「カプセルの少女」
目が、合った。
蓮は反射的にパイルバンカーを構え——そのまま、止まった。
カプセルの中から覗いていたのは、少女だった。
青白い照明のなかで、銀白色の髪が水中の海藻のように揺れている。薄紫の瞳。肌は作り物のように白く、表情は——ない。
恐怖も、驚きも、安堵も、何もない。
まるで、視界に入ったレンを、カメラが物体として認識しているだけのような、そういう目だった。
蓮はゆっくりと息を吐き、パイルバンカーを構えたまま、計測器に視線を落とした。
マナ濃度、三・二倍。
少女が目を開けてから、更に上昇している。
「……あんたが、原因か」
独り言のつもりだった。だが、カプセルの中の少女の唇が、微かに動いた。
『……管理者?』
声は、カプセル越しなのに、蓮の耳元で囁かれたように聞こえた。マナ・ネットワークを経由した直接的な音声伝達。能力者でもない蓮にこの現象が届いている時点で、相手は明らかに普通ではなかった。
『……いえ。あなたはログイン権限を持っていない。——何者?』
蓮は短く考えてから、答えた。
「生憎とただの不法侵入者だ」
少女は数秒、蓮を見つめた。
それから、こう言った。
『不法侵入者は、殺処分の対象です。——ですが、私には現在、防衛プロトコルの発動権限がありません。あなたは運がいい』
「そうかい」
蓮は皮肉で返した。
運がいいとは思わなかった。この少女が何者であれ、防衛プロトコルという単語を持っている時点で、少女ではない。人間ではない。何か別のシステムだ。
カプセルの周囲を覆う蔓が、内側から押し返されるようにざわついている。植物は少女を守っているのか、拘束しているのか、判別がつかなかった。
蓮はカプセルに一歩近づき、指先で外装を叩いた。
コッ、コッ、コッ。
企業技術開発局の製品に特有の、密閉用合金の響き。蓮は父の工房で、何度もこの音を聞いていた。
依頼書の『ブラックボックス』とは、これだったのか。
——ブラックボックスの中身は、少女だ。
蓮の中で、仕事の性質が書き換わっていく。
「——あんた、名前は」
問いかけた。
少女は数秒、まばたきを忘れたように蓮を見つめ、それから答えた。
『識別ID:M-I-O/ミオ。プロジェクト内呼称です』
「ミオ、か」
『はい。名前を呼ばれました。応答義務が発生します。——指示をどうぞ』
蓮は眉をひそめた。
この少女は、名前を呼ばれると命令待ち状態になるらしい。どういう仕様だ。いや、どういう育て方だ。
嫌な気配が、腹の底に沈んだ。
蓮は質問を変えた。
「呼び方は、後で考える。——それより、このカプセルは開けられるか」
『開錠手順は六段階。外部装置でのマニュアル解放が可能です。工具があれば——三分で開きます』
「あんた、ここから出たいのか」
数秒、ミオは蓮を見つめた。
それから、ほんの僅かに、首を傾げた。
『……出たい、という感情は、私には実装されていません。ただ、出ることが効率的だと判断しました。——ここには、まもなく回収班が来ます』
「回収班?」
『企業特務執行部・第三分隊。特務執行部隊長ヴォルグ。能力:重力制御(A級)』
蓮はカプセルから一歩下がった。
重力使いが、ここに来る。
計測器が、また数値を変える。三・五倍。だがこの上昇は、ミオのせいではない。扉の方から、別のマナの共鳴が近づいていた。
足音は、まだしない。
だが、蓮にはわかった。来る。
残り時間——おそらく、一分もない。
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蓮はパイルバンカーを背中に戻し、腰のジャマーを片手に掴んだ。
カプセルの外装に、目を走らせる。解錠ロックは側面に六つ、同時解除式。外部からの強引なこじ開けは——可能だが、時間がかかる。
ミオが、感情のない声で言った。
『私を連れていくつもりですか』
「まさか」蓮は振り向かずに答えた。「俺は依頼された落とし物を拾うだけだ。依頼主は企業。あんたは回収対象だ。俺の仕事は、——」
言いかけて、蓮は止まった。
依頼書の文面を、もう一度思い出す。
『ブラックボックスの回収』。依頼主:非公開。報酬:新型アテロイド・バッテリー三個。
依頼主が企業だと、誰が決めた?
死体の特務部隊が持っていた端末は、第七世代暗号。企業の標準装備。つまり——彼らが既にこの場に来ていたということは、企業は既に回収作業を試みて、失敗したのだ。
だとしたら、蓮に仕事を振った依頼主は、企業ではない。
では、誰だ。
企業に知られずにこの位置情報を入手できて、蓮のような非合法回収屋に接触できて、新型バッテリー三個を報酬として用意できる——そんな組織は、限られている。
反体制勢力。ジオフロント、あるいは——ジャンク・ギルド。
蓮の背中に、冷たいものが走った。
サキが、この依頼を自分に振った理由。
彼女が「罠の匂いがする」と言いながら、最終的にジャマーを三つ持たせて送り出した理由。
——サキは、依頼主の正体を知っていた。
「……くそ」
蓮は、短く毒づいた。
彼女に問い詰めるのは、帰ってからだ。今は、目の前の状況を切り抜けるのが先だった。
ミオを見た。カプセル越しの少女は、無表情のまま、蓮の思考を観察するように見つめ返している。
蓮は決めた。
「——ミオ。開錠コード、言ってみろ」
『はい』
少女は即座に、六桁のコードを読み上げた。
蓮は手早くカプセルの側面パネルを開け、コードを入力していく。電子ロックが順番に解除される音。一、二、三。
同時に、遠くの廊下で——音がした。
足音ではない。空気が歪む音。何かが、マナの分布を捻じ曲げながら接近している。重力制御の特徴的な余波だった。
蓮はコード入力を続けた。四、五。
そして、最後の桁を押し込んだ瞬間、廃墟の壁面が——歪んだ。
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天井の崩落物が、重力の方向を失って宙に浮いた。
蓮の足元の床が、ぐにゃりと粘度を持ったように沈む。外骨格のブースターが自動調整を試みるが、重力の「向き」そのものが揺らいでいるので、補正が間に合わない。
扉の向こう——廊下の奥から、三人の影が歩いてきた。
先頭の男。長身。漆黒の特務服。腕には企業の階級章。重力使い・ヴォルグ。
ヴォルグは歪んだ廊下を、普通の廊下を歩くように真っ直ぐ進んできた。彼自身の周囲だけは、重力が彼に従っている。周囲が歪んでも、彼は揺るがない。
部屋の入り口で、男は一度足を止めた。
蓮を見た。カプセルの側面に取り付いている、見覚えのない小柄な男。
次にカプセルを見た。半開きになった外装、内側から押し出されようとしている少女。
そして——笑った。
「ほう」
ヴォルグが、嗤った。
「第三分隊が壊滅した廃墟に、一人で来たのか? しかも、能力の共鳴も感じられん。——お前、無能者か」
「ああ、悪いな」
蓮は答えた。顔を上げ、パイルバンカーの安全装置を外す手を止めずに。
「無能者じゃ、足りなかったか?」
「いや」
ヴォルグは両手をゆっくりと広げた。部屋全体の重力が、下向きから上向きへ反転し始める。
「丁度良い。——無能者が、能力者に楯突くとどうなるか。一万年早いということを、死ぬ前に教えてやろう」
天井に叩きつけられる寸前、蓮はカプセルの側面に最後のコードを叩き込んだ。
空気が抜ける音。カプセル外装が展開する。
そして、ミオが——地面に、普通に立っていた。
蓮の体は天井に押し付けられ、動けない。だが、ミオの周囲だけは、重力が正常だった。ヴォルグの能力は、彼女には及んでいない。
ヴォルグの表情から、笑みが消えた。
「——なんだ、それは」
ミオは、無表情のまま、蓮の方を見上げた。
そして、淡々と告げた。
『管理者不在。現在の状況を、上位権限で報告します。——不法侵入者・重力制御A級・単独。対応案を提示:排除が最も効率的です』
「……」
蓮は、天井に貼り付いたまま、ゆっくりと笑った。
なるほど。
この少女は、ヴォルグにも、俺にも、対処するつもりがない。
ただ見ているだけだ。
蓮は右手に握ったままのジャマーを、親指で起動モードに切り替えた。重力で体が動かないなかでも、指先だけは動かせる。
ヴォルグが、両手を蓮に向けた。止めの重力圧を、かけようとしている。
蓮は歯を食いしばり、呟いた。
「——一万年もいらない」
ジャマーのスイッチが入る。
「三秒でいい」
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第3話 完




