絶対婚約破棄しませんわ!~婚約破棄したくない公爵令嬢VS婚約破棄したい王太子~
我が国の王太子、サミュエル様はとても顔がいい。繰り返す、とても顔がいい。
天使の輪が出来るくらいツヤツヤの黄金色の髪。まるで大空そのものを閉じ込めたような澄んだ青い瞳。バサバサとマッチ棒も乗るんじゃないかというくらい長いまつ毛に、ぷっくりプルプルの赤い宝石のような唇。
素晴らしいところを挙げればキリが無い。
「ああ、そんな美しい人がわたくしの婚約者だなんて、ほんっとうにわたくし、幸せですわぁ〜」
「……アリアーネ。お前、こんな状況でそれは本気で言っているのか……?」
「こんな状況? ……あら」
見ればソファに座っている殿下にピッタリと寄り添うようにして、一人女性が座っている。
この女性の顔、見覚えあるわ。確か男爵令嬢のマーリン様ね。
「やだわ、サミュエル様ったら、また女性をお部屋に連れ込んでいらっしゃったのね。浮気も程々になさってくださいな。あまり白昼堂々なさっていると、さすがの国王陛下も黙っていらっしゃいませんことよ?」
「涼しい顔でよくも抜け抜けと。お前はその白昼堂々と婚約者がいる身で浮気する男に対し、何も思わないのか?」
「ええ、もちろん。大変心を痛めておりますわ」
「そうか、ならばもう俺のような男、愛想が尽きただろう? さぁ婚約破棄をしよう」
「嫌ですわ」
にっこりと満面の笑みでそう言うと、サミュエル様は「チッ」と心底嫌そうに舌打ちした。
うふふ、その顔も好き。
「はぁ……、アリアーネ。どうしたらお前は俺と婚約破棄してくれるんだ?」
本気で参ったように尋ねるサミュエル様。
ああん、困った顔も可愛くて好き。
「んんー、そうですわね。万が一にもあり得ませんが、もしサミュエル様のお顔が変わってしまったら、あるいは婚約破棄に応じるかも知れませんが……」
「また顔か……」
げんなりしたような表情のサミュエル様。わたくしはそんなサミュエル様をじっとりと見つめた。
ああ、その汚物を見るような目。そんな表情まで美しい、顔がいい。
「だってわたくし、何度も言うようにサミュエル様のお顔が大好きなんですもの。だからどれだけ浮気をしようが、裏切られようが、わたくしは絶対に婚約破棄など致しませんわ」
「はぁ……。こんな狂った女、早く婚約破棄したい……」
わたくしの高らかな宣言に、サミュエル様は項垂れるようにその美しい顔を覆った。
☆☆☆
公爵令嬢という恵まれた地位に生まれ、お母様の美貌とお父様の聡明さを受け継いだわたくしは、生まれながらにしてこの国の王太子の婚約者であり、次期王妃として定められた人生を歩んで来た。
「おはようございます、アリアーネ様。本日の予定は王妃様による妃教育。そして学者様達の政治、経済、国際情勢の授業も後に控えております」
「わかったわ。ありがとう」
頭を下げて自室を退出する侍女に微笑んで、わたくしは目覚めの紅茶をひと口飲む。
「ふぅ……」
わたくしはこれから何千人、何万人。数え切れない人々に傅かれ、王妃となり、いずれは国母となる。
それはわたくしに定められた、決して逸れることの許されない道筋。
にも関わらず、サミュエル様はいとも容易くわたくしと婚約破棄をしたいと言う。
理由は顔に酷く執着するわたくしが嫌いだから。
だから女を取っ替え引っ替えして、わたくしが愛想を尽かすのを期待している。
「本当に顔はいいのに、脳みそが残念な人。そんなつまらない理由で婚約破棄など出来る訳がないですのにね……」
王太子妃になったあかつきには、阿呆なサミュエル様に代わって、政務の一切を取り仕切るよう、国王陛下と王妃陛下に内々に仰せつかっている。
故にわたくしが受ける妃教育は、その範疇を大きく超えていた。
だから今更わたくしがサミュエル様の婚約者で無くなることはあり得ない。サミュエル様の行動は、本当に無駄な足掻きでしかないのだ。
「ふふっ、まぁ必死に色んな女に粉をかける表情も可愛くて微笑ましいのですけれどね」
サミュエル様があちこちの令嬢に声を掛けていることは、社交界では有名だ。
そしてそれは婚約者であるわたくしの気を引く為だと、貴族達の間では定説となっている。
曰く、妃教育に忙しいアリアーネ様に構って貰えず、拗ねたサミュエル様が浮気の真似事をしていると。
だからサミュエル様に粉をかけられた令嬢達だって、誰もが本気にはしていない。そもそも本気になってわたくしの逆鱗に触れ、公爵家を敵には回したくないだろう。
「まぁ、一人。わたくしが何者なのか、きちんと理解していない子がいらっしゃるみたいですけど……」
わたくしはクスクスと笑って、自室の壁いっぱいに貼り付けたサミュエル様の姿絵をうっとりと見つめた。
「ああ、それにしても本当に、顔がいい……」
こんなにもわたくしの心を掴んで離さない顔、逃す訳がなくってよ。
どんなに泣いたって、請われたって、絶対に絶対に逃がさない――。
☆☆☆
そんなわたくしとサミュエル様の不毛な攻防は、いつまでも続いた。
しかし婚姻式を一か月前に控えた日を境にピタリと女遊びが止み、ようやく婚約破棄を諦めたのかと思っていたのだが……。
「急に呼び出して、一体なんのつもりなのです? サミュエル様」
王城の王妃様のお部屋で妃教育を受けている最中、わたくしはいきなりサミュエル様の自室に呼び出されていた。
普通婚約者であっても、事前に文を出し約束を取り付けるのがマナーだ。それを突然彼の従者が呼び付けに来た。
いくら嫌っているとはいえ、さすがにわたくしを軽んじ過ぎじゃないだろうか?
「それは何度も謝っただろ? まぁ聞け、俺はついに思いついたんだ。お前が絶対に俺と婚約破棄したくなる方法が!!」
「はぁ……」
なぁんだ、まだ諦めていなかったのか。
半ば呆れながらわたくしは生返事する。
「方法。一体どんな方法なんですの?」
「これだっ!! 見てみろ!!」
「?」
サミュエル様が懐からおもむろに、何か薬の小瓶のようなものを取り出した。
わたくしはその無色透明な液体をじっと見つめる。
「なんですの? それ……、まさか媚薬とかじゃありませんことよね?」
「びやっ!?」
口に出した瞬間、サミュエル様の天使のように美しい顔が真っ赤に染まった。
「バっ、バカ言うな!! そんなものの訳ないだろう!!?」
顔どころか全身真っ赤にして反論するサミュエル様。〝女遊びが激しい〟って設定はどこにいったのかしら?
……まぁ、サミュエル様が清いのは把握済みだけど。
というかそうじゃなかったら、このわたくしがサミュエル様を泳がせる訳がない。
「ふぅ……、ではなんですの?」
「これは硫酸だ」
「はっ!?」
さすがのわたくしもギョッとする。
それをどう捉えたのか、サミュエル様がわたくしの表情を見て満足そうに笑った。
「マーリン嬢から教えてもらってな! この液体を俺の顔にかければ、アリアーネはすぐさま俺と婚約破棄するだろうと言うんだ!!」
「サ、サミュエル様!! それ意味分かって言ってますの!?」
分かっていないんだろうなぁ。
阿呆のサミュエル様は、硫酸がどんなものか全く分かっていない。
そのとぼけた顔もいいが、良くない!!
「サミュエル様! その小瓶をすぐにわたくしへ寄越してくださいな!!」
「は? 何言ってる? これは俺の為にマーリン嬢が用意したものだ。お前に渡す訳ないだろう?」
「いいから寄越して!! 早く!!」
酷い剣幕でそう叫べば、サミュエル様がムッとしたように小瓶の蓋を開けた。
「うるさい、俺に指図するな。これで俺とお前はやっと婚約破棄出来るんだよ」
サミュエル様が腕を掲げ、小瓶を横に傾ける。
中の液体がサミュエル様へと流れ落ち――。
「ダメぇーーっっ!!!」
硫酸が触れた瞬間、ジュワッと焼けるような痛みに、わたくしの口から悲鳴が上がる。
「うわっ、なんだこれ!? アリアーネ!? アリアーネ!!!」
「サ、ミュエル……様……」
ああ、痛みで意識が遠のいていく。
「アリアーネっ!!!」
サミュエル様、サミュエル様。
そんな顔、しないで……。
「お……願い……」
泣かないで――……。
☆☆☆
結論を言うと、わたくしは利き手を負傷した。まるで白魚のようと持て囃されたわたくしの美しい右手は、無残なものなってしまった。
そしてサミュエル様の方も、無傷とはいかなかった。
「アリアーネ、すまない……」
わたくしの部屋でがっくりと項垂れるサミュエル様の左頬は、ほんの少し焼け爛れている。
わたくしが庇ったことで直撃は免れたが、その完璧な美貌は損なわれてしまった。
「こんな、謝って済むことじゃないのは分かってる。けど、謝らせてほしい、本当に本当にすまなかった……!!」
一国の王太子の癖に、床に額を擦り付けて土下座するサミュエル様。
貴方を庇うのは、家臣として、婚約者として、当然のことなのに。
本当に阿呆で、その癖どうしようもなく……憎めない。
「いいのです。わたくしは貴方を守れるならば、死んでも本望ですわ。……それよりサミュエル様」
わたくしはひたとサミュエル様を見つめ、静かに告げる。
「婚約破棄致しましょう」
瞬間、サミュエル様が元々大きな目を更に大きくさせた。
しかし構わずわたくしは話を続ける。
「こんなキズモノの女が王妃にはなれませんわ。これからは一家臣として、サミュエル様にお仕え致します」
「何故だ?」
「え?」
「俺の顔がお前の好みじゃなくなったから、婚約破棄するのか?」
「――――っ」
しんと部屋が静まる。
わたくしはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、違います」
「いいや、違わない!」
「違います」
「だってそうだろ!? 今までどんだけ俺が言っても婚約破棄しなかった癖に、自分からはこんなあっさりかよ!? もっともらしい理由つけてないで、俺の顔が好みじゃなくなったって、ハッキリそう言えよっ!!!」
「……っだって!!」
ぽたりと、わたくしの爛れた右手に水滴が落ちた。
「だってわたくし、守り切れなかった!! 貴方に痛い思いをさせてしまった!! そんなわたくしが、貴方の側に何食わぬ顔でのうのうと居られると思って!?」
「え……」
「確かに貴方の顔がいいって思った! だから生まれながらに決められた道を歩む苦痛にも耐えられた!! でも、本当にそれだけでここまで続いたと思っていらっしゃる……!?」
「…………っ!?」
思っているんでしょうね。サミュエル様は阿呆だから。
ようやくわたくしの真意に気づいたのか、サミュエル様はポカンとした顔で、わたくしを食い入るように見つめる。
そんな顔もまたいいと思うのだから、本当にわたくしは重症だ。
「好きですよ。貴方の顔が例え硫酸まみれになったとしても。最初は顔でしたが、次第に貴方の素直な性根に惹かれました。……捻くれ者のわたくしには、貴方はとても眩しかった」
「……アリアーネ」
わたくしだけでなく、サミュエル様までボロボロと涙を零す。
その姿は例え消えない傷があっとしても、やはり一枚絵のように美しい。
「ごめん……、本当は俺もずっとアリアーネが好きだった。でもなんでも要領よくこなすお前が眩しくて、バカな自分が情けなくて、お前の気持ちを試すような真似をしていた」
「ええ、知ってます。サミュエル様の気持ちなんて、わたくしにはお見通しですもの」
「……本当に、アリアーネには叶わないな」
サミュエル様がくしゃりと笑って、ベッドに座るわたくしを抱き寄せる。それにわたくしも、ゆっくりとサミュエル様の背に手を回した。
トクトクとサミュエル様の心臓が動く音が聞こえる。生きている。それはなんと幸せなことだろう。
拗れに拗れ、遠回りしたわたくし達。
でもやっと、互いの手を取り合うことが出来た。
「愛しています、サミュエル様」
だからもう絶対に、この手を離したりはしない――。
☆☆☆
まぁそれはそれとして。
「王太子殿下を唆した男爵令嬢マーリンは処刑。家はお取り潰しとなりました」
「――そう、報告ありがとう」
頭を下げて部屋を去る侍女を見届け、わたくしはクスリと笑う。
「肉を切らせて骨を断つ。多少荒療治だったけど、やっと手に入れた」
クスクスと笑って、わたくしは今はシルクの手袋に包まれている爛れた右手を見つめる。
あの男爵令嬢が本気でサミュエル様を慕っていたのは分かっていた。だから煽ってやったのだ。
『んんー、そうですわね。万が一にもあり得ませんが、もしサミュエル様のお顔が変わってしまったら、あるいは婚約破棄に応じるかも知れませんが……』
まさか硫酸まで持ち出してくるとは思わなかったが、結果目障りな令嬢を消し、サミュエル様の心は完全にわたくしのものとなった。
あまりに上手く行き過ぎて、笑い出してしまいそうだ。
「でもいけないわ。せっかく美しく化粧してもらったのだから」
――そう、今日は遂に。
「アリアーネ、入ってもいいかい?」
「ええ、どうぞサミュエル様」
パッと緩んでいた口元を閉じ、わたくしはにこやかに微笑んでサミュエル様を迎える。
すると中に入って来たサミュエル様は、わたくしの姿を見るなり、パァっと嬉しそうにその美しい顔を輝かせた。
「よく似合ってる。やっぱりアリアーネには上品なレースのウェディングドレスが似合うと思ったんだ」
「うふふ。サミュエル様自ら選んでもらえて、わたくしは世界一幸せ者な花嫁ですわ」
うっとりと微笑むと、サミュエル様は幸せそうに笑った。
「さぁ行こう。式が始まる。俺達は今日、夫婦になるんだ」
「はい、サミュエル様」
差し出すその手を取って、わたくしは彼に囁いた。
「一生貴方のお側におりますわ」
(了)
サミュエル→狂った女にばかり好かれる可哀想な人。でもなんだかんだで幸せ。
アリアーネ→狂ってるけど、愛は本物。なんだかんだでちゃんと王妃様頑張る人。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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