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アザレアの射手  作者: 佐倉花梨
第一幕 冒険者篇
14/17

1-14 強壮の果実

 夜が明けた。

 薄明の空に響く鳥の大合唱が心地の良い目覚ましになって、幸福な寝起きとなった。

 洞穴の入口でミミリーは膝をつき、黒い大剣で何やら樹の実のようなものを切っていた。

 調理用のナイフを持っておけばいいのにと思いながら、ミミリーの隣に腰掛けた。


「あっ、おはようございます。リィナさん」

「おはよう。よく寝れた?」

「はい。地べたで寝てたとは思えないほど。ローブもかけてくれてありがとうございます」

「いいよ。……これ使う?」

「じ、じゃあ、お言葉に甘えて。へへへ」


 腰からダガーを鞘ごと抜いて、柄をミミリーに向けて手渡した。


「ありがとうございます! ちょうど切りにくいなって思ってて……」

「そうだよね。傍から見ててむず痒かったもん」


 ミミリーの華奢な手でも包み込めるような小さな樹の実を、肩から指先まで伸ばしても足りないくらいのブレードを持つ大剣で細かく切ろうとしていたのだ。そりゃあやりにくいだろう。

 彼女が手に持っているのは、黄色のごつごつとした硬質の表皮を持つ果物のようだった。丁寧にダガーを扱い、それを剥いて熟した橙色の果実を手に乗せる。


「上手いね。さすが冒険者」

「そ、そんなことないです……。これも、フローラのおかげです」

「フローラ?」

「……師匠みたいな人がいました。フローラさんは私に、冒険者のいろはを教えてくれたんです。感謝してもしたりません」


 ミミリーは話に聞く限り、数年は冒険者見習いとして過ごしてきたのだろう。それだけ人との出会いも別れも経験してきたはずだ。

 

「……美味しそう」

「アナナスベリーという果実です。甘酸っぱくて、とても美味しいんですよ」

「こういう果実は南方にあるイメージだったけど」

「北方でも比較的温暖な地域には、たくさん実っているんですよ。……と言ってもかなり寒いですから、南のものと比べたら薄味かもしれないですけれど……。はい、できました」

「ありがと」


 冷たく潤んだ明るい橙色の果実を、小さな掌を器にして受け取った。溢れんばかりの果汁が腕を伝って、少々ヒリヒリとする。

 脇までは侵略させまいと、急いで果実を口内へ押し込んだ。


「……おいしい」

「良かったです! じゃあ私も……。うん。程よい甘酸っぱさで、美味しい。よく熟れてます」

「なんか、元気が出た気がする」

「おっ、本当ですか? 実はこの果物には、強壮の効能があると言われています。強壮ポーションの材料にも、よく使われるんですよ」

「だから、強壮ポーションもこの色してるんだ」


 力がぐんぐんとみなぎる体を奮い立たせ、洞穴に零れる陽光を一身に浴びる。

 

「ふわぁぁぁ……。やっぱり外が一番気持ちいい……」

「うふふ。そうですね」


 ミミリーは太陽を仰ぐリィナの隣に立ち、彼女の横顔を見つめる。


「……何?」

「いや、リィナさんにもそんな一面があるんだなって」

「あたしにもって、どういうこと?」

「だって、リィナさんはとっても強くて、達観していて、逞しい方ですから。意外なんです」

「そんな褒めたって何も出ないよ……」


 ミミリーに目を寄せたが、すぐに顔を赤くしてそらしてしまった。

 その様子を見て、ミミリーはまたくすくすと笑う。

 まるでエノコログサで遊ぶ猫を見るような目で。


「あたし、あんたとほとんど歳も同じだし、経験もあるわけじゃないから。そんなに期待しないでほしい」

「そんなことないです! 頼りにしてますよ。相棒っ」


 彼女は肩を揺らして、リィナの顔を覗き込んで、歌うようにそう言った。にひ、と子供のように白い歯を見せて笑い、滑らかな茶髪を下ろして、鼻と鼻が触れてしまうくらい近くで。

 まるで昨日の出来事がなかったかのように、彼女は明朗な笑顔を見せた。無理をしてそんな様子を見せていたとしても、その前向きさには驚かされる。

 そんなセルフケアも、フローラという女から叩き込まれたのだろうか。

 リィナにとって人の死とはただの過程に過ぎないが、彼女にとっては違うはずだ。その絶望を成長に変えることのできる精神力が、彼女を冒険者たらしめているのかもしれない。

 顔を離してベリーを齧り、「美味しいですね」とミミリーが笑いかける。たとえその笑顔が仮初のものだとしても、リィナは自分と真逆のものを見ている気がした。

 人の死を目の前にしても物怖じせず、時間が経てば明るく笑ってくれるその回復力。もしその精神が決壊してしまいでもしたら。彼女は果たして正気を保てるのだろうか。

 殺戮を伴う復讐の惨憺さに、彼女は耐えられるだろうか。

 柄でもないとわかっていながら、リィナはミミリーの強さに隠れた弱さに、覆いを被せてやりたいと思うのであった。


 彼女の何気ない笑顔が、リィナをそう突き動かした。


 小さな果物であったので、腹が満たされる前に食べ終えてしまった。二人は物足りなさそうに木の実が消えた掌を眺める。


「体力は回復しましたし、そろそろ行きましょうか」

「まぁ、そうだね」

「ここから街まで、休みを挟んだとしても陽が落ちるまでには到着できると思います。そこまで焦らず、気楽にいきましょう。昨日みたいな巨大なモンスターも、ここら辺には生息していないはずですし」


 すっかり灰になった薪の、燻る炎を蹴散らしながらミミリーは語る。それを聞きながら、リィナは弓と矢筒を地面から拾い上げた。


「……よいしょっと。それじゃ、早く帰ろう」

「わ、わぁ……」


 巨軀の弓矢を軽々と持ち上げるリィナの姿は、少女ではなくさながら歴戦の屈強な戦士に見えた。

 それもそうだろう。自らの半身にも匹敵するほどの大きさの武具を、地から拾い上げて勢いそのままに背中へ装備してしまったのだから。

 ミミリーのようなタンク職分ならともかくとして、本来筋力を必要としない遠距離職分の少女でこれだ。その矮躯に秘められた力量は、皆目見当がつかない。

 そんなことが頭をよぎり、ミミリーの思考を単純化していた。先を歩こうとするリィナは、立ち止まってこちらを見る彼女を、訝しげに睨んだ。


「行かないの?」

「あっ、ご、ごめんなさい! 今行きます!」


 そんなミミリーも、軽々と自らの大剣を持ち上げて見せたのだった。



 帰路の道中は滞りなく、すっかり見慣れた街に到着した。ギルドにギガント討伐の知らせをし、二人で分け合って捻出した端金で食事をとり。

 そしてエルの教会の前で二人は立ち止まった。

 傾いた陽が路地に差してくることはなく、薄暗い影が、教会に降りかかっていた。

 小さな教会の、大きな木製の扉に、ミミリーは静かに手を当てる。


「連れて、帰れませんでした……」

「あたしの正体がバレた時点で、結果的にエルのことは殺すしかなかった。守れなかったことは悔しいけど、仕方ないよ」


 本音ではなかった。精一杯ミミリーの気持ちを汲んで、出た答えだった。


「もし教会の人がいれば、早く知らせをしないと――」

「知らせって?」


 二人の背中から、透き通った少女の声音が聞こえた。

 驚き、振り返るとそこには、ショートカットのエルフの少女と、まだ幼い二人の人間の少年が手を繋いでこちらを睨んでいた。


「ボクたちの教会に、何か用でもあるの? シスターは今外出中だけど」

「あーっ! 騎士の姉ちゃんが言ってた黒フードの不審者だ!」


 一人の少年がそう叫ぶと、リィナのローブを剥いでやろうと飛びかかってくる。人通りが少ないとはいえ、こんなところで正体を明かすわけにはいかない。

 つかみかかってきた少年を身軽に交わして、なんとかことなきを得た。


「ちょっと、やめなさいクリス!」

「で、でも……」

「人違いかもしれないでしょ。わかったら礼拝堂に戻りなさい。ほら、カールも行くよ」

「はぁい、シア姉さん」


 ハッとした顔で、ミミリーは咄嗟にエルフ少女の手を掴む。


「何? ボクも暇じゃないんだけど。エルが戻らないから、仕事が大変で――」

「シアさん、ですよね。もしかして、この教会の」

「孤児院の手伝いだよ。エルっていうこの教会のシスターがやってる」


 手を離して、ミミリーはシアに向き直った。


「……私は、冒険者のミミリー・ヨルゲンセンと言います。昨日、エルさんの依頼で薬草採取に、このリィナさんと出かけていました」

「ああ、あんたたちが。じゃあ、エルが今どこにいるか知ってる?」

「その、エルさんについて知らせをと思いまして」

「はぁ、そういうこと。カール、クリス。先戻ってて」

「「はぁい」」


 二人の少年が立ち去ったところで、ミミリーが再び口を開いた。


「その、本当に申し上げにくいのですが……えっと、その……」

「何、早く言ってよ」

「エルさんは、エルさんは……」

「ボクも暇じゃないんだよ。あんたたちみたいに、冒険者じゃないからさ――」

 

「エルは死んだ」


  

 リィナは何の逡巡もなく、そう溢した。肝が据わっているのか、それとも状況を把握できていないのか。

 シアはまるで空気が抜けてしまったように固まり、微かに揺れる瞳孔が二人を捉えている。主にリィナの方を。


「……は?」

「リィナさん……!」

「薬草を採取していたところに突如現れたギガントレックスに食べられて死んだ。残ったのは喰われなかった下半身だけ。一瞬気絶したあたしを守るためか、それとも自分がヒーローになったつもりか。わからないけど、エルは自分から数百本の鋭い牙に身を投げた。全部昨日の出来事だから、もう鴉か虫に喰われて死体は骨だけになってるかもしれないけど――」


 そう、饒舌に喋るリィナの左頬に、鋭い痛みが走り、一瞬視界が揺らいだ。

 頬を抑えながら向き直れば、鬼の形相でこちらを睨むシアがいた。

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