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星が近づく世界  作者: 藤苺めぇ


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1/2

星が近い夜

沖縄の夜は、いつも少しだけ湿っている。


昼間に温められた空気が、ゆっくりと地面に降りてくるような感覚。肌にまとわりつくような生ぬるさがあって、それがこの土地の夜の当たり前だった。


蒼は大学の帰り道、片手でカバンを持ちながら、もう片方の手で首元を軽く扇いだ。昼よりはマシとはいえ、空気は重い。Tシャツの背中にじんわりと汗が残っているのが分かる。


道路脇の街灯が、少しオレンジがかった光で歩道を照らしている。遠くからは波の音が聞こえる。この時間帯になると、車の数も減って、街はゆっくりと静かになっていく。


その“いつも通り”の中で、蒼はふと違和感を覚えた。


視線が自然と空へ向く。


星が見える夜だった。


沖縄は都会に比べると空が明るいとはいえ、こういう日はちゃんと星が見える。蒼は昔から、特別好きというわけでもないのに、夜空を眺める癖があった。


理由はよく分からない。ただ、見てしまう。


今日もいつも通り、なんとなく見上げたはずだった。


でも、すぐに眉をひそめる。


「……あれ」


声が、思ったより小さく漏れた。


星が、大きい。


ほんの少しじゃない。気のせいで済ませられるレベルではなかった。


一つ一つの星が、くっきりと輪郭を持っているように見える。遠くにある点ではなく、そこに“存在している何か”として感じられる距離感。


空が、近い。


そうとしか言いようがなかった。


「ねえ、見て」


隣を歩いていた友人の美月が、同じように空を見上げている。


「今日、星やばくない?」


蒼は視線を空から外さないまま、小さく頷いた。


「……うん」


「なんかさ、近くない?」


「……近い」


言葉にした瞬間、余計に現実味が増した気がした。


美月はスマホを取り出して写真を撮ろうとする。


「ちょっと待って、これ絶対SNS映えじゃん」


カシャ、と軽い音が鳴る。


画面を確認した美月が眉をしかめた。


「え、うそ、全然写ってない」


蒼もちらっと覗き込む。


そこに映っているのは、ただのいつもの夜空だった。


星は、小さい。


さっきまで見ていた空とは、まるで違う。


「……なんで」


蒼は小さく呟く。


自分の目で見ている空と、画面の中の空が一致しない。そのズレが、妙に気持ち悪かった。


そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。


蒼は取り出して画面を見る。


ニュース通知。


【異常観測速報】


一瞬、指が止まる。


開くか迷って、結局タップした。


画面に表示されたのは短い文章だった。


「国内外の天文台において、恒星の位置に微小なズレが確認されています」


「……え」


思わず声が出る。


「どうしたの?」


美月が覗き込む。


蒼は画面を見せた。


「星の位置がズレてるって」


「え、なにそれ、こわ」


軽く笑いながらも、美月の声は少しだけ強張っている。


そのときだった。


足元が揺れる。


ほんの一瞬、体がふわっと浮くような感覚。


次の瞬間、ぐらりと地面が横にずれた。


「え、ちょ、なに」


「地震?」


沖縄では珍しい揺れだった。


周囲の人たちも一斉に立ち止まる。信号待ちをしていた車の中からも、顔を出して辺りを見る人がいる。


揺れは長く続かなかった。


数秒で、何事もなかったかのように止まる。


でも、空気だけが変わっていた。


さっきまでの“いつも通り”が、少しだけ壊れている。


「……今の、ちょっとやばくない?」


美月が小さな声で言う。


蒼は答えなかった。


答えられなかった。


その代わり、また空を見上げる。


星は、さっきよりもさらに大きく見えた。


いや――


近づいている。


そんな錯覚じゃない。


確実に、さっきより近い。


そのとき。


空の端が、ふっと光った。


細い線ではない。


広がる光。


蒼は息を止める。


「……流れ星?」


美月が言う。


でも、違う。


流れ星は一瞬で消える。


あれは消えない。


ゆっくりと、落ちている。


尾を引きながら。


燃えながら。


「……落ちてる」


蒼の声は震えていた。


周囲でもざわめきが広がる。


誰かが叫ぶ。


誰かが走る。


誰かが笑っている。


現実感が、薄い。


そのとき、頬に何かが触れた。


冷たい。


蒼は指で触れる。


白い粒。


触れた瞬間、じわっと溶けた。


「……雪?」


あり得ない。


沖縄で雪。


でも、空を見上げると、確かに白い粒が落ちてきている。


一粒、また一粒。


それが少しずつ増えていく。


街灯の光に照らされて、白い粒がゆっくりと舞う。


幻想的な光景だった。


綺麗だと、一瞬だけ思ってしまうくらいに。


でも次の瞬間、その感情は消えた。


空に、光が走る。


線ではない。


形を持っている。


青白い光が、はっきりと浮かび上がる。


10


「……なに、あれ」


誰かの声。


笑い声が混じる。


「プロジェクションマッピングとか?」


でも、誰も確信は持てない。


数字が変わる。


9


蒼の背中を、冷たい汗が流れる。


理解できないものに対する、本能的な恐怖。


8


雪が強くなる。


7


遠くの空が赤く染まる。


6


また揺れる。


今度は少し強い。


5


人が走り出す。


4


泣き声。


3


スマホの通知音が一斉に鳴る。


2


蒼は空から目を離せない。


星が。


近すぎる。


逃げた方がいいと分かっているのに、体が動かない。


見てしまう。


1


時間が止まったみたいに感じる。


息ができない。


そして――


0


その瞬間。


空の向こうで、巨大な光が爆発した。


音は遅れてやってくる。


空気を震わせる、重い衝撃音。


蒼の体がびくっと跳ねる。


その光の中から


さらにいくつもの光が分かれて落ちてくる。


雨のように。


火の雨。


「……嘘でしょ」


美月の声が、震えていた。


蒼はただ立ち尽くしていた。


逃げないといけない。


そう思っているのに。


足が動かない。


頭の中で、何かが静かに理解していた。


これはもう


いつもの世界じゃない。


空が、落ちてきている。


その感覚だけが、はっきりと残っていた。

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