20. 君のために全力を尽くすんだ。
関節が外れ、感覚もなくなってきた右腕を力なく垂らしながら、瓦礫の街をひた走る。
「リルハーッ! 返事しろーッ!!」
あらん限りの声で叫ぶは、人懐っこい返事は聞こえない。
側面に大穴を空けた家屋から、ひょっこり顔を出してほしい。
あっけからんとした顔をして、「大丈夫!」と声を発してほしい。
芽を出す最悪の状況を、わずかな期待感で抑えつけて、彼女が飛ばされた方角へただ走る。そして、吹き飛ばされたであろう、崩れかけの厩舎に脚を踏み込むと。
「おねえちゃん! おねえぇぇちゃん!」
泣き叫ぶ女の子の声。粉々に砕けた木片。広がる血の海。
抱きとめられた女の子は、少し切り傷がある程度。
少女を救ったリルハは、生きていた――
背中が抉れて血みどろになり。
両脚がありえない方向へ捻れているその姿を。
「生きている」と呼べるならば。
「リル、ハ」
呼びかけた声に、彼女は辛うじて反応を示す。
「――――――あ――――」
口からは血がとめどなくあふれ出し、声らしい声も発することができていない。
顔からはすっかり血の色が抜け、真っ白な肌とは裏腹に、あの純白のドレスは、全身からの出血で真っ赤に染まっている。
「――――ご、め――――あた、し、ドジ、って」
「もういい。しゃべるな」
無理に言葉を継ごうとする姿に、思わず語気を強めてしまう。
本当に、即死していないことが奇跡なほどの有り様だった。
「おねえちゃん! リルハおねえちゃん! しっかりしてぇ!」
助けられた女の子は、泣きじゃくりながら必死にリルハに声をかけ続ける。
名前を知っているのだから、普段から親しかったのだろう。彼女なら、なにも珍しいことじゃない。
黒竜の咆哮が、それほど近くないところから聞こえてくる。
片目を潰したとはいえ、ここに気づくのもそう時間はかかるまい。
この子だけでも逃してやりたいが、あたり一面は瓦礫、すぐそばには巨大な竜。一人で避難所へ向かわせるには、あまりにも危険すぎる。
……無駄になるのか。彼女の願いが。
「――――コ――ジィ、く――」
血を吐きながらリルハが口を開く。弱々しく、小さい声。
虚ろな目でなにかを訴えようとする姿に、「しゃべるな」と告げることができない。
彼女のもとに近づき、しゃがみこんで耳を傾ける。
「――――そ、の子――つれ、て――にげ――」
「……お前はどうすんだよ……!」
「わた――し、は、いいか――ら――――だっ、って――――」
必死に、言葉を継ごうとするたび、鮮血が唇をしたたり、それでもなお、なにかを伝えようとする。
……聞くことしかできない。止めるべきだと、わかっていても。
「だっ――――――て――――わた、し――――――――」
その最後の言葉は、ほとんど消え入ってしまい、聞こえなかったけど。
しあわせ、だったから。
そう聞こえてしまったことを、信じたくなかった。
《警告:寵愛対象[リルハ]の生命力、深刻な低下。残り2分程度で絶命。》
視界の片隅を「女神の寵児」ログがよぎる。
言われなくともわかる事実を、詳細に伝えてくる機能が、恨めしく感じられる。
視界が、ぼやけていく。認めたくない現実に、意識を手放したくなる。
あの時だってそうだ。冤罪をふっかけられたことに耐えきれず、全て見えなくなって、あの場から逃げ出したんだ。
――これで、いいのか。
「おねえちゃああん!おねえちゃああああん!」
泣きわめく女の子を救って、最期に俺が目の前に現れて。
それで、この子は本当に、幸せだったのか。
スーニャさんは教えてくれた。彼女が冒険者を志した理由を。
俺は見てきた。彼女が、見も知らぬ俺に対してとった行動を。
『困っている人を見捨てるなんて、冒険者として恥ずべきことです!』
どこまでも、誰かのために、命すら危険に晒して、駆け出す。
自己犠牲でもなく、卑下でもなく、ただ「目の前にいる人のため」に全力を尽くしたいという、純真すぎる願い。
そんな姿を、自然と「聖女」と例えたんだった。
――このまま、彼女を死なせるのか。
そんな彼女に救われっぱなしだった俺は、いったい彼女になにをしてやれた?
ありったけの力を持ちながら、してきたことは、ただ自分に惚れさせただけか?
神さまから貰ったチートを、彼女のためにすら、振るってやれないのか?
――こんな結末で、終わらせるのか。
そんな、転生してもなお不甲斐ない俺に、スーニャさんは肩を叩いてくれた。
『――『その時に必要なもの』を選びなさい。どう進むべきかなんて、その後いくらでも変えられるわ』
――いいわけ、ないだろ。
――まだ、リルハに、なにも恩返しできていないのに――
「君を――死なせる、ものか」
濁った意識が澄んでいく。ぼやけた視界がクリアになっていく。
スキル取得画面を表示する。無数のスキルが羅列する中、俺の指先は驚くほどスムーズに、ひとつのスキルへと画面をスクロールさせる。
膨大なスキルの海の中へ、迷わず一点を指し示す。
「魔導極点」。消費スキルポイント、100pt。
あぁ、今ならわかる。「今の俺に必要なもの」が。「なんのために使うか」が。
誰のために、この恩寵を振るうべきか!
《確認:スキル習得後はポイントに再度戻すことはできません。「魔導極点」を習得しますか?》
「そのためなら――出し惜しみなんてするものか!!」
間髪入れず承認。スキルポイントが減産され、消費ポイント表示部に「習得済」の文字がスタンプされる。
――変化は突然に起きた。
脳内に突如、
この世界の魔法のなりたち、
魔力と魔法の仕組み、
魔法の一覧、
魔法を呼び出す呪文、
魔法と魔物の関係性、
魔法と魔法使いたちの歴史、
そして、全ての魔法の「根幹」のなんたるか――
それらを急速に認知し、そして理解した。
まるでPCにアプリケーションをインストールするかのように、俺という存在の中に「この世界の魔法の全て」が注ぎ込まれていく。手に取るように、「魔法」とはなにかが、解る。
今の俺には、こんなにも選択肢が与えられている!
「――万象を守護する光となれ、【サンクチュアリ】!」
膨大な魔法の一覧の中から、「傷を癒やし、死をも防ぎ、あらゆる危害を遮断する結界を張る魔法」を選択。
まるで神さまが放つようなまばゆい光が、俺とリルハ、そして泣きじゃくっていた女の子を包み込むように広がる。
ほどなくして、関節の外れた右腕に急速に感覚が戻る。女の子の切り傷も、見る影もなく消え去る。
そして、抉れたリルハの背中に、光が補填するように注ぎ込まれ、捻れてしまった両脚も、光の糸が正しい向きへ修復し、包帯のように脚全体を覆い隠す。
「……これ……なにが……」
泣き止んだ女の子が呆然とする中、背後から、獰猛な咆哮が響き渡った。
振り返った瞬間、紫炎のブレスが、レーザー光線のごとき勢いでこちらへ向けて放たれる。
木造の厩舎は一瞬にして火の海と化す。だが――俺たちが灰燼となることはない。
光の結界の内側は、息をするのも苦しい灼熱地獄から、完全に隔絶されている。
「ある聖者の祈りが生み出した、神の加護を体現する光の聖域。よーし、額面通りってわけだ」
【サンクチュアリ】の説明文を諳んじながら、眼前の黒竜に向き合う。ナイフに潰されていない左目が、せわしなくキョロキョロと動く。
――この程度は序の口だぜ?
すっかり動くようになった右腕を高く振り上げ、太古の世界で用いられた「精霊と対話するための言語」――ルーン語の詠唱を開始。
足元より白炎が舞い上がり、宵闇の空へと昇る。純白の炎の渦は、瞬く間に巨大な鳥の姿へと変ずる。
音を聞いても、文字には起こせないその詠唱を意訳するならば――
『テメエを骨の髄まで焼き尽くす。』
白炎の怪鳥がいななきを上げ、猛スピードで黒竜へ突進。
竜も飛翔しようとするが、炎鳥の速度はそれを遥かに上回る。
ぶつかると同時に巨大な火柱が吹き上がる。巨大な黒竜が、ほぼ全身をまるごと、まばゆい白炎に包まれていく!
「GGGGYYYYYYYYYYAAAAAAAA!!!!!!」
これまで以上にダメージを予感させる叫び。少しだけ浮き上がっていた巨体は、宙空でもがきながら、腹ばいになるように地面へと墜落する。
……これならばいける。それは期待感じゃない。はっきりとした確信だ。
呆然とした表情で、女の子は尋ねる。
「おにいちゃん……いったい……?」
「……この光っている場所から、動かないで。それと、リルハを診ていてくれるかな? できるかい?」
優しくお願いすると、小さな頭をぶんぶんと縦に振ってくれる。
「いい子だ。じゃあ――少し、行ってくるね!」
それだけ言い、結界の外へ踏み出す。
肌をジリジリと焼く熱気の中、悠然と歩を進める。
黒竜が徐々に体勢を立て直し始める。未だに全身が燃え上がる中、これ以上とないほどの敵意をこめてこちらを凝視してくる。
その視線を、真正面から睨み返す。
「……さすがにそれでは死なないか。けど、いいぜ。さっきの一発じゃまるで物足りないからな」
白炎に包まれた巨躯が立ち上がり、夜の帳のごとき翼を広げる。
どの程度ダメージを受けたか分からないが、あの様子では致命傷には遠いだろう。
間違いなく強大な存在。だけども、負ける気なんて、今は全くしない。
「教えてやる――『女神の寵児』の本気をな!!」




