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採光窓の向こうがうっすら明るんで、夜明けが近づいていることが分かった。何の音も届かない果ての土地に、淡い光だけが満ちるようだった。
寝台を抜け出すとリヨンは、まだ寝ているネフェリンに外套をかぶせた。服を着ると上着をぞんざいに羽織って、居間へと足を向ける。
曇った明け方の鈍い光が、暗い部屋をぼんやりと浮かび上がらせていた。昨晩つけた炉の火種がまだくすぶっているのを確認して、新しく薪をくべる。冷え込んだ狩猟小屋を、少しでも早く温めたかった。
水袋の水はまだ残しておきたい。外につもった雪を温めて融かそうか。考えを巡らせていると、ふと外に人の気配を感じた。
シェネフ家からの迎えにしては早すぎるように思えた。だが、思っているより日は高く登っていたかもしれず、リヨンは炉端を立ち上がって扉へと向かった。取っ手に手を伸ばしたとき、扉は外側に大きく開かれる。冷たい空気がどっと流れ込んできた。
乱暴に開いた扉に驚いて見上げると、メイオの冷然とした眼差しが注がれていた。義兄の肩のその向こうに、気まずそうな表情のナトロの姿がある。
あまりのことにリヨンは返す言葉を失っていた。不審に思うことがあっても、彼自身がこの狩猟小屋まで足を伸ばすとは思っていなかったのだ。
「エピウゾン伯の屋敷がこの辺りにあったことを思い出しましてな」
狭い部屋にその声はよく響いた。言いながらメイオは、じっくりと室内を眺めまわすのだった。
「それで、森に倒れていた者は、無事でしたか」
義兄の視線はリヨンへと向けられていた。答えずにいる彼をいっそう冷えきった眼差しで見やって、メイオは食卓へと歩む。目線の先が厨房へと続く扉で止まる。椅子をひくと彼は乱暴に腰掛けた。
シェネフ家の家臣が迎えにくるまで、この場で待とうと言うのだ。肘をつくとメイオは親指でこめかみをほぐすようにした。その背中を見つめるリヨンの胸には暗く重いものがのしかかっていた。
そこらの娘との一夜の遊びが咎められることはなくても、彼らとの婚姻を躊躇させた相手である。しかも妹夫婦はまだ子供をもうけていない。その相手を見定める必要が、この男にはあった。
憂慮する眼差しを奥の扉へ向けたとき、その向こうに立つ物音を聞いた。
わずかに開かれた扉に、とっさにリヨンは歩み寄っていた。遮るように戸口に立った人影に気づいたか、ネフェリンも暗がりの奥に身をとどめたのだった。
「あの、」
戸惑う声がもれる。リヨンは沈鬱な面持ちを伏せていた。
「迎えがきたら呼ぶ、それまでは部屋にいるんだ」
声を低めて言ったが、背後には痛いほどの視線を感じた。メイオの目にはどう映ったか、しかしそれでも、義兄の辛辣な眼差しに彼女をさらしたくなかった。
「……はい」
少しの沈黙ののち、か細い返事が返される。
扉の向こうの影が揺れるのを見て、リヨンは空いていた扉を締めた。彼女の顔に浮んでいたのが、失望であったか、悲しみであったか、リヨンにははっきり分からない。昨日の今日で彼女をないがしろにしている、身勝手な自分自身に嫌気がさした。
ふたりに事情があったことは隠して通るものではなくなっていた。暗澹とした気持ちでリヨンは室内へ向き直った。
ナトロはそれとなく視線をそらしたが、メイオはそうではなかった。顎をなぜなら、彼の言い訳を待つのだった。その視線をあえて流して、炉の方へ歩み寄る。
炉端にかがむとリヨンは火の加減を調節した。伯父が息をつくのが聞こえる。メイオが座る姿勢を変えて、その視線はそらされたが、部屋に満ちる重い空気は変わらなかった。
火が勢いをもつと、乾いた薪ははぜて音をたてた。シェネフ家の迎えを待つうちに、寝室にひとり残されたネフェリンが気がかりになった。そういえば体調は大丈夫だろうか。今回のことの責めを自分に負わせてはいないか。しかし、この場所で待つより他になく、ただ時間が過ぎるのをに耐えた。
どのくらいたったか、表に馬の足音を聞いた。急ぎ駆け込んでくるような忙しなさがある。はっとして顔をあげたのは、部屋にいた三人とも同じだった。
リヨンは立ち上がって入り口へと向かった。扉をひらくと、昨晩のうちに降った雪が薄くつもっている。その白の景色にシェネフ家の大男が立っていた。
従士の男は一瞬目を細めてリヨンを見た。急なことで緊迫した面持ちだったが、その眼差しは、懐かしいものを眺めるようでもあった。
「お嬢様がこちらにおいでだと伺いました」
歩みを向けながらゼオラは言った。
「奥にいる」
男を迎えてリヨンは答えた。部屋に踏み入る前に、ゼオラの視線がちらりと室内を見やる。その重い空気におそらく彼も気がついただろう。平静を装ってリヨンは彼を中へと案内した。
押し黙った二人の中年男の間をくぐり抜けて、リヨンは厨房の扉を開けた。その先に寝室がある。寡黙な男になにごとかと尋ねる様子はない。次の扉を開いたとき、寝台のふちに腰掛けていたネフェリンが顔をあげた。
驚いたような彼女の顔を見て、リヨンは安堵を覚えていた。ゼオラが寝室に近寄ると、混乱を隠せずにネフェリンが口を開く。
「あの、私……」
言いかけたが、言葉は続かない。
ゼオラは寝台の上をちらりと見ただけで、何も言わなかった。彼女の方が、自分の身の上に何が起こっているのか、分かっていないようだった。
リヨンはネフェリンによって、彼女の外套をとると、その細い肩にかけた。
「参りましょう」
ゼオラに声をかけられて、彼は立ち上がった。
寝台に手をついておき上がろうとしたネフェリンの肩を、ゼオラが抱えた。彼女の脚と寝台の間に腕を差し入れて、小柄な体を軽々と持ち上げる。
「歩けるわ」
ネフェリンは驚いて言ったが、男は答えずに、体勢を整えて彼女の体を持ち直すのだった。
一見、過保護に思えた行為の理由を、リヨンはすぐに知ることとなった。彼が先に立って厨房を抜けると、居間には沈鬱なふたりの男と、戸口で所在なく立っているレウカスの姿があった。
彼らの傍を通り抜けるときシェネフ家の家臣は、抱えていた女主人を、その胸に引き寄せるようにした。そのために少なくとも彼女は、その身に注がれる不躾な視線に出会わなくてすんだのだった。メイオは女の顔を見ることができないと気づくと、興味がなさそうに顔を背けた。
外には重い雲が垂れ込めていたが、空気は乾いていて、雪の様子はなかった。ゼオラは馬屋の傍まで近づき、ネフェリンを石積みの上に下ろした。
男が馬の紐を解く間、リヨンは彼女に寄って身を屈め、その手をとった。混乱から覚めない彼女に、変わらない気持ちを伝えておきたかった。冷えた手を握りしめると、言葉をかける。
「近いうちに連絡する」
見つめ返したネフェリンの眼差しには、憔悴の色が浮んでいた。不安はあったが、一度つなげた気持ちをほどくつもりはなかった。昨日には、また会おうの一言が言えなかった彼らが、今は約束の言葉を口にしている。そのことだけで彼は、得難いものを手にしたのだという気がしていた。
ふたり懸念なく傍にいれるようになるには、時間がかかるだろう。それまではほとんど会うこともできないかもしれない。それでも、同じ道を生きるのだと決めていた。その先の道は、寄り添ってともに歩む道だと。
ゼオラに支度ができると、リヨンは立ち上がった。従士の男は女主人の手をとって身を起こさせると、重たげな体を馬上へと誘導する。おって自分も馬の背にまたがった。
リヨンへと視線を交わして、ゼオラは馬を歩ませた。馬は荒い斜面をゆっくりとのぼる。リヨンはしばらくその姿が冬空の下に遠ざかるのを見送った。
背後の気配に振り返ると、ナトロの呆れたような顔があった。その眼差しはリヨンへとじっと注がれている。彼は気まずさから、視線を風景の向こうへと投じていた。
「あの娘を守りたいなら、何ももたせてはいかんぞ」
口調は厳しかったが、責めるようなものはなかった。やっとの思いで伯父へと視線をむける。その肩越しに、戸口へ姿を現せたメイオの姿を見た。扉の傍でこちらを不安げにうかがっていたレウカスが、はっとして道を空けるのだった。
リヨンの表情の変化に気づいたか、ナトロも背後をちらりと見やった。シェネフ家の馬が姿を消したその地平へと眺め入るメイオは、その胸中にあるものを、場にいる彼らに示そうとするかのようであった。
「言っていることが分かるな」
メイオは声を低めた。今度は彼から目をそらさずに、リヨンは首肯いてみせた。




