもしれなかった。

「秋ではなく、ですか」

 言葉を返したゼオラは、それが案外に彼女の深いところに差し入れた問いであったことに気がついた。言ってしまって口をつぐむ。ネフェリンは一瞬視線を宙にさまよわせたが、変わらず遠くを眺めたままだった。目を細めた彼女がどの季節を眺めているのか、ゼオラには分からない。彼女の横顔に微笑みが浮んだ。

「秋は、いつも淋しい」




 夜の闇はその狭い一室の深くまでしみ込んだ。石壁を照らす蝋燭の明かりが時おり揺れ、その度に陰影の波が室内に広がる。

 バレル公クリツォレイツは奥の席で焦燥の表情を浮かべて座っていた。節くれだった指が、卓上を小刻みに打ちつけている。近くの臣下の男に不機嫌な声を投げた。

「セウレウスはまだ来ぬのか」

「間もなくおいでになると思いますが」

 クリツォレイツの顔が険しくなるのを見て、男は慌てて付け加える。

「遣いを送りましょう」

 室内の重苦しい空気から逃れるように、男は急ぎ足で戸口へと向かった。扉が開くのと同時に、騒々しい外の物音が流れ込んでくる。異変に気づいた一同が顔をあげた。扉を開けた男は思わず身を引いていた。

 階段をのぼる重々しい金属音が続いた。密談に望むのに相応ではない騒がしさに、室内に息をひそめていた男たちは、互いに顔を見合わせるのだった。

 扉は乱暴に押し開けられた。暗い部屋に武装した男たちが流れ込んでくる。男たちはとっさに椅子から立ち上がり、無抵抗を示した。奥に鎮座するクリツォレイツだけが、姿勢を変えずに武装兵を睨んだ。

「何の真似だ」

 低い声は威圧的に響く。

「バレル公爵、あなたを反逆罪で拘束いたします」

 武装兵を率いる背の高い青年が、物怖じのない口調で言い放った。クリツォレイツの顔は怒りで歪んだが、どうにか落ち着けて言葉を続ける。

「何の証拠がある」

 青年が答えないのを見て、公爵はさらに強い物言いで迫るのだった。

「私に対してこのようなことをして、ただで済むとは思っていまいな!」

「告白者がおります、公爵さま」

 遮るように冷ややかな声が言った。クリツォレイツは声の主を捜して、視線をさまよわせる。兵が道をあけた間から、若い男が姿を現せた。王太子に付き従うその若者を、彼も知っていた。血の気の引くのと同時に、怒りが湧き上がった。しかしその場から動けずに、相手を睨みつける。

「告白者だと」

「陰謀罪の嫌疑でセウレウス家をすでに捕らえております。他の者もじきに告白するでしょう。あなたができることは、神に真実を打ち明け贖罪することです」

 いっそう強い憤りを身の内にたぎらせる公爵を、武装兵が取り囲んだ。その腕をとろうとした男の手を振り払って立ち上がると、クリツォレイツは憤然として言うのだった。

「私に触れるな!」

 自ら敵兵の間に進み入った公爵のその脇を、兵たちが固めた。身を引いて道をあけたレウカスは、壮年の男の背中を見送る。気力も体力も盛りのその男が、己の才を惜しみ野望を抱くのも無理のないことだっただろう。怖れもせず堂々と歩む姿は、見る者にその印象を与えた。一室に集っていた公爵の臣下の者たちも捕捉され、主君の後に続いた。




 室内から外に出て、レウカスは夜の外気に身を晒した。塔の下では、クリツォレイツと彼の家臣たちが並べられ、拘束具にかけられるのを待っている。その様子を眺める彼に、長身の兵士が声をかけた。

「セウレウスを捕らえたというのは、真実ですか」

 肩越しに青年を見やって、レウカスは眼下へと視線をもどした。

「そうだ、自白は時間の問題だが」

「見事ですね」

 若さの割に落ち着いた声が耳に届く。

「セウレウス家とバレル公が通ずるように橋渡しをした。彼らはそれと気づかずに、あなたの手の内で泳がされたのですね」

 レウカスは振り返らなかった。ことはそれぞれに指示して、計画の全容は誰にも打ち明けなかったが、動向をよく見ていれば察せないものでもなかっただろう。青年が彼を慕うことは知っていたが、自分のどこを見ていたか、ふと気づかされた。

「グメリンの戦役も、手はずは全てあなたが整えられたと聞きました——ダンブリの城主に送った布告文を、謀って数日遅らせたのもあなたですね」

 夜風がわたる。春の風が運ぶ森の匂いが辺りに漂った。

「なぜ全てをお話せず、王太子の手柄にされたのです。真に評価を受けるのは、あなたであったはずなのに」

 並べられた男たちが後ろ手に拘束を受ける。森は静けさを取り戻しつつあったが、場に物々しさは残った。馬が整えられ、そろそろ下階に戻る頃合いだった。足先を螺旋の階段へと向け、青年の質問に答えを返す。

「名を知られぬ方が、警戒されず動きやすいものだ」

 その言葉に、青年ロッジアンの面に納得した色は浮ばなかった。彼の主君に対する、ある種盲目的な献身を見抜いて、批判しているようでもあった。呼びかけの声に青年へと背を向けると、レウカスは地上に続く階段をおりた。

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