それぞれの揺り籠(2)
休み明けの朝、愛美は、朝練習を終えて早めに教室にやって来る岳斗を教室で待っていた。
岳斗と同じく朝練だった生徒と、もともと朝早く登校する生徒が、ちらほら教室に入ってくる。
「遠野君、おはよ」
「おぅ」
岳斗が席に着くと、愛美は岳斗の机を挟んで向かいに座った。
「あのさ、遠野君、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「何? スリーサイズ?」
「それも興味あるけど、そうじゃなくて。幸谷君の事」
「何? あいつのスリーサイズ?」
「スリーサイズの話はいいから!」
「うん」
そうして愛美は、本題に入った。
「遠野君って、幸谷君がサッカー上手いこと、知ってたよね?」
「え……なんで?」
「体育の時、幸谷君に向かってボール蹴ってたじゃん」
「あぁ……」
「それに、リレーも。あの推薦、私あの時は悪ふざけかと思ったけど、違ったんだよね? 幸谷君が、本当に運動できるの、知ってたから」
岳斗は、鼻で息をつき、あたりを見合わすと、観念したように言った。
「小学生の時、俺あいつと、サッカーしたことあるんだよ」
「え、そうなの!? じゃあ、知り合い?」
「いや、あいつは覚えてないよ」
「チーム同じとかじゃないの」
愛美は自分でそう質問したが、それは考えずらいかと、すぐに思い直した。岳斗はこの市内出身で、正孝は池袋在住である。同じクラブだったというのは、考えずらい。
「都トレで一緒だったんだよ」
「トトレ?」
「あぁ……まぁ、要するに、東京都の代表みたいなやつ」
「え、それに、幸谷君も遠野君も入ってたの」
「そう。で、そこで何回か顔合わせてる」
「あぁ、だから……」
なるほど、と愛美は納得して頷いた。
「あいつフォワードやっててさ。俺もその時まではフォワードだったんだよ。で……これ、あいつに絶対言うなよ? ――俺それまでさ、フォワードだったら一番上手いと思ってたんだよ。だけどあいつがいてさ……。それで俺、バックやろうって決めたんだ」
「なんで?」
「そりゃ……俺より上手かったからだよ。あんな奴がいるんだから、俺はフォワードじゃ無理だなって。要は、挫折みたいなもん」
「へぇ、そうだったんだ……」
「それがさ、あいつ先にサッカー辞めてんだもん。ふざけんなよな」
岳斗はそう言って笑った。
屈託のない笑み。
「どうして、辞めたんだろ……?」
「中学の早い時期に、怪我って聞いたな。風の噂で。この業界、案外狭いから。あいつ、中学は都でもJ下部とやりあえる強豪クラブに入ったんだぜ?」
「そうだったんだ……」
「でも、ホントの所はわからないな」
「ホントの所?」
「そ。怪我で辞めたって。そこまで行くような奴が、怪我くらいでサッカー辞めないんだよ普通。まぁ、あいつに聞いたわけじゃないからわからないけどな。怪我の内容も知らないし。――聞く気もねぇよ」
「それで、遠野君は、寂しくない?」
「寂しい? いや、全然。だって俺、別にサッカーやってるからあいつと一緒にいるわけじゃねえし。むしろ、サッカーやってない方が、あいつらしくていいんじゃねぇの?」
岳斗が言った。
あぁ、そうかと、愛美は頷いた。
一昨日、弟と遊んでくれていた時の正孝の表情を愛美は思い出した。勝負の世界で活き活きするタイプもいれば、勝負ではない世界を楽しめるタイプもいる。優や、幸谷君のように。
確かに、サッカーをやっていない方が幸谷君らしいというのは、今の愛美にはよくわかった。
きっと、だから自分も、そして遠野君も、幸谷君の近くにいたいと思うのだ。
――そこへ、正孝が教室に入って来た。
「おはよう」
と、愛美は正孝に笑顔を向けた。
正孝は、愛美と岳斗に「おはよう」と挨拶をして、それから、愛美に訊ねた。
「足の具合はどう?」
「もうかなり良いよ。腫れも引いたし」
「そっか、良かった」
正孝の、いかにもほっとしたような表情と、そして、それに続くさざ波のような笑顔を向けられて、愛美は心はうっとりと安らいだ。
「お前さ、後夜祭来なかったろ! ふざけんなよ」
「ごめんごめん」
岳斗の言葉に、正孝は平謝りをする。
明日香たち、お馴染みのメンバーが続々と教室にやってくる。
今日から、また学校が始まる。
「おはよう」と友達に挨拶をする愛美を、正孝はちらりと盗み見た。その時に正孝は、いつの間にか自分が、愛美を恐れていないことに気が付いた。少なくとも今の、その優しげな眼もとは本物だ。
ツンと、正孝は心の中に、沁みる様な感覚を覚えた。
正孝は愛美と目が合わないうちに、慌てて席に着き、スクールバックの教科書を机の中に移した。そして、一時間目のノートと教科書を机に広げつつ、ノートの上にメモ帳を置いた。
ハートの上に レモンの果汁が絞られる
ぽたぽたと 淡い黄色の雫が落ちてくる
そこで正孝は書く手を止めて、ペンを両手でぎゅっと握った。
そして、今しがたメモ帳に書き出してしまった二行の詩のタイトルが正孝の脳裏に浮かんだ。
正孝は、ぶんぶんと首を振った。
漢字二文字。
書くにはあまりにも恥ずかしすぎると、正孝はノートの隙間にメモ帳をしまった。
何とかこの〈あとがき〉までたどり着くことが出来ました。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。一章あとがきでも書いた通りなのですが、とにかく、感想やポイントやブックマークがとてもうれしく、それをエネルギーに書いております。また、誤字脱字の方の指摘も、大変ありがたく思っております。そういう「読んで貰えている」のエネルギーが、二章を生み出したと言っても過言ではありません。特に今作、観覧者数が本当に少ないので、有難い限りです<(_ _)>
さて今回の二章ですが、一章よりも随分登場人物が増え、また、人物同士の絡みも一歩進みました。ちょっと複雑だったろうかと、少しだけ心配しております。そしてまた、人物が出て来たのに、この章の中ではもう一歩言及されていない人物もいます。栞や光輝の恋はどうなるの、というのがまさにそうで、結局二人の恋は、この章の中で何か決着を見ることはありませんでした。
実はこの作品、もう少し先が、あるにはあります。二章の決着のついていない部分があるのも、そのためです。「じゃあ後書きなんて書いてないで続きを連載しろよ!」という意見があるかと思いますが、すみませんそこは、やはり一章ごとにエネルギーを使い切ってしまうため、今回も一応ここで、「完結」とさせていただきます。
エネルギーが回復したらまた、書き始めようと思います(約束はできないのですか……)。もう少しこの作品を読みたい、だとか、そういったことがあればどしどし、感想等ください。ラブコメとも言い難く、いわゆる純文学的な括りにも属さないような、ジャンルの狭間のようなこの作品ですが、ひとまずはここまでお付き合い、ありがとうございました<(_ _)>




