「虚飾のヒーロー」
暗闇の中、青白い光だけが机の上に落ちていた。
工藤蓮は、分解途中のパイルバンカーを前にして、工具を握り直す。シリンダーの内部にこびりついたアテロイドの残留物を、細いワイヤーブラシで丁寧に削ぎ落としていく。作業机の端では、サブモニターが無音のまま映像を流し続けていた。
画面の中では、派手な金髪の男が笑っている。ライトニング。チャンネル登録者数三百万人超え、プラチナランクの公式ダイバー。配信のタイトルは『第五十層全域攻略スペシャル』。視聴者数のカウンターは、二百八十万を超えて、まだ上がり続けていた。
蓮は画面を一瞥して、小さく息を吐く。
「スターは今日も死ぬな」
独り言だった。誰に向けたわけでもない、ただの感想。ワイヤーブラシを置き、替え刃を摘む。そのとき、モニターの映像が一瞬、砂嵐状のノイズに覆われた。
次の瞬間、画面は真っ暗になった。
『信号が失われました』——無機質な企業のロゴだけが、白い文字で浮かんでいる。
蓮は工具を置き、椅子の背もたれに体を預けた。右目の下の古い傷痕を、無意識に指でなぞる。
「……ほらな」
独りごちて、立ち上がった。
この後すぐに、サキが裏部屋の扉を叩くはずだった。
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時間を、三十分ほど巻き戻す。
第五十層「バイオ廃墟」。かつては地上の高級ホテルだった構造物が、巨大な蔓性の植物に飲み込まれ、地下の闇の中で緑と灰色の幾何学を描いている階層だった。大理石の柱には血管のように蔦が絡み、天井から垂れ下がる根は、崩れかけたシャンデリアと絡み合って異様な美しさを作っている。
崩れかけたロビーの中央に、男が立っていた。
「——お待たせ、諸君ッ!」
ライトニングが両腕を広げる。
その瞬間、彼の周囲で待機していた十二機の浮遊ドローンが一斉に散開した。最上位機種のシネマ・ドローン。各機が彼を最も映える角度から同時に撮影し、そのリアルタイム編集映像が即座に配信ストリームに乗っていく。空中にはスポンサーロゴのホログラムが三次元で展開され、ギガ・フロート社製装備、アテロイド・エナジードリンク、浮遊居住区の高級マンション——人気ダイバーを支える広告群が、光の洪水となってライトニングを照らしていた。
視聴者数のカウンターが、右上で跳ねる。
二百八十万。二百九十万。
コメントの奔流が画面を埋める。『ライトニング様ぁぁぁ』『今日も最強!』『スパチャ10000CR、期待してます』『A級植物ってマジ?』
『今日の相手は、この廃墟に巣食ったA級植物型モンスター、《ブラッド・アイビー》!』
ライトニングが声を張り上げる。配信用のテンションだ。地声より半オクターブ高く、語尾を伸ばす独特の節回し。
『なんとこの個体、先週プラチナランクの同僚三人がかりで挑んで敗走したっていう、いわくつきのヤツだ! 普通なら、S級チームを編成して、じっくり時間をかけて攻略する相手だぜ?』
画面下に編集スタッフが入れた緊迫感を煽るBGMが流れ始める。
コメントがさらに加速する。『マジかよ』『やばくね?』『死ぬな、ライトニング!』『投げ銭爆撃準備ok』
そのタイミングで、ライトニングは芝居がかった溜めを作る。うつむき、両手を広げ、ゆっくりと顔を上げる。
『でも——安心しろ』
指先に、紫色の電光が線香花火のように集束し始めた。
『俺は、S級候補のライトニング様だぜ?』
電光が手のひらで渦を巻く。スパチャ通知音が狂ったように連打される。一万、五万、十万CR。
『お前らが投げてくれた期待に——百倍で応えてやる!!』
空気が裂けた。
指先の電光が、ライトニングの全身に広がる。紫色の雷が、彼自身を鎧のように包み込んだ。髪が静電気で逆立ち、瞳孔が雷光で白く発光する。天井のクリスタル状のアテロイド結晶が共鳴して、ロビー全体が青白く輝き始めた。
この層のマナ濃度は標準の一・五倍。能力者にとっては、楽園のような場所だった。
蔓の奥から、地鳴りのような重低音が響いた。
巨大な怪物が、姿を現す。
全長二十メートル。血のように赤い花弁の中心に、三つの眼を持つ捕食花。周囲からは数十本の触手状の枝がうねり、先端には鋭い棘がびっしりと生えている。一本の触手がロビーの大理石の柱を紙のように引き裂き、別の触手は崩れかけたシャンデリアを叩き落とした。破片が配信ドローンの一機を直撃し、画面の一部がノイズに覆われる。
視聴者コメントが悲鳴で埋まる。『でけえ』『ガチで死ぬやつだ』『逃げろライトニング!』
『ハハッ、見ろよこれ!』
ライトニングは、笑っていた。
『コイツだよ、コイツ! こういうのを相手にしなきゃ、配信映えしねえだろ!』
彼は両手を構える。
そして——わざと一歩、後退した。
演出だ。視聴者に「追い詰められている」と錯覚させて、逆転のカタルシスを最大化するための配信テクニック。シネマ・ドローンがその後退を、まるで強敵に気圧されているかのような角度で撮影する。編集スタッフがスローモーション処理を加え、さらに緊迫感を煽るBGMを重ねる。
巨大な触手が、四方向から同時に振り下ろされた。
『第一ラウンド、ライトニング・ストライク!』
ライトニングが両手を交差させる。交差した腕から放たれた紫電が、十字の結界を空中に展開した。触手は結界に触れた瞬間、先端から根本まで青白く炭化し、ぽとりぽとりと地面に落ちていく。コメントが爆発した。『かっけぇぇぇ』『これがプラチナかよ』『マジ神』。スパチャの合計が三百万CRを超えた。
ブラッド・アイビーが咆哮を上げる。赤い花弁の中心から、第二陣の触手が生え始めた。倍の本数。倍の速度。倍の太さ。
ライトニングは跳躍した。
紫電を足の裏に集束させ、雷の推進力で天井近くまで垂直に跳び上がる。ドローンが三機、彼を追尾して空中戦の迫力ある映像を配信に流し込む。
『第二ラウンド、サンダー・ダイブ!』
空中でくるりと反転し、逆さまの姿勢で両腕を前に突き出す。
指先から放たれた紫電が、雨のように怪物の上半身に降り注いだ。無数の雷槍が花弁を貫き、触手を切断し、赤い液体——怪物の体液——が四方に飛び散る。スポンサーロゴのホログラムに血飛沫が付着し、編集スタッフがすぐさまフィルターをかけて視聴年齢制限を回避する。
コメント欄が爆発していた。『うおおおおお』『ライトニング様あああ』『これ演出じゃなくて本物?』『推せる』。投げ銭の花火が画面を埋め尽くし、累計八百万CRを突破する。
怪物は、まだ死んでいなかった。
赤い花弁の中心に隠されていた第三の眼が、ぎょろりと見開かれる。ブラッド・アイビーの本体——この捕食花の核は、そこにあった。残された数本の触手が、ライトニングの着地点を予測して同時に突き刺さる位置に構えを取る。
ライトニングが落下してくる。
触手が、彼を迎え撃つ。
——普通の能力者なら、ここで死んでいた。
だがライトニングは、落下の直前に、自分の体から全方位に紫電を放った。空気そのものを電離させ、体を一瞬だけ帯電粒子に分解する——プラチナランクの上位技、《フラッシュ・フェーズ》。触手は彼の体をすり抜け、空振りする。
次の瞬間、彼は怪物の真正面——第三の眼の直上に、肉体として再構成された。
『第三ラウンド——』
ライトニングが両手を頭上で合わせる。
全身の紫電が、一点に集束していく。天井のアテロイド結晶がすべて共鳴し、ロビー全体が昼間のように明るくなった。彼の周囲の空気が真空化し、視聴者のコメントは『ひいいいい』『やべえええ』『これがS級候補かよ』で埋まる。
集束した紫電は、巨大な槍の形を取った。長さ五メートル、直径一メートルの、純粋な雷の具現化。
『——ライトニング・ジャベリンッ!!』
投擲。
紫の槍は、ブラッド・アイビーの第三の眼を一瞬で貫き、核を爆砕した。爆風でライトニングが後方に吹き飛ばされ、着地と同時に紫電の残滓を振り払う。
ロビーに、真紅の花弁の雨が降り注いだ。
沈黙。
そして——視聴者コメントが洪水のように流れ始めた。『神』『神すぎる』『A級を一人で瞬殺』『やっぱS級』『殿堂入り配信』『スパチャ100万!』『結婚してください』。
ライトニングは、息一つ乱さずに立っていた。
ドローンが彼を下から煽りで捉える。返り血に濡れた紫電の王。彼はゆっくりと顔を上げ、正面のメインカメラに向かって、あの決め台詞を口にする準備をする。
『これが——選ばれた才能の世界だ! 見ろよ、無能者どもよ、これが本——』
言葉が、途切れた。
ライトニングの目が見開かれる。
胸元から、黒い何かが突き出していた。
彼自身にも、それが何なのか理解できていないようだった。紫電をまとった彼の右手が、震えながらそれに触れる。鮮血が、スポンサーロゴのホログラムに飛び散った。
視聴者コメントの流速が、一瞬で跳ね上がった。『え』『は?』『演出?』『マジ?』『ライトニング?』——疑問符の嵐の中、ライトニングが崩れ落ちる。
ドローンの一つが、彼の顔を最後までアップで捉えていた。
絶望でも恐怖でもない、ただ理解が追いつかないという表情のまま、その目が光を失った。
残った十一機の浮遊ドローンが、次々と何か見えないものに撃ち落とされていく。視聴者コメントが『なんだこれ』『誰か助けて』『運営対応しろ』で埋め尽くされた瞬間、最後の一機が地面に叩きつけられて砕け散った。
映像はノイズに覆われ——やがて、暗転した。
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蓮は工具を置き終え、パイルバンカーのシリンダーを閉じた。
整備完了。あとは弾頭を装填するだけだ。
裏部屋の扉が、二度叩かれた。
「レン、起きてるかい」
扉の向こうから、阿久津沙希の声。
「ああ」
蓮は答え、扉を開ける。
赤毛をショートにまとめた女が、片手にホログラム端末、もう片方に湯気の立つマグカップを持って立っていた。左頬には古い火傷痕。油と機械油の匂いが、彼女の周りにはいつも漂っている。
サキはマグカップを蓮に押し付けながら、端末を放った。
「重要機密の回収依頼。第五十層」
蓮は端末を受け取り、コーヒーを啜る。角砂糖は入っていない。サキは蓮の好みをわかっていた。
「……」
彼は端末を黙って眺めた。
依頼主は非公開。目標は『ブラックボックスの回収』、座標は第五十層の最深部、元スイートルームとされる区画。期限は六時間以内。
そして——報酬欄。
「CRじゃない」
蓮が呟いた。
「そう、現物支給」サキが腕を組む。「新型アテロイド・バッテリー、三個。シャード換算で——まあ、お前が半年は食っていける額だよ」
「気前がいい」
「気前が良すぎるんだよ」サキは鼻で笑った。「どう考えても罠の匂いがする。——あたしはこの仕事、断ってもいいと思ってるんだけどね」
蓮はコーヒーを一口飲んで、依頼書の座標をもう一度見た。第五十層の最深部。ライトニングが配信していた場所の、そのさらに奥。
「……ライトニング、死んだよな」
「らしいね。さっきネットで見た」
「配信の最後、マナ波形が妙だった」
「お前、録画してたのか」
「一応ね」蓮は振り向かずに答えた。「あの波形、ライトニングの雷じゃ作れない。何か別の『能力者じゃないもの』が、あの場にいた」
サキが眉をひそめる。
「それでも行くつもりかい」
「行く」
「理由は」
「俺が一番、知りたいんだ」蓮はマグカップをカウンターに置いた。「ライトニングをああいう殺し方ができる『何か』が、あの階層にまだ残ってるかもしれない。——だとしたら、俺はそれを見ておきたい」
サキは数秒、蓮の顔を見つめた。
それから、舌打ちをひとつして、戸棚の引き出しを乱暴に開けた。取り出したのは、手のひらサイズの黒い装置が三つ。最新ロットのアテロイド・ジャマーだった。
「持っていきな。サービスだよ」
「三つ?」
「三つでも足りるかわからない。だから三つだ」
蓮は装置を受け取り、腰のベルトに固定した。重み。いつもの感触。
サキは腕組みを解き、カウンターに肘をついて、もう一度蓮を見た。
「レン。死ぬなよ」
「ああ」
短い返事。それ以上の言葉は、二人の間では必要なかった。
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ジャンク屋の裏口を出ると、中層第二十層の路地は、いつものように薄暗かった。
頭上の層間隔壁——この階層の『天井』にあたる分厚いコンクリートには、苔と配管と、古い広告の残骸がこびりついている。遠くで青白い電光が走った。あれは公式ダイバー用の層間エレベーターの起動光だ。
蓮はフードを深く被り、戦術外骨格のベルトを締め直した。背中にはパイルバンカー。腰にはジャマー三基と、予備のアテロイド弾頭が十発。装備としては、中層探索としては過剰で、深層行きとしては不足——という、微妙な水準だった。
歩きながら、蓮は独りごちる。
マナ・ネットワークの乱れは、深いほど大きくなる。配信者たちはそれを『能力の強化現象』と呼んで喜んでいる。違う。あれは、この世界が壊れかけているサインだ。ライトニングの雷が届かなかった『何か』は、多分、その乱れの中から這い出してきたものだろう。
階層間エレベーターのシャフト前に着いた。
企業の認証端末に、偽造したワーカーIDをかざす。蓮の本当の身分はゴースト——戸籍を持たない人間だが、サキが用意してくれた偽装IDが、ここでは役に立つ。
認証音が鳴り、第五十層行きの個人用ポッドが起動した。
蓮はポッドに乗り込み、ハッチを閉めた。金属の壁面に、自分の顔がぼんやりと映る。右目の下の古い傷痕。父が死んだ年にできた傷だった。
ポッドが降下を始める。
加速度で体が押し付けられる中、蓮は低く呟いた。
「……さて。何がお出迎えしてくれるかな」
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TOKYO GHOST-DIVE
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第1話 完




