第一章 天女降臨
第一話後半
「ψδй、λρ?」
あたしと桔梗は顔を見合わせた。
「今、なんて言ったの?」
「さあ、外つ国の言葉のようでしたわね?」
「φκ、Жωιζ、μεσ……」
またしても、あたしたちの知らない言葉だった。
あたしと桔梗は途方に暮れてしまった。
これが天上界の言葉なのかしら?でも、あたしには天上界の言葉なんてわからないし、言葉が通じないんだったら、どうしたら……。
そうよ!言葉がわからなければ、気持ちを伝える方法は一つしかないわ!
あたしは首を大きく横に振って、両手を左右に動かした。
「あのね、天女さまのお言葉がわからないの」
あたしの身振り手振りが通じたのか、“天女”は短い驚きの声をあげた。
「天女さまはね、五日間も意識がなかったのよ。なにか食べないと身体が持たないわ。ねっ、一口でもいいから、お食事を召し上がれ」
あたしは、お腹に手を当ててひもじそうな顔をした後で、口にご飯を運ぶしぐさをした。
“天女”はあたしの言っていることがわかったように、コクンとうなずいた。
それだけのことが、あたしにはなんだか無性にうれしかった。
「どうやらわかってくれたみたい!桔梗、急いでお粥を持ってきて」
返事がないのを変に思って後ろを見ると、桔梗は、あたしの声も耳に入らないほど“天女”に見とれていた。
しかたなくあたしが袖を引っ張ると、ようやく気づいて、気恥ずかしそうにパタパタと部屋を出ていった。
あわてて駆け出したりしたものだから、途中で衣のすそをふんずけて、けつまずきそうになっている。
「ありが、とう」
桔梗の後ろ姿を見送っていたあたしの耳に、その声ははっきりと飛び込んできた。
あたしはびっくりして“天女”を振り返った。
“天女”はわずかに微笑んでいた。
それだけで、やつれの目立つ顔にパア―ッと華やかさが広がっていくようだった。
「……今、ありがとうって言ったわよね。あたしたちの言葉がわかるの!?」
「はい。お話を、聞いて、いる、うちに……」
まだ話すのもつらいのか、ゆっくりと区切るように“天女”は言った。
涼やかで冴え冴えとした、清流を吹きぬける風のように透明感のある声だった。
「よかったぁ!あたしね、聞きたいことがいっぱいあったの。あっ、でもまだ無理よね……でも、これだけは教えて?あたしは綺羅って言うのよ。あなたのお名前は?」
“天女”はきつく目を閉じた。
まだ意識がはっきりしていないのか、一生懸命思い出しているといった感じだった。
「………セ、イラ」
からまった記憶の中から、ようやくその言葉を選び出したように、ポツリとそう言った。
「そう、セイラさまって言うの。ねえ、セイラさまは天女さまなんでしょ?」
セイラと名乗った“天女”は、一瞬あどけない顔をして、小さくくすっと笑った。
「セイラで、かまいませんよ、綺羅姫。私は、天女では、ありません。私は、男ですから……」
「ええ――っ!!」
あたしは思いっきり大声で叫んでしまった。
オ、ト、コォ――!!
こんなに麗しい顔をしていて、男ですってぇ――!
それがほんとなら、世の女たちは完全に顔負けしてるじゃない。そんなの詐欺よ――!
心の中で叫びながら、あたしは興奮しすぎて、またしても胸がドキドキしてきた。
「でっ、でも……じゃあ、セイラさま…セイラは神さまかなにかなの?神さまって、ずうっと昔から生きてるんでしょ?こうして見てると、あたしと同じくらいにしか見えないけど、セイラっていくつなの?」
「……十七、歳……」
「ええ――っ!!」
あたしは、病人の前だというのに、またまた大きな声で叫んでしまった。
だって十七歳って言ったら、あたしより年下ってことになるじゃない!
ちなみにあたし、綺羅ただ今十八歳。篁、十七歳。
って言うことはつまり……篁とおない年ぃ――!
「十七歳って、じゃあ、神さまのなりたてなの?それとも、御仏のお使いのようなものかしら?」
セイラの顔が、少しだけくもったように見えた。
「なぜ……私を、神だと?」
「だって、セイラは空から降りてきたのよ?普通の人にそんなことできると思う?セイラが神さまじゃないんなら、一体どこから来たの?」
意識が戻ったばかりの病人に、こんなにポンポン質問しちゃいけないってことはわかってる。
セイラは混濁した記憶の中から、一生懸命答えてくれているけど、ほんとはひどく疲れているはずだもの。
あたしだって、最初は名前だけ聞いたら、後で元気になってからいろいろ聞こうって思ってた。
でもここまできたら、あたしの好奇心は止められない。
謎だらけのセイラの正体がなに者なのか、あたしはどうしても知りたくなった。
矢継ぎばやの質問に、セイラのととのった顔立ちが、突然苦痛にゆがんだ。
頭痛がひどいのか、懸命に頭を押さえている。
あたしは見ていてはらはらした。
今さらのように、しゃべり過ぎたことを後悔しないではいられなかった。
「セイラ、どうしたの?頭が痛いの?……あたしがあんまりうるさく聞いたせい?」
セイラは頭をかかえながら、うめき声をあげた。
苦痛に必死で耐えているそのようすは、まるで自分の中のなにかと戦っているようだとあたしは思った。
「もういいわ、セイラ。ごめんね。今、無理に思い出さなくてもいいのよ。後で元気になってからいくらだって……」
「わからない――!」
額にうっすらと汗をにじませたセイラが、のどの奥から声をしぼりだすようにして言った。
「えっ」
あたしは一瞬息が詰まった。
セイラは絶望的な口調で、もう一度くり返した。
「なにも、わからない!!γτξεμοθч……!!」
第二話へつづく




