――願いと可能性――
「中佐……。申し訳ありません……。私の失態のために……」
アンセルムに担がれながら、アンヌ少尉は弱々しい声で詫びた。撃たれたもうひとりの兵士は、ノロンとフェンディーのふたりがそれぞれ肩と脚を持ちあげて運ばれている。3人とも屈強な体格なので、ふたりを運ぶのに苦はないようだった。
「謝罪の言葉は不要デス。それに、詫びるとすればワタシのほうデス。テンゴンは、もっと早く始末するべきでした。同じ連合の者という意識が、ワタシの判断を鈍らせました。ワタシの判断ミスデス」
ジェスター中佐はざくざくと足音を立てながら浜を歩いていた。そのすぐ後ろをトマスが歩いていたが、ふと、けげんな表情を浮かべた。まっすぐ帆船に向かっていなかったのである。
ジェスター中佐は浜に倒れているひとりの男にかがみこんでいた。「アンヌ少尉。この人物は?」
ジェスター中佐の足もとに倒れているのはエンリティクだった。ときどき弱々しいうめき声をあげている。
「島の住人……です。エンリティクと……名乗っていました……」
アンヌ少尉も弱々しい声で答えた。
「遠目でしたが、巻き添えに遭ったようでしたね」
「この、こいつの不用心なひとことで……、争いに……なった、の、です……」
アンヌ少尉の声は弱々しいままだったが、強い不快感を抱いているのはわかった。
「そう言うものではないデスよ、少尉」
ジェスター中佐はたしなめるようにつぶやいた。
「彼らは帝国の支配下にあるとはいえ、それでも平穏に暮らしていたのデス。その平穏を壊したのはこちら……、連合デス。現在、彼らの生死に関しての責任は、すべて我々……、連合にあるのデス」
ジェスター中佐はエンリティクの負傷の具合を確かめた。
「背中を撃たれていますね。ワタシは医者でないので正確に診断できませんが、軽いとは言えないでしょう。このひとも運びマス。トマスさん、手伝っていただけマスか?」
ジェスター中佐がエンリティクをうつ伏せのまま肩から持ちあげる。トマスは慌てて駆け寄った。「わ、わかった」
トマスはエンリティクの脚をつかんで持ち上げると、ジェスター中佐に顔を向けた。
「しかし、あなたはこの見知らぬ島民を助けるつもりなのですか?」
「さっき言ったとおりデス。今回のことは我々に責任がありマス。すべての命を救うことはできなくとも、それでも救える可能性に目をつむるワケにまいりません。ワタシは、今できることに力を注ぐだけデス」
「あなたのことがわかりません」
トマスはそう言いながら背後に目をやった。アンセルムに抱えられたアンヌ少尉のかたわらを、黒い小さな竜が寄り添うように翼をはためかせている。ときおり鼻先をアンヌ少尉の頬にすりつけて、いかにも彼女を案じている様子だ。
「こんな緊急時であれば、重傷の味方を捨て置いて船に急ぐものでしょう。彼らを救うのは事がすんでからでもいい。もし、それで手当てが間に合わなかったとしても、彼らはあなたを恨みますまい」
「かもしれませんね」
ジェスター中佐はエンリティクの頭を見下ろした姿勢のまま答えた。
「お察しのとおり、ワタシは優れた軍人ではありません。将としては凡将の類でしょうね。そんなワタシに、彼らは命を預けて戦ってくれマス。そんな彼らにワタシはいつか『死んでくれ』と命じることがありマス。軍隊とはそういうところデスが、ワタシは簡単に割り切るつもりはありません。そんなときが本当に来るまで、ワタシは彼らを守りたい。それが、彼らの死に場所を決めるワタシの覚悟。そして、ここはそういう場所じゃないと考えているのデス」
トマスは黙ってうなずいた。
さきほどまで、トマスは冷静な男だと考えていた。しかし、今は最初の考えからかなり離れてきた。まさか、これほど情の厚い男だと思ってもみなかったのだ。
同時に、責任感の強い男でもある。トマスですら捨て置こうと思うエンリティクも救おうとするのだから。警戒心がすべて解けているわけでないが、トマスはジェスター中佐のことを信頼できる人物だと思い始めていた。
帆船に着くと、3人の負傷者はすばやく船に乗せられた。その作業をしている間に、ジェスター中佐はひとり、甲板で別作業にとりかかっていた。銃口の大きい、小さな銃に弾をこめていたのだ。
「それは……?」
トマスが問いかけると、ジェスター中佐は首を振りながら銃口を天に向けた。
「皆サン、耳をふさいでくだサイ」
ジェスター中佐はそう言いながら引き金を引くと、ピィーと空気を切り裂くような音を立てて弾が放たれた。弾は音だけでなく、赤い煙も吐きながら天へと昇っていく。
「鏑弾か!」
耳をふさぎながらトマスは叫んだ。鏑弾は、けたたましい音とともに空中で消えた。
「まだ耳から手を離さないでください。もう1発撃ちマス」
ジェスター中佐はふたたび鏑弾を放つ。今度は青い煙を吐きながら天へと消えていった。
信号弾を撃ち終えたジェスター中佐は、銃を甲板に落として島の稜線を越えた先を見つめる。そこからすぐに、赤い煙が稜線から昇り、少し遅れるように笛のような音が届いてきた。
「応えました。すぐ出発しましょう」
ジェスター中佐は甲板に畳まれている帆に手をかける。「皆サンであれば、どれぐらいで帆をあげられマスか?」
「5分……、いや3分であげてみせる!」
答えたのはノロンだ。そでをまくって太い腕を見せている。
「頼もしい答えデス。では、お任せしマス。トマスさん。アナタは私と、この船を砂海まで押し出してくだサイ」
ジェスター中佐はトマスの肩を叩いて浜へ降りる。
「男ふたりで押し出せますか?」
後に続きながらトマスは尋ねた。
「浜の砂も砂海の砂と同様、水のようなものデス。あまり抵抗なく砂海へ押し出せられマス」
ジェスター中佐はすばやく船を押し始めた。ジェスター中佐の言う通り、船が少し動き出す。
「なるほど」
トマスもジェスター中佐の隣で船を押す。初めは少ししか動かなかった船も、ずるずると砂海へと押し出されていった。船が砂海に浮かぶと、ふたりは船の脇に垂らされた縄ばしごへ急ぐ。
「あなたが先に」
トマスはジェスター中佐に言った。理由こそ口にしなかったが、トマスなりの誠意だった。もし、トマスが先に船へ乗り込んだら、ジェスター中佐を裏切り、縄ばしごを落として船を乗っ取ることも可能だからだ。
そのことはジェスター中佐もわかっていたらしい。彼は無言でうなずくとすばやく縄ばしごを登っていった。トマスも急いではしごを登る。
ふたりが甲板に戻ると、帆の準備も整ったころだった。アンセルムたちが力いっぱいロープを引っ張り、帆はマストから大きくはためいた。
「出航!」
ジェスター中佐が短く叫ぶ。
「どちらに?」
トマスが尋ねると、ジェスター中佐は戦列艦が向かった方角とは逆を指した。
「あちらデス。ここから逆回りで島を周り、この反対側で味方と合流しマス」
「さっきの鏑弾はその指示をするものでしたか」
「ええ。あらかじめ、合図を決めていました」
「本当に、あなたは味方と争う可能性を考えていたのですね? しかし、なぜ? なぜ、シィナ共和国は連合と……、あなたたちと争うのです?」
「つまらない政治的理由デス」
答えるジェスター中佐の声は、本当につまらなそうだった。
「シィナ共和国の考えているのは、おそらくこうデス。この島を占領し、軍事要塞化を進める。このことは大々的に連合側へ伝えられることでしょう。帝国領内のかなり深いところにくさびを打ち込む話デス。連合としてもこの事態をシィナ共和国一国の問題にできない。放置すれば、帝国が島の奪還に動きマスからね。もし、こちらが無策無援のまま、島を取り戻される事態になれば、連合の民は連合代表、ヴォーティガン様を非難することでしょう。あの方の影響力が弱まれば、連合内で権力抗争が起きかねません。そうならないために、こちらも大軍を手配するしかありません。しかし、この作戦はシィナ共和国が主導権を握っている。連合議会でも彼らの主張を認めつつ戦争をすることになりますね」
「つまり……、今回のシィナ共和国の動きは、連合内で代表の影響力を弱め、さらに自国の優位性を高めるための、政治的パフォーマンスなのですか?」
「シィナ共和国の代表、ペーキンは野心家デス。連合と帝国の間で、偶発的ですが紛争が起こってしまった。ペーキンは、これを自分の野心に利用できると考えたのでしょうね。仮に、この島が帝国に奪い返されても、ペーキン自身は困りません。他の連合諸国が非協力的だから、せっかくの拠点を失ってしまった。この状態で、どう有利な休戦条約を結べるのか? と、連合議会で他国を非難する口実に使えマスから。この作戦は成功するにせよ失敗に終わるにせよ、ペーキンの発言力を高めることにつながるのデス」
「……ひどい話だ……」
トマスの声はうめき声に近かった。「そんな理由のために、ここの人たちは犠牲になるというのか……」
「ペーキンの意図をくじく方法はいくつかありマス。ひとつは、シィナ共和国による島の占領を阻止すること。この作戦自体が失敗に終われば、ペーキンは連合を非難できませんからね。あるいは、急ぎ連合本国にこの件を報せて、ペーキンが発言する前に、シィナ共和国の単独行動を非難する声明を出すことデス。こういったことは先に言った者勝ちという側面がありますから」
「現状、戦力の足りない我々にできるのは後者、ということなのですね?」
「その通りデス」
「それなのに、さっき、あなたはテンゴンを止められなかったことを後悔しているようでしたが」
「ワタシたちがシィナ共和国の意図に気づいていると悟られる前であれば、テンゴンの暗殺も可能だったということデス。そうすれば、少なくとも共和国軍は島から撤退したでしょう。人的被害も最小で食い止められたかもしれません」
「だが、あなたは本来の任務遂行のため、テンゴンを泳がせた……」
「そういうことデス」
トマスがじっとジェスター中佐の顔を見つめているので、ジェスター中佐はトマスに顔を向けた。「どうかしましたか?」
「ずいぶんと、あなたはおしゃべりだ……」
「諜報部失格と言いたいわけデスね?」
「いいえ。ただ、ここまで率直に話す意図を知りたいのです」
「なるほど。さすがにそこまで信用されていませんか」
「商人は、最後の最後まで気を許さないものなのです」
「面白いデスね。いいでしょう。互いに出し抜かないよう提案したのはワタシデス。きちんとお話ししておきましょう。と、言ってもたいしたものではありません。アナタがたが、もし、無事に逃げおおせたら、この事実を自国で広めていただきたいのデス」
「連合内の混乱を? そんな話が広がったら、あなたの立場は悪くなるでしょう?」
「ワタシに立場なんてありません。それより、シィナ共和国への牽制が最優先なのデス。ワタシもこの先、無事に本国へ帰れる保証がありません。ワタシたちに万が一のことがあれば、あなたに託したいのデスよ」
「何をです?」
「一時的な平穏。わずかな間の休戦状態」
トマスはジェスター中佐の顔を見つめ直した。「何ですって?」
「この世界に、完全な平和など存在しません。かつて、断罪竜によって滅びかけた人類も、ここまで人口が増え、強大な国家も誕生しました。人間同士の争いは絶えず、いつもどこかで戦争が起きていマス。他国に出し抜かれたり、攻め込まれないたりしないため、ワタシたちが存在しマス。ワタシの任務が何であれ、最終的な目標は戦争を止めることなのデス。もちろん、永遠に止めることなど不可能。ちっぽけな我々ができることは、ほんの一時的にでも戦争を回避させるか、休戦状態へもっていくことなのデス。シィナ共和国を島から追い払うことができても、その平穏は一時的で、いずれ、別の争いが起きるでしょう。ですが、それまでの間、人びとが平穏無事に暮らしていけるのであれば、そのわずかな平穏にも意味はある。そうは思いませんか?」
「人間はそこまで戦争が好きではない。恒久的な平和の実現だって……」
「可能だと本気で思っているのデスか?」
「そ、それは……」
「アキナイスさん。平和を願う者は多いでしょうが、すべての人間がそうではありません。あなたが今言ったのは、あなたの『願い』であって、『実現できる可能性』ではないのデス。残酷な言い方ですが、『願い』はどこまでいっても『願い』にすぎないのデス」
トマスは視線をそらし、沖へと向けた。高速帆船は滑るように砂海を進み、背後にあるはずの戦列艦の姿もすでに見えなくなっていた。
「エド……」
「何デス?」今度はジェスター中佐が尋ねた。
「エド……。私の甥です。あの子はまさにあなたの言う『願い』を口にし、その『願い』のために行動しています。あなたは、あの子の行動を愚かだと嗤いますか?」
「いいえ。むしろ、好ましくさえ思っていマス」
ジェスター中佐もトマスと同じ沖に視線を向けた。
「もし、ワタシの年食った諦観を打ち砕くのであれば、悟りきった大人ではなく、次代を担う、エド君たち若者ではないか。そう感じていマス」
「年食った諦観、ですか……」
トマスはジェスター中佐の横顔――ドーランで厚く素顔が隠された顔――に視線を向けた。
「ところで……、あなたはいったい、おいくつなのですか?」




