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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

守護神の最愛の花嫁~古代語を極めし令嬢は妹に婚約者を取られましたが、国の守護神様に溺愛されて幸せです~

作者: 小花はな

※現代語は「」表記。古代語は『』表記となっております。




「サテン。お前とディルくんの婚約は破棄だ。これからはカナフィナが彼の婚約者となる」


「――は?」



〝婚約破棄〟……?



 結婚式まであと1ヶ月というタイミングでお父様に告げられた言葉に、わたしの頭は真っ白になって固まる。



「ごめんなさぁい、お姉さま。ディルは勉強ばっかりのお姉さまより、可愛いあたしの方がいいんだってぇ」


「!」



 独特の甘ったるい声にハッと前を向けば、わたしの婚約者であるはずのディル様の腕に、両腕をぎゅっと巻きつけた少女――わたしの実の妹であるカナフィナが勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。



◇◇◇



「はぁ……。婚約破棄から一週間も経たない内に屋敷からも追い出されてしまうなんて。よっぽどみんなにとって、わたしが邪魔だったのね……」



 目的地に印のつけられた地図を頼りに不慣れな田舎町を歩きながら、わたしは一人ごちる。


 この数日間は本当に目まぐるしかった。

 伯爵令息であるディル・ブライアンとの婚約を破棄され、その場所は妹のカナフィナ・ファンジュールに取って代わられたのだ。


 元々決して裕福とは言えない男爵家の長女として育ったわたしは、両親から持参金と支援を目当てに、上位貴族との政略婚姻を期待されていた。

 しかしそれも今回の破棄によって外聞も悪く、最早他の上位貴族との政略結婚を結ぶことが絶望的となってしまったので、穀潰しにしかならないキズモノの娘など要らないと告げられ、わたしは両親に勘当されてしまったのだ。


 そしてせめてもの情けだと言わんばかりに渡されたのが、王都からは遥か遠く離れた東の地にある小さな田舎町の教会を示す地図と紹介状であった。

 これを渡された時のお母様の言葉を思い出す。



「婚約破棄されたいわくつきの娘など、わざわざ娶りたい殿方はいないでしょうからね。教会ならばお前がディル様をないがしろに(・・・・・・)してまでして(・・・・・・)いた勉強(・・・・)が活かせるかも知れませんよ。せいぜい守護神様こそが自らの夫と思って、これからは教会に尽くしなさいな」


「…………っ」



 その時の心底呆れたような冷めたお母様の眼差しが脳裏に浮かび、寒くもないのに一気に体が冷えを感じ、わたしはまとっていたショールをぎゅと体に抱き込んだ。

 屋敷を出る時も家族であったはずの人達は誰も見送りに来なかった。けれども屋敷の使用人達が本当に惜しんでくれたことだけは救いだったか。



「はぁ……」



 また一つ、溜息をつく。



「ないがしろにしてまで……か」



 そんなつもりは決してなかった。

 なにしろわたしが〝古代語の勉強〟を始めたのは、ディル様の言葉がキッカケだったのだから――……。



◇◇◇



 わたし――男爵令嬢サテン・ファンジュールは、幼い頃からずっとひとつ年下の妹と比べられることが多かった。



「まぁ! カナフィナは本当に女神様のようだわ! 見惚れてしまう程に美しい!」


「それに比べて、サテンは本当に醜いなぁ。これが我が娘とは思いたくないよ」



 始まりはそんな両親の何気ない一言だった。

 そしてそれはわたし達姉妹が長ずるにつれて、如実になっていく。



「わぁ、綺麗なブローチぃ! お母さまぁ、本当にいいのぉ?」


「ええ、これはカナフィナの為に宝石商から特別に買いつけたサファイアなのよ。貴女のその澄んだ青色の瞳にピッタリだわ」



 ――わたしには宝石どころか、日用品でさえまともに買ってくれたことは無いというのに。



「わぁ、綺麗なレースのドレス! お父さまぁ、本当にありがとー! 次の夜会に着ていくねぇ!」


「ああ、カナフィナの為に国一番の仕立て師に頼んだシルクのドレスだよ。お前の美しい黄金色の髪によく映えてピッタリだな」



 ――わたしには夜会用のドレスどころか、普段着さえ使用人と同じお仕着せなのに。



 でも18年の時を経る内に、姉妹で差をつけられるのは当然で、もうこれは仕方のないことなのだと、とうにわたしは諦めていた。


 何故ならカナフィナは、輝くような黄金色の髪に澄んだ青色の瞳。顔立ちもとても華やかで、確かに誰がどう見ても美しかったのだから。

 対してわたしは真っ黒な髪にあまり印象に残らない地味な顔立ち。青い瞳ということだけはカナフィナと同じだが、それ以外はまるで真逆。カナフィナが光ならわたしは闇なのだと、両親はいつもわたしを蔑んだ目で見ていた。



 だから愛されなくても仕方ない。

 わたしが醜いのだから仕方ない。

 そう理解していた。



 しかし、そんなわたしにも希望はあった。



 ――それが婚約者である、伯爵令息ディル・ブライアンとの結婚である。



「サテンは〝古代語〟って知ってるかい?」


「……〝古代語〟……ですか?」



 幼き頃より月に一度、ディル様はわたしと交流を深める為にファンジュール家を訪れてくれた。

 今日はまさにその日で、当時10歳だったはわたしは、好奇心旺盛に目をランランと輝かせる5歳年上のディル様の様子を微笑ましく思いながら、彼のお話に耳を傾けていた。



「古代語とは、我が国の遥か古の時代に神々が使っていたという特別な言語なんだよ。現在では教会の大司祭を筆頭に、話者は片手で数える程しかいない」


「神々が使っていた言語……。ではこの国の守護神様とも古代語が理解出来れば話せるのですか?」


「ああ、そうだよ! もっとも守護神様は、よほど心を許した相手にしか姿を現さないらしいけどね。ああでも神と対話出来る言語……。いいなぁ! 僕も神と話してみたい!」


「ではディル様は古代語のお勉強を?」


「いや……、やろうと思ったこともあったんだが、古代語はかなりの難解でね……。ああそうだ! サテン! 君が古代語を覚えればいい!!」


「え? わたしがですか……?」



 突然話の矛先がわたしに向けられ、驚きのあまり目を白黒させていると、それに構わずディル様がわたしの両肩を掴んで叫んだ。



「僕の屋敷に古代語で記された古書とあるんだ! 辞書もあるから、それで古代語を覚えてよ! 妻が数える程しか存在しない古代語の話者ならば、僕も鼻が高い! いいね、サテン! 絶対に古代語を話せるようになるんだ!!」


「か、かしこまりました……」



 勢いに押され、コクコクと頷く。

 古代語の習得がどれほど難関なのか、この時のわたしには想像もつかなかったが、他ならぬディル様の頼みとあれば、断る選択肢は元よりなかった。


 そして実際にディル様から受け取った古代語の古書は、確かに彼が匙を投げたのも頷けるくらいに頭を抱えるものだった。しかし辞書を使い、少しずつ読める部分が増えていく内に、いつしかディル様の為だけでなく、わたし自身も古代語の奥深さや面白さにハマっていった。


 けれどもそこまで没頭する原動力はただ一つ、〝ディル様に喜んでもらう為〟だったのは間違いないと断言出来る。



 それなのに――……。



「すまない、サテン。君との婚約を破棄したいんだ。僕はもう、自分の気持ちを偽れない。君の妹を……、カナフィナを僕は愛しているんだ」



◇◇◇



「着いた……」



 散々歩いてクタクタになった体を叱咤して、念の為地図を確認するが、間違いない。

 王都より遥か遠く離れた東の地。その田舎町の更に外れた場所に、目的の教会はひっそりと存在していた。



「古い……し、とても静かだけど……。誰もいらっしゃらないのかしら?」



 白壁で出来た小さな教会はかなり古ぼけており、入り口にある花壇は何年も手入れされていないのか、土はすっかり干からびている。

 その外観からは、とても司祭様や修道女がいるとは思えない。



「…………」



 人の気配がしない教会というのは、どこか本能的な恐怖を感じる。



「でも……」



 それでも屋敷を追い出されたわたしには、この場所以外に他に行く当てもないのだ。

 意を決して玄関のドアを叩く。



 ――コンコン



「あの、ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」



 ノックと一緒に声も掛けてみるが、扉を隔てた向こう側はシーンとなんの音もしない。やはり誰もいないのだろうか?


 ああ、どうしよう。


 そう項垂れかけた時、



『誰だ……?』



 男性の声と共にガチャリと扉が開いたので、わたしは心臓が飛び出しそうになった。



「――――っ!!?」



 いや、訂正。本当に心臓が飛び出したかも知れない。

 何故なら目の前に立っていたのは、見たこともないくらいに美しい青年だったのだから。


 少し短めの赤髪に金色の瞳。どちらもこの国ではとても珍しい光彩で、それだけでも目を引くのに、その顔立ちは精巧な人形のように驚くほどに綺麗だ。

 先ほどまで人気(ひとけ)を感じなかったのが嘘のように圧倒的なまでの存在感を放つ青年に、ついわたしはじっと見入ってしまった。



『……? なんだ、来客か?』


「っ!!」



 いけない。


 すっかりぼぅっとしていた頭が、青年の発した言葉によって覚醒する。

 彼は今なんと言った……? 〝なんだ? 来客か?〟

 いや違う、何を(・・)言ったかじゃない。何で(・・)話したかだ。


 現代語じゃない、これは――。



『あの……っ! 話せるんですか!? 古代語が!?』



 わたしがそう叫ぶと、こちらを怪訝そうに見ていた青年が驚いたように目を見開いた。



『それはこちらの台詞だ。……君は話せるのか? 古代語が』


『え、ええ。実際にこうやって会話をするのは初めてですが、おおよその言葉は理解出来ます。貴方は司祭様……ですよね? この教会の』



 聖職者が身にまとう黒い衣を青年が着ているのを見てそう問いかければ、彼は一瞬言葉に詰まったように押し黙り、ややあってぎこちなく頷いた。



『あ、ああ……。ここでは(・・・・)一応そうなるのかな? 最近ここに移ってきた。まさかこんな辺鄙(へんぴ)な田舎町で古代語を話せる者に出会うとは思わなかったが……。君はどうしてこんな誰も寄りつかない、寂れた教会を尋ねてきたんだい?』

 

『それは……』 



 何か不思議な言い回しに内心首を傾げながらも、わたしはお母様に渡された紹介状を青年に手渡す。

 するとそれを青年は受け取って中を開くが、すぐさま眉間に皺寄せたので、わたしは不安になって声を掛ける。



『あ、あの、何か失礼なことが書かれていましたでしょか……?』


『……いや、違う、すまない。俺は現代語が読めないんだ』


『え?』


『俺は古代語しか話せないし、読めない』


『…………』



〝古代語しか話せないし、読めない……?〟


 そんなこと、この国で暮らしていてあり得るのだろうか……?


 信じられない思いで青年を見つめていると、彼は気まずそうに口を開いた。



『だからすまないが、君の口からここに来た理由を話してくれたら有難いんだが……』


『あ……』



 理由……。

 ちゃんと話さなきゃ、いけないのに……。



「ごめんなさぁい、お姉さま。ディルは勉強ばっかりのお姉さまより、可愛いあたしの方がいいんだってぇ」


「すまない、サテン。君との婚約を破棄したいんだ。僕はもう、自分の気持ちを偽れない。君の妹を……、カナフィナを僕は愛しているんだ」



 ぐるぐると(よみがえ)ってくる記憶に、だらだらと背中を冷や汗が流れる。


 言わなきゃ、言わなきゃ、言わなきゃ――。



『待った!!』


『――――あ』



 鋭い声が脳裏に響き、思考が遮断される。

 のろのろと顔を上げれば、青年は心配そうな表情をしていた。



『いい。すまない、こちらが話せと言っておいて勝手だが、何も言わなくていい。君、酷い顔(・・・)をしているぞ』


『あ…………』



〝酷い顔〟……。



 指摘されてふと自分の顔に触れる。ここ数日ろくに眠れていないし、食事もとれていない。お母様に言われるがまま、着の身着のままでひたすら地図の示す場所へと向かっていた。

 鏡がなくともボロボロな自分の姿は容易に想像がつく。


 ただでさえ醜いというのに、よりにもよってこんなに美しい人の前でなんて姿を晒していたのだろう。

 どうして今の今まで気づかなかったのだろう。



『す、すみません! こんな醜い姿で……! 一度出直して来ますっ!!』


『いや、待て! 醜いなんて、そんな意味で言ったんじゃないんだ! 君の様子を見れば、聞かずとも唯ならぬ理由があることは分かる! 察するに教会を頼る他、行くところがないんだろう? ならば出直す必要はない、ここに住めばいい』


『え……』



 引き留めるように手を掴まれて、それにハッと振り返れば、青年のまるで星のように煌めく金色の瞳とかち合った。

 その美しい瞳に映るわたしの姿は、やはり想像通りの酷い有様だ。


 恥ずかしい。すぐにこの手を振り解いて、逃げてしまいたい。


 なのに、何故だか目が離せない。

 青年を見ていると、なんだか今までに抱いたことのないような胸の高鳴りを感じる。



『教会の使命は君のように住むところを失った者の救済だ。遠慮することはない。もちろん対価として、奉仕活動はしてもらうが』


『そ、それはもちろん。精一杯尽くさせて頂きます。しかしいいのですか? 教会(ここ)には貴方しかいないのでしょう? こんなろくに過去も話せない、醜い娘を招き入れて』



 そう震える唇で問いかければ、青年は驚くほどに優しい笑みを浮かべた。



『構わない。それに俺にとっては、君が古代語を話せるということが何より大事なことだ。過去がどうだとかはどうでもいい』


『え?』


『さっきも言っただろう? 俺は古代語しか話せないし、読めない。故にこの町の者達とも意思疎通がとれないんだ。別に今までもそうだったから大きな問題でもないんだが、しかし不便なのも事実だ。君がここに住んでくれたら、俺にとっても都合が良い。俺は君を歓迎する』


『あ……』



 確かに、それならば青年にもわたしをここに住まわせる利があるのだろうか? でも……。

 ぼんやりと頭の中で考え込んでいると、掴まれていた手がそっと青年の方へと引かれる。



『!!』


『それに君は醜くない。そのぬばたばのような黒髪、夜空を切り取ったような青い瞳。何よりその君の優しさが滲み出た柔らかな顔立ちは、とても美しい』


『…………っ!』



 ――〝美しい〟なんて初めて言われた。


 両親にも、婚約者であったディル様にすら、決して言われたことはなかったのに。



『…………』



 呆然と青年を見つめていると、『ああ』と彼は何か思い出したように小さく呟いた。



『そうだ、そういえばまだ名乗っていなかったな。俺はヴァルディシア。これからよろしく頼む』


『ヴァルディシア様……』



 不思議な。

 でもどこか懐かしさを覚える、優しい響き。

 何度も口の中でその名を反芻(はんすう)し、わたしはヴァルディシア様に頭を下げる。



『あ……、わたしはサテン。サテンです。ヴァルディシア様。こちらこそ不束者ですが、どうかよろしくお願い致します』


『ふっ……、なんだか嫁入りみたいだな』


『ええっ!?』



〝嫁〟という言葉に敏感に反応し、真っ赤になって叫ぶと、ヴァルディシア様がクスクスとおかしそうに笑った。



『ははっ、冗談だ。――さぁ、ではサテン。中に入ろう。恐らく長旅でもうすっかりクタクタなんだろう? すぐに風呂と食事の準備をしよう』


『あ……ではわたしも、準備をお手伝います』



 そうしてわたしはヴァルディシア様に(いざな)われ、吸い込まれるようにして古びた教会の中へと入った。

 ドキドキと胸が高鳴るの理由は新生活への期待か、それともこの世にも美しく、そして現代において古代語しか話せないという不思議な司祭様の微笑みにか。



 今のわたしにはまだ、分からない――……。



◇◇◇



「サテンせんせぇー、さようならー」


「はい、みんなさようなら。気をつけて帰ってね」


「はぁーい」



 赤々とした夕日が窓辺を照らす教会の中の一室にある小さな教室から、子供たちがわらわらと楽しそうに帰っていく。

 それに手を振り、全員が帰宅したタイミングで、2階の自室にいたヴァルディシア様が降りてきた。



『あ、ヴァルディシア様。お仕事は終わったんですか?』


『ああ。それにしても、今日も賑やかだったな。2階にまで子供たちの笑い声が響いてきた』


『すみません、うるさかったですか?』


『いや、そんなことはない。賑やかな声はこちらにまで元気をくれる。それにそれだけサテンが授業が楽しいということだろう。聞けば読み書き計算だけでなく、古代語も教えているんだって? 今朝は子供たちに古代語であいさつされて、驚いたよ』


『ふふ、はい。古代語の話者が少ない理由は、その難解さもありますが、一番は触れる機会が少ないことですからね。幼い頃から学ぶ機会があれば、興味を持つ契機にもなるのかと思いまして』



 この東の地の田舎町の端にひっそりと建つ教会に住み着いて、早いものでもう1ヶ月が過ぎた。現在はヴァルディシア様に修道女と地位を授けて頂き、毎日教会で奉仕活動に励んでいる。


 最初の頃は新しい生活に順応するので手一杯だったが、近頃は余裕も出てきたので何か人の役に立つようなことを……と、町の子供たちを集めて日曜学校を始めたのだ。

 末端とはいえ、これでも貴族の令嬢として粗方の教育は受けている。それを活かしたいと考えての選択だった。



『いいことだと思う。この国は守護神を(まつ)り、年に一回盛大な祭りを開いているわりに、その信仰心は薄い。元は末端の下々まで古代語を通じて、守護神と対話をしていたというのに』


『!? そうなのですか!? 今では一般的な国民(わたし達)にとっては、守護神様はおとぎ話のような存在。そのお姿を現在も拝見することが出来るのは、王都の大司教様くらいと聞きます。なんでも、〝よほど心を許した相手にしか姿を現さない〟とか……』


『それは半分正解で、半分不正解だな。守護神は本来人好きで、自由を愛している。それを祀り上げて特別な存在に仕立て上げたのは、教会の人間だ。守護神は秘匿され、人々との交流は最小限にされた。守護神と話せないのであれば、古代語を覚えても意味がない。故に現在のように、話者が少ない消えゆく言語となってしまったんだ』


『そうだったんですね……』



 わたしはヴァルディシア様のお話に聞き入って、何度も頷く。


 これは生活を共にするようになって分かったことだが、ヴァルディシア様は驚くくらいに古の時代のことに詳しい。司祭という立場ならば皆そうなのかも知れないが、わたしにとっては初めて知る知識ばかりで、ヴァルディシア様のお話を聞くのはとても新鮮で楽しかった。



『この国の守護神様……。一体どんな方なのでしょう?』


『……会ってみたいのか?』


『それはもちろんです。せっかく古代語を習得したのですから、守護神様と対話してみたいです』


『…………』


『ヴァルディシア様?』



 今まで楽しくおしゃべりしていたのに、急に押し黙ったヴァルディシア様にわたしは首を傾げる。

 するとヴァルディシア様が不意にわたしの手を取り、こちらをじっと見てきた。


 その眼差しはとても真剣だ。

 自然と胸が跳ね、ドキリと音を立てる。



『ヴァ……、ヴァルディシア様?』


『サテンは守護神が好きなのか?』


『…………へ?』



 想像だにしなかったことを問われ、わたしの思考が止まる。


〝好き〟? 好きって……。


 すぐさまブンブンと否定するように首を振った。



『いっ、いいえいいえ! 滅相もありません! もちろん守護神様を敬愛はしておりますが、そういった類の感情は抱いておりません! ただ、わたしは……』



〝いいなぁ! 僕も神と話してみたい!〟



「…………」



 結婚式1ヶ月前に裏切られ、惨めたらしく婚約破棄をされたのに、それでも未だにディル様の夢を叶えたいと願っている自分は、なんて愚かなんだろう。

 ディル様は初めから(・・・・)、わたしではなくカナフィナしか見ていなかったというのに――……。



◇◇◇



「サテン。お前とディルくんの婚約は破棄だ。これからはカナフィナが彼の婚約者となる」


「――は?」



 告げられた言葉の意味を理解しようと、何度も頭を振り絞った。

 しかしいつまで経っても理解なんて出来なかった。



 でも、本当は遅かれ早かれこうなることは分かっていた。



 分かっていたのだ――。



「やぁ、カナフィナ」


「まぁディル様ぁ、今日も素敵ですねっ」



 わたしにはきっかり月一回しか決して会いに来ないのに、度々屋敷のどこかでディル様の姿を見かけることがあった。そしてその時には必ず側にはカナフィナがいる。


 婚約破棄を告げられたあの日は月一回の約束の日ではなかった。それに少なからず浮かれてしまった自分を恥じたい。

 あの場にはディル様とカナフィナ、そして互いの両親までもが揃っていた。つまりわたしのいないところで、全て話はついていたのだろう。


 何もかも、滞りなく。


 破棄を告げられ真っ白になった頭でなんとか平静を保とうと、わたしはギュッとスカートの裾を握りしめた。

 するとその様子をなんと捉えたのか、カナフィナが困ったように眉を下げて言ったのだ。



「ごめんなさぁい、お姉さま。あたしもね、ディルはお姉さまの婚約者なんだからダメなのよって、ちゃんと言ったのよ? でもそれでも何度も何度もディルがアプローチしてきてぇ、その内にあたしもディルを好きになっちゃってたのぉ」


「すまない、サテン。君との婚約を破棄したいんだ。僕はもう、自分の気持ちを偽れない。君の妹を……、カナフィナを僕は愛しているんだ」



 こんなわたしでも、少なからず結婚には憧れがあった。

 政略的な意味しかない婚約であり結婚ではあったけれども、それでもわたしは楽しみだったのだ。

 両親にも愛されないこんな醜いわたしでも、ディル様とならばきっと幸せになれる。


 そう、信じていた。



「――――」



 はっきりとディル様に告げられた決別に、目の前が真っ暗になる。

 そこから続く怒涛のような出来事は、今はもう何もかも曖昧だった。



◇◇◇



『――――サテン』


「――――」


『サテン!!』


「!!」



 肩を軽く揺さぶられて、わたしはハッと顔を上げる。

 見ればヴァルディシア様が心配そうな表情を浮かべていた。


『あ……』


『顔色が悪いぞ、少し休んだ方がいい』


『い、いえ、ちょっと昔の嫌なことを思い出してしまっただけなんで……。もうすぐ夕飯の時間でしょう。すぐに準備しますから……』



 そう笑んで、ヴァルディシア様の胸を軽く押す。

 そしてふらつく足を前に踏み出そうとすると、それ以上に強い力で抱き留められて、ぼんやりとしていた頭が途端に覚醒する。



『ヴァ、ヴァルディシア様!?』


『サテン……、俺ではダメなのか……?』


『え……な、何を…………』



 ぎゅっと抱きしめられ、ドキドキと胸が高鳴り、頬が熱くなっていくのを感じる。

 彼の言っている意味が分からないほど、わたしは幼くはない。



 だけれども、本当に? 



『サテン、君には心の核となっている存在いるのは、見ていて分かっていた。だが、君が今ここにいるということは、もうそれは叶わないことなのだろう? だったら俺が君の核になれないか? 俺ならば君にそんな悲しい顔は絶対にさせない』



 本当にこんなにも美しく優しいヴァルディシア様が?



『わたしは……。両親に勘当され、帰る家すらありません。わたしが、醜いから……。キズモノだから……』



 きっとこれは夢だ。あんまりにも現実が辛くて、わたしは自分に都合のいい夢を見ている。



 そう思うのに…………。



『もう、醜いなどと自分を蔑むな。サテン、君は美しい。見た目はもちろんだが、その君のもつ実直さ、誠実さは何よりも俺には輝いて見える。愛しているんだ、心から』

 

『あ……』



 ヴァルディシア様がわたしの頬に触れる。

 そこから伝わる熱が、わたしにこれは夢ではなく現実なのだと伝えてくる。



『本当に……わたしでよいのですか? わたしには何もありません。身分も、帰る家も、何もない。惨めたらしく婚約破棄された、キズモノの娘です。両親にも愛されなかった娘なのです』


『そんなこと、俺には関係ない。俺にとっては今の君が全てだ。君の素晴らしさに気づかなかった愚かな者達のことなどもう考えるな。俺を見ろ』


『……っ』



 力強い言葉に、ポロポロと涙が零れ落ちる。

 ずっとずっと欲しくて、でも決してわたしには手に入らないと諦めていた言葉。



『はい、ヴァルディシア様……! 本当はわたしもずっと……。貴方を一目見た時からずっと、心惹かれておりました……!』



 けれども破棄されて間もない内に、元とはいえ婚約者のいた身で別の男性に心惹かれるなどあってはならない。

 だからこの胸の高鳴りは新生活への期待なのだと自分を納得させ、己を律し続けてきた。



 でも、もう止まらない。



『わたしも……、わたしもヴァルディシア様を愛しております……!』


『サテン……!』



 もう離さないとばかりにきつく抱きしめられ、ヴァルディシア様の温かな熱が唇に触れる。



『ずっと一緒に俺と生きてくれ、サテン』


『はい……!』


 

 婚約破棄をされた時から。

 いや、生まれた時からずっと不安定だったわたしの足元が、やっと地に足ついた心地がする。

 18年の時を経て、ようやくわたしの張りつめた心は安息の地を得たのだった。



◇◇◇



「おやおや、サテンさんにヴァルディシアさん。今日も仲良く買い物かい?」


「本当に仲の良い夫婦ね。二人ともとても綺麗だし、まさにお似合いだわ」


「い、いえ。ヴァルディシア様はともかく、わたしは……」



 ある日ヴァルディシア様と買い物帰りに教会まで続く田舎道を歩いていると、畑仕事をしていた老夫婦にニコニコと声を掛けられ、わたしは真っ赤になって否定する。


 ――早いもので教会に住み着き始めて3ヶ月が経った。



「前の司祭様が随分と前にここを離れてから、めっきり教会も寂しくなってしまったけれど、二人が来てからというもの、また賑やかさを取り戻したようで嬉しいよ」


「孫達もいつも楽しそうにサテン先生の話をするのよ。この町から学校までは距離があるし、先生が日曜学校を開いてくれて、本当に助かってるわ」


「いえ。わたし達もいつも新鮮な食材をわけて頂いていますし、そのくらい当然です。それにわたしの方こそ、子供たちとの授業を楽しませてもらっているので」



 元々ここは小さな田舎町なので、すっかり町中の人が顔見知りだ。


 町の人達は古ぼけた教会に似たような時期に住み着いたわたし達のことを、夫婦だと思い込んでいるらしい。

 それをいちいち否定して回るのもややこしく、また本当にそうなるといいなという個人的な願望から、わざわざ誤解を解くこともなくこのまま来てしまったが、実際のところヴァルディシア様はどう思っているのだろう?


 言葉は分からなくとも、人々の冷やかした表情を見れば、何を言われているかだいたい見当がつきそうな気もするが……。



「…………っ!」



 そっと横に立つヴァルディシア様を見れば、思ったよりもずっと近くに顔があってドキリと心臓が跳ねる。



『え、あの……。ヴァルディシア様……?』



 慌てるわたしを他所に、そのまま吸い込まれそうな金色の瞳が近づき――。



 ――チュ



 そんな可愛らしい音と共に額に口づけられて、老夫婦から黄色い声が上がった。



『ヴァ……、ヴァルディシア様!?』


『なんだ? キスして欲しかったんだろう? 今そんな目で俺を見つめていた』


『なっ!? ……そんな、わたし……』



 違うと言い切れない自分が恨めしい。

 ムッとしてヴァルディシア様を見れば、彼はまるで宝物を見るような優しい目でこちらを見ていて、反論しようとしていた口を閉じる。



『ズルい……』



 すっかりわたしもその甘さに蕩けさせられてしまうじゃないか。



『そうだな、俺はズルい。本当は俺自身がサテンにキスしたかっただけだ』


『……っ!』



 甘い、甘い過ぎる。

 こんな風に誰かに愛される未来なんて、ずっとわたしには思い描けなかった。

 それをヴァルディシア様はいとも簡単に叶えてくれる。


 ――――愛しい。


 きっとこの言葉は、こういう時に使うのだと実感する。



「ふふ。とても素敵なものを見れたわね、お爺さん」


「ああ。そうだお二人さん、これを持っていってくれ。今収穫したばかりのカボチャだ。立派だろう?」



 そう言ってお爺さんがに抱えるほどの大きなカボチャをヴァルディシア様に手渡すのを見て、わたしは目を見開く。



「そんな……! こんな立派な品、貰えません! お代をお支払いしますから!」


「いいのよ。ちょうど収穫期でそのサイズのカボチャはゴロゴロ採れるの。守護神様の降臨祭まで後1ヶ月だからかしらね?」


「それにしても今年は異例の豊作だけどなぁ」


「これが本当に守護神様のお力なら、有難いことだけどね」


「降臨祭……」



 そういえばもうそんな時期だったのかと、わたしはふと思いを馳せる。


 ――守護神様の降臨祭。


 それは一年に一回、最も守護神様のお力が高まる秋に行われる。

 季節の中で最も人間にとって守護神様の恩恵を受けられる時期に合わせて、日々の感謝を込めたお祭りを国を挙げて行うのだ。この降臨祭だけは、人々の守護神様への信仰心が薄れた現在でも続いている。


 なんでも毎年国一番の美人が守護神様の妻役となる〝聖女〟に選ばれ、その聖女の呼びかけにのみ守護神様はお応えになられ、そのお姿を現しになるとか。


 ……もっとも信仰心が薄れたこの数百年以上は、そのお姿をまともに見られた者は指で数えるほどしかいないらしいが。



「今年の聖女役はどんな子なのかしら? サテン先生ならいいのにね」


「えっ!?」


「いやいや、婆さん。それは無理だ。サテンさんにはヴァルディシアさんという良い人がいるんだ。聖女役は既に相手がいる者は選ばれない習わしだろう?」


「ああ、そうでした」



 お婆さんがお茶目にペロッと舌を出すのに、わたしはくすりと笑う。

 ああ、こんな穏やかな時間、本当に――。



『……ヴァルディシア様』


『ん?』


『わたし……幸せです』


『ああ、俺もだよ』


『はい』



 ふわふわとまるで空でも飛んでいるかのような浮遊感。

 この幸せがずっと続けばいい。



 ――そう、願っていたのに。



 それは突然やってきた。



「おーい!! みんな大変だ!!」



 突然のどかな田舎町にそぐわない慌てた声で、別の畑で作業をしていた農夫がこちらに走ってくる。



「なんだい? 騒がしい」



 お爺さんが農夫を不思議そうに問いかければ、農夫は息を切らせながらも叫んだ。



「おっ、王都の馬車が……! 王都の大聖堂の馬車が来たんだ!!」


「はぁ!?」



 幸せな時間の終わりは、なんともあっけなかった。



◇◇◇



「あれぇ、お久しぶりねぇ、お姉さま。相変わらず地味ー。でもそのお仕着せの修道着にピッタリね」


「…………」



 約4ヶ月振りに見るカナフィナは、元々の華やかな見た目が更に華やかかつ煌びやかに飾り立てられていた。

 さすがは国一番の美人が行う、聖女役(・・・)なだけある。



「それにしてもお姉さまが聖女役(あたし)の世話役とか、すごい偶然~。でもお姉さまにはピッタリの役目貰えてよかったねぇ」



 そう言ってカナフィナは、わたしを上から下まで舐めまわすように見て、クスっと小馬鹿にしたように笑う。


 どうしてこんなことになったのだろう……?



『ヴァルディシア様……』



 今はすっかり遠い人となってしまった名を、誰にも聞こえないようにわたしは小さく呟いた。



◇◇◇



 ――話を1ヶ月前に戻そう。



 王都より現れた一台の馬車。

 そこに乗っていたのはなんと、王都の大聖堂にいるはずの大司祭様だったのだ。

 


『お久しぶりです、守護神様。降臨祭まで後1ヶ月。お戻りの時間です』



 教会に招き入れるなり、大司祭様がそう恭しく平伏した先に立つのはヴァルディシア様で。

 わたしは混乱する頭の中を整理するのに精一杯で、ただその様子を呆然と見ているしか出来なかった。



『今まで黙っていてすまなかった、サテン』



 ひとまず町の宿屋に滞在するとあう大司祭様が教会から去った後、そう切り出されてヴァルディシア様に教えられたことは二つだった。


 一つは、ヴァルディシア様こそがこの国の守護神様だということ。

 一つは、間もなく始まる降臨祭に出席する為に、王都に戻らねばならないこと。



『サテン、こんな重大なことを黙っていた俺を君はもう信じてくれないかも知れない。だが俺の君への気持ちは真実だ。降臨祭が終われば俺はここに必ず戻る。だからどうか王都に共に来てほしい』


『ヴァルディシア様……』



 ――〝王都〟


 その単語を聞くだけで、醜いとわたしを嗤った人々の顔が浮かび、急速に体が氷のように冷えていくのを感じる。



『…………』



 でも、それでも。



『分かりました、行きます。わたしは貴方の側にいたい』



 神と人間。

 知ってしまった以上、きっともう今までのようには居られない。

 夢の時間は夢でしかなく、その夢はもう醒めてしまった。


 ――でも、


 そう頭で理解していても、最早わたしにはこの人を自ら手放すという選択肢は無くなっていたのだ――……。



◇◇◇



「サテンさんは働き者な上に古代語まで堪能で、本当に大聖堂に来てくれて助かるよ」


「でも降臨祭が終わったら、東の地に帰ってしまうんだって? 実に惜しいなぁ。ずっと大聖堂に居てほしいくらいなのに」


「ふふ。皆さんにそう言って頂き、とても光栄です」



 約3ヶ月振りの王都での生活は、わたしが想像していたよりもずっと快適で、居心地の良いものだった。

 ヴァルディシア様に連れられ大聖堂に身を寄せることとなったのだが、大司祭様が上手く話を通してくれたのか、司祭様達は皆、得体が知れないはずのわたしに好意的であった。


 何より聖職者の中でもごく僅かしか話せない古代語をわたしが習得していることが彼らの中で大きいらしく、田舎町で子供たちに古代語を教えていたことを話すと、ここでも教室を開いてほしいと何故か古代語教室を開くこととなったのだ。


 まさか田舎町での経験がこんな形で活きるとは思わなかったが、人に必要とされる喜びをまた感じられるのはとても有難い。

 特に王都に戻った後、降臨祭まで俗世のものから隔離し心身を清める必要があると、ヴァルディシア様と会えていない今は――。



「――――……」


「サテンさん? どうされました? 浮かない顔して」


「いいえ、なんでもありません。そろそろ定刻ですね。授業を始めましょう」



 寂しさを紛らわすように首を振って、心を切り替える。

 そうしてそれからの日々は、あっという間に過ぎていってしまった。



 ――しかし来たる降臨祭当日、それは起こったのだ。



◇◇◇



「あれぇ、お久しぶりねぇ、お姉さま。相変わらず地味ー。でもそのお仕着せの修道着にピッタリね」


「…………」



 しとしとと降りしきる雨音が響く、厳かな大聖堂。

 そこで約4ヶ月振りに見るカナフィナは、常よりも一段と華やかな姿をして輝いて見えた。


 しかし綺麗な容姿とは裏腹にあまりに随分な物言いに、わたしの背後に控える司祭様達がピリピリとしているのを背中で感じる。

 彼らの顔を直接見ていないわたしですらそう感じるのに、当のカナフィナ本人は全く分かっていないのか、「ねぇ、みんなもそう思わない?」と彼女の後ろに控えていたディル様や両親を呼んだ。



「ああその通りだ。それに比べてカナフィナは息を吞むほどに美しい。まるでおとぎ話に出てくる女神のようだよ。君ならば本当に守護神の妻として娶られてしまいそうだ。そうなっては僕は嫉妬どころでは済まないだろうけどね」


「ええ、ええ、本当に美しいわ、カナフィナ。守護神様の聖女役に選ばれるなんて、やっぱり貴女は私達夫婦の誇りよ。ねぇ、あなた」


「ああ、本当に素晴らしい。醜いサテンとは大違いだな」


「嫌だわ、みんなそんな本当のことばかり言ってぇ。お姉さまだって聞いてるのに」



 チラチラとこちらの様子を伺いながら身内だけの語らいを楽しむカナフィナ達を、わたしは半ば呆れた表情で見つめる。


 きっと以前のわたしならば、こんなしょうもない嫌がらせにも傷ついて、惨めな気持ちになっていたのだろう。

 しかし今のわたしには何も感じない。人を比べて悦に浸ることしか出来ない、可哀想な人達とすら思う。


 ……まぁまさか、聖女役がカナフィナだとは思わなかったが……。



「でもお姉さまったら、田舎町にいるのかと思ったら、大聖堂にいたのね。あーあだったら連絡のひとつくらい寄越したらよかったのに、水臭いなぁー」


「……わたしは勘当された身ですので。それに降臨祭が終われば、わたしは東の地に帰ります」


「古代語の知識を買われて王都に戻って来たんですって? ディル様をないがしろにしてまで勉強した甲斐があったわねぇー」


「…………」



 古代語の知識を買われて……。なるほど、対外的にはそういうことになっているのか。

 一人納得し、これ以上彼らの不毛な会話に付き合っていられないので、わたしは自らのやるべきことだけを手短に伝える。



「……聞いていると思いますが、大司祭様より聖女様の世話役を仰せつかっている修道女のサテンです。聖女様、どうぞ、バルコニーへご案内致します」



 恭しく礼をとれば、ふふんとカナフィナが満足そうに鼻を鳴らした。



「婚約者を実の妹に取られちゃった上に、聖女になったあたしの従僕までさせらるなんて。可哀想なお姉さまぁ。でもお姉さまにはそれがお似合いなんだから、仕方ないよねぇ」


「カナフィナ、サテンと二人きりになって大丈夫かい? 君を妬んだサテンが何か意地悪をしたら、すぐに僕に言うんだよ」


「ありがとぉ、ディル。でも大丈夫、心配しないで。気の小さいお姉さまにそんな度胸ないからぁ。ちゃんと聖女のお勤め頑張るから、ディルはバルコニーの下から見ててね」



 そう言って今にもイチャつかんとしている二人からわたしはそっと目を逸らす。また、背後に目をやれば、司祭様達がポカンとした顔で二人を見ていた。


 そりゃそうだろう。そもそも聖女役は決まった相手のいる者は選考から外されるはず……。何故なら心に決めた者がいれば、その者にとっての一番は守護神様ではない。それでは守護神様に失礼だからだ。

 だと言うのに、何故カナフィナは選ばれた? ディル様との婚約を(おおやけ)にしていない?

 まさか聖女役を務めた栄誉欲しさに、彼らはヴァルディシア様を(たばか)るつもりなのだろうか?


 婚約中は盲目になっていた面も否めなかったが、まさかディル様までカナフィナや両親と一緒にこんな小細工じみたことをする人とは夢にも思わなかった。心底幻滅である。



「心配されずとも、聖女様には指一本触れたり致しません。さぁ、間もなく定刻です。バルコニーへ」



 キッパリ言い切り、心配気な司祭様達に大丈夫だと笑いかける。

 そしてモヤモヤと募る苛立ちを抑えながら、カナフィナを引き連れて、わたしはバルコニーへと向かった。



◇◇◇



 降臨祭の最も大事な行事。それは聖女役による、守護神様降臨の儀である。



 聖女が大聖堂にある一際(ひときわ)大きなバルコニーに立ち、大観衆が地上で見守る中、守護神様をお迎えするのだ。

 全知全能の神であらせられる守護神様は、天候を操る力も有するとされる。故に毎年降臨祭は降りしきる雨の中始まり、守護神様がお出ましになった際に太陽も同じく姿を現す。

 それが今となってはお姿を見ることの出来ない大多数の人間にとっての、守護神様が降臨されたと分かる合図なのである。



「おおっ!! あれが今年の聖女様か!」


「あの輝く黄金色の髪! 澄んだ青色の瞳! 美しい……! まさに守護神様にお似合いの聖女様だ!!」


「うふふ! みんなー! 見てるー? ねぇ、お姉さま! みんなあたしのこと美しいって! 守護神様もそう思ってくれるかなぁー?」


「……っ、そうね」



 カナフィナより離れた位置でぼんやりとその様子を見ていたわたしに、カナフィナの素直な言葉が突き刺さる。

 確かに誰がどう見ても美しいカナフィナの方が、あの息を呑むほど美しい彼には似合っている。

 ヴァルディシア様だってわたしを美しいと言ってくれるけれど、カナフィナと並べばそうは言ってくれないかも知れない。



 ……惨め。



 この頃すっかり消え失せていた感情がまたぶり返してくる。

 なんで大司祭様はわたしに聖女の世話役を任せたのだろう? 毎年世話役を担当している適任の修道女はちゃんと居たのに。



『ああ、ヴァルディシア様……。早くお姿が見たいです……』



 きっとこの1ヶ月会えなくて、心が弱ってしまっただけ。

 またあの力強い腕に抱きしめられたら、わたしは頑張れる。



 例えこの恋に先がなくても――。



「……? おい、どうしたんだ?」


「雨が止まねぇぞ」


「守護神様は降臨なさっていないのか?」


「え…………?」



 不意にザワザワと地上が騒がしくなり、わたしはハッと意識を浮上させる。

 確かにカナフィナが既に守護神様へ降臨の合図をとっているのに、いつまで経っても雨は晴れない。

 例年にはない事態に人々がザワザワと不安気に囁き合う。



『ヴァルディシア様……?』



 わたしも同様に不安を募らせる。

 王都に戻った後、降臨祭まで俗世のものから隔離し心身を清めると言い、大聖堂の奥に引っ込んでしまったヴァルディシア様。

 大司祭様の話だとこれは例年のお約束で、元々人好きで自由を愛する気質の彼は、司祭姿に化けて国中を転々としていたそうなのだ。

 そして偶然にもわたしが東と地の田舎町に辿り着いた時に、彼もそこに滞在していた。


 でなければあの教会は本当に数年前に無人となっており、わたしは完全に行き場所を失っていた。

 ヴァルディシア様に出会えたのは、実に幸運だったのだろうと今では思う。



『ヴァルディシア様……どうなさったのですか? 早くお姿が見たいです……』



 ――もう一度、そう祈るように呟いた時だった。



「なんで、なんでこのあたしがこんなに祈ってるのに、守護神様が降臨されないのよぉ!? 分かった! お姉さまだ!! お姉さまがあたしに意地悪しているんでしょう!!?」


「え……っ、何言っ…………きゃっ!?」



 突然鬼のような真っ赤な形相でカナフィナがこちらを振り返ったかと思うと、彼女はものすごい力でわたしを引っ張り、バルコニーの柵へと押し付ける。

 それを見た下にいる群衆のあちこちから悲鳴が上がった。



「カナフィナ! 何を考えているの!? やめて! こんなけとして、冗談じゃ済まないわ! 手を離して、カナフィナ!!」


「うるさいっ!! あたしに指図するな!! 本当にムカつく! 昔から地味であたしに劣る癖に、親にも婚約者にもバカにされても、外では要領よく生きてたアンタが大嫌いだった!! こうなったら婚約者を奪って大恥かかせてやろーと思ったのに、涙ひとつ見せないでさっさとド田舎に行っちゃうし! そこでもさぞかし惨めな生活を送っているのかと思ったら、しれっと王都に戻ってきて司祭を味方につけてて! 本っ当に気にらない!! いつもいつも、あたしが大事な時に目の前をチョロチョロしやがって……!!!」


「……!? 何言ってるの!? ヤダっ……! やめ……っ!!」



 ――――ドンッ!!



 強い力で胸を押された音が、耳に響く。



「きゃああああああああああ!!!!!」


「わぁああああああああああ!!!!!」



 悲鳴を上げる群衆。

 落下していくわたしの体。



「…………っ!!」



 明確に死を自覚する。



 ――――ヴァルディシア様……!!!



 最後に愛する人の名を呼んで、意識を手放そうとした瞬間だった。



『――遅くなってすまない、サテン』


『あ……』



 閉じた目をゆっくりと開けば、ずっと会いたいと願っていた人の顔があった。

 知らず、ポロポロと涙が頬を流れ落ちる。



『ヴァルディシア様……?』


『準備に手間取って遅くなった。怖かったろう? もう大丈夫だ』


『え……』



 言われてふと周囲に視線を向ければ、下にはこちらをぽかんと見つめる大群衆と、バルコニーで血の気の引いた顔をしているカナフィナが見えた。

 どうやらわたしはヴァルディシア様に抱きかかえられ、空を浮いているようだった。



『ヴァルディシア様……、もしかしてお空を飛べたのですか? それに、お姿が…………』



 いつもの聖職者がまとう黒い衣が神らしい白い衣に変わり煌びやかな宝飾品を身につけているのは元より、あの珍しく美しい太陽のような赤髪も、短髪ではなく腰まで長く伸びている。



『……ああ、これでも一応神だからね。浮遊などなんてことはない。姿もいつもの方が偽りの姿で、こっちが本来の()なんだ。……サテンは、こういう私は嫌いかい?』



 少し不安そうにわたしを見つめるヴァルディシア様が可愛くて、こんな状況なのに思わず破顔してしまう。



『ふふ。少し驚きましたが、そのお姿もとても素敵ですよ。わたしはどちらのヴァルディシア様も、愛しております』


『サテン……』



 近づいてくる金の瞳にそっと目を閉じれば、唇に柔らかな温もりが降ってくる。

 その甘やかな感覚にポーっと身を委ねていると、不意にヴァルディシア様がわたしの目の前に光る小さな丸いものを差し出した。



『これは……?』


『私の持つ、神の力を込めた飴だよ。これの準備に手間取っていた。これを食せばサテンは真に私の聖女となり、私と同じ不老不死となる』


『不老……不死……?』



 ヴァルディシア様の言葉に目を瞬かせれば、彼の真剣な表情とぶつかった。



『サテン……。これは君の人間としての人生を奪ってしまう選択だ。けれど、それでも私は君に選んで欲しいと思う。どうか私の聖女となり、共に生きてくれ。気が遠くなるほどの悠久を――()と』


『――……っ』



 またポロリと、わたしの瞳から涙が零れる。


 ……いいのですね?

 貴方が神だからと、手の届かない人だからと諦めなくても。



『ふふっ! そんな風に言われたら、断るなんて選択肢、わたしにある訳ないじゃないですか……! 本当にヴァルディシア様はズルい人ですね』



 わたしの泣き笑いの言葉に、ヴァルディシア様もくすりと笑う。



『そうだ、私はズルいんだ。決して愛した者を逃したりはしない。サテン、君は生涯私のものだ』


『――はい。生涯わたしを貴方の聖女として、貴方のお側においてください』



 一見すると怖いことを言われているようなのに、その彼の執着がわたしには嬉しくて堪らない。

 やっぱりヴァルディシア様の腕の中は何よりも落ち着く。先ほどまでのモヤモヤも惨めさも、全部吹き飛んでしまった。


 そうして受け取った輝く飴をためらうことなく口に含めば、ポカポカと体が不思議な力でみなぎるのを感じる。



『ん……』


『これでずっと一緒だ、サテン』


「しゅっ、守護神様だ! 守護神様が現れになった……!!」


「俺達にも見える! 見えるぞ!! あれが守護神様……。なんてお美しいんだ!!」


「腕に抱えられている方こそ、真の聖女様だったのね! お二人共キレイ……」



 雨上がりの柔らかな太陽に照らし出され、実に数百年振りに誰もが見える形で姿を現しになった守護神様。その神々しいお姿に、誰もが感嘆する。



「お姉さまが真の聖女ですって!? そんな訳ないでしょ!! 聖女はこのあたし! このあたしなのよーっ!!!」


「サテン、僕が間違っていた!! 君こそ僕の妻には相応しい! 今すぐカナフィナと婚約破棄をするから、もう一度僕の婚約者に……!」


「サテン! 母様と父様が間違っていたわ! やっぱり貴女こそが、自慢の娘よ! 守護神様の聖女となるのなら、勘当は無しにするわ!!」


「そうだ、サテン! 守護神様に嫁入りするなら、ファンジュール家を上げて盛大に行う! だから……!」


 

 観衆の歓声に混じってカナフィナの絶叫や、ディル様や両親の声もするが、1ヶ月振りの逢瀬に夢中のわたし達の耳にはろくに聞こえていなかった。



◇◇◇



 こうしてこの国には一年限りではない、〝真の守護神の聖女〟が生まれた。


 聖女サテンは何年、年百年と時を経ても老いることなく、一年に一度の降臨祭でその姿を現す際には、必ず守護神ヴァルディシアの隣にあったという。

 それ故に人々は、聖女サテンを〝守護神の最愛の花嫁〟と呼び称えた。


 また、聖女サテンの家族とされる者達は、真の聖女を侮辱した罪、命を奪おうとした罪、守護神様を謀ろうとした罪。様々な罪に問われ、その身分を剥奪されて牢に入れられたが、その後の行方は誰も知る者はいないのである。



 ……ただ一人の守護神を除いて。




=守護神の最愛の花嫁~古代語を極めし令嬢は妹に婚約者を取られましたが、国の守護神様に溺愛されて幸せです~・了=



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